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2004年
7:遠路遙々
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街の日差しはすっかり夏といった強さになった頃。開店時間から数時間、暑い中でも何人かのお客さんがとわ骨董店を訪れ、立ち去っていった。
そのお客さん達に振る舞ったり、自分で飲んだりするために用意した冷たいお茶。ふたつ用意された瓶の片方は、中身が随分と減ってしまっていた。
お茶の入った瓶はふたつとも、銀色のブリキの器に入れられている。氷がぎっしりと詰まった器に瓶を挿すというのは、隣のシムヌテイ骨董店の店主である真利から聞いたやり方だ。
林檎が愛用しているお茶用の瓶は、鱒の形をしていて氷に刺すのが大変なのだけれども、昔読んだ本に出て来たのを見て以来、ずっと抱えている憧れを捨てきれず、少々不便なのを我慢しながら使っている。
今日用意してあるお茶は、真っ青な花のお茶と、華やかな香りを放つ黄金色のお茶だ。青いお茶の方が物珍しく興味を引くのか、減ってしまっているのは意外にもこちらの方だった。
残りを全部飲んでしまおうと、林檎が青いお茶の入った瓶を手に取り、コルク栓を抜く。それから、レジカウンターの上に置かれている、紫のガラスに切り込みを入れ透明な模様で飾った、江戸切り子のグラスに注ぎ込む。
林檎の手にすっぽり収まってしまう大きさのグラスに注いだだけでは、瓶の中身は無くならなかった。
もう少し自分で楽しんでも良いかなと、青いお茶の入った瓶を氷の中に戻すと、店のドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
青いお茶が注がれた江戸切り子を手に持ったままそう声を掛ける。入ってきたのは、白いけれども暖かみのある、ふわふわの髪をショートに纏めたふくよかな女性と、その隣に立つ栗色の髪をきっちりと短く整えている、真面目そうで背の高い男性だった。
そのふたりを見て、林檎は驚いたような声を出す。
「あら友利さん久しぶり」
「林檎さんお久しぶり~。元気してました?」
林檎の声ににこやかに返したのは、女性の方だ。
「おかげさまで元気元気。
友利さんが今日来るって、真利さんから聞いてなかったから驚いちゃった」
「今回はちょっと事前に連絡する勇気が無かった」
友利は、隣のシムヌテイ骨董店の店主、真利の妹だ。昔から真利に良く懐いているらしく、今までは真利の店に来る日程が決まると、大喜びでその都度真利に連絡していたのだ。
けれども、その友利が今回は連絡する勇気が無かったというのはどう言うことだろう。不思議に思った林檎が、友利に訊ねる。
「連絡する勇気が無かったって、喧嘩でもした?」
「さすがに家族に恋人を紹介するとなると私でも怯む」
「恋人?
あら。あらあらまあ、そうなのね!」
林檎と友利のそのやりとりを聞いていた男性が、照れたような顔をしてからぺこりと頭を下げる。
友人が恋人を紹介しに来たとなっては、立ち話で済ませるのも悪いだろう。そう思った林檎は、いそいそとバックヤードから丸い座面のスツールをふたつ用意し、レジカウンターの側に並べる。
「良かったらふたりともお掛け下さい。
お茶も冷たいのがあるので、是非召し上がっていって」
「わーい、ありがとうございます」
林檎の言葉に、友利はそそくさと倚子の上に座る。一緒にいる男性も、お礼を一言いってから腰掛けた。
「友利さんって、なんというか、こういう時に本当に遠慮無いですよね……」
「折角用意してくれてるのに下手に遠慮しちゃう方が失礼にならない?」
「確かに、そうですが」
椅子に座って言葉を交わす男性と友利に、林檎がお茶の入った瓶を両方とも氷から引き抜いて、見せて訊ねる。
「ところで、おふたりともお茶はどちらが良いですか?」
それを聞いて、友利はこう答える。
「金木犀の匂いがする。金木犀のが良いな」
男性はこう答える。
「青いのはマロウブルーですか。青い方をいただきます」
ふたりの注文を聞いて、林檎はレジカウンターの奥に有る棚から、うっすらと青と黄色の光を湛えたグラスをふたつ出す。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
まずは黄金色のお茶を注いでそれを友利に渡し、次に青いお茶を注いだ物を男性に渡す。それから、江戸切り子のグラスを手に取って、いつも通り籐で編まれた自分の椅子に腰掛けた。
落ち着いた所で、林檎が友利に訊ねる。
「そう言えば、真利さんにはこの方を紹介したの?」
その問いに、友利はにっこりと笑って答える。
「さっきお兄ちゃんのところに行ってきたんだ。お兄ちゃんも愛君のこと気に入ってくれたみたい」
「あ、その方、愛さんとおっしゃるのね」
そのやりとりを聞いて、愛と呼ばれた男性が慌てて口を開く。
「あ、申し遅れましてすいません。
あの、林檎さん? でよろしいのでしょうか? よく友利さんがお世話になっているようで」
「あらあら、こちらこそ、友利さんにはお世話になっているのよ」
なんとか和やかに会話を始めるきっかけも掴め、三人でおしゃべりを楽しむ。
ふと、思い出したように愛が紙袋を林檎に差し出した。
「そういえば、友利さんから聞いて、林檎さんにもお土産と言いますか、差し入れを用意してきましたので、よろしければ召し上がって下さい」
「あら、お気遣いなく。でも、ありがとうございます」
「愛君が緑豆パイ買ってきたからみんなで食べましょうよ」
緑豆パイと聞いて、林檎が真っ先に思い浮かべたのは台湾だ。旅行のお土産かとふたりに訊ねると、愛は現在台湾に留学していて、今回は友利の家族に挨拶するために一時帰国していると言った。
「それじゃあ、ありがたくみんなでいただきましょうか」
そう言って林檎がバックヤードに入り緑豆パイを用意していると、店内から話し声が聞こえた。
「友利さん、お兄さんのところでパイナップルケーキを食べたばかりでしょう」
「でも緑豆パイは食べてない」
「そうですけどね?」
それを聞いてしまった林檎はくすりと笑い、緑豆パイの箱を見る。そこには台湾語で六個入りと書かれていた。
「あとで真利さんとお菓子の交換しなきゃだわね」
そう呟いて、緑豆パイを乗せた九谷焼のお皿を店内に運んだのだった。
そのお客さん達に振る舞ったり、自分で飲んだりするために用意した冷たいお茶。ふたつ用意された瓶の片方は、中身が随分と減ってしまっていた。
お茶の入った瓶はふたつとも、銀色のブリキの器に入れられている。氷がぎっしりと詰まった器に瓶を挿すというのは、隣のシムヌテイ骨董店の店主である真利から聞いたやり方だ。
林檎が愛用しているお茶用の瓶は、鱒の形をしていて氷に刺すのが大変なのだけれども、昔読んだ本に出て来たのを見て以来、ずっと抱えている憧れを捨てきれず、少々不便なのを我慢しながら使っている。
今日用意してあるお茶は、真っ青な花のお茶と、華やかな香りを放つ黄金色のお茶だ。青いお茶の方が物珍しく興味を引くのか、減ってしまっているのは意外にもこちらの方だった。
残りを全部飲んでしまおうと、林檎が青いお茶の入った瓶を手に取り、コルク栓を抜く。それから、レジカウンターの上に置かれている、紫のガラスに切り込みを入れ透明な模様で飾った、江戸切り子のグラスに注ぎ込む。
林檎の手にすっぽり収まってしまう大きさのグラスに注いだだけでは、瓶の中身は無くならなかった。
もう少し自分で楽しんでも良いかなと、青いお茶の入った瓶を氷の中に戻すと、店のドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
青いお茶が注がれた江戸切り子を手に持ったままそう声を掛ける。入ってきたのは、白いけれども暖かみのある、ふわふわの髪をショートに纏めたふくよかな女性と、その隣に立つ栗色の髪をきっちりと短く整えている、真面目そうで背の高い男性だった。
そのふたりを見て、林檎は驚いたような声を出す。
「あら友利さん久しぶり」
「林檎さんお久しぶり~。元気してました?」
林檎の声ににこやかに返したのは、女性の方だ。
「おかげさまで元気元気。
友利さんが今日来るって、真利さんから聞いてなかったから驚いちゃった」
「今回はちょっと事前に連絡する勇気が無かった」
友利は、隣のシムヌテイ骨董店の店主、真利の妹だ。昔から真利に良く懐いているらしく、今までは真利の店に来る日程が決まると、大喜びでその都度真利に連絡していたのだ。
けれども、その友利が今回は連絡する勇気が無かったというのはどう言うことだろう。不思議に思った林檎が、友利に訊ねる。
「連絡する勇気が無かったって、喧嘩でもした?」
「さすがに家族に恋人を紹介するとなると私でも怯む」
「恋人?
あら。あらあらまあ、そうなのね!」
林檎と友利のそのやりとりを聞いていた男性が、照れたような顔をしてからぺこりと頭を下げる。
友人が恋人を紹介しに来たとなっては、立ち話で済ませるのも悪いだろう。そう思った林檎は、いそいそとバックヤードから丸い座面のスツールをふたつ用意し、レジカウンターの側に並べる。
「良かったらふたりともお掛け下さい。
お茶も冷たいのがあるので、是非召し上がっていって」
「わーい、ありがとうございます」
林檎の言葉に、友利はそそくさと倚子の上に座る。一緒にいる男性も、お礼を一言いってから腰掛けた。
「友利さんって、なんというか、こういう時に本当に遠慮無いですよね……」
「折角用意してくれてるのに下手に遠慮しちゃう方が失礼にならない?」
「確かに、そうですが」
椅子に座って言葉を交わす男性と友利に、林檎がお茶の入った瓶を両方とも氷から引き抜いて、見せて訊ねる。
「ところで、おふたりともお茶はどちらが良いですか?」
それを聞いて、友利はこう答える。
「金木犀の匂いがする。金木犀のが良いな」
男性はこう答える。
「青いのはマロウブルーですか。青い方をいただきます」
ふたりの注文を聞いて、林檎はレジカウンターの奥に有る棚から、うっすらと青と黄色の光を湛えたグラスをふたつ出す。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
まずは黄金色のお茶を注いでそれを友利に渡し、次に青いお茶を注いだ物を男性に渡す。それから、江戸切り子のグラスを手に取って、いつも通り籐で編まれた自分の椅子に腰掛けた。
落ち着いた所で、林檎が友利に訊ねる。
「そう言えば、真利さんにはこの方を紹介したの?」
その問いに、友利はにっこりと笑って答える。
「さっきお兄ちゃんのところに行ってきたんだ。お兄ちゃんも愛君のこと気に入ってくれたみたい」
「あ、その方、愛さんとおっしゃるのね」
そのやりとりを聞いて、愛と呼ばれた男性が慌てて口を開く。
「あ、申し遅れましてすいません。
あの、林檎さん? でよろしいのでしょうか? よく友利さんがお世話になっているようで」
「あらあら、こちらこそ、友利さんにはお世話になっているのよ」
なんとか和やかに会話を始めるきっかけも掴め、三人でおしゃべりを楽しむ。
ふと、思い出したように愛が紙袋を林檎に差し出した。
「そういえば、友利さんから聞いて、林檎さんにもお土産と言いますか、差し入れを用意してきましたので、よろしければ召し上がって下さい」
「あら、お気遣いなく。でも、ありがとうございます」
「愛君が緑豆パイ買ってきたからみんなで食べましょうよ」
緑豆パイと聞いて、林檎が真っ先に思い浮かべたのは台湾だ。旅行のお土産かとふたりに訊ねると、愛は現在台湾に留学していて、今回は友利の家族に挨拶するために一時帰国していると言った。
「それじゃあ、ありがたくみんなでいただきましょうか」
そう言って林檎がバックヤードに入り緑豆パイを用意していると、店内から話し声が聞こえた。
「友利さん、お兄さんのところでパイナップルケーキを食べたばかりでしょう」
「でも緑豆パイは食べてない」
「そうですけどね?」
それを聞いてしまった林檎はくすりと笑い、緑豆パイの箱を見る。そこには台湾語で六個入りと書かれていた。
「あとで真利さんとお菓子の交換しなきゃだわね」
そう呟いて、緑豆パイを乗せた九谷焼のお皿を店内に運んだのだった。
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