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第67話 57 本能に抗いたい

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 緑広がるのどかな景色の中、馬車がガラガラと走っていく。
 あれから兄が乗る馬車へと移動した。兄とクライブと向き合う形で、私とメリッサが隣り合って座っている。
 本来は私が兄と並んで進行方向を向く形に座るべきだと主張されたけれど、メリッサをクライブの横に座らせるのは抵抗があってこういう形になった。それに隣がメリッサだと安心感が違う。
 今回、ランス領に行く人数は9名。
 兄、クライブ、私、メリッサの他に5人いる。
 クライブの弟で見習い騎士のデリック。兄の近衛騎士であるニコラスとオスカー。
 そしていま私達が乗っている馬車と、もう1台の荷馬車の御者をしている衛兵が2名。
 近衛騎士2名は馬に乗っているけれど、定期的に御者と交代するらしい。
 お忍び扱いなので、少数精鋭なのだと聞いている。

 一応、馬車に乗り込む前に兄が周りに軽く私を紹介してくれた。

「侍女もどきのアルフェだ」

 その一言だけ。
 
(いくらなんでも雑過ぎるでしょ!?)

 第二皇子である私を同行させることは最初から知らされていたはずだけど、兄は私を「アルフェ」としか紹介しなかった。
 それはつまり私のことは第二皇子アルフェンルートではなく、侍女もどきのアルフェ嬢として接しろということだ。
 近衛2名は事前に説明されていたのか、それとも近衛騎士ともなれば多少のことでは動じたりしないのか、侍女姿の私を見ても特に驚くことはなかった。
 しかし他の衛兵2名とデリックは、見るからに狼狽えていた。
 私が一緒に来ることはわかっていたはずとはいえ、

『侍女もどきって……それ、アルフェンルート殿下ですよね!?』

 と、顔にでかでかと書かれていた。

(その気持ちはわかる)

 私も皇子がいきなり侍女姿で現れたら絶句するし、侍女として扱えと言われても対応に困る。
 事前に侍女だとわかっていたとしても、そういう反応をされるだろうことは想定していたし、最初は女装した姿を見せることに気が気ではなかった。
 私の侍女姿は、女にしか見えない。女だから当たり前なんだけど。

 けれど幸いなことに、今回は私のすぐ傍らに飛び抜けて可愛いメリッサがいた。

 メリッサのたまたま涙で潤んでいた榛色の大きな瞳。ふんわりとした柔らかい栗色の髪。化粧まで施している顔は文句なしの愛らしさで、小柄でいかにも守ってあげたくなる女の子。
 そんなメリッサが隣にいれば、棒切れのような体の色気皆無の私の姿など完全に霞む。
 完璧な女の子の見本と並べば、ちょっと残念な女装に成り下がるというものだ。
 おかげで女だと疑われなくて済んだように思う。
 ありがとう、メリッサ! メリッサが来てくれて大正解だった。

(まだ女だとバレるわけにはいかないし)

 どうしたらいいのかまだ決めかねているけれど、とりあえずまだ言うべきではないと思う。
 私が女だとバレたら、普通に考えたら処刑コース。
 けれど私の処刑を回避するために私が特別な存在なのだと兄が言えば、今度は私の存在が重要視されて兄の王位継承権が揺らぎかねない。
 ならばこのまま女だと言わず、特別であることも内密のまま、陛下に辺境へ飛ばしてもらうのをひっそり待った方がいい。

(でも特別だと思われているのに、辺境に放り出したりする?)

 兄は私を手元に置いておきたいような感じである。どんな知識を持っているかわからない人間、放置するには危険すぎるから。

(そもそも陛下も私がそうだって知ってるの?)

 あれから、図書室で会っていた陛下と過去に交わした話を必死に思い返した。
 けれど私はもっぱら季節と食べ物に関連する話しかしていなかった気がする。
 冷夏だと冬野菜が不作になりがちだから心配です、とか。暑過ぎると蚊が少なくていいですね、とか。

(過去の統計を見てそう判断したのだと思われてたらいいけど、もしかしてまずかったかもしれない)

 ただの世間話のつもりだったけど、前の生で培った知識を無意識に口にしてはいなかったか?
 私の中ではそれらは誰もが知ってる当たり前のことだったから、うっかり口を滑らせていた可能性も無きにしも非ず。
 それでも陛下は、何も言わなかった。
 それはつまり私の特異性を、見ないフリをしたということ。私が特別であろうと、陛下の中では王位の順序は覆らないのだろう。
 そのことに、落胆よりも安堵が勝った。
 しかし私が女だとバレたことによって特異性が公にされたりしたら、周りが騒ぎ立てて陛下の思うようにはいかなくなる。

(ならやっぱり女だとバレない方がいいってことになるけど、そうなると兄様が狙われ続けることになるわけで)

 もし私が女でも特別だと周りにわかった場合は、兄を殺そうとする輩は鳴りを潜めるだろう。
 暗殺などすれば、せっかく王になる大義名分を手にした私の立場を悪くする。だからあえて危ない橋を渡りはしない。
 私こそが正しい血筋で、女であっても選ばれた特別な存在だとでも吹聴すれば、兄に従わない者が増えて兄を弱い立場へと追い込んでいく。身の程知らずは引いてください、という圧力をかけて潰していくのだ。
 それが簡単に想像できてしまう。

(本当に、ろくでもない)

 国にとって本当に必要なのが誰なのか。自分達の利ばかり追求して、それを読み誤る者に限って声が大きい。
 思わず嘆息が口から零れ落ちていく。

(とりあえず今は私がこうして兄様の傍にいる以上は、もし兄様に何かあれば盾ぐらいにはなれるわけだから)

 それを女であることを黙っている免罪符にして、行き詰まっている思考を一旦棚上げすることにした。
 とりあえず、この旅行の間ぐらいは。
 せっかく息抜きのつもりで連れてきてくれたのに、暗い顔をしていたらきっと気にさせてしまう。

「ランス伯爵邸には夜に着くのですよね?」

 馬車の中でずっと黙っているのもどうかと思い、流れる景色を眺めていた視線を兄の方へ向けた。
 早朝に出立した馬車は、夜更けてから到着予定だと聞いている。

「今回は馬車だし、途中で何度か休憩を挟むからな。どうしても時間が掛かる」
「兄様がいつも行かれる時はどうなさっていたのですか?」
「馬で早駆けしていく」

 随分と体育会系な返事が返ってきた。早駆けでも半日以上は余裕で掛かる気がするけど。
 でも兄がお忍びで出かける場合、必要なものは向こうで用意することにして、単身で駆け抜けた方が襲撃させる隙を与えないで済むのかもしれない。

「私がいるせいで世話をおかけします」
「こういうのもたまにはいいだろう。普段は景色を見る余裕もないからな」

 眉尻を下げて言えば、兄は本当にまんざらでもなさそうに目を細めて外を眺める。

「ですがゆっくり行くと、襲撃される可能性が高くなるのではないでしょうか」

 言ったところでどうしようもないわけだけど、心配になって問えば兄の視線がこちらに向き直った。

「真昼間から、これほどの街道で王家の馬車を狙う愚か者はさすがにいないだろうな。日が落ちる前にはランス伯爵の私設兵が途中まで迎えに来る」

 そういうことなら、道中はひとまず安心していいのだろう。
 お忍びとはいえ、今回は王家の馬車を使用している。それだけでも抑止力にはなる。
 それにランス領は小さいけれど王都民の静養地として人気だから、観光地として税収を得ているだけあって、王都から主要な街までの道の整備は行き届いている方なのだろう。
 治安も悪くはなかったはずだ。むしろ雑多な人間が集まる王都より良いかもしれない。
 途中でランス領へと入る検問を通ったけど、王都から出る分にはスムーズだった。
 王家の馬車を止める人間はいないから当然とはいえ、周りを見ていても出ていく分にはそこまで厳しくない。
 逆に、他領から王都へと入るのが難しそう。

(出ることは簡単に出来ても、戻るのは難しい)

 私がランス領に行きたがった理由の最たるものは、王都の外を知ることだ。
 もし城から逃げ出すような状況になった場合、どこまで行けるのか。どうなっているのか。
 役立つ日が来るとはあまり思えないけど、知っていて損はない。備えあれば患いなし。

(ただ王都を出た途端、家が少なくなるんだよね)

 王都を出れば、すぐに見通しの良い開けた景色が広がった。
 街に行けば人は多いのだろうけど、道中は目立ちそう。予想はしていたけれど、目に見えて圧倒的な人口差がある。

(逃げ出せたとしても、他領に行くと身を隠せる場所がないってことか)

 だとしたら、逃げた場合は王都に身を潜めていた方が得策なのかもしれない。木を隠すなら森の中っていうし。
 幸い、私のような金髪碧眼は珍しくない。ゲーム世界と重なっている割に、案外飛び抜けて変わった髪色の人はいない。
 赤毛が鮮やかなぐらいで、紫がかった黒とか、灰色とか、グリーン系アッシュだったりする。ピンク等の原色は見ない。
 あとは平民の服装も見られたので、ここまででも結構な収穫だった。心配事は頭の片隅でくすぶり続けてはいるけれど、それとは別にして外の世界を知ることはとても楽しい。

「もうすぐ昼食に寄るが、アルフェにはクライブを付けるから安心していい。今回連れてきた近衛もあの日アルフェに手を貸した者で事情をわかっているから、万が一何かあれば遠慮なく頼ればいい」
「ご厚意、感謝します」

 そう口では言ったものの、内心ではちょっと落ち着けない。

(クライブが付くんだ……いや、まぁ、そうなるだろうと思っていたけど)

 慣れない人を付けられるよりは断然助かるけど、クライブか……
 腕が立つことは知っているし、私に対してもなんだか好意的だし、女だとバレさえしなければ信用していい相手にはなっている。
 でもクライブが兄から離れている間にもし兄に何かあったら、後が怖い。

「ですが、クライブは兄様に付いているべきではないでしょうか? 今の私は傍から見たらただの侍女ですし、デリックにお願いできれば十分だと思います」

 仲がいいわけではないけど、デリックの方が若輩な分、クライブよりは御しやすそう。それにセインと戦い方は違えど力量は五分五分という感じだから、弱くもない。

「侍女といえど、アルフェだけでなくメリッサ嬢もマッカロー伯爵令嬢であるわけだから、一時的ならともかくずっととなると見習いのデリックでは役不足だ」

 しかし兄から呆気なく却下されてしまった。
 言われてみれば、それもそうだ。
 ということはクライブの護衛を受けるしかないわけで……ちょっと悪足掻きで言ってみただけで了承されるとは思ってなかったから、いいのだけど。

「デリックと仲良くなりたいのですか?」
「えっ。そういうわけではないです」

 それまで黙っていたクライブにいきなり問われて、ぎょっとして反射的に首を横に振ってしまった。

(あっ! しまった。そういうことにしておけばよかった!?)

 否定した後に気づいたけど、もう遅い。
 これを機に友達になりたい風を装えばよかったのに、そんなつもりは更々ないからつい即座に否定してしまった。
 案の定、クライブが僅かに眉尻を下げて首を傾げる。

「では、僕では頼りになりませんか?」
「そうではありません。私達に付いていただくには勿体ないと思っただけです」

 慌てて首を横に何度も振って否定する。
 力を信用していないわけじゃない。むしろそれは疑ってない。

(単にあまり近づいてほしくないだけで)

 だってやたらクライブが私に対して親切に見えるというか。
 ……優しい目で見てくる気がするというか。
 それに先日の吊り橋効果なのか、認めたくないけどちょっとクライブに対して平常心が揺らぎそうになる。
 これは非情によろしくない傾向だ。

(これ以上近づかれたら、自分の立場も忘れて甘えてしまいそうで怖い)

 だからこれ以上、近づきたくない。近づいてほしくない。
 だって私には、こんな感情を抱く権利はない。
 でも、クライブも私に誤解させるような行動をするから悪いと思う。
 いや、クライブは私が兄の弟だから親切に接してくれているだけだというのはわかっている。騎士だから弱いものを守るのは習性みたいものだというのも、ちゃんと理解している。
 それに対して変に期待してしまう、私が悪いわけで……

(いやっ、期待してるわけじゃないけど!)

 ぐるぐると余計なことを考え始めた頭を強制的にシャットダウンする。
 そう、この感情ははただの吊り橋効果による一時の気の迷い。
 命の危機を感じた時に助けられたら恋に落ちそうになるのは、いわば子孫を残そうとする生き物としての本能。自然の摂理。生理現象。
 私は知性ある人間なので、本能の安易な誘いには乗らない!
 こんなものはただの一時の気の迷いで、勘違いだってわかってるから!
 だいたい、恋愛などにかかずらっている場合じゃない!

(……それに、好きになっても報われる相手じゃない)

 今の私は男で、皇子。
 万が一、女だとバレたら晴れてハッピーエンドなんてことは当然なく、どころかきっと憎まれる対象になる。
 そう考えただけで心臓の奥がギシリと軋むように痛んだ。

(恋なんて全然楽しくない)

 現実の恋愛はシミュレーションゲームのように、楽しいことばかりじゃない。
 相手の一挙手一投足が気になって、言葉一つ、態度一つに浮かれたり落ち込んだりさせられる。
 悩んで不安になったり、場合によっては理不尽に怒りたくなったりする。嬉しいことはほんの少しで、やきもきする方が圧倒的に多い。
 自分の心なのに自分の手を離れて、全然思い通りに動いてくれない。冷静な判断力を奪われて、無駄に疲れて、ぐちゃぐちゃに掻き回された心は全然綺麗でいられない。

(だから恋心なんて、私はいらない)

 自分には必要ないのだと言い聞かせている時点で、既に手遅れになっているのかもしれないけれど。


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