ある魔法使いのヒメゴト

月宮くるは

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第三章

第三十一話

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 暗い。真っ暗な森の中。少年は一人ぼっちで歩いていた。

 どこを見ているのかも分からない虚な瞳で、少年は靴も履かずふらふらとおぼつかない足取りのまま当てもなく彷徨っていた。そんな少年の前に、一人の男が姿を見せる。

 男は少年に向かって、二、三言葉をかける。

「一人か?」「どこから来た?」「何をしていた?」

 少年はどの問いかけにも答えない。言葉の意味すら理解できていないようで、ただぼんやりと男を見上げていた。

 ……少年?

 ……違う。

「名前は?」

「……、」

 少年はそれまで全ての質問に答えなかったというのに、たった一つ、その質問にだけ反応を示す。生気のない瞳は、濁った赤紫を宿していた。

「セイラン」

 少年は、短く答える。

 そうだ。あれは、あの日のおれだ。

 そう自覚した瞬間、ふっと目の前が真っ暗になる。

「なぜあのお方はあんな子どもを拾ったのだ」

「なんでも魔法の才がないらしい」

「それどころかこの時代に読み書きもままならないらしいぞ」

「あの子、あの歳でトイレの場所も覚えられないの?」

「どこかおかしいんじゃないか?」

 誰かの声がする。みんな、聞いたことがある声。あの日、父さんに拾われてから付き纏ってきた真っ黒な声。息が苦しい。うるさい。聞きたくない。

「アレが気味の悪い先天術を使ったって?」

「そうよ! 包丁で切った私の指を治したの、あぁ、気持ち悪い……」

「あんなんだから捨てられたんじゃないのか?」

「マスターもあんなモノに捕まるなんて気の毒に」

「自分からひっそりいなくなってくれないものだろうか」

 苦しい。息の仕方が、分からない。冷たい目、蔑む目。おれに向けるために存在するようなもの。その目が暗闇の中に無数に浮かび上がる。

 思わず後退りすると、また視界が暗くなる。目を開くと、そこは先ほどと同じ、ギルドの裏の山の中だった。先ほどと違うのは、太陽の昇った昼であること。そして、木にくくりつけられていること。少しだけ成長している自分の体が震えている。

「さぁ落ちこぼれの無能くん、今日も実験台よろしく」

「ちゃんとどの魔法がどう違うか教えてくれよ? 言えるまで何発でも打ち込むからな」

 痛い。怖い。誰か助けて、なんて。何度叫んだのだろう。癒しの先天術は自分には効かなかった。かといって、全身血まみれになっても誰も手当てしてくれなかった。

「そのまま死んでしまえ」

 泣きながら自分で洗って、包帯を巻いた。ロクに消毒もしなかった傷跡は、増えるばかりで消えなかった。

 逃げ出したかった。逃げ場なんて、なかった。

「お前さぁ、前から思ってたけど顔だけは良いよなぁ」

「チッ、おい暴れんな。次イヤとか言ってみろ、ぶっ殺すぞ」

 気持ち悪い。いやだ、触るな。その言葉は、あの日から出せなくなった。嫌われることが怖かった。暴力が怖かった。どうすれば嫌われなくて済むのか、何度も考えた。

 でも、そんなの意味なかった。

 おれはおれである時点で、みんなに嫌われる。 

「私はまた別の仕事がある。留守は任せた」

 父さんの背中が遠のいていく。こんなおれに、父さんは唯一出て行けと言わなかった。ただ、おれのことを褒めてくれたこともなかった。おれを、「セイラン」と呼んでくれたこともなかった。

 ただ一度だけでいい。父さんに、褒められたかった。役に立ちたかった。

「お前には無理だ」

「マスターの面汚しめ」

「消えてしまえ」

 声が、消えない。苦しい。息が出来ない。

 わかってる。

 父さんのためなんて、体の良い綺麗事。

 本当は、おれが自分の居場所を失いたくなかっただけ。父さんに愛想尽かされて、また捨てられるのが怖かっただけ。全部、おれが意地汚いから。何も出来ない癖に、生きようとしたから。たくさんの人を、不快にした。

 父さんを、汚した。

 ……苦しい。このまま息を止められたら。楽になれるのかな。

「……セ……、ン」

 ふと、幼い子どもの声が聞こえた。知っているはずなのに、思い出せない声。顔も名前も知らない、思い出せない誰か。

 真っ暗だった世界に、光が満ちていく。冷たくて寒い空間が、温もりで満ちていく。誰かの手のひらが髪を撫でていった。優しい指先。こんな風に撫でてくれる人は、他にはいなかった。

「セイラン」

 優しい、暖かい声。あんたが、この名前をつけてくれたのかな。

 それなら、ねぇ。どうして、今あんたはここにいないんだ?

 うるさい声はいつの間にか消えていた。息も苦しくない。意識が消えていく。優しく名前を呼ぶ声は、頭を撫でてくれる手は、何よりも心地よくて安心する。

 いつか思い出せるのかな。この名前をくれた人。この名前の意味。

 おれが、あんたに捨てられた理由。

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