輝かしい日々よ、ありがとう

藤和

文字の大きさ
上 下
2 / 7

第二章 お屋敷にお呼ばれ

しおりを挟む
 オペラの公演期間が始まり、昼間は練習、夜は公演と忙しい日々。そんなある日の昼間、ドラゴミールは一緒に舞台に立っている、サックスの癖毛も相まって非常に見目麗しいバリトン歌手に声を掛けられた。彼はドラゴミールよりも頭一つ分大きい長身で、良く通る、地を振るわせるような低音の持ち主で、ドラゴミールの憧れだった。彼の名はウィスタリアという。
「ドラゴミール、少しいい?」
「ん? なに? 午後の練習のこと?」
 一緒に練習をして歌えるのが嬉しくてたまらないといった様子のドラゴミールに、ウィスタリアは一通の手紙を持ってこう言った。
「実は、今日の公演の前にアヴェントゥリーナ様のお屋敷にお呼ばれしてるんだけど、もし良いって言うようだったらドラゴミールも一緒にどうぞってあってさ」
 アヴェントゥリーナというのは、この街に住む中流貴族で、オペラだけでなく読書や刺繍、編み物、様々なうつくしいものに興味を持ち嗜んでいる婦人だ。その婦人の息子が、いたくウィスタリアの歌を気に入っていて、ウィスタリアはこうやってたまに屋敷に呼ばれている。
 ドラゴミールはと言うと、実はウィスタリアのことを抜きにしても、アヴェントゥリーナとその息子と仲が良い。アヴェントゥリーナの息子はジュエリー職人だ。何度か舞台で使うアクセサリー小物の制作を依頼していて、例によって興味を持ったドラゴミールが色々と話を聞く物だから、向こうからも興味を持たれて親しくなったのだ。
「どうする? 一緒に行く?」
 嬉しそうにそう訊ねてくるウィスタリアに、ドラゴミールは元気よく答える。
「行く行くー! でも、手ぶらで行くのもなんだよな。毎回毎回なんかご馳走になっちゃってるし」
「そうだなぁ、でも、何か手土産を持って行くにも、貴族の方の口に合うような物って、そうそう無いしなぁ」
 二人とも少し悩んで、ちょっとだけ難しい顔をして、それから、ドラゴミールが思い立ったようにこう言った。
「そう言えばお前、結構チーズに関する舌は肥えてんじゃん」
「まぁ、チーズは好きだしね」
「お前が選べば美味しいチーズ見付けられるだろうし、チーズでも持ってく?」
「そうだな、それが良いかも。
デューク様もチーズが好きなようだし」
 デュークというのが、アヴェントゥリーナの息子だ。控えめな態度と風貌だけを見ると小食そうに見える人物なのだが、実は結構食い意地が張っている。そして、少し癖のある食べ物を好むので、手土産にチーズを持っていくというのは良い案だろう。
 午後は練習を休むと言う事は既に他のメンバーに伝えてあったようで、ドラゴミールとウィスタリアは、まずはチーズを買いに街へと出かけた。

 美味しいと街で評判のチーズ屋で買ったのは、ふわっとした白カビが生えそろった柔らかいチーズ。それを包んで貰い、二人はアヴェントゥリーナの屋敷を訪れた。
 使用人に案内されティールームに行くとふたりの人物が歓迎してくれた。煌めく赤茶の髪を持った華奢な女性がこの屋敷の女主人、アヴェントゥリーナで、焦げ茶色の髪を短く纏め透き通るような白い肌をした男性が、アヴェントゥリーナの息子、デュークだ。
「あらあら二人とも久しぶりね。
ウィスタリア君もドラゴミール君も元気だった?」
 にこにこと話しかけてくるアヴェントゥリーナに、ウィスタリアとドラゴミールは一礼して返す。
「はい、おかげさまで元気です」
「おかげさまで病気はしていませんよ。」
 それから、ウィスタリアが手に持っていた包みをアヴェントゥリーナに差し出す。
「それで、いつもお誘い戴くだけでは恐縮なので、今日は手土産をお持ちしました」
 アヴェントゥリーナは包みを受け取り、訊ねる。
「あら、そんなに気を遣わなくて良いのに。
これはなんなのかしら?」
「白カビのチーズです。お口に合えば良いのですが」
 チーズと聞いてにこりと笑ったアヴェントゥリーナは部屋の外に控えていた侍女を呼び包みを渡す。それから、切って持ってくるようにと指示を出した。侍女が部屋から出たのを確認し、ウィスタリアとドラゴミールの二人を椅子に座らせ、息子の方を向いて言った。
「良かったわねデューク。あなた白カビのチーズ好きだものね」
 早くチーズを食べたいと言った顔をしていたデュークが、掛けられた声にはっとして表情を取り繕う。
「そうですね、ありがたいです。
ウィスタリアもドラゴミールもありがとう」
 素直にお礼を言うデュークに、ウィスタリアは答える。
「いえ、手土産にチーズを買っていかないかと言い出したのは、ドラゴミールなので」
 するとドラゴミールも言う。
「でも、チーズを選んだのはウィスタリアなんですよ。チーズだったら俺よりもウィスタリアの方が舌が肥えてるから」
 お互いにそう言いあう二人を見て、デュークはくすりと笑う。
「そうなんですね。
それにしても、相変わらず二人とも、仲が良いですね」
 仲が良いと言われてウィスタリアは微笑むが、ドラゴミールはなんとなく恥ずかしいようなこそばゆいようなそんな心地になってしまい、曖昧な笑顔を浮かべながらつい顔が熱くなってしまうのだった。

 手土産で持って来たチーズを切ってもらい、紅茶を振る舞われたので、楽しく話しながら紅茶をいただく。今回出された紅茶は、燻した香りのする癖のあるものだった。
 おしゃべりと紅茶を楽しんだ後、ドラゴミールとウィスタリアは、館の主二人に歌をせがまれたので、何曲か歌う事になった。
 いま劇場で公演しているオペラの曲だけでなく、過去に舞台で歌った曲を少し。抜けるような高音と、染み渡るような低音がティールームいっぱいに広がった。

 歌を披露し終わった後、アヴェントゥリーナの屋敷から直接劇場へと向かう。楽しい時間でついうっかりしてしまっていたけれど、時間が押している。
 開演時間がもうすぐという頃に楽屋裏に着いたドラゴミール達は、入り口で待ち受けていたシルヴィオに難しい顔で迎えられた。
「急げ。ドラゴミールは出番までまだ時間があるが、ウィスタリアは余り間が無い。準備を手伝おう」
 怒られずに済んだと安心したドラゴミールだが、準備のための部屋にウィスタリアを押し込んだシルヴィオがこう言った。
「後で説教するから覚えておけ」
「ヒェッ……」
 やっぱり怒っていた。
 後で説教を喰らうのは怖いけれども、ここでまごまごしていて出番に間に合わないと殊更に怒られてしまう。後で叱られるのはそれはそれで置いておいて、まずは準備に集中しようと、ドラゴミールも部屋に入って衣装を手に取った。

 公演も終わった真夜中、ドラゴミールの部屋にドラゴミールと、ウィスタリア、それからシルヴィオの三人が揃っている。
 揺れるランプの灯に照らされたシルヴィオの顔は厳しい物で、どんな風に説教されるのかと、残りの二人はビクビクしている。
「で、あんなに遅れて舞台裏に来たことについて、何か弁明は」
 普段よりも低い声でそう言うシルヴィオに、ウィスタリアが恐る恐る答える。
「あの、その、自分の時間の管理不行き届きです……」
 それから、ドラゴミールもビクビクしながら答える。
「うっかりって言うか、あの、はい。自分の管理能力の無さが原因です……」
 それから少しの間、薄暗い部屋の中にはどんな音も響かなかった。
 ランプの灯が一瞬大きくなり、ドラゴミールはつい体を震わせる。シルヴィオからどんな言葉が返ってくるのか、嫌な動悸を感じながら待つ。
 シルヴィオが口を開いた。
「舞台は仕事だ。きちんと時間を守って貰わないと困る」
「は、はい……」
「申し訳ないです……」
 ドラゴミールとウィスタリアが縮こまりながら返事を返すと、ふっとシルヴィオが表情を緩めた。
「ここでお前達が、遅れた理由を他の誰かのせいにしていたとするならもっと言う事があっただろうが、そうでは無いからな。
今回は時間を守れと言うだけに留めておこう」
 その言葉に、ドラゴミールは俯いていた顔を上げ、シルヴィオに抱きつく。
「ほんとか? シルヴィオ優しい!」
「お前調子に乗るな!」
 なんだかんだ言いながらも仲良くしているドラゴミールとシルヴィオを見て、ウィスタリアはつい、小さな笑い声を漏らした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

新説・川中島『武田信玄』 ――甲山の猛虎・御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
新羅三郎義光より数えて19代目の当主、武田信玄。 「御旗盾無、御照覧あれ!」 甲斐源氏の宗家、武田信玄の生涯の戦いの内で最も激しかった戦い【川中島】。 その第四回目の戦いが最も熾烈だったとされる。 「……いざ!出陣!」 孫子の旗を押し立てて、甲府を旅立つ信玄が見た景色とは一体!? 【注意】……沢山の方に読んでもらうため、人物名などを平易にしております。 あくまでも一つのお話としてお楽しみください。 ☆風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の通称である。 【ウィキペディアより】 表紙を秋の桜子様より頂戴しました。

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

少年忍者たちと美しき姫の物語

北条丈太郎
歴史・時代
姫を誘拐することに失敗した少年忍者たちの冒険

処理中です...