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第17話 14 ごめんね

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 それまでの連日の緊張が嘘だったかのように、穏やかな数日を過ごした後。朝食後のお茶を飲んでいたときにセインが切り出した。

「今日の昼からなら馬に乗せてやれる」

 一瞬、何のことかわからなくて見つめる。

「乗りたかったんじゃないのか」

 仏頂面で返される。しかも考える間も与えず、嫌ならいいと言わんばかりにさっさと席を立とうとする。

「乗りたいよ!」

 慌てて声を上げて引き留めた。自分でも驚くほど大きな声が出た。セインも驚いた顔をして、上げかけていた腰を気圧されたように下ろす。
 そういえば、そんな頼み事をしていた。

(嫌そうにしてたから、てっきり流されると思ってたのに)

 ちゃんと約束を守ってくれるようで、嬉しくて顔が綻ぶ。これでやっと逃走する場合の第一歩が踏み出せる。実際に使う日が来るかどうかはともかく、備えあれば憂いなしというやつだ。

「ありがとう、セイン」
「本当に乗る気なのか」
「もちろん」

 セインは自分で言い出しておきながら嫌そうな態度を隠しもしない。そこまで乗馬センスがなさそうに見えるのか。情けなくなるけど、やる前から諦める気はない。こっちも命がかかっているのだ。
 迷いなく頷けば、セインが自分とよく似た青い目を探るように細めて私を見据える。

「どこか行きたいところでもあるのか?」

 そう問われても、馬鹿正直に「いざという時に逃げるために乗れるようになりたい」とは言えない。
 もしかしたら素直に言えば協力してくれるかもしれないけど、そうなるとそのいざという時にセインも巻き込むことになる。セインの立場上、言っても言わなくても何か起こった時には巻き込む羽目になるとは思うけど、まだ今は口にするべき時期ではないと思う。

「街に降りてみたいんだ」

 だから適当な言い訳を口にする。妥当なところだと思う。
 ずっと私は城の中で籠の鳥状態で育ってきた。私に限らず、王族は誘拐防止の為に15歳の成人を迎えるまでは城外に出る行事に表立って出ることはない。
 だけど私の場合は特にそれが顕著だった。
 秘密がバレないようにするためには必要なことだったとは思うけど、外の世界に憧れを持っていてもおかしくはない。
 実際には憧れているわけではなくて、未来に備えて市場調査をしたいだけなのだけど。
 ともかく、街を見たい気持ちに嘘はない。エインズワース公爵家には1度行ったことがあったけど、街の中は馬車で素通りしただけだ。しかも人目を避けて誰もいない早朝に走り抜けたので店は閉まっていた。実際に人が動いている時間の街の姿を見たことはない。

「なら馬車でいいだろ」
「こっそり行きたいんだよ」

 馬車で大人数の護衛を連れてゾロゾロと行くのでは意味がない。見たいものも見れないし、なにより街が警戒態勢になって、いつもの雰囲気がわからない。それでは困る。
 間髪入れずに言い返せば、セインが驚きに目を瞠って私を見た。まじまじと見入った後で眉根を寄せる。しばし躊躇いをみせたが、結局は口を開いた。

「アルは、変わったな」
「……そうだね」

 ティーカップに残った液体を確認するふりをして視線から逃れると、微かに苦く笑う。

(馬鹿だなって、自分でもちょっと思うよ)

 今までの私だったら、そんなことは言わなかっただろう。まず逃げようなんて考えもしなかった。否、逃げることを考えてはいても、生きて逃げられるとは考えていなかった。
 私の逃げ道には、『死』しかなかった。
 すべてを暴かれて殺されるよりは、全て覆い隠して秘密を抱えたまま自ら死んでいく。それだけの違い。それでも大きな違い。
 実際のところ、今までの私の考えの方が現実的ではある。私の置かれている状況で生きて逃げられるというのは、正直なところ夢物語に近い。

(それでも、もう死にたくない)

 先日クライブからは、第一皇子である兄は私を庇護下に置くつもりであると言われた。けれど性別を偽っていることを知られれば、どうなるかわからない。
 私が男であると偽ってなどいなければ、そもそも第一皇子は命を狙われなくて済んでいたのだ。それが女だと知られたら、その場でクライブに切り捨てられてもおかしくないと考えた方がいい。
 この先の私の身の振り方次第で多少は改善する可能性も出てきたものの、現状ではまだ死亡する確率の方が断然高い。改めて考えると、この間みたいに一瞬でも気を抜いてはいられない。

(……最悪の時は、それでもやっぱり死ぬしか手は残ってないのだろうけど)

 私のせいで他の誰かを道連れにするぐらいなら、これまでのように一人で死んでいく道も考えなければいけないとわかってる。
 だけどまだ他の道が残されているのなら足掻いてみたい。諦めたくない。
 こうして生まれ変わることもあるのだと知った今も、簡単に死んでもいいとは思えない。だって私は、その時そこにいた『私』が永遠に消えてしまう恐怖を誰よりも知っている。
 例えこうして記憶を持って生まれ直しても、『私』はもう存在しない。だって誰一人として前世の『私』を覚えていない。もう誰も『私』を知らない。
 それは、存在しないのと同義。

 ――死ぬっていうのは、そういうことだ。

 だからここにいる私は『私』であっても、それでもこの世界に存在している私でしかないんだろう。あの頃の『私』は私の中にしかなく、今の私を形作るものになってはいるけど、あの頃の『私』のままではいられない。
 溶け合って、きっと新しい私になっている。
 そして私は今のこの私を、終わらせたくはない。唐突に世界から無慈悲に切り離される、あんな思いは二度としたくない。

(私の悪あがきで振り回されるセインとメリッサには、本当に悪いと思うのだけど)

 それでも、あと少し。もう少しだけ。
 頑張らせてほしい。
 冷たくなってしまった紅茶を飲み下してから顔を上げる。すると困惑しているセインと目が合った。「変わった」と言われても、私がいつものように曖昧に笑うだけで、頷くとは思ってなかったのだろう。

「ごめん」
「別に、悪いとは言ってない」
「うん。セインはそう言うと思ったけど、謝っておきたかった」

 自然と謝罪の言葉が口を突いて出た。正面から息を呑む音が聞こえてきて、即座にそういうつもりじゃないと否定されたけど、ここは謝らせてほしい。
 誤魔化すように笑いかけると、セインが何とも言えない苦い顔をして言葉を詰まらせた。その隙に、場の空気を変えるべく肝心な話題を振る。

「ところで馬に乗るのに必要なものはある?」
「必要なもの? 動きやすい服装と、砂埃除けの外套ぐらいだな」
「外套……。メリッサ、そんなのあったかな?」

 隣に控えているメリッサを仰げば、珍しく可愛いらしい顔に戸惑いを乗せている。その顔を見れば言いたいことはわかった。

「砂埃避けが出来るものと言われますと、ご用意が出来ておりません。申し訳ございません」
「謝らなくいいよ。私が無茶を言ったのはわかっているから。メリッサが悪いわけじゃない」

 榛色の大きな目が泣きそうになったので慌てて首を横に振る。
 メリッサはいつも有能すぎるぐらい有能だから、ミスをした自分が許せないのだろう。でも念の為に聞いてみただけで、普段全く外に出ないのにそんなものが用意されているとは思ってはいなかった。むしろ用意があると言われたら、メリッサには超能力があるんじゃないかと疑うところだ。
 それに普通の外套ならちゃんとあるのだ。ただ完全に冬物で、今の時期にはそぐわないだけで。

(誂えるには時間がかかるし、外套なんて外を出歩くために使うものを作ったら不審がられる)

 服を仕立てるのは公費を使用するので、何に使ったのか一応はチェックが入ってしまう。エインズワース公爵家に頼めばすぐ持ってくるだろうけど、それこそ何のために必要なのか探られるのでより面倒だ。
 それならば貢物の中に布もあるので、いつもメリッサに採寸してもらっていてサイズはわかるから自分で最低限のものを作ってもいい。
 とは思うものの、針を触ったことのない私がいきなり服を作ったら、どんな目で見られるかわからない。悩ましい。

「外套は俺の小さくて着れなくなったやつでよければ持ってくる」

 迷っていたところで、セインからの申し出に目を瞬かせた。
 言われてみれば、その手があった。身長は先日抜かされたものの、体格差は以前から結構ある。セインで小さいなら丁度いいぐらいだと思う。

「ありがとう。それは助かる」
「ただ、あまり綺麗じゃないからな」
「なんですって。そのようなものをアルフェンルート様に着させるおつもりですか」

 セインの言葉に、私よりメリッサの方が鋭く反応した。

「ちゃんと洗ってはある。ただくたびれてるってだけだ」
「洗濯されているのは当たり前のことです」

 たじろいで言い返したセインに、メリッサは冷ややかな目を向けている。
 メリッサは結構、セインに風当たりが強い。それはセインが娼婦の子だからではなく、今まで私とは一線を引いた形で接していたことが信用できないからだと思う。
 近頃のセインはこちらに寄り添ってきてくれていると感じているから、そこまで噛みつかなくてもいいと思うのだけど……今までの習慣は、そう簡単には覆らないらしい。

「私は着られればなんでもいいよ」

 それに着古されている方が周りに溶け込めるから都合がいい。セインは私と違って色々なところに行っているから、よく着用していたのだろう。
 エインズワース公爵子息という立場ではあるものの、娼婦の子ということで軽んじられているようで、私が頼んだ仕事以外にも色々とさせられているらしい。
 護衛も付かないみたいで、それはどうなのかと思うけれどセインは「鬱陶しくなくていい」と言って気にしていない。
 確かに護衛の目が邪魔だと思うことは度々ある。セインの生まれ育ちを考えれば、特にそう感じるだろう。元々スラム街育ちだから危機管理能力といざという時の対処法には長けているので、一人の方が動きやすくもあるはず。特に街中は護衛がいると悪目立ちしそうだけど、セイン一人だけならばらきっと器用に人波に溶け込んでしまえる。そういう雰囲気がある。

「アル本人がああ言っているのだから、別にいいだろ」
「アルフェンルート様……!」

 呆れて投げやりになっているセインを睨んでから、メリッサは責める眼差しをこちらに向けてくる。小柄で可愛らしい顔をしているメリッサに睨まれたところで、可愛いなぁとしか思えない。正に女の子って感じだとつくづく思う。
 勿論そうはいっても本気で怒られれば怖いけれど。今はそこまでじゃない。

「大丈夫だよ、メリッサ。どうせ汚れるのだから気にならない」

 だからメリッサを宥めるべく微笑みかける。すると、ぐっと詰まらせて渋々とだが「アルフェンルート様がそう仰るなら」と引き下がってくれた。
 ふと、兄の方の乳兄弟を思い出した。あちらと違って、優しくて可愛くて素直で有能だなんて、私の乳姉妹がメリッサで本当によかった。胸を撫で下ろしてしまう。

「ごめんね、メリッサ」
「アルフェンルート様に謝っていただくことではありませんから……!」

 慌てて首を横に振られたけど、でもごめんね。

(今の外套の件じゃなくて)

 こんなにもいつも想ってくれているあなたを、あなたたちを、私の我儘に付き合わせてしまって。
 ごめんね。
 こんな風に、こんな形に紛れ込ませながらしか謝れないほどに、狡くて。


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