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第70話 60 人生にもセーブ機能が欲しい
しおりを挟む馬車は予定通り、日が落ちる前にランス伯爵の私兵と合流した。問題もなく、ランス伯爵邸へと随分と夜も更けてから辿り着いた。
ランス伯爵邸で私が第二皇子アルフェンルートであると知らされているのは、クライブの両親であるランス伯爵と伯爵夫人。それと家令のみ。
そのため到着した時、私は侍女としてメリッサと共に控えていた。
ただ侍女とはいえ、王家に仕える侍女は貴族令嬢でもある。完全な使用人ではなく、一応は客人扱いにされるらしい。ちゃんとした客室が用意されるようだ。
場合によっては侍女がこの先、妃になる可能性もあるから、それが一般的な待遇なのかもしれない。今回は違うとわかっているけれど。
(客人扱いとはいっても、実際は歓迎されてないんだろうな)
兄一行を迎え入れた際のランス伯爵夫妻は、私に対して特に反応しなかった。
さすが王家に仕えていただけあって、感情の制御は徹底している。だから表面上は冷遇されることもないし、私に何かあれば兄の責任問題へと発展するから、何かをされる可能性も格段に低くはある。
ただそれでも歓迎されていないことは念頭に置いておかなければならない。
むしろお忍びの侍女扱いとはいえ、よく受け入れてくれたと思う。
兄が無理を言ったのだろう。それに加えて私が本当に兄に害をなさないか、見極めるつもりもあるのだと思う。
ランス伯爵は伯爵位を継いだ際にランス領に戻られたけれど、数年前まで近衛騎士だった。即ち、第一皇子派。
そしてランス伯爵夫人は言わずもがな兄の乳母であり、クライブの実母。
私のことは、あからさまに面白くない存在だと思う。よく考えれば、ランス伯爵家から見れば私はラスボス。
実際には私はエインズワース公爵の手駒でしかないのだけど、全ての元凶なわけだから、目障りな存在であることには違いない。多分ここでは表向きはお互いに素知らぬフリをするのだろうけれど、少々気を揉みそうではある。
(行きたいって言ったときは正直、そこまで考えてなかったというか)
他領を見たい気持ちばかりが逸って、先走ってしまった感がある。本当に実現するという実感もなかったから、安易に頷いてしまった。
(思い返せば、私って馬鹿なのかなって思うことが結構よくある……)
我ながら行き当たりばったり感がすごい。
後から改めて考えると、まずかったと思うことが多々ある。成長しないの? 馬鹿なの? 何度繰り返したら学習出来るの?
私はいい大人な経験もあるはずなのに、年齢と頭の回転の良さとは比例しないのだと思い知らされた。
思えば、シミュレーションゲームも攻略サイトが無いと先に進められないタイプだった。特に恋愛シミュレーションに至っては、攻略サイトを見ないと誰のルートにも入れずにエンドを迎えたことは数知れず。随分短いゲームだと思っていたら、実は始まってすらいなかったとかざらだった。
ゲームでそれだったのだから、やり直しのきかない現実なら余計に躓くのは当然と言える。
――そして現在。私はまたもや選択肢を間違えたせいで、人生を詰みに掛かっている。
今夜はもう遅いということで、挨拶もそこそこに用意されていた部屋へと向かった。
部屋割は、兄は当然ながら客室を一人で使用。
兄をメインに護衛する近衛のニコラスとオスカーが同室。クライブとデリックは自室があるけれど、クライブは近衛騎士の役務を負っているので、他の近衛と同条件で1室を使用する。あとは衛兵2名が同室で、私とメリッサが同室という割り振りになっている。
夜間の護衛はランス伯爵邸の私兵が請け負ってくれるので、屋敷に慣れた人にお任せする形になると聞いている。
それで何の問題もない。そのはずだった。
私とメリッサを部屋まで案内したクライブが、困惑を露わにとんでもないことを言い出すまでは。
「今回アルト様とメリッサ嬢が同室ということになっていますが、それだと少々問題があると思うのです」
「!? なぜですか」
思わず驚いて目を瞠り、兄が口を開くよりも先に切り返してしまった。
(何が問題なのかさっぱりわからないのだけど!)
むしろ私にとって、メリッサと離れることの方が大問題。
私は侍女の姿だし、私が誰か知っているのはランス伯爵夫妻と家令だけ。貴賓扱いとはいえ兄の侍女でもあるわけだから、体面的にも当然、私とメリッサは同室だと思い込んでいた。
実際、予定ではそうなっている。そして今まさに、その用意された部屋の前である。
これでいいのだけど。余計なことは一切しないでくれていいのだけど!
「メリッサ嬢は伯爵令嬢ですから、いくらアルト様の侍女とはいえ、年頃のお二人を同室にするわけにはいかないでしょう?」
「!」
間抜けに聞き返した私に対し、顰め面になったクライブの言ったセリフは正論だった。
どんな反論も思いつけない隙のない正論すぎて言葉を失ってしまった。
(どうしよう……っ)
この国では、結婚前の貴族の男女が同室で過ごすなど言語道断。
クライブの言う通り、主人と侍女であっても同室になることなどない。実際、メリッサが私の部屋で夜を過ごすのは、私が体調を崩している場合だけに限られる。
とはいえ、メリッサは侍女である以前に乳姉妹。生まれた時から片時も離れずに傍にいて、実の兄よりも近しい存在である。更には、私達はまだ成人前。いわば、ギリギリ子供と言い張れる点だけは反論できるポイント。
それにもし私が本当に男だったとしても、メリッサ相手に邪な衝動を覚えるかと言ったら、たぶんない。
だってお互いに幼い頃におねしょをしたとか、そういう恥ずかしいことも知っている仲である。そんな相手に特別な感情を抱くわけがない。
(だいたい本当は女なわけだから、何一つ問題はないのだけど!)
そう叫びたいけど、これは当然言えない。それに男だと思われている私が、ここで反論するのって、どうなの?
同室がいいと言ったら、兄に常識がないと軽蔑される可能性もある。今ここには私達の部屋の位置を確認しておきたいと言って、兄も一緒に来ている。下手なことは言えない。
(それにクライブは、私がメリッサを好きだって誤解してるわけだから……っ)
そんな私が別室になることを拒否したら、下心ありまくりだと思われてしまうのでは!?
むしろ余計に同室を避けさせようとすることが予想出来てしまう。
それに、好意的に考えれば違う見方も出来る。
思春期の男子が好きな女の子と数日間を同室で過ごすっていうのは、そういうことを起こさないつもりでいる場合、かなりきついものがある。
いや、男になったことないから実際にきついかどうかは知らないけど! よく聞くでしょう、そういうの!
もしクライブ的に、思春期男子である私の精神を慮ってそんな提案をしたとしたら……そう考え出すと、もう何をどう言ったら部屋替えを阻止できるのかわからない!
「とはいってもさすがに侍女という体面上、シークヴァルド殿下と同室にするわけには参りません。一応は侍女であるアルト様の為に1室用意する、というのも目立つので」
クライブの言葉のどこかに断る隙が無いかと、必死に耳を傾ける。そして説明されればされるほど、私はメリッサと同室になる以外、行く場所がないように思えた。
ほら、やっぱりこれで何の問題もない……!
「入浴を終えられた頃合いを見計らって迎えに参りますから、僕の部屋で休まれますか?」
「はい!?」
安心していたので、一瞬言われた言葉が理解できなかった。
(それってつまり、入浴後にこっそり部屋を移動するってこと?)
入浴はメリッサが手伝うことを想定しているのだろうから、そこは許容範囲なのだろう。実際には、私は一人で入浴しているけれど。
(でも僕の部屋ってことは……、クライブと!?)
思い至ると同時に、心臓がバックンバックンと脈打つ速度を上げる。
いやいやまさか、そんなわけがない。
ということは、私はクライブの本来の自室を使用するってことでは? でもそれだと余計に目立ってしまう気がする。
「それは私がクライブの自室を使用させていただく、ということですか?」
「いえ、僕が今回使う部屋の方です」
念の為に確認したら、私の予想は見事に裏切られた。
けれどそうなると、別の問題が出てくる。
「ならばクライブはどこで休むのですか」
私がクライブの使う予定だった部屋で寝るなら、クライブは出ていってくれるの?
動揺のあまりうまく頭が動かなくて、半ば呆然と聞き返したらクライブは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「護衛も兼ねて、同室で休ませていただきます。勿論、僕はソファーを使います」
(同室!?)
無理! 絶対無理だからッ!
同じベッドじゃないからセーフ、なんてわけがない! 同室な時点で完全にアウト!
(それは私に死ねって言っているようなものだけど!)
断固拒否したい。だけど、うまい言い訳が思いつかない。
でもこのままだと、クライブと同室になってしまうッ!
「お待ちください」
動顛して全然うまく頭が回らない私の代わりに、隣にいたメリッサが口を開いた。
「私はアルフェンルート様と同室で、何の問題もございません」
メリッサがクライブを見据え、簡潔に言ってくれた。
「ですが貴女はマッカロー伯爵令嬢でもあるわけですから、そんなわけにはまいりません」
けれどクライブは引かない。いくらメリッサが構わないと言っても、迎える側のランス伯爵家の子息としては事情を知っているだけに看過できないのだろう。
あと、私がメリッサを好きだと思い込んでいるから。同室はまずいと考えているに違いない。
(やっぱりあのとき全力で否定しておくべきだった!)
誤解させておく方が都合がいいかも、なんて下手な小細工を考えるんじゃなかった。やっぱり悪いことをしてはいけない。全部自分に跳ね返ってくる。
でも私は否定しようとしたわけだから、全部が全部、私が悪いわけでもないと思うのだけど!?
「ランス卿は、アルフェンルート様がご自分の侍女に疚しい感情を抱かれるとでもお思いなのですか。だとしたら、アルフェンルート様に対する侮辱です」
「!」
解決策を捻り出せずに私が内心慌てふためいている間に、メリッサが珍しく冷ややかな眼差しになって硬い声を吐き出した。
その声と態度には、明らかに怒りが見える。
言われた側のクライブは息を呑み、一瞬だけチラリと私に視線を向けてきた。その目は、『メリッサ嬢をお好きなのですよね?』と言いたげである。
若干申し訳なさそうに見えたのは、私が完全にメリッサの眼中にないと思われていると受け取ったせいなのか。
「それと私に対しても、主人を誑かすふしだらな女だと思っておられることになります。私としては、それは到底許せるものではございません」
メリッサはクライブの反論を許さないと言うように、語気を強めて言い切った。クライブに向ける視線は、普段のメリッサからは考えられないほど冷ややかなものだった。
クライブは昼間の穏やかなメリッサを見ているだけに、心底メリッサを怒り狂わせてしまったと、そう思ったはず。
(憎まれ役をさせてごめん、メリッサ……!)
だけど助かった! ここまで言われたら、クライブとしても返す言葉はない。
それでもクライブの眼差しにはまだ躊躇いが見えた。それを見かねたのか、それまで黙って見守っていた兄が口を開く。
「クライブ。おまえは私が女だったとして、同室で休んでどうにかなるのか?」
「なるわけないでしょう。貴方が女性であろうと、差し出がましいとは思いますが兄弟のようなものです。なにより主人に対してそんな気を起こすわけがありません」
すると心底嫌そうな顔をして、クライブが間髪入れずに否定した。そんなクライブを見て、兄が呆れを滲ませた息を吐き出す。
「アルフェとて、それと同じだ。ただでさえ慣れない場所に来ているのだから、安心できる者が傍にいる方がいいだろう」
そう言われてしまえば、今度こそクライブはぐうの音も出ない。
「だいたいクライブと同室など、有事の際以外は私でもお断りだ」
そして兄も心底嫌そうな顔をして、そう言ってくれた。
……しかし兄にもそこまで言わしめるなんて。私の場合は性別の問題があるからわかるけど、いったいクライブと同室で寝るというのはどんな問題があるというの。
「クライブは寝起きが悪い」
そんな私の疑問を感じ取ったのか、兄が顰め面でそう教えてくれた。
クライブにも欠点ってあるんだ……いや、よく考えたら欠点の方が多い気もするけど、普通っぽい欠点は初めて聞いたので新鮮味すらある。
「アルト様は、それでよろしいのですか」
するとそれまで当人なのに蚊帳の外状態になっていた私に、唐突にクライブが問いかけてきた。
当然、迷うことなく頷く。
「私はメリッサさえ良いのなら、同室の方が安心できます」
言い切れば、クライブは一瞬複雑そうな顔をしたものの嘆息を吐いた。「お二人が納得されているのでしたら、わかりました」と諦めてくれた。
クライブ的にはメリッサと私に対する親切だったんだろうけど、本当に余計なお世話でしかなかった。今ので寿命が数年縮んだ気がする。
……気遣ってくれる気持ちは、嬉しかったのだけど。
(よかった! 助かった……っ!)
一時はどうなることかと思ったけれど、かくして私は安寧の部屋を勝ち取ったのだ!
もっぱらメリッサのおかげだったけど。
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