輝かしい日々よ、ありがとう

藤和

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第三章 聖堂に入る資格

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 夜の公演が終わり、大きな舞台装置がある暗い舞台裏で、翌日の公演に響かないようにと装置をチェックしているシルヴィオ。その姿をドラゴミールは感心したような顔で眺めていた。
「偉いなー。明日も準備する時間たっぷり有るのにちゃんと今晩のうちにチェックするんだ」
 こう言った舞台装置の管理をしているところを見るのが初めてな訳ではないのだが、ランタンで照らしながら細かくチェックしているシルヴィオの姿は些か神経質にも感じられた。
 シルヴィオが大きな歯車をぐるりと回して見た後、ドラゴミールに訊ねた。
「お前はこれが何をする装置かわかるか?」
「え? なんかでっかい歯車だけどそれなに?」
 ドラゴミールは舞台装置の表側を見ることは多いが、こうやって裏に回ってしまうとどれが何を動かす物なのかさっぱり見当が付かない。
 頭の中に公演の時に出て来た舞台装置を思い浮かべているであろうドラゴミールに、シルヴィオはこう言った。
「これは役者を宙吊りにして浮かせる装置だ」
「宙吊り」
「これが故障するとどうなる?」
 人間を宙吊りにする装置が故障したら。それを想像してドラゴミールは顔を青くする。
「……宙吊りになったまま降りられない?」
「それだけならまだ良い」
「まだなんかあんの?」
「最悪高所から落ちる」
「ヒェッ……」
 こんな話を聞いてしまっては神経質だ等とは言えない。少しのやりとりの後、すぐに装置の確認作業に戻ったシルヴィオの背中が、妙に頼もしく感じられた。

 舞台装置のチェックも終わり、二人は宿舎へと向かう。その道すがらで、翌日の予定の話をした。
「そう言えば、明日は司教様の依頼で教会に行くことになっていたよな?」
「うん。
そう言えば俺、この街の教会って行ったことないんだけど、なんで依頼来たんだろ」
「まぁ、少なくとも名前は知れ渡ってるからな」
 何故自分に依頼が来たのか、ドラゴミールはいまいちピンときていないようだけれども、仕事である事には変わりがない。失礼が無いようにと、公演の時間には間に合うように戻るように。そうシルヴィオに念を押されたのだった。

 翌朝、ドラゴミールは身なりを整え、緊張した面持ちで教会へと向かった。その教会は修道院が併設されている所で、この街に住む住人の中でも特に富める者、富豪や貴族が通う教会だった。
 職業柄、貴族と接するのはある程度慣れているけれども、相手が聖職者となると話は別だ。自分が所属している音楽院のある街の教会には、それなりに行くことが有る。けれども、興行のために離れていることが多いので、ついつい教会という場所からは離れがちになってしまうのだ。
「やべぇ……いつもの教会の神父様ともまともに話したこと無いのに、偉い司教様と話すとかプレッシャーやばい……」
 教会の門の前で顔を青くするが、ここで怖じ気づいていては中で待っている司教様に失礼だし、このまま時間が押して公演に間に合わなくなるのも困る。胸の下の部分がキリキリ痛むのを感じながら、敷地の中へと入っていった。

 門をくぐってすぐの所に居た修道士に、今回歌の依頼をしてきた司教様の所へと案内して貰ったドラゴミール。飾り気は無いけれども質の良い服を着た司教様は、噂はかねがね聞いていると言って歓迎してくれた。歌は聖堂で歌って神様に奉納して欲しいと言うことだったので、司教様と、数人の修道士に連れられて聖堂へと向かう。
 その途中で、赤い髪を前髪は眉の上で、後から脇の髪は頬のラインで切りそろえている、一人の眼鏡を掛けた修道士に声を掛けられた。
「随分と緊張なさっていますが、大丈夫ですか?」
 硝子の奥でおっとりと微笑む修道士に、ドラゴミールは上手く笑顔を作れない。
「えっと、あの、実は、聖職者の方と接するのに慣れていなくて、あの」
 声まで強張ってしまっているのを聞いた修道士は、くすりと笑ってこう言った。
「そんなに緊張なさらずとも。
私達聖職者だって、あなたと同じ人間なのですから」
 そう言われても緊張する物は緊張する。けれども、優しい言葉をかけて貰えるのは嬉しかった。
「あの、ありがとうございます」
「ふふっ、いいのですよ」
 穏やかに微笑んでいる修道士と隣り合って少し歩いて、ふと訊ねたくなった。
「あの、お名前を伺っても良いですか?」
「私のですか?」
 少し驚いたような顔を修道士がする物だから、ドラゴミールはつい、訊いてはいけなかったのかと思ってしまう。
 やらかしてしまった。そう自分の言葉を後悔していると、修道士は優しく答えてくれた。
「私の名前はマルコと申します。以後お見知りおきを」
「マルコさん、ですか。こちらこそよろしくお願いします」
 そんなに何度も会うほど教会の仕事を受けていたら身が持たない気はしたが、好意的に接してくれる人がいると言う事に安心した。

 聖堂に着き、司教様と修道士達が長椅子に座る。ドラゴミールはその前に立ち、歌を披露するのだ。
 聖堂の、しかも祭壇の前で歌を歌うなどと言うのは歌手としてデビューする前以来な上、一人で歌うのは初めてだ。舞台の上とは違いオーケストラも無く、アカペラで歌い上げないといけない。
 自分が今まで受けてきた訓練と、積み上げてきた練習。それを思い返して、ドラゴミールは旋律を紡いだ。
 高い天井、複雑に入り組んだ柱、その隅々にまで音が行き渡り、反響し、少年のような歌声は荘厳な空気を纏う。聴いている者達は、息をつくことすら出来なかった。ただただ呆然と、聖堂の中に響く聖歌を身に受ける事しか出来なかった。
 数曲歌い上げ礼をすると、拍手がわき上がった。どうやら無事に仕事は終わりか。ドラゴミールがそう思った矢先、ひとりの修道士が厳しい声で言った。
「司教様、何故この男を呼んだのですか」
 マルコの隣にいたその修道士は、怒りからか不快感からか、若草色の髪を心なしか逆立て、倚子から立ち上がりドラゴミールを睨み付ける。
「拵え物が聖堂に入るなど許されることではありません。
今すぐに出て行きなさい!」
「えっ? 拵え物って、え?」
 その修道士が何を言っているのか、ドラゴミールにはわからなかった。自分の何が禁忌に触れたのか、心当たりが無いのだ。
「エルカナさん、落ち着いてください!」
 ドラゴミールに詰め寄る修道士を、マルコが引き離し距離を置いてくれた。何も言い返せず、嫌な汗が流れる。強く波打つ鼓動も、不快だった。
「神の教えを守るのが修道士の勤めでしょう!」
「確かにそうです。そうですけれど、彼が拵え物と決まったわけではありません」
「違うというのなら、何故あの様な声が出るのですか。
年端もいかない子供というわけでもないのに、あんなに高い声が出せるわけがないでしょう」
 エルカナと呼ばれた修道士が言う様に、ドラゴミールは自分の声が高いという自覚はある。けれども、それは今までに積み重ねた訓練と練習の成果だと、そう思っていた。
 何かを言いたいのに、何を言えば良いのかわからない。声を出すとこもままならなくて、気がついたら組んでいた指先が震えている。
「そこまで言うのでしたら、お医者様に診ていただくのもひとつの手です。
人の体のことは、私達修道士よりも、お医者様の方が詳しいでしょう」
 庇うようにそう言うマルコに、エルカナは渋々と言った様子でなんとか引き下がった。
 それから、ドラゴミールは震える声でなんとか司教様に挨拶をし、マルコに支えられながら聖堂を後にした。

 聖堂から教会の外に出るまでの間に、医者にどんなところを診て貰えば良いのかを訊ねた。すると、マルコは言いづらそうに答えた。
「……あなたが、去勢されていないかどうかです」
 そこでようやく、ドラゴミールも思い当たる節が出て来た。
 噂にしか聞いていないけれども、他の国には『カストラート』と呼ばれる去勢歌手がいる事を思い出したのだ。
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