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第20話 17 娑婆の空気はうまい
しおりを挟む気持ちを切り替えて、街の中へと踏み込む。
そこはまるで映画の世界か、ヨーロッパを模したゲームの世界に迷い込んだみたいだった。
(すごい! 可愛い……!)
乙女心をくすぐる茶色の屋根にレンガ造りの建物は2、3階建が多い。
近代的な高層ビルはないが、遠くに鐘を鳴らす高い塔が見える。メイン道路と思わしき道は白い石畳で歩きやすく整備されていた。見通しはいいけれど、城下街を囲っている塀までは遠くて見えない。
そういえば、この街並みをスチルで見た覚えがある。
森に囲まれている城からは街の姿は見えなかったので、直に見ると感動もひとしおだ。今だけちょっと嫌な現実を忘れてしまいそう。
いや、忘れちゃダメなことはわかっているのだけど。
以前、早朝に通ったときは人がいなくて、まるで作り物みたいに見えた。だけど今は人で賑わっているので、ちゃんと生きた街を見ている感覚になる。
自分もこの世界に生きているんだ。改めて実感して、謎の感動を覚えた。
それに人の波に紛れて街を歩いても、誰も自分を気にも留めないので新鮮だ。楽に呼吸が出来る気がして、自然と胸も弾む。
「すごい人だね。いつもこんなに多いのかな」
「今日は休みの前日だから特に多いな」
「いつもは?」
「時間帯にもよるが最低でもこれの半分はいるだろうな。給料日後の休み前だともっと多くなる」
フードの影から周りを伺いながら歩く。そんな私に付き合いながらセインが答えてくれる。
この国の暦は私がいた世界と同じで、日曜は一般的に休息日となっている。休む店も多いので、休みの前日が一番賑わうようだった。
確かに道を行き交う人はとても多くて、店の呼び込みの声も張りがあって賑やかだ。時折、軒先から食べ物のいい匂いがしてくる。見ているだけで楽しい気持ちになれる。
「随分器用に歩くんだな。もっと揉みくちゃにされるかと思ってたのに」
無意識に当たらないよう、人の合間を擦り抜けて泳ぐみたいに歩いていた。怪訝な顔をしたセインに指摘されて、初めて気づいた。
言われてみれば、箱入りで育った私が人の波に呑まれることなく歩けるのは不思議だろう。私も一瞬、不思議に思った。
だけどよくよく考えてみれば、思い当たることがある。
(通勤ラッシュの人波を考えれば、これぐらい避けれて当然というか)
駅構内の混雑を抜けなければ会社に辿り着けなかったわけだから、嫌でも身につくというものだ。
でもこんなところで昔培った経験が生きてくるとは思わなかった。体が変わっても染みついた習性というのは抜けないものらしい。意外に反射神経には自信を持ってもいいかもしれない。
とはいっても、そんな裏事情をセインに言えない。誤魔化して苦く笑う。
「だからそこまで鈍くないと言ったでしょう」
「悪かった」
とろいだの鈍いだの言われてきたのが、ここで晴らせることがちょっと嬉しい。
単純に運動しなれていないだけで、頑張ればそれなりに俊敏に動けるのかもしれない。これなら、いざという時に人波に紛れれば逃げられる確率が上がる。
そう考えると、足取りも軽くなる気がする。
(この大通りを突き抜ければ、王都から出る門に行き着く)
王都は背の高い塀に囲まれていて、外へと出られる大きな門が2箇所に設置されている。
王都ともなると流通の要だから、私一人を取り逃がさないために閉めるにも限界はある。街も大きく、うまくやれば数日ぐらいならば潜伏出来そうに思える。
むしろ問題は、門から出た後の方だ。
(本当は、この街の中にいた方が見つかりにくいと思うのだけど)
木を隠すなら森の中と言うでしょう。
幸い、この国は金髪碧眼は珍しくもない。黒・茶・灰・銀・金・白・赤毛やブルーブラックの髪色の人もいる。それに髪の染料もあるので、明るい金髪の私の髪なら暗い色の染料は色が入りやすく誤魔化しもきく。
都会では自分が生きるのに必死で、あまり他人に関心を払わない。昔一人暮らしをしていたマンションでは、隣に住んでいる人の顔を知らないことなど珍しくもなかった。
そう考えれば、灯台元暗しでこの街に居座った方が案外生きていける気がする。ここなら職にも困らないだろうし。
「あ……!」
そんなことを考えながら歩いていたら、ガラス越しに飾られているものが目に飛び込んできた。咄嗟に足を止める。
(こんなところに服屋さんがある)
ガラスの向こうには煌びやかなドレスが飾られている。仕立て屋なのだろう。
(すごいライン綺麗だな……どうやって裁断してるんだろう)
三次元に喧嘩を売っているとしか思えないコスプレ衣装を作ってきた身としては、こうして衣装みたいな服がリアルで見られる機会は貴重で目を奪われる。
立ち止まったままじっと観察して、自分の持っている技術で再現できるかと脳内で型紙を引いてみる。
ディスプレイされるほどの服が作れるなら、食べていくには困らないってことだよね。こうして見本があるなら、案外できそうな気がする。縫うのは難しいけど、ざっと仮縫いぐらいまでならどうにか……
「アルも、こういうのに興味があるのか?」
「えっ?」
躊躇いがちに掛けられた声で、ハッと我に返った。慌てて隣を見る。
セインが複雑そうな表情で、私を気遣う眼差しを向けている。
まずい。うっかり集中しすぎて、セインがいるのを忘れていた。
「いや、興味があるというか、どうやって作ってるんだろうって、思っただけだよ?」
実は私もこういう服が着たかったのか的な目で見られている!
動揺と焦りのあまり声が震えて、しろどもどろになってしまった。そのせいで嘘じゃないのに、すごく取って付けた言い訳に聞こえてしまう。
案の定、セインの顔が更に渋いものに変わる。
(違う! 違うんだって、本当に……!)
こういうドレスって動きにくそうだし、布地をたっぷり使っていて重くて窮屈だろうから、自分で着たいと思ったことはない。
……ワンピースぐらいなら、憧れたりもしたけど。
でもこんなお姫様みたいなドレスに憧れはない。むしろ着なくて済んでほっとしてる。これは本当。
今のは純粋に、創作魂に火を点けられただけで……!
焦れば焦るほど、うまい弁解の言葉が出てきてくれない。何を言っても言い訳に聞こえそう。しかし誤解をされたままなのも居た堪れない。
こんな誤解をされてしまったこと自体が、なによりも恥ずかしい。
実はお姫様に憧れていると思われたって考えるだけで、内面の精神年齢を考えると羞恥で死にそうになる。違うんだと叫びたい。
それにそんな痛ましいものを見るような、そんな顔をさせたいわけじゃない。ちょっと泣きたくなってくる。
「悪い……」
こっちまで狼狽えた顔で固まっていると、バツが悪そうに謝られてしまった。
謝らないでほしい。余計に身の置き所がなくなってしまう。
お互いに暫し無言で、気まずくなった空気をどうするべきかと目を泳がせる。
その視線の先に、ふと目についた店があった。
「セイン」
出来るだけ明るく呼び掛ける。顔を上げたセインに店を指で指し示した。
「最後にあそこに寄っていい? メリッサにお土産買って帰りたいんだ」
「かまわないが……」
しかし、示した先の店を見て絶句される。
咄嗟に場を誤魔化したくて思いついたことを口走ってしまったけど、その先の店も女性向けの雑貨店だった。
……本当にごめん。空気を読んだつもりが、完全に読み違えた。
でも言ってしまった言葉は、口の中には戻ってくれない。そして了解を得られた以上は、入らないのもおかしい。
やっぱりやめると言って変に遠慮していると思われても困る。この場は開き直って堂々と店に入った。セインも護衛を兼ねているので入らないという選択はないらしく、一緒に入ってくる。
(こうなったら手早く選んで、今日はもう帰ろう)
そろそろ日が傾いてきた。城の門は日没の鐘が鳴ると閉められてしまう。
図書館の本は一般には持ち出し禁止の為、本を読むという名目で城の門をくぐるのならば、早めに戻らなければいけない。
とはいえ、ここまで来たのならメリッサにお土産を買って帰りたい。
メリッサは私より自由が利くとはいえ、それでも気楽に街まで降りる機会は少ないはずだ。メリッサがいなければ私の生活は成り立たないほどお世話になっているので、御礼に喜んでくれそうなものをお土産に持ち帰りたい。
髪飾り、ブローチ、ハンカチ、小物入れ、ポーチ……店には一般的に女性が好みそうな雑貨が取り揃えられている。
(といっても、装飾品の類は仕事柄使えないだろうから)
生まれた時からの付き合いだから好みは知っているけど、普段使い出来そうな物と考えると、どれも決め手に欠ける。それに持ち帰るときに嵩張らないよう、ポケットに入るサイズがいい。
ふと、店内で女の子たちがはしゃぎながら見ている物が気になった。自分も手に取ってみる。
小さな丸い缶ケース。表面には花がペイントされていて、見た目はとても可愛い。見本で置かれているものを確認すれば、そこから甘い匂いが香った。
(これ、練香水なんだ)
ふわり、と優しい甘さが鼻先に香る。
香水ほど強くない。ほんのりと甘い香りはメリッサによく似合う気がした。仕事でつけていても問題なさそうで、迷うことなくそれに決めた。
決めたけど……よく考えたら、お金を持っていなかった。
でも手放しがたい。どうしよう。どうしようもないけど、ここはやはりセインにお金を借りるしかないのか。あまり人からお金を借りたくはないんだけど、帰ってすぐ相応のもので清算させてもらおう。
「セイン」
「決まったのか」
振り返って、お金貸して、と頼む前にセインが私の手に持っていたケースをするりと奪っていった。
引き留める間もない、見事な手際だった。あまりにスマートで、セインがさっさと会計を済ませてしまうのをただ見ていることしかできなかった。
店を出るとすぐに小さな袋を渡される。申し訳ない。眉尻を下げながら受け取る。
「ごめん。帰ったら支払うから」
「別にいい」
「よくはないよ」
「俺もメリッサには世話になってるから、これぐらいかまわない。それより、手を出せ」
「うん?」
言われるままに手を出す。セインが私の掌の上に物を落とした。
「……リボン?」
掌に乗っているのは、深い青い色のリボンだった。ベルベットのリボンの両端には金色の飾り房が付いている。
多分、髪を結う時に使う飾り紐。
渡されたそれに目を丸くしていると、照れ隠しなのか仏頂面でセインが口を開く。
「ドレスは無理だけど、それぐらいならいいだろ」
「!」
いつも出来るだけ少年らしく見せようと、装飾品は省いている。肩まである髪を後ろで一つに結んでいる紐も、簡素な飾り気のないものだ。
それを苦に思ったことはないけど、こうして贈られると嬉しい。心臓が跳ねる。
少年が使ってもおかしくなさそうなデザインなのは、色々配慮された結果なのだろう。いかにも女の子が好みそうな可愛らしい物が並ぶ店内の中で、よく探し出してくれたと思う。
(セインに女の子扱いしてもらう日が来るとは思わなかった)
いや、立場的に女の子扱いされても困るんだけど。それでも。
今は、嬉しい。
少し顔が熱い。照れ臭いのと嬉しいのと、少し居た堪れない気持ちも混ざり合う。
それでも自然と頬が綻ぶ。
「ありがとう。セイン」
嬉しくて、いそいそと後ろに手を回して髪を結っていたリボンを付け替えた。鏡がないから自分じゃ見えないけど、フードに隙間を作ってセインに見せる。
「どうかな」
そう言って笑いかけたところで、不意に「エインズワース卿?」と問いかける声が背後から聞えてきた。
「!?」
それと同時に、セインが私のフードを掴んで更に深く被せながら手を強く引く。気づけば私を庇う形で目の前に立ち塞がっていた。
エインズワースと呼びかけたということは、セインの知り合いなのだろう。よりによって私がいる時に、こんなところで出くわすなんて。
心臓がバクバクと急激に心拍数を上げる。
(誰……?)
緊張と焦燥で乾く喉を嚥下させ、そっとセインの影から呼びかけてきた相手を伺う。
「こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。エインズワース卿」
にこり、と笑いかけてくる相手の髪は焦げ茶色。瞳の色は緑。
ふと、その色彩に嫌な既視感を覚えた。
年齢はセインと同じぐらいだから、セインが勉強先で一緒になる貴族の子供なのかもしれない。
「何の用だ、ランス卿」
だからセインが鋭い声で不機嫌そうにそう切り替えした時には、心臓が止まるかと思った。
……ランス卿ってことは。
もしかしなくても、あの人の血縁者だったりしませんか!?
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