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第46話 38 作戦会議とまいりましょう

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 部屋に戻ってからも緊張が冷めず、結局眠れたのは明け方近くなってからだった。
 次に目を覚ました時には、既に昼近かった。
 昨夜は晴れていたけど、外を見ればいつの間にか雨が降っている。カーテン越しに差し込む光もなく、部屋が暗かったせいもあるのだと思う。
 メリッサも昨夜が遅かったからあえて起こさないでいてくれたのだろう。慌てて身支度を整えて寝室から飛び出した。

「メリッサ。セインはもう来た?」
「お目覚めになられましたか。お加減はいかがですか、アルフェンルート様。セイン様でしたら、お昼にもう一度伺うと仰っていましたが」
「体は大丈夫。そう。それならいい」
「何かございましたか?」

 慌ただしい私の態度にメリッサは怪訝な顔をする。
 昨夜までやたら落ち込んでいる様子だった私が、寝坊して起きてきたらいきなりテンションが高かったら、そんな顔もしたくなるだろう。

「二人に、大事な話があるんだ」

 今まで出来るだけ心配させたくなくて、あえて口にするのは避けてきた。
 けれど昨夜、王に会って話したことがもし実現するとしたら。さすがにそろそろある程度は腹を割って話しておかなければならない。
 私だけでなく、二人にも十分関係してくる話なのだから。


   *

 昼食後にやってきたセインとメリッサを交えて、私室の居間にしているソファに座る。
 いつもは傍らに佇んでいるメリッサにもセイン同様、向かいに座ってもらい、「単刀直入に言うけれど」と口火を切った。

「昨夜、陛下にお会いする機会があってお話しさせていただいたんだ。それで、もしかしたら辺境に配置されるかもしれない」

 気持ちが逸って、とりあえず結果だけを先に告げた。まだ全然そうと確定したわけではないけれど、声は自然と期待に弾んでしまっていたかもしれない。
 私としてもまだうまく頭の中が整理できていないので、うまく話を持っていくのが難しい。
 おかげで当然ながら、言われた二人は意味がわからないとばかりに呆けた顔した。
 そして先に我に返ったのはメリッサだった。眉を顰め、厳しい顔をする。

「昨夜と申しますと、昨夜はかなり遅かったと思うのですが、それから陛下にお会いになられたということですか?」
「そう。眠れなくて庭を散歩していたら、陛下にお会いした」

 そう簡潔に答えれば、メリッサは絶句して、セインは「いったい夜中に何してるんだ」と顔を歪めた。
 そう言いたい気持ちはわかる。我ながら冷静に考えると、何をしているんだ?と言いたい。
 でもそのおかげで、もしかしたらだけど、この状況が改善されるかもしれないのだ。

「そういう文句は後でまとめて受け付ける。とにかくそれでお話しさせていただいて、辺境に飛ばしてほしいってお願いしておいた」
「お願いしておいた、って……また随分と簡単に言うな」
「さすがに口で言うほど簡単だったわけではないよ。でもここまで来たら、多少の無茶をしないとどうにも出来ないでしょう」

 絶句したセインが、嘆息混じりに顔を歪めてそう呟く。
 愕然と固まったままだったメリッサは私が苦笑したのを見て、蒼褪めさせた顔を歪めた。

「アルフェンルート様は、この城を出ていくおつもりなのですか……?」

 そう問いかける声は擦れて、震えていた。
 唐突にこんな話をされても、受け入れられなくて当然かもしれない。
 だけど本当はメリッサだって、わかっていたはずだ。

「メリッサだって、このまま私がここにいられるとは思っていなかったでしょう?」
「!」

 残酷なようだけど、現実を突きつける。

「私がここにいる以上、あの人は諦めない」

 エインズワース公爵は第一王位継承者である兄を排除し、場合によっては王すら狙うかもしれない。
 むしろ王と第一皇子の二人を排除しなければ、私が王として立つことは出来ない。
 そしていっそ二人を消してしまえば、その後で私が皇女であるとバレたとしても、私が仮に王位に立つことになるだろう。
 他に王家の親戚として名を連ねる公爵家に、男児がいないわけではない。だが最も力があり、一番血が濃いのはエインズワース公爵家だ。
 あの家は自分達こそが正当な王家であるという誇りを持っているからか、極力血を薄めないよう、王家に近い血を取り込み続けてきた。だからもし私が死を持って拒めば、エインズワース公爵家の長男が王に立つだけ。

(けれどたぶん、それだとうまくいかない)

 エインズワース公爵は長男との折り合いが悪いと聞いている。伯父とは幼い頃に何度か会ったことはあるが、彼は私を王にすることに対して消極的だった。そんな人だから、エインズワース公爵も扱い難いのだろう。
 そうなると、やはり私を死なせるのは得策ではないと考える。
 私が故意に自死しようとでもすれば、あの人はメリッサやセイン、メル爺だって一族もろとも処分すると言い出すことは目に見えていた。
 現時点でも、あの人は私の大事な人たちの命をちらつかせて、私の口を封じてきたのだ。
 そうなると当然、私は従うほかない。
 そこまでするのは、私を仮に王位に立てて男児を生ませた方が、現王家簒奪という醜聞からは遠のくからに他ならない。
 内情は、エインズワース公爵にとって都合のいい傀儡を立てて、己こそが真の王になるのが目的であっても。

 しかしエインズワース公爵とて、私が女であることをいつまでも隠せるとは思っていない。
 だからこそ暴かれる前に裏で動いているのだろうし、きっと今が一番危ない状況だと言ってもいい。
 たぶん兄は私を気遣って何も言わないでいてくれているけど、暗殺の手はけして緩められていないはずだ。ましてや、近頃私が面倒な動きをしているから、特に。

 正直なところ、今の私はこれでもかなりギリギリのラインで動いている。
 たとえば私が兄と親しいという噂が万が一にも広がれば、兄の身に危険が増すのは勿論のこと、エインズワース公爵は見せしめで私の周りの誰かの首を落とすことも考えられる。
 実際に近頃、籠の鳥状態であることに同情的だった、私寄りの衛兵の姿を見かけなくなった。
 いくら私が人と関わらないようにしているとはいえ、自分を守る騎士ぐらいはある程度把握している。彼らは私の秘密まで知っているわけではないから、別の場所に回されただけだろうけど。

(遠回しに警告されている、のだと思う)

 セインは私の身代わりになるから生かしておくだろうし、メリッサは王家が雇っていることになっているからまだ一応は大丈夫。
 だけど、それ以外の保証はされない。
 まだ警告で済んでいるのは、もしかしたらせめてもの祖父の情けなのかもしれない。
 ……情けとも言えないレベルのものでは、あるけれど。

「勿論私だってそれを許す気はない。でもそれを阻止したとしても、今はまだ子供だからこんな生活が許されているけれど、成人すれば王族としての務めは果たさなければならない。今までのように人を避けて生活は出来ないし、誤魔化すにも限界がある」

 そして結局どちらに転んで、一生隠し通せるものじゃない。
 ただでさえ私は生理不順気味だし、この世界の生理用品はお世辞にも良いとは言えない。逆に生理周期が定まっていても、毎月同じ日程で体調を崩すことほど怪しいものはない。
 そしてもし誤魔化し通せたとしても、王族である以上は、いつかは結婚だってしなければならない。
 王位簒奪がなされなかったとしても、エインズワース公爵家が都合のいい、秘密を守れそうな令嬢を見繕うだろう。
 けれどそれは、その人の一生を奪う行為だ。殺すのと同義。
 これ以上、私は自分のせいで人生を狂わせる人を見たくはない。

「どうしたってこのままではいられないんだよ、メリッサ」

 まっすぐに見つめてそう言えば、メリッサが息を呑んで唇を噛み締めた。
 本当は、わかっていたはずだ。セインは最初からそうとわかっていた。
 だからこそセインは私の真意を汲み取って、周囲との壁を崩さなかった。私は王に相応しくない愚者なのだと装うことに、協力してくれた。
 たぶんそれでエインズワース公爵には散々嫌味や叱責も受けているだろうけれど、私を優先してくれた。失うものがないゆえに、基本的に弱みがないセインだからこそ出来たことだと思う。

 メリッサが、セインのその行動を知らなかったとは思えない。
 そしてセインの行動を諫めずに許容していた私を見て、ある程度はその真意にも気づいていたはずだ。それでもあえてメリッサがこれまでこの件に口を挟まなかったのは、言ったところで何もできないと悟っていたから。
 だから口を噤んだ。
 目を逸らした。
 見ないフリをして、日々をやり過ごした。
 メリッサは立場的に私と一連托生なわけだから、それはそれで心を守るためには必要なことだったんだに違いない。
 私はメリッサから、将来どうなりたいかと訊かれたことは一度もない。例えば親しい相手となら誰でも話すような、どんな人と結婚したいか、仕事をするにしてもどんな役割に付きたいか、そんな話をしたことはない。

 それはつまり、ここに未来はない──そう、わかっていたはず。

 本当のところ、私よりメリッサやセインの方が精神にかかる負担は大きい。
 私の行動一つで、自分の運命が決まってしまう。自分で自分の未来を選べない。それはとてつもない不安に決まっている。
 自分でそれを選んだメル爺や、乳母であるメリッサの母とは違う。
 メリッサは、それこそ生まれた時点で勝手に決めつけられていた人生だ。
 セインもスラム街にいたとはいえ、自由に生きていたところを拘束されて無理矢理に押し付けられた人生だ。
 それでもこれまで黙って傍にいてくれた。
 責めるどころか、味方でいると言ってくれた。そう態度で示してくれていた。

「でもこれでうまくいけば、二人を解放してあげられる」

 そう改めて口にすると、自分の口から安堵の息が自然に漏れた。
 たとえ自分がたった一人で辺境の地に飛ばされようとも、それでも二人への贖いには足りない。今まで拘束してしまった分の時間は返せない。
 けど。

(この先の未来ぐらいは、守ってあげられる)

 これが今の私になんとかできそうな、精一杯。

「解放だなんて……っそんな風に言わないでください! 私はアルフェンルート様がどこに行かれようと、一緒に付いていきますから!」

 メリッサが涙目になって、声を荒げた。
 それだけは絶対に譲れないと言わんばかりの強い光を宿して輝く榛色の瞳に、心が揺れる。
 自由になっていいのに。好きなことを好きなように選んで生きて、いいのに。

「メリッサ……。その気持ちだけで十分だよ。ありがとう」

 そんな風に言われると、簡単に揺らいでしまいそうになる。甘えてしまいそうになる。
 なんだかこっちまでもらい泣きしそう。

「でも現実問題として、そう簡単にうまく行くとも思えないけどな。陛下もそれが出来るようならとっくにやっていただろうし、下手を打てば内乱が起こりかねない」

 けれどセインは容赦なく現実を突きつけてきた。
 こういうところは、セインはひどく現実的だ。冷めた目で淡々と言うので、メリッサに睨まれている。
 けれどそれに関しても話さないわけにはいかないので、今はセインの話に頷いた。自然と顔が渋面になるのは止められない。

「問題はそこなんだ。正直なところ、私もお願いはしてみたけど陛下がどうされるのか見当もつかない。完全に丸投げしている」
「……アル、あれだけ勉強しているのは一体何のためなんだ」
「そう言われても、政治的な駆け引きは範疇外なんだよ。私のは単なる知識の蓄積であって、心理戦とは完全に別物だから」

 呆れた目を向けられたけど、はっきりいって私は心理戦に弱い。
 一応アラサー社会人の経験があるから人並みに空気は読めると思ってるけど、逆に空気が読める分、戦うとなると弱い。
 なるべく穏便に済ませようと働きかけてしまうし、相手の意に沿うようにやりすごしてしまおうと考えたくなる。
 図書室で人を無視するのだって、罪悪感を感じる時もある。だからなるべく人目につかないように隠れていた。
 近頃医務室で会う人たちも、なるべく話しかけるなオーラは出しているつもりだけど、部屋が狭い分隠れる場所がないので限界がある。
 おかげで目が合えば、仕方なく「こんにちは」ぐらいは挨拶してしまう。その後すぐに目を逸らすだけが精一杯。
 たぶんそれでも感じ悪いだろうな、と気になってしまう。
 しかし戦うということは、それらの事なかれ主義を捻じ曲げて、空気を読まずに自分の意志を貫いていくことである。
 無理。そんな無神経に我を通す行動は胃に穴が開きそう。小心者には耐えられない。

「だからこういう話をして期待させた手前、申し訳ないけど本当に実現するかは半々だと思ってる。ごめん」
「無理だったらどうするんだ。どっちにしろ、このままじゃいられないだろ?」
「そうなったら最後の手段だけど、失踪するしかないかな」

 ここまで来たら本心を隠している必要もないので、素直にそう口にする。
 一番手っ取り早くて、一番実現可能であり、だけどすぐに見つかって連れ戻されるだろうことを考えると、あまり意味がない。
 それに家出したところで、その罰として辺境に追放とまではいかないと思う。
 せいぜい、そこまで王族の務めを果たすのが嫌なのだな、とわかってもらえる程度……

(うん? これなら役に立ちそうにないということで、やっぱり辺境に追いやられる理由になるのでは?)

 最悪の場合は一度、失踪してみてもいいかもしれない。
 勿論、それは陛下に頼んだことが駄目だったときの最後の手段ではあるけれど。

「セイン。時間があるときに、もしもに備えて王都で私が働けそうな場所、探してきてくれる?」
「本気で言ってるのか」

 セインとメリッサが息を呑んでまじまじと私を見つめる。何ってるんだこいつ、と目が物語っている。
 しかしこちらとしても引けない。この際だから、出来ることは全部しておくべきだ。所詮は駄目で元々、備えあれば憂いなし。

「勿論。女装して髪を染めれば、数日ぐらいは誤魔化せると思うんだ」
「俺が心配してるのは、アルにまともに働けるのかってことだ」
「失礼だな。働くよ、ちゃんと。こう見えて手先は器用なんだ。細かいことは得意だよ」

 ムッとして言えば、困惑を隠しもせずに「確かにアルフェンルート様の手先は器用ですけれど」とメリッサが口にする。

「そうでしょう。そうだな……夫婦で経営している小さめの店で、出来れば住み込みがいい。料理は自信がないから飲食店系は厳しい気がするけど、捏ねて焼くパン屋とか、裁縫も出来ると思うから。そういうところを探してきてほしい」

 真面目な顔でそう言えば、セインが額を押さえて唸る。

「本当に本気で言ってるんだな……時々、アルがどうしようもない馬鹿に思えてくる」
「自分でもそう思うよ。でもこれは一応念の為で、最後の手段だから。ここで立ち止まっていても、どうにもできないでしょう?」

 何かをしていないと、不安で仕方ない。
 苦く笑っていえば、セインが長々と溜息を吐いた。でも多分それは、了承の代わりなのだろう。
 無駄になるだろう確率の方が99%ぐらいだけど、一応は動いてくれるらしいことに口元が綻んだ。

「さて、作戦会議はこれで一旦終了にしよう。色々思うところはあると思うから、苦情は今夜にでも改めて受け付ける」

 そう告げて、立ち上がった。

「ちょっと調べたいことがあるから、図書室に行ってくるよ」

 セインはともかく、メリッサにはひとりになる時間が必要だろう。
 私も少し、一人になりたかった。話している間中、心臓はずっと緊張で駆け足だったし、自分の胸の内を晒すことが怖くて体も強張っていた。
 こうなるまでにこんなにも時間があったのに、この程度の事しか考えつかなかったことに呆れられているかもしれないと考えると、焦燥感もある。

(それでも一歩は前進した)

 それは今までの私からしてみれば、かなりの快挙だ。
 廻りだした歯車が何を組み上げようとしているのかは、自分でもまだ、見えないけれど。


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