閃光のエクセスチオーネル

藤和

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第四話

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 それから暫く経って、私が過ごす日々は六年前のあの日から、何も変わっていなかった。
天の使いになったあの日、取り乱す私を窘めてくれた神父様。あの方も私と同じように歳を重ね、気がつけば杖を突くようになっていた。
今ではすっかり、神父様の背丈を追い越してしまったけれども、相変わらず神父様の存在は大きな物で、時折迷ってしまう私に、優しく道を示してくださっていた。
そんな神父様にも、天使の使いになりたての頃に出会った少年の事を、話す事が出来ずに居た。
 ある日の事、私が畑の手入れを終えて修道院の中へ入ると、神父様が声を掛けてくださった。
「君も明日、誕生日だね」
「はい。そうです」
「あんなに小さかった君が、もう立派な大人なのだねぇ。
時の流れというのは、不思議な物だよ」
「ふふっ。そうですね」
 にこにこと嬉しそうにして居る神父様につられて、思わず笑みがこぼれる。
神父様が聖堂へ行かれると言うので、そこまで私もご一緒させて貰う。
杖を突きながら、神父様が言う。
「私も、歳を取るわけだよ」
 少し寂しそうなその言葉に、私はゆっくりと、神父様に歩調を合わせながら返す。
「神父様、まだまだ長生きしてくださいね」
「そうかい?
君が大人になったら、もう思い残す事無く神様の所へ行けるかと思ったけれど、そう言われたらまだまだ頑張らないといけないね」
 ふと、左手首に付けているロザリオが引っ張られる感触がした。
手首を上げてみると、メダイが宙に浮き、修道院の外を指している。
天の使いとしての仕事が入ったようだ。
私は神父様に一言それを伝え、その場を去った。

「フェリーチョ エスタス ディヴィーガ ポル チヴィート!」
 この言葉も、もう何度唱えただろう。
初めはメモが無いと唱えられなかったこの言葉にもだいぶ慣れたけれども、きっとこれが、天使の使いとして最後の仕事だろう。
 輝く翼を羽ばたかせ、宙に舞う。
空の上から街を見下ろし、メダイの指し示す方へと急ぐ。
辿り着いたのは、昼間なのにもかかわらず、薄暗い雰囲気の漂うスラム。
 このスラムに来るのは、久しぶりでは無い。
ここでは人攫いが今でもよく出るし、何より、私よりもずっと年下の子供達までもが、犯罪に手を染めていた。
今日食べるパンも無いと言ってパンを盗んだ子供すらも、クロスボウで撃った事がある。
辛いと、苦しいと泣いていたけれども、これ以上悪事に手に染める前に、悪心を消し去る事が彼らの為であると思うし、それが正義だと思う。
そうは思っても、天の使いとして最後の仕事で、子供を射るのは、流石に良い心地はしない。
せめて標的が悪辣な大人であったら、まだ楽なのだろう。

 メダイが指し示した先に居たのは、人攫いだった。
年端もいかない少女を捉えようとしていたそいつらに、もはや手に馴染んでしまったクロスボウで、迷い無く、的確に光の矢を撃ち込む。
 倒れ込んだ人攫い達を揺すり起こし、自首しに行くよう促す。
それから、怯えている少女を宥め、家の近くまで送っていった。

 修道院に戻ってくると、もう夕暮れ時だった。
その日の勤めを果たし、食事をし、それから夜の祈りの時間。
私は相変わらず、神様へ祈りを上げた後、かつて弟達を守る為に人攫いと向かい合っていた、真新しい墓石の前で涙を流していた彼が、善き日を送れるように祈っていた。
 彼以外にも、人攫いから助けた子供達は、何人も居た。
けれども、彼の事だけが心に残っていた。
弟二人の顔は忘れてしまったのに、一年前に墓地で出会った時、彼がふと見せた笑顔ばかりが思い起こされた。
 そう言えば、あの時彼は泣いていたっけ。
記憶の中の彼が、微笑んだまま右目から涙を零す。
彼は何処に住んでいるのだろうか。
仕立ての仕事をしていると言っていたけれど、無理はしていないだろうか。
弟達とは仲良く出来ているのだろうか。
彼の事を思い出すと、やはり胸が苦しくなる。
あの時握った手の感触は、もう思い出せない。
思い出せない手の温もりを、もう一度感じたくて、その日私は泣きながら眠りについた。

 そして翌日の朝。礼拝の後、私は六年前のあの日と同じように、如雨露を持って畑へと向かった。
苗に水を差し、痛んだ葉を摘みながら、俯いて進む。
そうしている内に、目の前に鏡の様に光を照り返している葉を付けた大木が姿を現した。
その前には、前に会った時と何も変わらない姿の、鏡の樹の番人が立っている。
「お久しぶり。
今日は、天の使いの力を返しに来たのよね?」
「はい、そうです」
 そう言えば、彼女に訊ねたい事があったのだった。
私が訊ねたい事があると言うと、彼女は、わかる範囲でなら。と、話を聞いてくれる事になった。
手の届かない距離に居る彼女に聞こえるように、私ははっきりとした声で、言葉を伝える。
六年前に会ったある人の事が忘れられず、ずっと心に引っかかっている。
その人に側に居て欲しい。もう一度触れたい。声を聞きたい。その思いが離れない。この気持ちに名前は有るのか。
その事を彼女に訊ねた。
すると、彼女は微笑んで、口元に手を当ててこう答えた。
「そう。
それはきっとあなた、その方に恋をしたのよ」
 恋。その言葉を聞いて、背筋に痺れが走る。
「きっと素敵なお嬢さんなのでしょうけれど、あなたは修道士ですし、その気持ちは仕舞っておいた方が良いわ」
 違う。あの人は女性じゃ無い。私と同じ男だ。
彼女の、鏡の樹の番人が言っている事は、きっと間違いだ。口の中に広がる苦みを感じながら、何度も自分にそう言い聞かせる。
けれども、否定出来なかった。
てのひらにじっとりと汗が滲み、視界が揺れる。
それでも、記憶の中の彼は色褪せなくて。
 こんな事は許されない。神の禁忌を冒す事など許されない。今まで多くの人の罪を裁いてきた私が罪人だっただなんて、そんな事は許されない。
 気がつけば私は、悲鳴を上げるように、天の使いの力を使う為の、祈りの言葉をあげていた。
「あなた、何をする気なの!」
 眩い光と共に手の上に現れたクロスボウと、光の矢。
牽制するように鏡の樹の番人の足下に矢を数本打ち込んだ後、自分の頭にクロスボウを向け、引き金を引いた。

 それからだいぶ経った。
光の矢で頭を撃ち抜いても、私は死ぬ事は無かったし、生活に支障が出る事も無かった。
けれども、一つだけ変わった事が有る。
あの少年の事を思い出しても、胸が締め付けられる事が無くなったのだ。
 ああ、今日は魔女裁判があるのだった。
他の教会の神父がやって来て異議申し立てをしてはいたけれど、それは聞き入れるべきものでは無い。
罪とは、何が理由であれ、証明が出来なくとも、断じて悪である。
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