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第四章

第三十七話

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 かつて、この世界は二つの種族が存在した。それが悪魔と天使である。悪魔、というのはこの世に生きる人間の先祖にあたり、魔法が使えるのは現代の人々が悪魔の子孫であるからだと言われている。天使の方は魔法は扱わず、代わりに「天法」と呼ばれる特殊な力を持っていたとされているが、その内容まではまだ解明されていない。

 天使、天法が滅んだのは、今から数千年も昔に起きたとされる悪魔との戦争、天魔戦争に敗北したためである、というのが通説である。なんでも天使の使う天法は攻撃手段を持たず、守ることに特化していたと記述される文献が多く、結果的に「防御は悪、攻撃こそ正義。天使は破壊が出来なかったから敗北した」という考えが現代でも根強く残ることになった。

 ――だから、魔法が使えないおれは、悪だったんだ。

 ミハネの話を聞きながら、セイランは一人物思いに耽る。天使は滅んだこの世界、自分も悪魔の子孫であるはずなのに、どうして魔法が使えないのだろう。それはやっぱり、自分が出来損ないだからなのかな。徐々に曇り出すセイランの表情を観察していたルピナスが、セイランに隠れて爪先でミハネを軽く蹴る。

「あー……、で! 天使と先天術の関連なのですがね! 今回発見された遺物にその辺についての記載があった模様で! 早速解読しようってわけです!」

「なんでも、天使も一人一つ別々の先天術を持っていたらしい。天使の使っていた先天術に関する内容なんて、天使のことを調べてたボクが見逃すワケにはいかないからね」

 気を遣っているとセイランに悟れないように、ミハネは話題をすげ替える。考え込んでいたセイランはそこに気づく余裕はなく、なんとか話について行こうと二人の話を聞いていた。天使と天法と、先天術。

「その言い方だと、天使の使う先天術は悪魔とは違うのか?」

「そりゃあね、先天術は魔法の発展系が多い。天法に攻撃手段はなかった。つまり、天使が使う先天術には、火や水といった攻撃系先天術はなかったということになる」

「といってもすべてが違うかは分かっておりません。我々が使う先天術にも攻撃系以外に精神や脳に作用するものがありますので、攻撃系は使えずとも我々のように記憶操作や意識操作、五感奪取といったものを使えた可能性はありますね」

 少し聞いただけだったというのに、思っていた数倍の言葉が返ってきてしまい、セイランは自分で聞いておきながら静かに後悔する。セイランの知力ではもう理解が追い付かない。しかし、せっかく説明しようとしてくれているのにポカンとするのも申し訳ない気持ちがセイランの中で先行し、なんとか振り絞って相づちを打つ。

「なるほど、そんな先天術あるのか……」

「……おや? セイランくん、今回はまだ聞いていないのですか?」

「え?」

 そんな適当な相づちに、ミハネがキョトンとした。思わぬ反応にセイランも首を傾げて固まる。セイランはこれまでの日々の中で様々な先天術を見てきた。先天術の中には確かに精神や脳に作用するものがあった。暴れないように硬直魔法を使われたり、助けを呼べないように声を奪われたり、それこそルピナスがやったように無理矢理に自分想定していない感情を与えられたり。記憶操作だってありはするだろうが、まだ見たことはなかった。記憶を操れるのだから、その記憶が消されているのかもしれないが。

「今回はまだ、って……?」

「……セイラン」

 静かな声が名前を呼ぶ。セイランは何も疑わずに、自分を呼んだルピナスに視線を向けた。ルピナスの桃色は、じっとセイランを見つめていた。その瞳と、視線が重なりあう。

「……あれ?」

 次の瞬間、セイランは何を疑問に思っていたのか綺麗さっぱり忘れていた。ミハネに尋ねたいことがあったはずなのに、自分が直前まで何を話していたのか思い出せない。

「どうされました?」

「……あ、いや、……ミハネさんとルピナスって、研究分野近かったのか?」

 ミハネに聞かれ、セイランは違和感を隠し適当なことを言って誤魔化す。どこに疑問を持ったのだろう。

 ――ミハネさんの話には、何もおかしなところなんてなかったのに。

「近いも何も、ほとんど同じですね。私が少々専門的なくらいです」

「まぁ、天使について研究してる人間は少ないからね。ボクも知り合いはミハネくらいさ。良い議論相手にはなるよ」

「そっか、二人は知り合いだったんだ」

 二人の言葉を聞いて、セイランの中で、それまで必死に考えていた天魔戦争だとか、悪魔とか天使だとかが急にどうでも良くなる。そんなことよりも、二人は以前からの知り合いで研究仲間だった。やたらと親しげなわけだ。それが分かった瞬間、セイランは不思議と安堵していた。心の中のモヤモヤが一つ、フッと消えていく。

「さ、お話はこれまでにして、件の書物を見つけましたよ」

「え、なぜ先に言わない?」

「……おれ、これ眺めてるから、二人はそれ見て来ていいぞ」

 二人が信念を注いでいる研究に関する重要な史料。そんな大事なものを調査している二人の元に、字すら読めない自分がいるのは余りにも場違いすぎると、セイランは自ら身を引いた。調査に集中してもらいために、セイランは持っていた本を持って机に向かう。

 ミハネとルピナスは目的の史料を見に行ったようで、少し遠くの机で本を開く音がした。セイランも持っていた本を傷つけないように机に置いて、ちらと二人を一瞥する。二人は真剣な顔つきで史料を眺めながら何か話していた。二人とも学者の顔をしている。セイランには踏み込めない、知識が必要な舞台。

 机に置いた本に視線を戻し、セイランはその本を閉じる。どうせ見ても分からないから。セイランは足音を殺して、二人の邪魔をしないようにそっとその場を後にする。正直、こんなに本に囲まれているのなんて初めてで、セイランはすでにこの雰囲気に耐えかねていた。少し外の空気を吸ってこようと、セイランは入ってきた場所とは違う出入り口を探す。古い史料の背表紙を眺めながらセイランは本棚の隙間を抜けていく。

 すると、本棚の間を縫った先に螺旋階段を見つけた。階段は二階へと繋がっているようで、真下から覗いて見るがその先に扉のようなものは見えない。セイランは興味本位で階段を上ってみることにした。螺旋階段をトントンと上ると、その先は開けた空間になっており、大きな机と椅子が並んでいる。正面に黒板もあり、ここは会議室であるとセイランは察する。図書館のこんな奥まった場所、それなりに地位や名誉のある学者が議論するための場所なのだろう。

 辺りを見渡してみると、会議室の反対側、図書館の一般図書のエリア側は図書館内を見渡せる大きなバルコニーになっていた。一面ガラス張りだが、魔法による特殊な加工が施されているようで、向こう側からはこちらが見えないようになっている。表から見た時は、このガラスがある部分は確か鮮やかなステンドグラスに見えていた。このバルコニーからは両側に細長い廊下が伸びていて、図書館はすべてそのガラスで覆われているようだ。ここから図書館内の様子を人間の目によって監視できるようになっているらしい。

 セイランはなんとなくその廊下を歩き出す。特に監視する対象なんてものはいないのだが、図書館を俯瞰するなんて経験は初めてで、単純にこの図書館の構造が面白かった。図書館を見下ろし、本を立ち読みしたり、手に取って机に向かう学生を見つつセイランはコツコツと廊下を進む。

 不思議な感覚だ。こちらからは向こうが見えているのに、向こうからはこちらが見えていない。

 ――まるで、おれだけ消えたみたいだ。

 こうしていると、孤独を感じてしまう。自分だけ独りぼっちであるという錯覚。違うと分かっているのに。

「ままー、おうさまのかみしばい、みてきてもいい?」

「あら、紙芝居? いいよ、ママといっしょに行こっか」

 無意識にただ足だけ動かしていたセイランに耳にそんな会話が届き、セイランは俯きがちだった視線を少しあげる。いつの間にか児童書のコーナーにまで来てしまっていたらしい。その一角、ちょうどセイランの斜め下にあたる場所。そこには、靴を脱いで座れる子ども用の小さな広間があった。どうやらそこで何やら読み聞かせがあるようで、子どもが集まり、周囲をその親たちが囲んでいる。

 なんとなく、ほんの気まぐれで、セイランはそこで立ち止まった。正面に設置されている紙芝居スタンドの背後に一人の男性が立つ。

「さぁみんな、今日は我らの国の王、ストリキ・ラピュア様のお話をしよう。みんな、ストリキ様のことは知っているかな?」

 ストリキ……、ラピュア。「知ってるー!」と元気に答える子どもの声を聞きながら、セイランはぽつりと一言、「しらない」と、吐き出す。

「そう、ストリキ様はこの国で一番の魔力を持つ最強の魔法使い様だ。我らの国は、最も強い魔法使いが王となる。今日はみんなに、ストリキ様がどうやって王様になったのかをお話しよう」

 語り手の男性が、紙芝居の舞台をそっと開いていく。描かれているのは、一人の男の絵だった。それは当然、物語の主役である。現国王、ストリキ・ラピュアを描いている。

「……、……?」

 なぜだろう、なぜ、こんなに。胸がざわつくのだろう。

 セイランは、今この時まで王の名前を知らなかった。当然顔を知っているはずはない。それなのに、描かれた男の顔が、胸に引っかかった。

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