V.I.T.R.I.O.L.

藤和

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第十二章 ひとりになって

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 魔女として告発され、それをやり過ごしてからしばらく。時折、いまだリンネがいるつもりで名前を呼んでしまうこともあるけれど、そうして返事が返ってこないことにも慣れてきた。
 先日、ひとりでパトロンのところへと挨拶に行った際、リンネはどうしたのかと訊かれたけれども、彼は薬士として独立した。違う街へとひとりでいってしまい、今はどこで生活しているのか、それはわからない。そう言ってなんとか誤魔化した。
 それからまた村に帰ってきて、村人たちとの関係はまだ若干ぎこちないと感じることはあるけれども、それでも以前のように平和な日々は戻ってきていた。
 そんなある日のこと、久しぶりに調香師のジジが、ミカエルの元を訪れた。それは寒風が吹き、畑のハーブも眠りについた時期の事だった。
「やぁ久しぶり。近頃はどうだい?」
 そう言って、荷物を持って家の中に入ったジジは、部屋を見渡してミカエルに訊ねる。
「おや? リンネは?」
「ああ、リンネはもういないよ」
「そうなのかい?」
 不思議そうな顔をしているジジが、ふとミカエルの左手に目を留めた。それを察したミカエルは左手を顔の辺りに挙げて、ひらひらと振った。
「その火傷は?」
 訝しげなジジにそう訊かれ、ミカエルは簡単に説明する。
「実は、暫く前に魔女として告発されてしまってね。尋問の時に出来た痕だよ」
 そう言って、ミカエルは不安になった。今でこそ魔女ではないと身の潔白を証明できているけれども、一度でも魔女の疑惑をかけられた自分の元に、もうジジが来なくなってしまうのではないかと思ったのだ。
 けれども、ジジは笑ってこう言った。
「箔が付いて良いじゃねぇか」
「……ふふっ、そうかい?」
 自分を避ける様子など全く見せないジジの様子に、ミカエルは安心する。
 それから、いつも通りに香油のやりとりをする。ジジがいなかった夏の間に採れた香油が、沢山有るからだ。
 いつものように、木の箱に入った香油をミカエルが持ってきて、ジジが香油の香りを聞く。しばらくふたりとも無言で、ただ香油の入った遮光瓶を置く音と、栓を抜く音だけが静かに鳴っていた。
「今度は、どれくらいここに居るんだい?」
 ふと、ミカエルがそう訊ねる。ジジは遮光瓶に栓をして答える。
「またひとつきほどかね。お前さんの邪魔にならなきゃだけどな」
 それを聞いて、ミカエルは微笑む。
「邪魔だなんて、そんな事はないよ。
ただ、リンネがいない分、あまりお構いはできないかも知れないけれど」
 そのやりとりの間に、ジジはすっかり購入する香油を選び終える。箱に入っていたうちの半分よりすこし少ないくらいを選び取って、ミカエルに代金を払った。
「まぁ、俺ぁ宿があって泊まれればそれで良いんでな」
「そうかい?」
「作業の合間に、ちっとばかし無駄話ができれば、それで上等さ」
「ははは、嬉しいこと言ってくれるね」
 ジジの言葉に、ミカエルは心の中の寂しさをいやに自覚してしまった。嬉しいと言いながらも、声が震えてしまう。
 急に、ジジが真面目な顔をしてミカエルの顔を覗き見た。
「リンネがいなくて、寂しくないかい?」
 そう言われて、ミカエルは思わず動揺する。
「寂しいけれど、あの子はもう関わってはいけないんだ」
 自分の言葉が震えているのがわかる。あの時、魔女として告発されて、リンネまで魔女とされるのがこわくて彼を夜の闇に乗じてこの村から逃がした。けれども、今なら、身の潔白を証明した今なら、リンネともう一度一緒に暮らせるのではないかと思ってしまうのだ。
 けれども、いまリンネがどこにいるかはわからない。そもそも、生きて他の町や村に辿り着けているかどうかもわからないのだ。
 生死の保証が無い逃避行を押しつけてしまった自分が正しかったのかどうか、わからない。ただあの時は、リンネを逃がさなければいけないと、その事だけで精一杯だったのだ。
 思わず、ミカエルの目から涙が零れる。
 その様子を見てか、ジジが明るい声でこう言った。
「俺もさ、いろんな所行ったりするから、どっかでリンネを見掛けたら、お前が今も元気にしてるって伝えてやるよ」
「……そうかい?」
「ああ、それでもし、またリンネがここに来たいって言ったら、連れてくるのもやぶさかじゃあないな」
 とまどうような顔をするミカエルに、ジジは言葉を続ける。
「お前さんは結局、魔女じゃなかったんだろ? なにも問題は無いさ」
 それを聞いて、ミカエルは泣きながらも笑う。
「うん、そうだね」
 涙を拭って、それから、台所に立ってコーヒーの準備をする。
 お湯を沸かしながら、ミカエルがジジに訊ねた。
「君も、たまにはここに来てくれるかい?」
 するとジジは、もちろんと、当然のことのように答えた。それから、ミカエルに訊ね返す。
「お前さんは、ずっとこの村に居るつもりかい?」
 その問いに、すこし考えてから答える。
「そうだね。僕はなんだかんだで、この村が好きなんだよ。
だから、これからもこの村を病から守る」
 意思の籠もった言葉に、ジジが口笛を吹く。
 ミカエルも、振り返ってにこりと笑う。
「まぁ、錬金術の研究の合間にだけどね」
 部屋の中に笑い声が溢れて。寂しいと思うことがあっても、これから少しずつ慣れていけるのだろうと、ミカエルはコーヒーの香りを嗅いだ。
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