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《4DAY》
しおりを挟む「ヨルク、二日酔いですか?」
「そうみたい……もう少し寝とく」
自分のベッドの中、日が明け切る前におはようのキスを贈られた。朝はいつも軽くチュッと音を立てるのが可愛い。
いや、可愛いとか思ってる場合じゃなかった。
早々に身支度を終えて出ていく前のラルフが「ご無理なさらずに」と頭を撫でる。もぞもぞと毛布に潜り込みながら、「うん」と頷いておいた。
それを確認してから、ラルフはしなやかに身を翻して早朝の鍛錬に向かったようだ。俺も近頃は机仕事だったから、鍛え直さないと。
でも今は、それよりも。
(どんな顔したらいいかわからない!)
昨夜のことを思い出して頭を抱える。
別に二日酔いなわけではない。酒には強い方だ。ほろ酔い気分を楽しんだが、あの程度では翌日に響かない。
俺の頭を悩ませているのは、別件である。
(ちょびっと舐められただけなのに……!)
なんでこの体は快楽に弱いのか。でもあの程度は挨拶みたいなもんだと言うのに。
昨夜を思い返す度に、頭を抱えて身悶えてしまう。ラルフが早々に出ていってくれてよかった。
昨夜は部屋に帰った後、どちらがベッドを使うかで争った。最終的には体が資本のラルフがベッド、俺が隣の作業室のソファーということで、無理矢理に決着を付けた。
そこまではいい。
酔っていたので先にラルフにシャワーを譲り、俺は待っている間ベッドに寝転んでいた。
ふわふわした感覚が心地よくて、半ばうとうとしていたのだと思う。
『ヨルク? ……寝たんですか』
ラルフがシャワーを終えた頃には、すっかり眠りかけてたらしい。遠慮がちに潜められた低い声をどこか遠くで聞いていた。
頭の中では、「まだ寝てない」って答えていたけど、体は睡眠を求めていたみたいだ。口は動くことなく、体も怠惰に力を失ったまま。
もうシャワーは明日浴びることにして、ソファーに移動しなければ。ぼんやりと、頭ではわかっていたのに。
だらりと下に投げ出したままの足を持ち上げられて、ベッドに丁寧に収納されたのがわかった。このままだと俺がベッドを使うことになってしまう。
起きなければと思うのに、毛布をかけられたら心地よさにくるまった。俺の意思は弱い。
一晩くらいならラルフもソファーでも大丈夫か。野営よりはマシだし。
薄情なことを考えながら、夢の中へ引き込まれていく。
『ヨルク』
ギシリ。人の体重を支えてベッドの軋む音が響いた。
閉じた瞼の向こうでも、俺に覆い被さる大きな体があるのがわかった。鼻先を愛用の石鹸のハーブの香りが掠めていく。
囁かれた低い声はやけに艶っぽく響く。今までにない色を滲ませているように思えた。
(あ……抱かれんのかな)
このまま眠れたら気持ちいいだろうけど、ラルフに抱かれるのもそれはそれで気持ちよさそうだ。
酔っていたからか理性は溶けかけていた。不埒な考えが脳裏をよぎって、でも瞼を持ち上げる力はない。
そうしているうちに、唇に熱い息がかかった。
期待にか、トクトクと心臓が存在を主張してくる。
唇に柔らかい感触が触れて、躊躇いがちに離れて。再び押し付けられる。
優しくて。でもどこか切実で。触れているだけなのに熱い。
唇が重なっていた時間は多分思ったよりも短かった。けどこれまでで一番長くもあった。
そして離れる直前、ちろりと唇を舐める熱い粘膜を感じた。
その瞬間。
ゾワリと全身を襲ったのは、紛れもなく期待。
(…………は? えっ。は!?)
けれどそれも一瞬。
応える間もなく、今度こそ本当に唇は離れていった。
『おやすみなさい。良い夢を』
残されたのは、しっとりとした低い声で紡がれた優しい祝福。
いやいやっ、今ので良い夢とか見られないだろ! 見るとしたら淫夢になるわ! 眠気が吹っ飛んだんだけど!?
だって今、俺の唇舐めただろッ!?
部屋から出ていく静かな足音が遠のき、隣に続く扉が閉まる音がする。ラルフは隣室のソファーに使用するのだとわかった。
しかし呼び止める声は出せない。声を上げて、ラルフを呼んでしまったら。
抱いて欲しい。
そう誘ってしまいそうだったから。
「……それは駄目だろ」
しみじみと思い返して唸り声を上げた。
どうして今まで朝晩キス生活を受け入れてきたと思ってるんだ。ラルフを後悔させないためだぞ。
呪われて俺を好きになってるだけの奴に流されて、絆されていてどうする。どうして俺はこんなに気持ちがよさそうなことに弱いのか。
昨夜は呼び止めなかった自分を褒め称えたい。俺は頑張った。
「思ったより俺ってちょろかったんだな」
これまでは身体だけの関係だと割り切れていたのに、ラルフ相手だとどうにも調子が狂う。
それもこれも、ラルフが本当に大事そうに俺と接するからいけない。
気さくに笑って、子供のときの夢とか話してくれたりして、自分だけの秘密にしたい店まで紹介してくれて。
俺のことが好きだと、眼差しで訴えてくるから。
それでいて、強引に奪うわけでもない。
機会なんていくらでもあったのに。呪いで込み上げてくる欲よりも、俺の心と体を尊重してくれてるんだ。
そんな風に想われたら、誰だって絆されるだろ。元々いいなと思ってたから、余計に。
ラルフの恋人になる奴は幸せだろうって、心から思ってしまう。
……まあ、俺ではないんだけど。
「…………仕事しよ」
深々と腹の底から溜め息を吐いて、気持ちを切り替えるべくベッドから起き上がった。
*
仕事に向かっていても、悶々とした気持ちはなかなか拭えなかった。
魔法の精度研究はうまくいかないし、書類仕事は気が散って頭に入らない。
ダメだな、なんとか気分転換しないと。
昼休憩の時間を利用して、城内の食堂ではなく街に降りた。
露天が集まる辺りを歩く。そのついでに晩飯の食材を調達する。またラルフがはやく帰ってきたら時間を持て余しそうなので、料理でもして気を紛らわせよう作戦だ。
今夜は一緒に食べる約束はしていなかったが、気づけば多めに材料を買い込んでしまっていた。思ったより、俺はラルフと一緒にいる時間を楽しんでいるみたいだ。浮かれすぎてる。
そんな自分に気づいたけど、残ったら翌日に回すつもりだから、と自分を納得させる。
外の空気を吸ったおかげで少し頭はすっきりしたが、そわそわする気持ちはまだ胸に燻っている。
だがなんだかんだいっても、あと3日なのだ。
それをやり過ごせば、お互いに今まで通りの生活に戻る。
(でも恋人がいるのって、きっとこんな感じなんだろうな)
今まではいろんな相手と楽しみたいし、後腐れない関係が楽でよかったから、『恋人を作る』と言う概念がなかった。
元々、恋多き魔女に育てられたから余計にだ。
俺の母親に至っては、ばあちゃんに生まれたばかりの俺を預けて恋に走り続けた。たまに帰ってきたけど、いつも違う男を連れていた。
俺の父親が誰なのか、母ですらわかってないに違いない。
ばあちゃんも魔女だけど歳をとった分、多少は落ち着いていたのが救いだった。
それでも、たまに通いの業者の男をたらし込んでいたけど……
あれが普通じゃないと知った時は、それはもう驚いたもんだ。カルチャーショックである。
そんなわけで俺の貞操観念はガバガバだったわけだけど、魔塔で暮らして12年も経てば、さすがにちょっと俺って緩いかな? とは思っていた。
だからといってこれまでを反省する気はないけど、今回のことで多少は改めようという気にはなった。
(こんな俺でも、ラルフは大事に思ってくれてるみたいだし)
解呪しても友達ではいてくれそうな気がするので、ラルフを心配させない程度には慎もうと思う。
(俺がラルフに手を貸してるように見えて、本当に救ってもらったのは俺の方なのかもな)
そう思えば、やっぱりラルフに心の傷を負わせることなく解呪してやりたい。うっかり誘惑しないようにしなければ。
今夜は絶対に素面でいよう。眠る部屋も隣になったから、おかしな衝動が込み上げても誤魔化せるのが幸いだ。
うんうん、と頷きながら部屋に戻って午後の仕事を再開した。
今日は陽が落ちてすぐに仕事を終えた。
部屋の小さな台所に立って、買ってきた材料を並べていく。
子どもの頃からばあちゃんの横で料理を手伝っていたので、困らない程度には作れる。
ベーコン、じゃがいも、にんじん、玉ねぎを大雑把に切って鍋に入れた。ウインナーも一掴み、適当に放り込む。
あとは水と調味料を入れて、ことこと煮込む。本当はにんじんだけ先に煮込んだ方がいいが、面倒なのでごった煮だ。
ある程度煮立ったところで、ブロッコリーは一口大の房ごとに切り分けて、それも突っ込む。あとはひたすら煮込むだけ。
最後にスパイスで味を調整したら、ポトフの出来上がりである。
久しぶりに作ったが、部屋の中にふわりと良い香りが漂う。胃が今か今かと期待してるのが伝わってくる。
そこに扉が開く音が聞こえてきた。
「ただいま帰りました。……ヨルク、料理してるんですか?」
「おかえり、ラルフ。そう、晩飯。多めに作っとけば明日は食べに出なくて済むし」
量が多くないかと指摘される前に予防線を引いておいた。
別にラルフと食おうと思っていたわけではない……わけでもないけど、あえて言うことじゃない。
答えて振り返ると、なぜかやや困った顔をしているラルフと目が合った。
「どうかした?」
「良ければ今日も一緒に食べに出ないかと誘うつもりだったんですが、必要ないみたいですね」
「ラルフも晩飯まだ? じゃあ一緒に食べる?」
それなら、と嬉々として誘ってしまう。どうした、俺の自制心。ちゃんと仕事しろ。
でも食事を一緒に取るくらいは友達でもするだろ。許す。
「いいんですか?」
「いっぱいあるから、どーぞ」
「それでは有り難く」
ラルフは嬉しそうに目尻を下げる。そうやって笑うと、やっぱり人懐っこい大型犬みたいだ。
足りない椅子を隣の作業室から持ってきてもらう間に、テーブルの上に鍋を移動させる。
なぜかといえば、スープ皿が一枚しかなかったせいである。男一人暮らし、普段は食堂を利用しているので皿が揃っていないのは当然なのである。
自分が食べる分だけを皿に取り、1.5倍くらいの量が入った鍋をラルフの方に寄せた。昨日の様子を見ているとラルフはよく食べる。
「ごめん。鍋から食べて」
「豪快ですね」
気分を害するかと思ったけど、ラルフは楽しそうに、ふふっと笑った。
「いただきます」
丁寧に挨拶をされて、まずはじゃがいもを口に運ぶ。出来立てで熱かったのか、はふはふしながら食べる姿に「慌てるなよ」と苦笑する。
目元を緩めて嬉しそうに食べてくれるので、作った甲斐があった。
「すごく美味しいです」
「口に合ったならよかった。でもやっぱ食いにくいよな」
「野営ではよく鍋から直に食べたりもしてますから、お気になさらず」
「ほんと悪い。でもマグカップより鍋からの方がいいだろ?」
「今度、皿を贈りますよ」
「なんでだよ。また食いにくる気か?」
呆れてみせれば、ラルフが探る眼差しで俺を見つめる。
「もう食べさせてもらえないんですか?」
ずるい。あんた、男を誑かす才能あるよ。
息を呑んでしまってから、苦笑した。
「また機会があればね」
解呪した後も、ラルフが俺とこうして過ごしたいと思ってくれたなら「また」があるかもな。
あやふやしておけば、ラルフは少し不満そうにした。
だが、結局何も言わなかった。
黒歴史を増やしたくなければ、余計なことは言わない方がいいよ。マジで。
食事の後はシャワーを浴びて、ソファーを使うと言い張るラルフを「追い出されたくなければ家主に従え」と脅して黙らせた。
誤って酒を出さないように気をつけて、ハーブティーを淹れて出す。
ゆったりと更けていく夜の空気の中、ラルフは昨日買った本を読むことにしたようだ。俺は結局、仕事の残りである書類に目を通していく。
互いに会話はない。でも不思議と居心地はいい。
本のページを捲る音。紙の上をペンが走る掠れた音。ホウホウと鳴く梟の声。時間は穏やかに過ぎる。
開けたままの窓から、ひんやりとした夜風が吹き込んだ。
「そろそろ寝るか」
「もうこんな時間でしたか」
寒さが気になり出した頃に、声を掛けて立ち上がった。
まだラルフは名残惜しそうに隣室のソファーの方を見るが、譲らないからな。
処理した書類を纏めて手に持ってから、ベッドに座っていたラルフに近づく。
「おやすみ。ラルフ」
ちゅっ、と今夜は俺から軽く唇を触れさせた。
また昨夜みたいに舐められたら困るんで! 俺の理性は砂糖より簡単に溶けるみたいなんで!
すぐに体を離すと、そこには驚きに目をまん丸くしているラルフがいた。
……そういえば、俺からするのは初めてだった。
ラルフは片手で口元を隠した。日焼けした頬がじわじわと朱が帯びていく。
ま、待て待て待て。
そんな純情な反応されると困る。可愛くて笑っちゃいたくなる。胸の奥が嬉しくなって、心臓がやたらと飛び跳ねてしまう。
「じゃ、また明日」
「はい。おやすみなさい、ヨルク」
出来るだけ軽く言って、欠片も未練を見せないように気をつけながら踵を返した。
意識して早足すぎず、ゆっくりすぎず。隣の作業室へと続く扉を後ろ手に閉めると、ソファーに突き進んで顔から倒れ込む。
(はあああ!? なんだあれ! 本気で俺を好きみたいじゃん!)
いや、わかってる。好きなんだよな。呪いのせいで。
だからこそ、素直に喜べなくてやるせない。
ラルフにあんな厄介な呪いをかけた魔女を、このとき初めて心から恨めしく思った。
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