輝かしい日々よ、ありがとう

藤和

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第一章 オペラ一座がやって来た

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 肌を裂くような風が柔らかくなり始めた頃、オペラの一座がその街を訪れた。
 国内で上演が許可されている音楽院はただひとつで、そこに所属する歌手や演奏家が、首都以外の街を手分けして巡回する。
 毎年同じ歌手が同じ街へと赴くわけでは無い。今回この街に来るグループに配属されたドラゴミールは、三年ぶりにこの地を踏んだ。
 劇場の近くの宿舎に荷物一式を置いたところで、ドラゴミールは若草色のはねっ毛を揺らしながら舞台装置職人が集まっている部屋へと行き、ドアをノックして大きめの声で中に話し掛ける。
「おーいシルヴィオ、一杯引っかけに行かない?」
 初めて聞く者は、きっとその声を少年の物だと思うのだろう。だけれどもドラゴミールはもう成人で、オペラの一座の中でそれを知らない者はいない。むしろこの舞台装置職人達は聞き慣れているくらいだ。
 声を掛けてから少しの間、部屋の中からざわめきが聞こえた。もしかして荷物の整理が終わっていないのだろうかと思ったが、その場を離れる前にドアが開いて、ドラゴミールと同い年くらいの青年が顔を出した。顎まで伸ばした紫色の髪を耳にかけながら彼が言う。
「引っかけに行きたいのは山々だが、こっちはまだ荷物が落ち着いてないんだ」
「えー、じゃあ落ち着いたら俺のとこに呼びに来て」
「面倒なことを要求するな」
 素っ気ない返事を返すこの青年が、ドラゴミールの友人のシルヴィオ。職人としてはまだ若いが、丁寧な仕事で仲間内からも信頼されている。
 二人が友人になったきっかけはとても些細で、なんとなく舞台装置がどうなっているのかが気になったドラゴミールが、たまたま話しかけたのがシルヴィオだった。
 ドラゴミールはデビューして間もない頃から人気の高い歌手だ。見た目こそ凡庸だが歌の技術が高く、努力した末の物か天性の物かは定かで無いが人並み外れた美声の持ち主で、舞台の時は必ずクライマックスのエールを担当している。
 そんな人気歌手から話しかけられるなどと言うのは裏方の人間からすると畏れ多いと感じるようで、気を遣ってか満足な会話が出来ないことが多かった。けれども、その中でシルヴィオだけは、ドラゴミールに対して対等な立場を取った。
 歌手にプライドが有る様に、職人にもプライドがあると当然のように言い切ったのだ。
 自分の立場のせいで身近に友人という物が居なかったドラゴミールは、その事にとても喜んだ。自分にも友達が出来るのだと。
 それ以来、二人は外部にも友人を作りつつ、交友を深めていた。
 シルヴィオに誘いを断られて不満そうにするドラゴミール。しかし、シルヴィオはその反応が返ってくるのがわかっていたようで、ドラゴミールの頭を撫でながら笑って言う。
「この街には確か、仕立て屋の友人がいるんだろう?
舞台が始まるとシーズンが終わるまで会えなくなりそうだし、今の内に挨拶に行ったらどうだ?」
 それを聞いて、ドラゴミールも笑って答える。
「そうだな、じゃあまずはそっち行くわ。
お前も荷物の整理頑張れよ」
 お互いの手のひらを重ねてぱちんと鳴らし、シルヴィオは部屋の中へ戻り、ドラゴミールは宿舎の外へと向かった。

 向かった先は、劇場から離れた庶民が住む区画。通りに面した商店も店じまいを始め、どこからともなく美味しそうな匂いが漂ってきている。
 もしかしたらごはんを食べてる最中かも知れないと思いながら向かったのは、一軒のこぢんまりとした仕立て屋。
「お邪魔しまーす」
 ドラゴミールが良く通る声で声を掛けると、すぐに中から足音が聞こえてきた。
「はい、どちら様?」
 そう言って中から出て来たのは、きちんとした身なりをした金髪の、大柄な男性。ドアを開けてすぐは不審そうな顔をしていたけれども、ドラゴミールの顔を見るなり表情が明るくなる。
「ドラゴミールじゃないか、久しぶり」
「おう、久しぶりだなギュスターヴ。
カミーユとアルフォンスはどうしてる?」
「二人とも元気だよ。取り敢えず中に入って」
 ギュスターヴに歓迎され、ドラゴミールはそのまま居間まで案内された。居間に有る丸いテーブルには倚子が三つ据えられているのだが、ギュスターヴが他の部屋からもう一つ倚子を持って来て、合計四つの倚子をバランス良く据える。
「ちょっとここ座っててくれるか? 今兄貴を引きずってくる」
「引きずってくるって、相変わらずだな」
 勧められるままにドラゴミールが椅子に座ると、ギュスターヴと入れ違いで赤い髪を高い位置で結った細身の男性が、こんがりと焼けたパンを持って居間に入ってきた。彼も初めは訝しげな顔をしたけれども、中に居るのがドラゴミールとわかるなり、嬉しそうに声を上げる。
「久しぶり! 今年はこの街に来たんだ」
「ああ、アルフォンスも久しぶり。
今年はここで過ごすことになったんだよ。しばらくよろしくな」
「うん、よろしく。
あ、良かったら夕飯食べてかない?」
「良いのか? もう作り終わってるみたいだけど」
 突然の誘いだけれども、これもいつものことだ。とは言え、毎回ご馳走になるのも悪い気はするので一応アルフォンスに確認は取る。
 すると、アルフォンスはにこにこしたままこう返してきた。
「大体出来上がってるけど、追加でもう何品か作るよ。
それに、ドラゴミールも一緒だとカミーユ兄ちゃんも喜ぶし」
「そっか、それじゃあお言葉に甘えようかな」
 食事の支度のために忙しなくアルフォンスが居間を出た後、少ししてギュスターヴと、彼に比べて頭一個分ほど背の低い、青く長い髪を背中で束ねた華奢な男性が居間に入ってきた。
 随分と疲れた様子でぼんやりしている彼だけれども、他の二人と同じように、ドラゴミールの顔を見るなり笑顔を浮かべる。
「本当にドラゴミールがいる!
わざわざ来てくれたんだ!」
「カミーユも久しぶりだな。仕事で無理してないか?」
「うん、大丈夫。してないよ」
「兄貴は滑らかに嘘つくのやめような?」
 今やって来た、仕事で無理をしていると言われているカミーユが、この仕立て屋の主人で、唯一の職人だ。
 ドラゴミールとカミーユが知り合ったのは、舞台用の衣装を発注したのがきっかけだった。初めの内はあくまでも客と職人という関係だったのだけれども、カミーユが仕立てた衣装が余りにも動きやすく快適である事に感動したドラゴミールが、その後来店する度に色々と話しかけて親しくなった。カミーユはギュスターヴとアルフォンス、弟二人にとても信頼されているようで、カミーユと親しくなってから殆ど間を置かずに、弟達もドラゴミールを歓迎するようになった。
 カミーユがいつも根を詰めて仕事をしているのは、ドラゴミールも知っている。いつのことだったか、仕事がある日は食事もまともに食べないと聞いたこともある。もし自分がここに訪れることで、カミーユがまともな食事をして夜ゆっくり眠ることがあると言うのなら、たまにはここに遊びに来ても良いのだろうとそう思っている。
 いつも手ぶら出来てしまうことが多いけれど、今度来るときは何かしらお土産を持ってこようと、歓迎されながら考えるのだった。

 カミーユとその弟達に歓迎され、食事と少しのワインを振る舞われた後、あまり遅くなる前にドラゴミールは宿舎へと戻った。宿舎の中はたまに話し声はするけれども、十分に静かだった。
 自分にあてられた部屋で、ベッドに腰掛けて暫しぼんやりとする。食事を食べ過ぎたわけでは無い。酔っているわけでも無い。ただ久しぶりの友人と会った満足感と余韻を、もう少し感じていたかった。
 ランプの灯も点けずに暫く何も考えずにいたら、ドアをノックする音が聞こえた。
 部屋の荷物に気を払いながらベッドを離れドアを開けると、そこにはシルヴィオが立っていた。
「ん? どうした?」
「いや、良かったら一杯やらないか?
差し入れでワインをいただいたんだ」
「そうなのか? じゃあありがたくいただくわ」
 暫くシルヴィオにドアの前に立っていて貰い、ランプの灯を点す。部屋の中を暖かい光が包み、シルヴィオが持っているワインの瓶から香りが漂ってくるようだった。
「それじゃあ、この街での成功を願って」
 そう言って、シルヴィオがワイン瓶のコルクを抜く。グラスに注がれたワインは、ランプの灯を受けて赤く透き通っていた。
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