ある魔法使いのヒメゴト

月宮くるは

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第六章

第五十六話

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「あぁあああァッ! あのくそ野郎ッ!」

 怒鳴り声と共に爆音が響く。巻き起こる煙が視界を覆い室内を灰色で包む。煙が晴れた時、ルピナスの視界に広がったのは傷一つついていない扉だった。ルピナスはギリと歯を食いしばり、再び全身の魔力を集中させる。

 セイランと引き離されて、すでに半日が経過していた。ルピナスはあれから城内に運ばれ、幼少期から与えられていた自室に詰められていた。自室、といっても出入りは自由ではなく、一つだけある扉には鍵がかけられている。さらに部屋の内側全体に魔法耐性のある障壁が施されており、ルピナスが何度全力の魔法を放っても扉は吹き飛んでくれなかった。爆風を受けて室内の家具はすでに埃だらけで部屋の隅まで吹き飛んでいた。ルピナスはそんなものには見向きもせず扉に向かって魔法を放ち続けていた。

 室内に扉のほかにあるもう一つの外に繋がる窓の外はとっくに日が昇っていた。研究所に侵入したのが夜遅くのこと。ルピナスは体内の魔力の回復具合から、自分が何時間意識を失っていたのかすぐさま理解し、それからすぐさまここから脱出するために扉を叩き始めた。もうすぐあれから十二時間が経過する。ルピナスの頭には、すぐにでもセイランの無事を確認することしか残っていなかった。

 両手に神経を集中させ、白い光の球を作り出す。光の球はバチバチと音を立てながら線状の光を辺りに巻き散らしていた。純粋な雷を纏った魔法。ルピナスは大きく息を吐き出しグッと力を籠める。瞬間、光の球がバリッと音を立てて数倍の大きさになる。巻き起こる雷の勢いで風が起こり、光の球を中心に強風が起こる。

「う、おわぁッ!」

 それを扉に向けて飛ばそうとするが、光球は扉までたどり着けずルピナスとの間で爆発してしまう。その爆風をもろに受けたルピナスは部屋の中で吹き飛び、絨毯の上を転がる。扉は変わらずびくともしていない。

「……くそ、くそッ!」

 床を這いつくばり、拳を叩きつける。ルピナスは確かに強い魔力を持ち合わせていた。しかし、まだ年若く経験の少ないルピナスはその魔力を扱いきれていない。そこいらの魔法使いよりは強いかもしれない。でも使いこなせていなければ意味がない。自分の力を過信した結果が、この様なのだから。

 それでもここで立ち止まるわけにはいかなかった。

 セイラン。

 守ると、側にいると、誓ったのだ。

 ルピナスは手をついて起きあがろうとする。だが、腕に力を込めた瞬間がくりと肘が折れまた身体が床に落ちる。魔力が足りない。昨晩あんなに暴れた矢先、目を覚ましてから強力な魔法を使い続けたせいだ。

 震えてしまう唇を噛み締める。泣いている場合じゃない。今、一番苦しいのは自分じゃない。泣いていいのは、今もどこかで震えているかもしれない、彼だけだ。

 ルピナスは床を這いつくばって部屋の隅にあった椅子にしがみつき、それを支えになんとか体を起こす。肩で呼吸をするのがやっとだ。ルピナスはその豊かな魔法の才能のおかげか、魔力が回復するのも人より早い方ではあった。だが、回復するのなんて待っていられない。今すぐにでもセイランの元へ行きたいのに。

 どこか他に抜け道か、もしくは障壁の弱い部分はないかと部屋を見渡す。ルピナスの部屋は、人が暮らしていたにしては殺風景で、必要最低限のものしか設置されていなかった。必要最低限のものしか、与えられなかった。

 ルピナスは黙って椅子の足に頭を叩きつける。ここにいると嫌なことばかり思い出してしまう。

 ルピナスは生まれた瞬間から、父の道具でしかなかった。父・ストリキにとってルピナスは自らが王になるために必要な、ただの魔力の塊だった。その証拠に、ストリキはただの一度も己の息子の名前を呼んだことがなかった。それどころか、ストリキは生まれた子に「名前など必要ない」とまで吐き捨てた。ルピナスの世話は母親と、世話役に任せ、魔法の成長の進捗を見るとき以外、ルピナスに関わろうともしなかった。そんな男を、ルピナスが父親だと思うはずがなかった。

 ルピナスにこの名を与えたのも、母だった。父の分まで愛してくれた母。そんな母が亡くなったのも、この部屋だった。

 ルピナスは大きく深呼吸して、その場で立ち上がる。少量ではあるが、これだけ回復すればなんとかなる。あの日、母が亡くなった日。幼いルピナスに、母は最期に告げた。「自分の道を生きなさい」と。「大切な人を守るための強さこそ、本物の強さ」だと。

「……っ、すぐ、行くから」

 母を失い、生きる気力も失いかけたルピナスは、それから一人の少年と出会った。真っ白で、無垢で、細い指先に透き通った肌を持った儚げな少年。彼は、その頃のルピナスよりも孤独だった。それでも、彼はルピナスに向かって微笑んだ。その笑顔は、暗がりを生きるルピナスにとっての唯一の光だった。太陽でも、月でもない。そんな眩しい明るさではなく、ただ小さな星のように微かな光を放つもの。闇の中だからこそ、惹かれたもの。

 生まれたばかりのルピナスと同じように名前を持たなかった少年に、ルピナスは名前を与えた。それは、亡くなった母が好きだった『花』という古代の遺物の一種類の名前。母がくれたこの名前と同じ、『花』の名前。

「セイラン……!」

 ようやく彼と再会した時、彼はストリキの先天術によってルピナスと共に過ごした日のことを綺麗さっぱり忘れてしまっていた。それでも彼は、あの日与えた名前を名乗っていた。その時は、それだけで十分だった。ほんの微かな断片的な記憶しかなくても、彼はあの頃のままだったから。一からでも、構わないと思っていた。

 しかし、彼と過ごし始めて一ヶ月が経った日、彼は再びルピナスに関する記憶を失ってしまった。その訳をルピナスが察するのは容易かった。ストリキが消したのだ。彼に記憶が戻ることを恐れて。それから彼は、ひと月ごとにルピナスの記憶を失い続けた。何度も何度も関係をリセットされ、何度もはじめましてを繰り返した。それでも。

「ボクは絶対にお前を諦めない」

 彼は戦争の道具ではない。自分と同じ、愛を求めた悲しいひとりぼっち。王なんて、魔力や天力なんて関係ない。自分は、自分の道を生きる。愛した人を、大切な人を守るために強くなる。

 決意の炎がルピナスに宿る。その炎はこんなに弱りきった状態から出せるとは到底思えない程の火力だった。炎は鞭のようにしなり、ルピナスの背後から何本も生えてくる。据わった瞳が扉を見据える。しなった炎が、扉に振われる。その瞬間。

「おわぁぁぁぁッ!!」

「は? うわぁっ!」

 窓の外から馴染み深い絶叫が聞こえて、そちらに気を取られる。窓の外に見えたのは白い塊がこちらに突っ込んでくる光景。ルピナスが呆気に取られるのも束の間、窓の向こうの白い毛玉はそのまま窓ガラスを突き破った。けたたましい音を立てて部屋に着地したのは、あの時放したはずの、セイランによく懐いていた白い生物だった。

「お前……」

「アタタタ……ッ、あ、坊ちゃん!」

 その背中から顔を上げたのは、ミハネだった。ミハネはルピナスの姿を認めるとすぐさま背中から飛び降り、ヨタヨタとルピナスへと走り寄った。あれからずっと動き続けていたのだろうミハネは憔悴しきっていた。しかし、ミハネの顔の蒼白の理由はそれだけではないと直感で察する。嫌な予感がする。胸がうるさい。

「セイランくんがっ……!」

 ミハネはここに来る前に地下牢で見て来たことを手短にルピナスに伝えた。ストリキに辱めを受けたこと。見ていられないくらい泣き叫んでいたこと。セイランが、真実を与えられたこと。ミハネが、何もできなかったこと。

「私が、私が優秀な魔法使いでなかったばっかりに……私はあの場から逃げ出したのです。あんなに……、あんなに何度も助けを求めていたセイランくんを見捨てて、私は……!」

「……、ミハネ」

 ミハネは青ざめたまま震えていた。そんな光景見せられたら、誰だって恐怖を覚える。ミハネの判断は、恐らく間違ってはいなかった。一般の魔法使いよりは強いが、ミハネの実力ではストリキには敵わない。その場で飛び出していって、捕まってしまうよりは良い選択だった。だが、それでも目の前で恐怖に怯えるセイランを置いてきたことはミハネに強い負担を与えた。

「……見捨てたなんて、言わないで」

「坊ちゃん……?」

「まだ、終わってない。今からでも遅くない! 後悔する前に行動しろって、ボクに教えたのはミハネだ!」

 ルピナスはミハネの胸ぐらを掴んでぐいと引っ張る。桃色の瞳の奥では、憤怒の炎が燃えている。ミハネの話はルピナスにも衝撃を与えていた。それが少し前の話というのだから、今セイランがどんな状況なのかは分からない。「そんな……」と肩を落とすのは容易い。しかしそんなことをしていてもセイランには何も届かない。一縷でも、セイランを救える望みがあるならば。今もどこかで泣いているセイランの元へ、一分一秒でも早く。

 ルピナスの言葉で、ミハネは目を見開く。目の前には愛する人のために必死になる男の姿がある。知らない間に、こんなに大きくなっていた。少し前まで、幼い子どもだったというのに。

「……フルルッ」

「乗れって? そうだよね、お前もセイランを助けたいよね」

 ルピナスの腕を咥えて引っ張った白い生物は小さく嘶く。ルピナスは導かれるままに背中側に回ると、柔らかい背中に乗り込んだ。それを確認すると、入ってきた窓側へと歩を進めていく。ルピナスは飛び降りる前にチラと背後のミハネを一瞥する。ミハネはその場に立ち尽くしたまま動かなかった。

 トッ、と軽い踏み切りの音だけ残し、部屋の中にミハネを残し、ルピナスはその場を後にする。残されたミハネは、荒れた部屋の中で長らく使われていないダブルベッドへ視線を向ける。

「私だって、もう、後悔なんてしたくないですよ……」

 在りし日の記憶が、ミハネの脳裏に蘇る。静かな風は、まるでミハネを撫でるかのように優しく髪を撫でていった。

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