ある魔法使いのヒメゴト

月宮くるは

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第五章

第五十一話

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 薄暗い隠し通路を歩く三人分の足音は、空洞の中で反響し響き渡る。周囲が静かな分、その音がより大きく聞こえ、誰かに聞かれてはいないか都度不安になってしまう。地下道を歩いていた時のように、セイランはランタンを持ち、二人は魔法で生み出した炎で周囲を照らしていた。ここはあの地下道とは違い、道幅は狭く、天井も低かった。さらに日が沈むまでの間にルピナスに聞いた通り、通路は至るところで分かれており、とても複雑になっているようだ。

 先導するルピナスと殿を務めるミハネに挟まれ、真ん中を歩いていたセイランの表情はどこか冴えないものだった。視線を伏せ、足元を見て歩くセイランの頭の中には、先ほど別れたあの白い生物の姿がまだ残っていた。最後まで別れを惜しんでいた寂しそうな表情が頭から離れない。自分の何がそんなにお気に召したのか分からないが、少なくともセイランを主人と認識していたことは、誰が見ても間違いはなかった。

「……セイラン、もしあの子がまだお前の側にいることを望んでいるのなら、きっとあの子はあそこでお前を待っているはずだよ」

「……そう、かな?」

「そうだよ。だからそんな顔してないで、無事に脱出して、今度こそあの子に名前をつけてあげよう?」

「名前……」

 あれからセイランは結局あの生物に名前を与えることが出来なかった。あまり言葉を知らないセイランではあの美しい生物に見合う言葉を見繕うことが出来なかったということもあるが、次第に「自分が名づけるなんておこがましいんじゃないか」という思いが浮上しルピナスとミハネが戻ってくる頃には何も言葉が思い浮かばなくなっていた。

 赤い水晶玉は、最後の瞬間までセイランを見送っていた。こんな自分を、あの子は待っていてくれるだろうか。セイランの中に込み上げるのは、期待よりも不安だった。記憶にあるこれまでの人生の中で、自分の帰りを待っていてくれる存在なんていなかった。セイランにとっても、それが当たり前だった。ギルドに帰ってきた時も、色々なことで意識を失って目を覚ました時も、側には誰もいなかった。「ただいま」も「おかえり」も、「おやすみ」も「おはよう」も知らない。それがセイランの生きてきたすべてだった。

「大丈夫だよ」

「……?」

「ボクがお前を、守るから」

 ルピナスのこの言葉を聞くのは何度目だろう。本来なら、それを言うべきはセイランだったはずなのに。完全に立場が入れ替わってしまった。最初はルピナスの方が守られる対象だったはずだというのに。

 セイランはルピナスの強い決意に、黙って微笑む。同じ「守る」という言葉なのに、ルピナスの声はセイランの何倍も頼りがいのある強さを持っていた。すべてを敵に回してでも守り抜くという決意。それはセイランの、自分が犠牲になってでも守るという決意とは違う。ルピナスの「守る」には、しっかり自分も含まれていた。

「……研究所はもうすぐだよ。理想はその場で調査することだけど、もし見つけるのに時間を食ったり誰かに見つかったりしたら問答無用で盗む。いい?」

「あぁ、了解」

 ルピナスがこれだけ気を張ってくれているのに自分が足手まといになる訳にはいかない。セイランは頭の裏でひりついていた不安を振り払い、大きく息をつく。

 入り組んだ通路の一つの終着点。石壁に取り囲まれた空間の突き当たりにあったのは、「LABO」という堀りが入った木製の扉だった。かなり古くからあるようで、扉はところどころ脆く腐敗している。ルピナスが戸を軽く押すと、扉は難なく開いた。キィと高い音を立てて扉は内側に開く。その先には研究所へと続く階段があった。少し上を見上げてみるがその先は暗く、どこまで続いているのかは分からない。

 ルピナスは黙ってミハネと視線を交わすと、ぼんやりと高所を見上げていたセイランのフードの中に手を入れた。それからバンダナを少し下ろし、前髪をばらつかせて目元を隠す。マフラーも膨らみをもたせて鼻の頭まで隠れるようにすると、最後にフードを下にぐいっと引っ張った。そのセイランの背中から大剣が持ち上げられる。

「ミハネさん?」

「恐らく、研究所内でこれを振るう機会はありませんから。見つかったらセイランくんはここに逃げ込むことだけを考えてください。これは私がお預かりしておきますので」

「……、……わかり、ました」

 振り返った先にいたミハネもまた、セイランと同じように顔の大部分を隠していた。誰かに見つかったときに、すぐさま逃げなければいけないのは、ミハネも同じなはずだ。セイランは体力や純粋な腕力だけは人並み以上だと自信を持っていた。この場にいる三人の中で、一番走れるのは恐らくセイランである。それなら、荷物になる大剣は使わないにしてもセイランが持っていた方がいいはずだ。そんなことはさほど賢くないセイランにでも分かること。自分よりも明らかに賢いミハネやルピナスがわからないはずはない。しかしセイランに向けて穏やかに微笑んだミハネを見て、それを口にすることは出来なかった。

 ――きっと、何か作戦があるんだ。

「行こう、セイラン」

 ルピナスが先頭に立ち、静かに階段の足をかける。セイランも頷き、その後に続いて研究所へと続く道を進み始める。

 妙に胸騒ぎがするのは、きっと気のせい。鼓動が落ち着かないのは、自分が弱いから。

 真っ暗な階段を仄かな焔が照らしている。その先にあるものは希望であると、セイランはただ信じるしかなかった。

 研究所の内部は、薄気味悪い青白い光で照らされていた。どうやら窓ガラスが全て外から見えない特殊なものを使われているようで、そのガラスが青色である影響で室内も青く見えているようだ。研究所、というわりには天井が高くそんな青白い光と冷たい澄んだ空気感から神殿の中かと錯覚するような雰囲気。ルピナスたちによると、隠し通路の出入り口が研究所の深部、資料庫に繋がっているとのことだったから、ここは資料庫なのだろうとセイランは辺りを見渡す。

 隠し通路の出入り口はその資料庫の隅で、台車に隠されていた。足音を殺して、前を進むルピナスをセイランは追いかける。研究所は物音一つしない。視界の隅で何かが動く様子もない。そんな中で、セイランは微かな違和感を拾っていた。何メートルも離れた位置でも、小さな気配で目を覚ますほどの人一倍気配に敏感なセイランだからこそ感じ取ったもの。自分に向けられている僅かな視線。

 ふと、ルピナスが何かを見つけたようで進む速度があがる。ルピナスの目指す先には何かの器具で囲まれた実験台がある。その真ん中に、ガラスケースに入れられ様々な吸盤付きのコードが付けられた、この世のものとは思えない月の色を宿した白い石があった。

「っ、」

 ルピナスはその石に向かって小走りで向かって行く。その瞬間、セイランの目は物陰で動いた黒を見た。それは、暗闇に紛れる人間の影。咄嗟にセイランはルピナスへと手を伸ばす。しかし、その手はルピナスのローブを掴むことは叶わなかった。

「な……っ! ぐ、ぅ……」

「せいら……、どこから……!」

 セイランを襲ったものは重力の魔法だった。それが唐突にセイランの頭上から降り注ぎ、セイランは咄嗟のことに耐え切れず床に倒れ込んだ。まるで床に押し付けるような重みが全身を襲っている。顔をあげるどころか、やっと指先を震わすのが限界だった。セイランが倒れた音で何者かの襲撃に気づいたルピナスは素早く足を止め、辺りを見渡す。

「どうして……い、いつから、」

「……クソ野郎、アイツ……!」

 ミハネの震えた声が、状況の見えないセイランに届く。次いで、ルピナスは憎々しげに言葉を吐き捨てた。セイランは全身の筋肉を無理矢理に動かして、顔を上に向ける。なんとか目を先に向けると、ルピナスが後ずさりしながらセイランを庇うように立っているのが見えた。
 先ほどまで静まり返っていた研究所に、カツンと鋭い足音が響く。見渡さずとも分かる。すでに自分たちは包囲されていると、肌で感じ取れる。ギリと歯ぎしりをしたルピナスは、拳を強く握りしめ歩み出た男を睨みつけた。

「情けないものだ。我が嫡子でありながらこんな見え透いた罠にはまるとは……」

「へ……?」

 低く重苦しい声は正面から聞こえてきた。セイランは思わず耳を疑う。よく似た別人だろうか。だって、そんなことがあるはずがない。

 こんなところに父さんがいるはずがない。

「それを身代わりにして逃げるつもりだったのか? 舐めたものだな、お前の父たる私が天使と悪魔を間違えると思ったのか?」

「…………」

「まぁいい、わざわざ王都まで連れてくるとは、こちらの手間も省けた。おい、一度術を解け」

 突然、セイランを覆っていた体を重みがフッと消える。側にいるミハネは恐怖と困惑で顔を歪ませている。目の前のルピナスはセイランの前に立ったまま微動だにせず、黙ったままだった。

 セイランはゆっくり身を起こし、顔をあげる。ルピナス越しの向こう側には複数の人影があった。その中で、赤いマントを羽織った壮年の男が数歩だけ前に歩み出ていた。セイランは少しずつ視線をあげ、その男を見上げる。

 冷酷で、冷たい目が、ジッとセイランを見据える。男の顔を見た瞬間、セイランは心臓が止まってしまうかと思うほど、ドクンと高く跳ねるのを感じた。嫌な寒気が、爪の先まで通り抜けていく。

「……父さん?」

 忘れるはずがない。見間違えるはずがない。その人の存在は、いついかなる時も頭の片隅にあったから。だって自分は、貴方のために、どんなに苦しくても生きようとしたのだから。

 目の前に立っていたのは、幼い日に記憶を失い一人で森を彷徨っていたセイランを拾った、ギルド・ロベリアのギルドマスターにして、セイランの養父である男だった。
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