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第3話 3 手持ちのカードを確認しましょう

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 熱が下がったのは、それから3日後だった。
 普通に起きて生活をできるようになったのは、更にその1週間後。

(うーん……まだ少年に見える、か)

 まだ痛みの残る肩の傷に眉を顰めながら、侍女である乳姉妹のメリッサが用意してくれている衣服に手を通した。
 女性もののドレスと違い、コルセットの必要がないので一人でも着れる。
 極力自分の秘密がバレないよう、貴族にはありえない話だが物心つく頃から一人で着替えていたので、困ることはない。

 ファンタジーRPGみたいな世界観のここは、中世ヨーロッパの貴族が着ているような服が主流だ。部屋の内装も同じく。
 18世紀のロココ調と19世紀辺りまでが混ざり合っている感じで、男は白いブラウスにジレ、膝丈のコートに長ズボンが主。
 ついでにまだささやかな胸も、ジレと上着のおかげもあって目立たなくて助かる。 
 姿見の大きな鏡に映る自分の姿は当然、私の知っている元の私の姿ではない。

 まだ13歳の、アルフェンルートの姿。

 サファイアブルーのアーモンド形の瞳が印象的。癖のない明るい金髪は肩に届くぐらいの長さで、いかにも育ちのよさそうな見た目。

(……無駄に可愛い)

 鏡の向こうで美少年が困った表情を浮かべて小首を傾げる。
 さらりと絹糸のような髪が肩の上で揺れ、そんな些細な仕草ひとつですら可憐で思わず見惚れた。
 実はこの手の顔は好みのタイプではないんだけど、綺麗なものは綺麗だと思う。
 これがなんの問題のない人生だったなら、手放しで喜べたのに。
 今はもうちょっと世間に溶け込めそうな顔が良かったと思わずにはいられない。
 ゲームの主要キャラだっただけあって知っていたことだけど、まだ幼さの残る顔は派手さはないけど全体的に整っていて、将来は清楚な美人になりそうだと思う。
 いや、2年後の姿も知ってるんだけど。
 目を細めて優しく笑う顔は、まるで天使みたいになります。
 ……しかしこのまま中身が私のまま育つとなると、あの表情を出せる気はしないけど。
 でも少なくともゲームのパッケージに載っていたアルフェンルートはそういうタイプだった。思い出すと今の自分の性格とかけ離れていて頭が痛くなってくる。
 ゲームでは、ヒロインの1歳年下の15歳だったはず。
 ポジション的には、ヒロインの母性本能をくすぐる弟属性……だったんじゃなかったかな。確か。たぶん。きっと。
 なぜこんなにあやふやなのかというと。

(なんでアルフェンルートだけプレイしなかったかな……!)

 過去の自分の首根っこを掴んで、とにかくアルフェンルートだけは攻略しておけ!と言いたくて仕方がない。今更遅いけど。
 思わず長い長い溜息が出る。
 実はあの乙女ゲーム、私はアルフェンルートにだけは手を出さなかった。
 理由は単純。
 弟属性のアルフェンルートが、全く好みじゃなかったから。
 天使の顔をして、時々ちょっと小悪魔属性もあるようなことを聞いた気もするけれど、それでも私の食指は動かなかった。
 あざとい弟キャラ、全く好みじゃなくて……。
 嫌いとまでは言わない。純粋に、興味がなかった。だから欠片もプレイする気になれなくて、結局そのまま。
 確か第一皇子ルートで出てきたときは、敵対していたシナリオだった。そこでヒロインの選択肢によっては破滅していたような……
 極刑か追放の違いがあった程度だったと思う。

(つまりヒロインと第一皇子がくっついたら、私は終わり? それなら私がヒロインを攻略すれば助かるんじゃ……って、難易度高すぎ!)

 女だからね! どう頑張っても、性別が女だからね!
 本当に私が男か、もしくは百合ゲーなら可能性も高かったけど、あれは乙女向けゲームだった。
 それにもし友情エンドがアルフェンルートのトゥルーエンドだったとしても、その先はどうするんですか?って話になる。

 シナリオは王道のシンデレラストーリーだったから、ヒロイン自体にはそれほど権力はなかった。
 いっそヒロインが別の国のお姫様だったら、そっちの国に移住させてもらえたりしたかもしれないけど、その可能性は皆無。

(やっぱりここは私が第一皇子と仲良く……というか、敵対しませんよアピールするしかないのか)

 でもそれだと接する時間も長くなる。女であるという秘密がバレる危険性が格段に上がるってことでもある。
 無意識に項垂れていた顔を上げて、鏡に映る今の自分の姿をもう一度見つめた。
 身長は、13歳にしては高い方。まだそこまで大きく男女差が出る前の年齢なので、男の子と並んでもまだ高い方に入る。
 体は棒のように細くて、少女らしさはほぼない。
 秘密がバレないように自室か人と関わることのほぼない図書室で過ごすことが多いせいか、あまり体を動かさないのでお腹が空かずにいつも小食のせいだ。
 おかげで十分、少年で通るぐらい色気と丸みは皆無。
 もっと男の子らしく見せたいなら、ショートカットにした方がいいのだとは思う。だけどこの長さは、アルフェンルートの精一杯の抵抗だった。
 この世界は男性でも長髪は珍しくないこともあり、襟足で一つで結ぶと少年らしさが増すので、現状維持でいいだろう。

(あと1、2年ぐらいならなんとか誤魔化せる、けど)

 自分のいた時代の中学生を思い出せば、男女差はそこまで大きくはないように思える。
 極端に育つ場合は別だけど、今の自分ならそこまで女らしい体にはならないと思う。

(生理だけはどうしようもないけど)

 そもそもアルフェンルートがあんな行動に出たのも、それが一番の原因だった。

 初潮が来て、女であることを隠し通すことに限界が見えてしまったから。

 たとえばバレて自分が処刑されるだけならば、まだいい。
 けれどこんな秘密を隠してきたことが世間に露呈する事態になれば、当然それを仕組んだ周りもろともが自業自得とはいえ道連れになるのは確実。

 それぐらいならば、大事になる前に自分を消してしまった方が良いのではないか。

 そう考えても仕方がないと思う。
 まだ13歳の少女が大きな力に抗うこともできず、最悪な未来しか描けずに死にたくなってしまったことを、どうして責められるだろう。
 胸の奥に未だ残る息苦しさをどうにかしたくて、小さく息を吐き出す。

「アル、起きてるか?」

 不意にその時、寝室の扉が遠慮がちにノックされる音が響いた。
 聞きなれた声にもうそんな時間かと驚いた。物思いに耽っていた意識を外界向けに切り替える。
 慌てて髪を後ろで一つに結んでから、隣室へと続く扉を開いた。

「起きてるよ。おはよう、セイン」

 顔を覗かせれば、そこには自分より僅かに背の高い黒髪の少年が立っていた。

「飯、食えそうか?」
「うん。ありがとう」

 とても王族相手、しかも自分が仕える相手に対する言葉遣いとは思えない口調で話しかけてくる。だがいつものことなので気にすることなく頷く。
 少し心配そうな色を滲ませながら覗き込んでくる彼の瞳の色は、私と同じサファイアブルー。
 その瞳を、私は少し不思議な気持ちで何度か瞬きして見つめた。

「なんだ?」
「セインが優しいから少し驚いてる」

 私を食事の用意されている席へと誘いながら、視線に気づいたのか眉を潜められた。それに対して思わず素直に思っていたことを口に出してしまった。
 それぐらい、ここ数日の彼には驚かされているのだ。思わず我慢できずに言ってしまったぐらいには。
 だってセインが優しいなんて、とても気持ち悪い。
 悪いものでも食べたのか。むしろ私じゃなくて、セインの方が毒に侵されたんじゃないのかと思えてくる。それとも何か企んでいるのかと疑いたくなる。

「失礼な奴だな。俺だって怪我人には優しくするさ」

 心外だと言いたげに眉尻を上げるが、私を席に着かせるまでの動作はぞんざいな口調のわりに驚くほど丁寧で優雅だった。まだ肩の傷は引き攣れたように痛むとはいえ、そこまで丁重に扱ってもらわなくてもよいというのに。
 少なくとも、私の記憶にあるセインなら手を引くまではしなかったはずだ。
 私が女であるという事情を知っているとはいえ、彼は基本的に私を男として扱っていたのだから。

 私とは違う緩やかな癖のついた黒髪のせいで印象は全く違って見えるけど、その顔立ちも実は私とよく似ている。
 私が9歳のころから侍従を務めている彼は、一つ年上なだけだが私の叔父にあたる。
 母である第二王妃の異母弟とはいえ、叔父な感じはしない。かといって、もう4年も一緒にいるけれど、兄妹と言えるほど心の距離も近くもなかったりする。

 正直なところ、アルフェンルートは彼が少し苦手だった。

 私の中に残っている記憶をさらってみれば、その気持ちもわかる。
 なんというか、セインには隙が無い。こちらの気持ちを察して動いてはくれるけど、常に一線を引かれていると感じていた。
 それを口に出して言ったことはないけど、線引かれても仕方ない立場ではあることは理解していた。彼の生い立ちを考えれば納得もできる。


 ──セインは、祖父のエインズワース公爵と娼婦との間に生まれた子供だ。
 本来ならば認知もされず捨て置かれる存在だけれど、私の1歳年上なことと顔立ちがよく似ていることから、影武者として利用されるためにスラム街にいたところを公爵家に引き取られた。
 教育を施され、私の元に遣わされたのは彼が10歳の時。
 本人としては不本意この上ない出来事だったことは、想像に難くない。
 しかも仕えるべきアルフェンルートには、運命に抗うだけの覇気がなかった。
 先の見えない相手に仕えさせられた挙句、運命を共にさせられるなんて冗談じゃないとセインは思っていたんだろう。
 いっそ先日私が死んでいた方が、彼にとっては良いことだったのかもしれない。
 ……そしてアルフェンルートが死にたいと思ってしまった理由のもう一つに、彼の存在がある。

 自分とよく似た、一つしか違わない男の子。
 それは恐怖の対象だった。

 離れて暮らしていれば気にはならなかっただろうけれど、傍らで一緒に成長していくことは、その違いを見せつけられることになって心は疲弊していった。
 きっかけは、身長を抜かされたこと。
 それまではセインが1歳年上とはいえ、アルフェンルートの方が背が高かった。普通なら、気にするようなことではない。歳上なのだし、抜かされるのは自然の摂理である。
 だけど、認められなかった。
 自分の存在が足元から崩れていく恐怖に襲われた。
 しかも身長だけでなく、立場上セインはアルフェンルートを守るために鍛えている。差はどんどん広まっていって、自分が女だと知られてしまう危険性はどんどん高まっていくと焦った。

 もし、周りに秘密が知られてしまったら。

 自分自身は勿論、彼まで自分の運命に巻き込んでしまう。
 少し苦手に感じていたとはいえ、セインは自分の秘密を知っていても文句も言わずに傍にいてくれる人だった。
 自分にとっては、彼も数少ない大事な人の一人だった。
 どうしたら守れるのかわからなくなった。どうしたら正しいのかがわからなくなって、心は悲鳴を上げていた。
 かといって誰にも相談できずに、相談できたとしても解決策はきっとない。
 なんとか笑顔を取り繕いながらも、常に崖っぷちに立たされている心境を抱えていた。

「セインがいないときに危ない目に遭ったの、気にしてる?」
「!」

 一人での食事を嫌がる私を気遣っていつも向かいに座ってくれる彼が、不意を突かれて驚いたのか目を瞠って息を呑んだ。
 いつもはあからさまな感情を出さないのに、滅多に深くは問わない私に本音を突かれたことによほど驚いたらしい。

(セインにも罪悪感とか、あるんだ)

 私に対してそんなこと、思うんだ。心配してくれるんだ。
 私が寝込んでいた間、侍女のメリッサがいないときには必ず彼が傍についていてくれたとを熱に浮かされた状態でもちゃんと覚えている。
 ごめん、と苦いものを吐き出すように呟いた声を覚えている。

(死んでてくれていた方が良かったって、思わないでいてくれるんだ)

 私が今死んでくれたら一番嬉しかったはずの、セインが。
 なんだか無性に嬉しくなって、小さな笑い声が喉から零れた。

「いいよ、気にしなくても。セインは悪くない」
「……今度は、ちゃんと守るから。危ない目に遭うなら俺の前にしてくれ」
「そういう時は、危ない目に遭わないようにしてくれって言うべきだよ」

 もしかしたら、今回の件はセインの中でも何か心境の変化をもたらしたのかもしれない。
 ばつが悪そうな顔をしながらもそんなことを言った彼を見て、思わず嬉しさのあまり泣きだしてしまいそうになったのを堪えて、代わりに笑い声をあげた。


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