ある魔法使いのヒメゴト

月宮くるは

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第六章

第六十一話

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「……おれの中にあるこの記憶が、いいものばっかりじゃないっていうのは分かるよ。悲しくて、苦しいのも、たくさんある。さっき、父さんが思い出させてくれたのも、怖くて、苦しいものだったし、な。……でも、な? おれはちゃんと、楽しかったことも覚えてるよ」

「……っ、」

「というか、おれだけじゃなくてみんなそうじゃないか? 悲しいことより、楽しいことのが覚えてたい。あんたもそうじゃないか?」

 セイランは良くも悪くも、「すべて」の記憶を取り戻した。その「すべて」の中には、確かにルピナスが思い出すことを危惧していた苦しみの記憶もある。だが人の記憶を構成する感情はマイナスのものだけではない。セイランの記憶の中には、笑っていた自分の姿が、笑っていたルピナスの姿が確かに混在していた。

「そっか……、そっかぁっ!」

「わっ、ルピナス?」

 突然大きな声をあげたルピナスは改めてセイランを抱き締めると頬を重ねてスリスリと擦りあわせた。触れ合う肌がくすぐったくて、セイランは思わず身を縮める。

「ボクね、セイランにかけられたアイツの先天術を解除する方法を探してたけど、本当はセイランから記憶操作を解くのが怖くて仕方なかったんだ」

「ルピナス……」

「もし、記憶を取り戻した途端にその苦しみでセイランが壊れてしまったら。なんでこんなものを思い出させた、忘れたままでいさせてくれなかったって言われたら。セイランを諦めきれなかったボクのエゴでお前を失うことが怖かった」

「…………」

「本当に……セイランは、思い出せて良かったって、思ってる? お前の言う通り、誰だって楽しいことを覚えていたい。でもそう上手くいかないのが人の記憶っていうものだよ。知らなくていいことだって、忘れた方が幸せなことだってある。本当は、こんなもの思い出したくなかったんじゃないの?」

「それは……、」

 セイランはルピナスの視線から目を逸らし、少し視線を伏せる。脳裏を過るのは、赤い血の記憶。もしも、この記憶を思い出すことを選択できたなら、自分は思い出すことを望んだだろうか。

「……、……わからない」

 臆病な自分は、きっと選べなかった。忘れたままでいることを選んだかもしれない。セイランはわずかに答えを返すと、ルピナスは静かに「そっか」と呟いた。

「でも、でも! おれが今こうやっていられるのは、あんたが、ルピナスが思い出させてくれたからだ。あんたが呼ぶ声が聞こえて、戻らなきゃって思って、そしたら、全部解けたんだ」

「全部?」

「……天使には、先天術が効かない。おれは、天使の末裔の一族の子、だから」

「あぁ……、じゃないよ! それだよそれ! なんで急に効かなくなったの? これもお前の天法でしょ?」

 と、ルピナスは自分達を覆うドームを勢いよく指差した。セイランが天使の末裔の子だということはルピナスも十分よく知っている。だが、なぜ使えなかったはずの天法が急に発現したのか。先天術を通さなくなったのか。ルピナスに詰め寄られ、セイラン思わず少し体を引く。

「……天使は気高く、強くあれ」

「は?」

「その存在に誇りを持ち、折れない心を持て。……悪魔と違って、天使に先天術が聞かなかった理由。それは、ここ」

 セイランは自らの心臓に手を当て、拳を作る。ゆっくり視線をあげ、再びルピナスと視線を合わせたセイランの瞳は真っ直ぐで、美しい色を宿していた。それは、伝承の中にあった天使と同じ。背中に翼が生えたと錯覚するようだ。

 通りで、いくら調べても曖昧な史料しか見つからないはずだ。形のない、目に見えないもの。芯の強さこそが、天使の強さ。それをセイランは瞳に宿らせていた。

「っていうのは受け売りで……、村でそんな風に聞いたことがあるような……ないような……」

「えぇ……」

 というのはほんの一瞬で、いつも通りのセイランにすぐ戻る。少しだけ自信がなさそうに下げられた眉。隠れるように丸められた背中。ルピナスにとっては、それすらも愛しい姿だった。その仕草は、セイランの心からの深い優しさから来るものだと、知っているから。

「ところで、ルピナス」

「なぁに?」

 セイランがふとルピナスを呼ぶ。ルピナスが見つめた先にあるセイランの表情は困ったように眉を下げたものだった。話を逸らすつもりだ。それを察したルピナスは、どう逃げ場を塞ごうか、頭を回す。が、続けられたセイランの言葉に拍子抜けすることになる。

「これ、どうやって消すのかな?」

 セイランが指したのは、自分で作ったはずのドーム状のバリアだった。そしてルピナスはさらにもう一つ察したのである。

「……えぇ? いやボクが天法のことなんて分かるわけないでしょ。そもそもどうやって出したの?」

「さ……さぁ? なんかカッとなってギュンってやったらバンッてなってて……」

「一個も分かんないんだけど! 天法ってそんな勢いで作動するの!?」

 セイランは本当に自分がどうして急に天使の末裔としての力が発現したのか分かっていないと、ルピナスは察したのだった。セイランは嘘やデタラメを言うような性格ではない。だから本当に、気合いや根性といった類いのもので乗り切った、と少なくとも本人は思っている。命の危機が本能的に導いたものだと。

 当然、そんなはずはない。ルピナスの思う限りでも、命の危機なんていくらでもあった。それでも今までは発現しなかったのだから。

 折れない、心。先ほどセイランが発した言葉を、ルピナスは繰り返す。きっと、真実は。

「じゃあシュンってやったら消えるんじゃないですか?」

「しゅん……」

 ドームの外側でこれまでのやり取りを黙って眺めていたミハネが口を挟む。セイランは一度ルピナスから距離を取ると、集中するように目を閉じる。そして、頭の中でドームが消えるイメージをしながらぎゅっと拳を握る。

「あ、色変わっ」

「あだだだだっッ! 痛い痛いいたいッッ!」

「うぇぇっ! ど、どうなって……」

 直後すぐ側にいたルピナスが叫び始めたものだからセイランは驚いて目を開く。青みがかっていたドームの色が変わり、赤みがかった半透明に変わっていた。セイランの身には特に変わったことはない。ただルピナスは身を丸めて床でのたうち回っていた。セイランにはもちろんルピナスを攻撃したつもりはない。

「キュゥゥ……」

 と、ミハネと共に外にいた白い生物が小さく鳴く。そして鼻先をちょんとドームに触れさせると、その瞬間触れた部分からドームは消えていった。

「消してくれた……? あり、がとな?」

「セイランその子に術教わるまでしばらく使わないで……」

「え、あ、わぁーっ、ルピナスーっ!」

 玉座の間の固い床の上で、ルピナスは動かなくなる。セイランは慌てて駆け寄っていくが、気絶したルピナスの表情を垣間見たミハネは、呆れたようにため息をついて、ふっと微笑む。気を失ったルピナスの表情は、それはそれは幸せそうな充実感に満ち溢れていた。
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