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第九章 魔女の呪い
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ミカエルとリンネが村長の娘との婚姻を断ったあの日以来、少しずつ村の中でふたりの悪い噂が広がるようになった。
噂を信じる人と信じない人は、半々と言ったところ。ミカエルが胡散臭い実験をやっているというのを村人たちは知っていたし、それと同時に医者のように病人を診てくれる人物が他にいないというのも、村人たちは知っていたからだ。
「先生、また変な噂を立てられてますね」
「ああ、放っておけばいい。根も葉もない噂なんて、いずれみんな忘れてしまうよ」
夜明け前、朝の仕事前に朝食を食べながら、ふたりは話をする。リンネは新しい噂が立つ度にミカエルのことを心配したけれども、疑いをかけられている自分たちがどれだけ反論しても、泥沼になるのをミカエルは知っていた。
朝食を終え、ミカエルは『塩』の精製をするためにフラスコを火にかけ、リンネは薄明かりが射してきた畑でハーブの収穫をする。そして、いつも通りに収穫されたハーブを蒸留器に詰め込んで、香油を抽出していた。
気怠い芳香が漂う実験室。そこに、ドアを叩く音が聞こえた。実験室のドアを叩く音ではなく、幾つかの壁を隔てた所で鳴っている音。それを聞いて、ミカエルは溜息をついて立ち上がる。
「リンネ、ちょっと蒸留器をみていておくれ」
「はい。
あっ、でも、今日は僕が行きましょうか?」
「大丈夫、僕が出るよ。
それに、君に任せたら言い負かされてしまうだろう?」
「……そうですね」
心配そうなリンネを研究室に置き、ミカエルは玄関に向かう。何度も激しく叩かれる扉を開けると、そこには不機嫌な顔をした村長が立っていた。
「村長、こんな朝早くからなんのご用でしょう?」
ミカエルがそう訊ねると、村長は声を低くして口を開く。
「お前もそろそろ、俺の言う事を聞いた方がいいんじゃないかな?」
「……何のことでしょう」
とぼけた返しをするミカエルに、村長は苛立たしげに言葉を続ける。
「リンネ君をね、うちの婿にくれれば、村の噂はなんとかしてやるよ」
尊大な態度を取る村長に、ミカエルはにこりと笑って言う。
「そうですね、リンネがどうしてもそちらに婿入りしたいと言うのでしたら、それは良いことでしょうね。
ですが、そう言うわけではないのでお断りします」
そしてすかさず、玄関の扉を閉じようとする。すると、村長は足を扉と壁の隙間に差し込み、無理矢理開こうと手を掛ける。
「手を挟むと痛いですよ」
ミカエルの対応が気に入らないのか、玄関先で叫く村長の足先を力一杯蹴って外に出し、扉を思いっきり閉める。強く指を挟んだけれども、すぐに指が引っ込んだので、そのまま玄関を閉めて鍵を下ろした。
そんなことが時々ある日々を続けていたある日。村に異変が起こった。
「先生、最近随分と子供の患者さんが多くありませんか?」
「そうだね。これはちょっと様子がおかしい。
子供だけに感染する流行病なのだろうかね」
村の人々の病気の記録を取っているノートを見ながら、ミカエルは不思議に思う。
涼しくなってきた頃、丁度この時期になると、毎年風邪を引く村人は少なくない。ただ、風邪と言っても症状は様々で、咳が出るだとか熱が出るだとか、頭痛がするだとか、そう言った症状をまとめて風邪と呼んでいるだけだけれども。
しかし、今年は様子が違った。ここ数日を皮切りに、子供の、しかも症状の似通った患者が急増したのだ。
子供達は目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、そして口を揃えて身体を刺されるような痛みを訴え、ひどいものになると痙攣すら起こしていた。
一体何が原因なのかわからず、リンネは勿論、ミカエルも困惑した。
この様な病気を運んでくる虫は聞いたことが無いし、動物から感染したのだろうか。しかし、動物の死骸は、村人には触れさせないようにしている。それに、子供だけが発症しているというのも謎を深める一因だった。
「一体、どう言うことなんだろうね……」
難しい顔でミカエルが呟くと、リンネも不安そうな声でこう言った。
「ほんとうに、どう言うことなんでしょう。
まるで、病気じゃなくて、毒を撒かれているみたいです」
それを聞いて、ミカエルははっとする。
「毒か、なるほど」
納得した様に呟いてから、リンネにこの村で保存している、ライ小麦の粒を持ってくるように指示を出す。リンネは慌てて台所に積まれているライ小麦の袋の所へと飛んでいった。
その間に、ミカエルは顕微鏡の用意をした。
村の子供達に奇病が広まって、僅かばかりの間でミカエルにも無視しきれない噂が村で広がった。
それは、ミカエルがこの村に呪いをかけた魔女だという物だった。
魔女だという噂を立てられるのがどう言うことか、ミカエルには十分すぎるほどわかっていた。
噂に怯え、それでもミカエルの元にいると言い続けるリンネの気持ちは、ミカエルにとって嬉しい物だった。けれども。
「リンネ、君はもうここにはいてはいけないよ」
陽も暮れた頃、ミカエルがリンネにそう言った。いつの間にか用意した旅の荷物をリンネに渡し、裏口から外へと追いやる。
「でも、先生」
「君は薬士として十分やっていける。だから早くお行き」
身体を押され、よろめいてミカエルから離れたリンネが、なおも追いすがろうとする。
ミカエルはその手を振り払い、こう言った。
「僕に触れてはいけないよ」
それから、裏口の扉を閉めた。
扉の向こうで、足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
それは、魔女裁判の通達が村に来た夜のことだった。
噂を信じる人と信じない人は、半々と言ったところ。ミカエルが胡散臭い実験をやっているというのを村人たちは知っていたし、それと同時に医者のように病人を診てくれる人物が他にいないというのも、村人たちは知っていたからだ。
「先生、また変な噂を立てられてますね」
「ああ、放っておけばいい。根も葉もない噂なんて、いずれみんな忘れてしまうよ」
夜明け前、朝の仕事前に朝食を食べながら、ふたりは話をする。リンネは新しい噂が立つ度にミカエルのことを心配したけれども、疑いをかけられている自分たちがどれだけ反論しても、泥沼になるのをミカエルは知っていた。
朝食を終え、ミカエルは『塩』の精製をするためにフラスコを火にかけ、リンネは薄明かりが射してきた畑でハーブの収穫をする。そして、いつも通りに収穫されたハーブを蒸留器に詰め込んで、香油を抽出していた。
気怠い芳香が漂う実験室。そこに、ドアを叩く音が聞こえた。実験室のドアを叩く音ではなく、幾つかの壁を隔てた所で鳴っている音。それを聞いて、ミカエルは溜息をついて立ち上がる。
「リンネ、ちょっと蒸留器をみていておくれ」
「はい。
あっ、でも、今日は僕が行きましょうか?」
「大丈夫、僕が出るよ。
それに、君に任せたら言い負かされてしまうだろう?」
「……そうですね」
心配そうなリンネを研究室に置き、ミカエルは玄関に向かう。何度も激しく叩かれる扉を開けると、そこには不機嫌な顔をした村長が立っていた。
「村長、こんな朝早くからなんのご用でしょう?」
ミカエルがそう訊ねると、村長は声を低くして口を開く。
「お前もそろそろ、俺の言う事を聞いた方がいいんじゃないかな?」
「……何のことでしょう」
とぼけた返しをするミカエルに、村長は苛立たしげに言葉を続ける。
「リンネ君をね、うちの婿にくれれば、村の噂はなんとかしてやるよ」
尊大な態度を取る村長に、ミカエルはにこりと笑って言う。
「そうですね、リンネがどうしてもそちらに婿入りしたいと言うのでしたら、それは良いことでしょうね。
ですが、そう言うわけではないのでお断りします」
そしてすかさず、玄関の扉を閉じようとする。すると、村長は足を扉と壁の隙間に差し込み、無理矢理開こうと手を掛ける。
「手を挟むと痛いですよ」
ミカエルの対応が気に入らないのか、玄関先で叫く村長の足先を力一杯蹴って外に出し、扉を思いっきり閉める。強く指を挟んだけれども、すぐに指が引っ込んだので、そのまま玄関を閉めて鍵を下ろした。
そんなことが時々ある日々を続けていたある日。村に異変が起こった。
「先生、最近随分と子供の患者さんが多くありませんか?」
「そうだね。これはちょっと様子がおかしい。
子供だけに感染する流行病なのだろうかね」
村の人々の病気の記録を取っているノートを見ながら、ミカエルは不思議に思う。
涼しくなってきた頃、丁度この時期になると、毎年風邪を引く村人は少なくない。ただ、風邪と言っても症状は様々で、咳が出るだとか熱が出るだとか、頭痛がするだとか、そう言った症状をまとめて風邪と呼んでいるだけだけれども。
しかし、今年は様子が違った。ここ数日を皮切りに、子供の、しかも症状の似通った患者が急増したのだ。
子供達は目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、そして口を揃えて身体を刺されるような痛みを訴え、ひどいものになると痙攣すら起こしていた。
一体何が原因なのかわからず、リンネは勿論、ミカエルも困惑した。
この様な病気を運んでくる虫は聞いたことが無いし、動物から感染したのだろうか。しかし、動物の死骸は、村人には触れさせないようにしている。それに、子供だけが発症しているというのも謎を深める一因だった。
「一体、どう言うことなんだろうね……」
難しい顔でミカエルが呟くと、リンネも不安そうな声でこう言った。
「ほんとうに、どう言うことなんでしょう。
まるで、病気じゃなくて、毒を撒かれているみたいです」
それを聞いて、ミカエルははっとする。
「毒か、なるほど」
納得した様に呟いてから、リンネにこの村で保存している、ライ小麦の粒を持ってくるように指示を出す。リンネは慌てて台所に積まれているライ小麦の袋の所へと飛んでいった。
その間に、ミカエルは顕微鏡の用意をした。
村の子供達に奇病が広まって、僅かばかりの間でミカエルにも無視しきれない噂が村で広がった。
それは、ミカエルがこの村に呪いをかけた魔女だという物だった。
魔女だという噂を立てられるのがどう言うことか、ミカエルには十分すぎるほどわかっていた。
噂に怯え、それでもミカエルの元にいると言い続けるリンネの気持ちは、ミカエルにとって嬉しい物だった。けれども。
「リンネ、君はもうここにはいてはいけないよ」
陽も暮れた頃、ミカエルがリンネにそう言った。いつの間にか用意した旅の荷物をリンネに渡し、裏口から外へと追いやる。
「でも、先生」
「君は薬士として十分やっていける。だから早くお行き」
身体を押され、よろめいてミカエルから離れたリンネが、なおも追いすがろうとする。
ミカエルはその手を振り払い、こう言った。
「僕に触れてはいけないよ」
それから、裏口の扉を閉めた。
扉の向こうで、足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
それは、魔女裁判の通達が村に来た夜のことだった。
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