ある魔法使いのヒメゴト

月宮くるは

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第六章

第六十二話

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 城での一件から一週間が経過した。セイランはあの日以来、ミュゲと共に天法の鍛錬を始めた。ミュゲ、というのはセイランに妙に懐いていたあの白い獣に付けられた名前である。セイランは自分やルピナスと同じ花の名前を付けたい、とルピナスの母の遺品である古代の花の図鑑を読み漁り、一つの花を見つけた。それが「スズラン」。当初は、「これで!」とセイランは言い張ったが、セイラン自身の名前の響きとあまりにも似すぎているためルピナスに強く却下され、仕方なく異国でのスズランの別称であるミュゲが採用された。といってもセイランはミュウ、ミュウと呼んでおり、もはや七日にして別の名前となっている。

 一週間のうちに、セイランの天法はみるみるうちに成長していった。これまで魔法が使えない存在だったとは思えないほど、セイランは独自に術を次々と身に着けた。最初の時点で、ストリキという強い魔法使いの、これまた強い術を跳ね返していたのである。セイランに力があるのは当然と言えば当然だった。

 ストリキは戦いのあった次の日には意識を取り戻していた。だがセイランに先天術が通らなくなったとしると、昨日までの威厳ある振る舞いが嘘のように失せ、抜け殻のようになっていた。セイランが使えなければ、ストリキが企てていた策は実現不可能である。それはつまり、ストリキの世界を征服する王になるという計画の終わりを示していた。

 ストリキを負かしたセイランとルピナスがストリキのこれまでの悪事を世界に広めるのは容易いことだった。ストリキに王たる資格はない。そう告発して、ストリキと、それに加担したラピュア家の人間を国から追放するのは、言葉では容易いことである。だが、それには大きな代償が伴う。

 腐ってもこの男は今、国を治める王なのである。何も知らない国民たちにとっては、反乱を治めた英雄だ。その裏で二人の子どもが利用されていたことを知るのは、ほんの一部の魔法使いたちのみ。国民に真実を知らせれば、間違いなくストリキは王位を失うだろう。良くて国外追放、悪くて処刑。そうなれば、国には大きな混乱が起こる。国の中枢にいたラピュア家は失脚し、空白の玉座が聳えることになる。国の基盤が揺らげば、他国から目を付けられる。セイランに擦り付けようとしていた戦争の扇動という大罪。あれもまた実際はストリキが行っていたものだが、諸外国と現在一触即発状態にあるのは事実だ。

 今国が瓦解すれば、最悪この国が失われる。セイランもルピナスも、そんなことを望んではいなかった。いっそセイランは誰に対する罰も望まなかった。ルピナスがストリキと、研究所やロベリアでセイランを虐げたものたちへの何らかの処罰を望む中、セイランはそんなルピナスを窘めて、寂し気に微笑み、ルピナスに告げたのだった。

「この男を殴っても、おれの時間は返らない。父さんと母さんは、還らない」

「ルピナスの手が、汚れるだけ」

「おれなんかのためにルピナスの綺麗な手を汚さないで」

 本当は誰よりも憎んでいるはずなのに。誰よりも殴りたいはずなのに。セイランはルピナスの手を汚すことを嫌がった。セイランにそう言われては、ルピナスも殴れない。上げた拳を下ろすしかなかった。

 しかし、かと言ってルピナスはセイランにこれだけのことをした国に残ることは受け入れられなかった。そして、ルピナスは代わりに国に対してこう提言した。「この国の真実は、忘れる。その代わり、二度とボクとセイランに関わるな」と。

 そして、七日目のこの日。早朝の空気は澄んでおり、昇る朝日が町を照らし始めていた。王都の北門前。そこには旅装束を纏ったセイランとルピナスの姿があった。二人が見つめる先には、ミハネが立っていた。

「……ミハネ」

「何度誘われても私は行きませんよ」

「ミハネさん……」

 門を境に王都の内部に残っているミハネは一人だけ学者服のままだった。旅をするための荷物というのも何も持っておらず、ただ寂しそうに眉を下げる二人に対して胸を張って鼻を鳴らす。

「お二人は若いから分からないでしょうけど、もうこの歳で旅なんてコリゴリなんです」

「でも……」

「でもじゃありません。というか夜ごとイチャイチャされる側の身になってください。私の先天術はお二人の消音用じゃないんですよ!」

「あれはセイランのせいだよ」

「えぇ……おれちゃんとだめだって言ったよな……?」

 いつも通りのペースを見せるルピナスを、ミハネは黙って見据える。ミハネはルピナスが産まれてくる前からルピナスの世話役だった。産まれたその瞬間からずっと、その成長を見守ってきた。ルピナスにとっても、ミハネは父親よりも父だった。別れが名残惜しそうなルピナスに向けて、ミハネは口を開く。

「幸せになりなさい」

「……?」

「母親の分まで、幸せになりなさい。そしてセイランくんにも、その幸せを共有しなさい。……いつでも帰って来なさい。ただし、セイランくんが幸せを理解するまで帰ってこないこと。約束、できますか?」

「……はい」

 ミハネの真剣な目を見つめていたルピナスは、素直に頷いた。それを見ると、ミハネはいつものように優しく柔らかく微笑む。それからキョトンとしていたセイランに向けて笑いかけた。笑顔の意味が分からないセイランは不思議そうに首を傾ける。

「さぁ、もう行きなさい」

「うん。……十八年、ありがとう。ミハネ」

「……ミハネさん」

「はい、なんでしょう。セイランくん」

「あ……、いや……、やっぱり止めときます」

「えぇっ!」

 自ら声をかけたセイランだったが、向けられた温かな表情に戸惑い、ふいっと視線を逸らす。するとミハネは思わぬ撤回に声をあげる。ルピナスは隣でくすくす笑っていた。「言ってください!」「今度にします」の応酬を繰り広げる二人を眺めながら、ルピナスはわずかに目を細める。ルピナスには、なんとなくセイランが言いたかったことが分かっていた。だって、セイランは、あの人によく似ていたから。見た目とかの話ではなくて、その性格、雰囲気が。だからミハネは、あんな風に接していたのだ。

「フゥン……」

「ごめんなさい! ミュウ待たせてるから、また今度!」

「えぇ、私次まで待たされるんです!? 坊ちゃん! さっさとセイランくんに幸せを教えて帰ってきてくださいね!」

「ガンバリマース」

 セイランは逃げるように先頭で待っていたミュゲの方へと走っていく。ミハネもあんなに格好つけていたのに、結局最後まで締まらない。この方がミハネらしいけれど。ルピナスは最後にもう一度、ミハネと視線を合わせると、深々と頭を下げた。それからミハネに背を向けて、セイランとミュゲの元に駆け足で向かって行く。

 夜明けの快晴の下、一歩を踏み出した二人を王都から吹く風が後押ししている。まるで旅の祝福を願うように。高い空を見上げるセイランの瞳は、晴れやかだった。その瞳に、ルピナスは確かに天使を見る。

「……痩せたいなぁ」

「そっかぁ……、は?」

 あまりにも旅立った後の第一声にふさわしくない言葉が隣から聞こえてきて、ルピナスは思わず気の抜けた声を出す。誰がどう見てもセイランが太っているなんて言わないだろう。それをなぜ今、この時に、そんな言葉が出たのか。

「えーーーーっと、なんで?」

「あ、ちがっ、声に出すつもりなかったっ!」

 ルピナスが自分の方を見ていると気付いたセイランは、自分が考えていることを音にしてしまったと察して顔を真っ赤にして逃げるように野原に向かって走り出した。

「ちょっと! どういう意味か言うまで逃がさないよ!」

「うぁぁッ! 魔法はずるいぞ!」

「きゅっ!?」

 ルピナスは駆け抜けていくセイランの足元の土地を隆起させ、足場を乱す。急に走り出した二人を追ってミュゲも走り出す。どんなにセイランの運動神経がいいと言っても、ぐらぐらと揺れる地面が延々続けばいつかはバランスを崩す。数メートルの追いかけっこの果てに、セイランはついに躓き倒れ込んだ。

「捕まえたっ! ほぉら言わないとお腹触っちゃうよ!」

「んんんん…………」

 ルピナスは倒れたセイランの上に座り、唇を尖らせて頬を膨らませた。セイランは横目にルピナスを一目見た後、諦めたようにため息をついた。

「だってルピナスは、真っ白で、無垢で、細い指先に透き通った肌を持った柔らかい赤毛を揺らした儚げな子どもだったおれが好きだったんだろ? おれ、そんなに肌白くないし、剣握ってたせいで手は厚いし、ちゃんと切ってなかったから髪型適当だし、儚くない……」

「セイランは儚いよッ!」

「はい?」

 頬を赤く染めながらぽつぽつと呟くセイランの言葉をルピナスが勢いよく遮る。

「確かにセイランはとっても頼りがいのあるカッコいい体つきかもしれない。でもボクはそんなセイランが好きなの。ボクがあの森でお前になんて言ったか忘れたの?」

 言われてセイランは記憶を遡る。正直記憶はまだ安定していない。どの記憶が何回目のルピナスなのか分からなくなることが多々ある。だが、一番最後のルピナスのことだけは鮮明に覚えている。森、一番最後の「はじめまして」の場所。

「悪趣味って、言われないか?」

「あはは、セイランにそれ言われるの二十一回目! でも好きなんだもん、ボクよりもちょっとだけ大きい手で、背が高くて、それなのにボクよりも優しい背中。そんなセイランのことが、好きなんだ。あの時は少し曖昧な言い方したけど、ボクは好きなのはセイランだけだし、犯したいのもぐちゃぐちゃにしたいのもセイラ」

「もういいもういい! そういうところを悪趣味って言ったんだぞ!」

「二十二回目だ。こんな短時間に二度言われたのは初めてだよ」

「んんん、……あと五百回は言えるぞ」

 照れて真っ赤になるセイランを、ルピナスは愛おし気に見つめる。そんな二人を早朝の健やかな風が撫でていく。風でなびくミュゲの白糸が美しい。

 ――あぁ、一人じゃない。

 視線の向こうで揺れる白を眺めながら、セイランは幸せそうに眺めると、ゆっくりと口を開いた。

「なぁ、ルピナス」

「うん?」

「ルピナス、あの時言ったよな。本当は記憶を思い出さない方が良かったんじゃないか、こんなもの思い出したくなかったんじゃないか、って」

「……うん」

「あの時は分からないって言ったけど、やっぱり、さ。思い出せて良かったよ」

 セイランはルピナスに笑顔を向ける。その笑顔に後悔は見られない。ルピナスが思案していた不安定さはどこにも見られなかった。

 十年間、ずっと気になっていた。時折夢の中に現れた知らない声。優しい手。「セイラン」と呼んでくれる幼い声。この名前をつけてくれたのはこの人なのか、魔法を使えない自分を捨てたのはこの人なのか。その答えを、思い出すことが出来た。

 温かなあの日の記憶。それが今、ここにある。

 白髪に桃色の瞳を宿した可愛らしい顔立ちの少年が微笑む。

「お前の名前は、セイランだ!」


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