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第68話 58 しあわせの形

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 街に立ち寄って昼食を取り、また馬車に揺られて数時間。
 休憩に降り立った場所は、小さな村だった。こじんまりとした可愛い家が並び、果物農園がある。
 その村の一角、小さなブルーベリー農園で住民が収穫している姿を横目に眺めながらお茶を飲んだ。
 侍女なのに兄と一緒に座ってお茶を飲んでいていいのだろうか、という疑問はあれど、メリッサもご相伴に預かっているのでいいのだと思う。
 それを飲みほしてしまえば、ずっと馬車に乗っていて凝り固まった体を動かしたいところだ。

「兄様、少し歩いてきてもよいですか?」
「ああ。もうしばらく馬を休ませたいから、ゆっくりしてくるといい」

 許可をもらったので、メリッサと一緒に立ち上がった。
 歩き出そうとすれば、当然クライブも付いてくる。兄には近衛が2名付いているから、そちらは大丈夫だろう。
 兄の傍らのくるくる癖毛の金髪で、笑っているように見える糸目の青年がニコラス。
 人を覚えるのが苦手な私からすれば、ニコニコしてるように見えるからニコラス、と覚えやすい。
 もう一人、ハリネズミみたいなツンツンとした灰色がかった黒髪の寡黙な青年がオスカー。
 近衛にしては珍しく強面の大きい人だけど、メル爺に顔の系統が似ているからちょっと親近感が湧く。ニコラスは腹の底が読めないけど、オスカーは笑わないが敵意は感じないから、というのも理由に挙げられる。
 年齢はどちらも兄達より少し上、二十代前半か半ばくらいだろうか。
 ニコラスは本当に私を侍女扱いしてくれているのか、「いってらっしゃい」と糸目を更に笑ませて気軽に手まで振ってくれた。
 そのフレンドリーさに慄きつつも、「いってきます」と答えて歩き出す。
 
「……もっと冷たくされるものだと思ってました」

 しばらく歩いて、ぽつりと思っていたことを零した。

「ニコラスとオスカーのことですか?」
「そうです。兄様付きの近衛騎士から見たら、私の存在は目障りでしょう?」

 兄の手前、あからさまに敵意をむき出しにしたり、冷遇されることはないとは思っていた。
 けれどあそこまでフレンドリーにされると、逆に何か企んでいるのかと身構えたくなる。脛に傷を持つ身なだけに、どう捉えたらいいのやら。
 クライブは「答えにくいことを随分はっきりと仰いますね」と苦い笑みを浮かべた。けれどこれは公然たる事実。

「彼らはあの日のアルト様のお姿を見ていますから、貴方に対して悪感情は抱いていません」
「なぜでしょう? 私は厄介事を持ち込んだのですよ?」

 ただでさえ今まで散々兄に迷惑をかけておきながら、自分の都合が悪くなったら手のひらを返して面倒ごとを持ち込んだ身だ。疎ましく思われていると考える方が自然である。
 眉根を寄せ、首を傾げてクライブを窺った。

「彼らは自分の騎士の為に頭を下げられた貴方を見たから、快く手を貸してくれたのです」
「……はぁ」

 私が頭を下げたのは私の大事な人達の為であって、それでどうして彼らから悪感情が拭われるのかさっぱりわからない。
 気の抜けた声を上げてしまったら、理解できていないのが伝わったのかクライブが噛み砕いてくれた。

「大抵の貴族は、普通そこまで騎士を気に掛けません。広い目で見れば自分たちの仲間である騎士を大事にされる貴方を見て、助けたいと思ったのでしょうね」
「私が私の周りの人を大事にすることと、彼らに何の関係が?」
「直接の関係はありませんが、騎士をただの盾ではなく、一人の人として対等に扱ってくださるというのは、見ていてこちらも気持ちが良いものです。アルト様のような方もいるのだと、励みになります」

 私も今まで自分の部屋周りの護衛に関してはそこまで重く捉えていたわけじゃないから、そんなに持ち上げられると居た堪れない。
 眉尻を下げていると、クライブが「それと」と続けた。

「先程、あの二人に御礼を言われていたでしょう」
「それは人として当然のことだと思います」

 彼らに職務外のことを強いて危ない場所へ向かわせてしまったのだ。無理に頼み込んで助けてもらった側としては、謝罪と御礼は人として当然だと思う。
 むしろ言うのが遅すぎたぐらい。
 ただ現状、御礼に渡せるものが無いと謝れば、「また美味しいものを見つけたら提供してください」とニコラスに軽く言われて終わったけれど。

「それが当然でない人の方が多かったりするのです。アルト様の立場では安易に頭を下げられることは本来良くないのですが、そんな貴方に頭を下げてちゃんと労われると嬉しいものですよ」
「そんな単純な理由なのですか?」
「案外、みんな単純なのです」

 呆気に取られて聞き返した私に向かって、クライブは笑う。
 納得できるような、できないような。
 でもクライブがわざわざ私をフォローするためだけに、そんな嘘を言うとは思えない。そういえば以前ラッセルも似たようなことを言っていた気がする。
 ということは、本当に彼らからそんなに悪くは思われてないってことでいいのだろうか。

(嫌われてないなら、嬉しいけど)

 とはいえ、あまり八方美人をすると後で裏切っていたと知られた時の憎悪も倍になる。進んで関わり合うつもりはないけれど、旅行中ぐらいお目こぼししてくれるのなら有り難い。 


 そんな会話をしている内に、農園から見えていた一帯が白く見えている平野まで到達した。
 いったいなんだろうと不思議に思って見に来たわけだけど。

「シロツメクサだったんですね」

 目の前に白い景色が広がっていて、思わず感嘆の声が漏れる。
 人工的に作られた城の庭も美しいけれど、自然発生した場所から受ける迫力と感動はまた違う。

「綺麗ですね!」

 メリッサも珍しくはしゃいだ声をあげる。
 その顔を見られただけで、ここまで来た甲斐があると思えた。つられてこちらの顔も綻ぶ。

「シロツメクサと言えば、花冠だよね」
「花冠ですか?」
「ちょっと待ってて。昔、作り方を本で読んだことがあるんだ」

 メリッサの問いかけに頷き、せっかくなのでその場に座り込んでシロツメクサを詰んで編んでいく。
 ちなみに作り方を本で読んだというのは嘘だ。

(子供の頃にお母さんに教えてもらったんだよね)

 この世界の母でなくて、前の生の母だけど。
 最初に思い出した頃はもう少し顔を覚えていたはずなのに、今はうまく思い出せなくなってきている。
 そうと気づいて切ない気持ちになった。
 それでもこうして習ったことを今も覚えていられたのは嬉しい。自分の中に、貰った愛情がちゃんと残されているみたいで。

「メリッサ。手を出してくれる?」
「はい」

 差し出されたメリッサの手首に、作ったシロツメクサの輪を腕輪として編みこんだ。
 花冠だと後で邪魔になりそうだったから、腕輪にしてしまった。

「うん。可愛い」

 白くて可憐なシロツメクサの腕輪はメリッサによく似合っている。
 我ながら良い仕事をしたと満足して微笑めば、メリッサがとても嬉しそうな顔をして「ありがとうございます」と言ってくれる。
 こうやって遊ぶことって今まであまりなかったから新鮮。やっぱり女の子同士っていい。癒される。
 「メリッサも作る?」と訊いたけれど、珍しく引き攣った笑みでお断りされてしまった。
 メリッサ、実はこういう作業は苦手だものね……。

「なら四葉のクローバーを探そうか。見つけると幸せになれるんだって」
「それはたくさん見つけなければなりませんね」
「滅多に無いから、見つけたら幸せになれるっていうのだけどね」

 メリッサと他愛のない会話を交わしながら四葉のクローバーを探しだしたところで、農園からデリックが走ってくるのが見えた。
 出立するにしては、まだ時間が早い気がするので首を傾げる。目の前にやってきたデリックの用件は、出立を知らせるものではなかった。

「農園からブルーベリーを譲っていただくのですが、必要な分を見ていただけませんか?」

 普段食べる量を知らないからだろうけど、ブルーベリーなんてそんなに大量に食べるものでもない。
 そしてデリックは私に訊いているように見えて、さっきからチラチラとメリッサに視線を投げかけていた。メリッサと目が合えば、見るからに耳が赤くなる。

(なるほど。デリックはメリッサ狙い)

 なんとか理由を付けてメリッサとお話ししたがっているのが透けて見える。
 普段は私の生活区域からあまり出ない美少女、話をする絶好の機会ではある。それはわかる。
 メリッサはデリックの好意に気づいていないわけがないと思うけど、「でしたら私が参ります」と立ち上がった。
 メリッサとしては、私にこれ以上余計な人間を近づけさせたくないのだろう。
 私としても思い立ったら突進してくるタイプのデリックとは深く交遊を築きたくないので、それは有り難い。

(でも大丈夫かな)

 少し心配になってくる。
 だって、クライブの弟だもの。兄が兄なら、弟も弟かもしれない。これでもしメリッサに変な真似をしようものなら、さすがに殴ってしまうかもしれない。
 不安そうに見ている私の視線に気づいたのか、メリッサは安心させるように微笑んでくれた。
 こういう顔をするということは、メリッサはこういう視線は日常茶飯事なのかも。だとしたら私なんかよりずっと躱し慣れているに違いない。
 そんなことを考えながらメリッサを送り出した結果、私はクライブと二人きりでこの場に残されてしまった。
 やっぱりメリッサ達と一緒に行くべきだったと思っても、後の祭り。
 仕方なく、黙々と無心になっているふりをして四葉のクローバー探しに勤しむ。顔を上げなくて済むから助かった。

(気まずい……っ)

 二人きりになった途端、空気が微妙になった気がして落ち着かない。
 たぶんそれは私の被害妄想なのだと思う。
 でもクライブもこういう時に限って、何も言ってこない。いつもは勝手に話しかけてくるくせに。
 なんで黙っているの。いつもみたいに天気の話とか、これから行くランス領の話とかしてくれればいいのに。

「どうぞ」

 気まずい気分の中、不意にそう言われて緑の葉っぱを差し出された。予想外の行動に驚いて目を瞠った。
 なんとクライブの手には、四葉のクローバーがある。
 って、四葉!?

「すごい! よく見つけましたね」
「目は良い方なので」

 素直に感嘆の声が漏れた。
 これだけあれば1本くらいは見つかるかも、と思いはしたけれどこんな短時間で見つけるとは思わなかった。
 どころか見つかる期待も実はしてなかった。いくら視力が良くても、そもそもあるとは限らないものなわけだし。
 クライブは視力2.0以上あったりするんだろうか。多分私は本の虫だから、それほど視力がいいとは思えない。私が人の顔を覚えていないのは、そもそも相手の顔を見ていないのも理由だけど、視力もそれほどよくないのも原因な気がする。
 ところでクライブは、なぜか私に四葉のクローバーを差し出し続けている。

「良かったですね、クライブ。幸せになれますよ。持って帰って栞にするといいです」

 たかだか葉っぱ1枚ですべてがうまくいくわけじゃない。
 そんなことはわかりきったことだけど、ちょっと羨ましいな、とは思ってしまう。

「僕はいいので、どうぞ。アルト様が欲しがったから探しただけですから」

 それをクライブはあっさりと手放そうとするので、ぎょっと目を剥いた。
 いやいやいやっ。だからといって、人の幸福を横取りするつもりはないのだけど!

「クライブは幸せになりたくないのですか?」
「僕にとってはただの葉ですから、価値をわかっている方が持っている方がいいでしょう」

 まぁ、それはそうかもしれない。所詮、ただの葉っぱだというのは理解している。
 それでも差し出されているそれを、そっと受け取った。
 ただの葉っぱだと思っているくせにわざわざ探してくれたことが、嬉しいと思ったから。

「ありがとう」

 自然と笑みが零れて、感謝の言葉が口を突いた。
 四葉を崩さないよう、エプロンのポケットから取り出したメモ帳にそっと挟んでおく。
 帰ったらこれで栞を作ろう。

(たぶん幸せって、こういうことなんだろうな)

 誰かを思いやって、気持ちに寄り添ってもらえる。
 きっと四葉を手に入れたことが幸福なわけではなくて、この時間を共有し、思いを分け与えられたことこそを幸福と呼ぶのだろう。
 少なくとも、私にとっては。

「そろそろ戻りましょうか…、っぎゃ!」

 言いながら立ち上がろうとしたところで、長いスカートの裾を自分の靴で踏んづけて前につんのめった。
 そういえばロングスカートはこういう欠点があったんだった。普段着ないからすっかり忘れていたけどッ。
 なんてことを呑気に考えている場合ではない。顔面から勢いよく地面に突っ込みそう。
 衝撃を予測してぎゅっと固く目を瞑った。
 けれど覚悟していた衝撃を受けることはなく、地面よりは柔らかいけど、それなりに硬いクライブの胸に受け止められていた。

(助かっ……いや、助かってないっ)

 この体勢は、大変よろしくない!

「すいません。ありが……、っ?」

 急いで両手でクライブの胸を押しのけようとしたものの、なぜか体が離せなかった。
 咄嗟に私を支えたであろうクライブの手が、私の肩と背に回されたままビクともしないせいで。

(なんのつもりっ!?)

 心臓が一気に心音を加速させていく。
 待って、なんなの、待って。互いの胸と胸の間に腕は潜り込ませてあるからいいけれど、いったいどういうつもりなの!
 動揺しつつ恐る恐るクライブの顔を見上げた私を、クライブの感情を読ませない緑の瞳が見つめていた。こちらの心を探るようなそれに、ぎくりと心臓が竦む。
 まさか抱きしめたから、胸がバレた……でも間に私の腕があるし、そんなわけはない。
 ならば、何。何なの。

「──アルト様は、メリッサ嬢がお好きなのですか?」

 怖いくらい真剣な顔で考えてもいなかった質問を投げかけられて、思わず目を瞠った。


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