港の街より愛を込めて

藤和

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第二十四章 その指は奏でる

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 日中の日差しも和らいできたある日のこと。この日はソンメルソがデュークとメチコバールを呼んでいるので、マリユスとユリウスはその対応をしていた。ソンメルソとメチコバールはお互い当たりの強い物言いをしあっているし、デュークもそれで縮こまってしまい何も言えないでいるけれども、マリユスはそれを微笑ましく見守っていた。一見仲が悪そうに見える上、本人達も仲が悪いと言っているふたりだけれども、なんだかんだで信頼がお互いの間にあるのを知っているからだ。
 けれども、このまま険悪な雰囲気のままでいさせるわけにもいかないだろう。マリユスが紅茶のおかわりをソンメルソのティーカップに注ぎながら声を掛ける。

「ところで、本日おふたかたをお招きした理由はお伝えになりましたか?」

 すると、ソンメルソは照れた素振りを見せて答える。

「声を掛けたときに理由は話してある」

 それを聞いて、デュークがここぞとばかりに口を開いた。

「あの、オペラ歌手のカーミットを呼んでくれてるんだよね?」
「ああ、前に呼んだとき、メチコバールにも聴かせたいとお前が言っていたから」

 デュークとソンメルソのやりとりを聞いて、メチコバールも視線を外してこう言う。

「ま、まぁ、それで招いてくれたのなら、余り言い合っているのも良くはないな」

 よく見ると、メチコバールも心なしか恥ずかしそうな顔をしている。多分、大人げなく喧嘩腰になっていたのは良くなかったと思っているのだろう。
 全員分のお茶のおかわりを注ぎ、場の雰囲気が和んだところで、マリユスは懐から出した懐中時計を見る。それから、三人にこう言って一礼をする。

「そろそろカーミットさんがいらっしゃる時間ですので、出迎えて参ります」
「ああ、よろしく頼む」

 にこりと笑ってソンメルソがそう返すと、マリユスは空になったティーポットをユリウスに渡し、そっと部屋を出た。

 館の玄関前で待つこと少々、相変わらず華やかさは無い物の手入れの行き届いた身なりをしたカーミットがやって来た。向こうが礼をするので、マリユスも一礼を返す。

「いらっしゃいませカーミットさん。お忙しい中ありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「それでは、ソンメルソ様達がお待ちですので、早速中へ」
「ああ、これはこれはお待たせしてしまい申し訳ありません」

 マリユスが館の扉を開けると、カーミットは急かされているような足取りで中に入る。待たせてしまっていると言うのもあるのだろうが、ここでの仕事が終わったら今晩もまたオペラの公演がある。その時間に間に合わなくなるといけないという気持ちもあるのだろう。マリユスも若干早足でカーミットを三人が待っている応接間まで案内する。応接間に着き、早速扉を開いた。

「カーミットさんをお連れしました。
では、どうぞ中へ」

 促されるままに中に入ったカーミットは、深々と礼をして挨拶をする。

「初めての方もいらっしゃいますね。カーミットと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」

 彼が名乗った後、少しだけソンメルソと言葉を交わし、早速歌の演奏に入った。
 前に聞いたときと同じように、華やかな高音としっとりとした低音を使いこなし、カーミットは歌う。数曲歌っているその間はソンメルソもメチコバールも和やかな様子で、それに気づいているのかいないのか、デュークもくつろいでいるように見えた。
 歌が終わり、これからカーミットの分のお茶も用意するかとマリユスがユリウスに声を掛けようとすると、ふと、メチコバールがこう言った。

「ところで、カーミットは下積みの時期が長かったと聞いたが、楽器の演奏は出来るのか?」

 その問いにマリユスはつい驚いた。歌手は歌の訓練だけをして、楽器には触れていない物だと思っているのだ。しかし、カーミットの答えはこうだった。

「そうですね、本日は持って来ていませんがバイオリンを少々と、あとフォルテピアノはかなり練習しました」
「そうなのか。楽器の練習もとなると、歌手になるのも大変なのだな」

 メチコバールはそう納得した様子だが、ふとソンメルソがこう言った。

「それじゃあ、そこにあるフォルテピアノで何か弾いて貰う事は出来るか?」

 それは嫌味でも冷やかしでもなく、期待に満ちた調子だったので、純粋にどういう物を弾くのか聴いてみたいのだろう。カーミットも、自信に満ちた表情でこう返す。

「もちろんですとも。フォルテピアノをお借りして良いのでしたら」
「当然使ってくれて構わない。一曲頼む」
「かしこまりました」

 無茶振りをしてしまったのではないかと心配するマリユスを余所に、カーミットはフォルテピアノの前の椅子に座り、蓋を開ける。それから、楽譜の用意も無しに鍵盤を叩き始めた。
 静かな和音からはじまり、その曲は徐々に速度を上げていく。星が瞬くような眩しい高音に、それを支える大木のような低音。それらは堂々としていながら激しさを持った響きだった。
 演奏はあっという間に終わり、倚子から立ち上がったカーミットが三人に一礼する。デュークとメチコバールは呆然としたままで、ソンメルソもそんな様子だったけれども、手は拍手を刻んでいた。

「すごいな。なんというか、こんな調子の曲は初めて聴いた」

 そう、今までに聞いたどんな曲とも似付かないあの旋律に、ついマリユスも呆然としてしまった。しかし、すぐさまに我に返り、ユリウスにカーミットの分のお茶を用意させる。勧められた椅子に座ったカーミットの前に、マリユスはすぐに紅茶を持って行き、ユリウスの側に下がった。すぐにカーミットとソンメルソ達の四人で雑談が始まったが、カーミットが言うにはこう言う事だった。

「私はああいった曲を作ることが多いのですが、どうにも音楽の専門家には受け入れてもらえないのです。
作曲のセオリーから外れているという事で」

 音楽を作るのにも決まり事があるのかと、マリユスはその話を聞いている。専門的な話は省かれていたけれど、専門家から嫌味を言われながらも、カーミットは歌だけでなくフォルテピアノも続けているのだという。

「自分から志望して音楽院に入ったのだから、もし歌うことが出来なくなっても、音楽で身を立てたいのです」

 歌えなくなったら、フォルテピアノが弾けなくなったら、様々な仮定を出して、カーミットはいかに音楽に携わり続けるかの考えを話していた。
 そこまで音楽に取り憑かれてしまった彼は幸いなのか不幸なのか。マリユスは少しだけ気になった。
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