Tajlorinoj seĝo de radoj

藤和

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第五章 貴族

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 抱えていた刺繍の仕事が一段落付き、休日を満喫しているカミーユの元に、お得意様の貴族がやって来た。
 まだ若く、華やかな刺繍が施された豪奢な服に身を包む彼を、ギュスターヴが店の中へと招き入れ、狭い応接間へ通した後に話を聞く。
「ルクス様、この度はどの様なご依頼で?」
 そう訊ねるギュスターヴに、お得意様の貴族、ルクスは一本に纏めてある長い髪を弄りながらこう言った。
「実はね、カミーユ君に妻の刺繍の先生をやって貰いたいんだよ」
 刺繍の依頼では無いのか。そう思ったギュスターヴは、自分の一存で刺繍の先生をやれるかどうかは決められないので、カミーユを呼びに行く。
 自室でノートに物語を書いていたカミーユに事情を説明し、車椅子を押して応接間へと連れて行った。
 カミーユが応接間に入るなり、ルクスは席を立ちカミーユの手を取って、先程ギュスターヴにも説明した用件を話す。
 それを聞いて、カミーユは少しだけ困った様な顔をする。
「しかし、僕よりも貴族の方に刺繍を指導するのに適した方が居るのでは無いでしょうか?」
 すると、ルクスは両手でカミーユの右手を握り、こう言った。
「折角指導を頼むのなら、信頼の置ける職人が良いと思ってね。
妻にもその事は言ってあるよ。
是非、君に頼みたい」
 ここまで自分の事を信頼して居てくれるのならと、カミーユは少し照れた様な笑みを浮かべて、刺繍の指導を条件付きで請け負う。
その条件とは、他の仕事もしなくてはいけないので、刺繍の指導が出来るのは安息日の午後だけだと言う事。
 ルクスはそれを聞いて、本当は毎日来て欲しいのだけれど。とはいうものの、その条件で了解した。

 そして数日後の安息日。カミーユは早速ルクスの館を訪れ、妻のダリアに刺繍を教えていた。
 ダリア曰く、昔は刺繍を刺すことに興味が無かったらしいのだが、結婚を機にこの街を離れてしまった友人から、勿忘草の刺繍が入ったハンケチを貰ったのだそう。
 それ以来、自分も刺繍が出来たら、友人に何かを刺してプレゼント出来るかもしれないと、ルクスに頼んで刺繍の先生を捜して貰ったのだという。
「先生、どれくらい練習すれば、お花の刺繍が出来る様になりますか?」
 ダリアの問いに、カミーユは少し考えて答える。
「簡単な刺繍なら、すぐに出来る様になりますよ。
ですが、複雑な物や細かい物は、かなり練習しないと難しいと思います。
ダリア様のやる気と、根気次第ですけれどね」
 優しく微笑んでカミーユはそう言うが、内心、すぐに糸を絡ませてしまうダリアの手つきを見て居る限り、相当練習しないと簡単な刺繍すら難しいのでは無いかと思ってしまう。
 それでも、一生懸命カミーユの話を聞き、手を動かすダリアなら、数ヶ月の指導でそれなりの刺繍は刺せる様になるだろうと、そんな期待を抱く。
 今日は刺繍の基本的な刺し方の指導だけで終わってしまったが、不格好ながらも刺繍が出来た事に喜ぶダリアを見て、カミーユも頑張って教えようと気持ちを新たにした。

 ダリアへの指導後、ルクスからお茶でも飲んでいったらどうかと言う誘いを受け、有り難くお茶を戴くカミーユ。
 熱いダージリンに少しずつ口を付け、ジャムを塗ったスコーンを囓る。
 美味しいお茶とお茶請けを口にし、にこにこしているカミーユに、ふとルクスが立ち上がって近づく。
「おや、カミーユ君、口にジャムが付いているよ」
 そう言って、カミーユの口の端に着いたジャムを中指で拭い、ぺろりと嘗める。
 カミーユは、少し顔を赤くしてこう言う。
「も、申し訳ありません。スコーンが美味しくて、つい……」
 ついうっかり不作法な事をしてしまったけれど、今回が初めてと言う事で大目に見てくれているのか、ルクスは怒っていない様だ。
今後は気をつけないとなと、気を引き締める。
 申し訳なさそうな顔をするカミーユの顔をじっと見つめて、ふと、ルクスがカミーユの唇に触れた。
「おや、よく見ると唇がかさかさじゃないか。このままでは良くないから、香油を塗ってあげよう」
 メイドに香油を持ってこさせる様に言うルクスに、カミーユは恐縮しながら言う。
「いえ、そんな、香油だなんて。そんな高価な物を庶民に使って戴かなくても……」
「庶民かどうかなんて、気にしてはいけないよ。私が君に使いたいと言っているんだ。素直に受け取っておくれ」
「あの……はい」
 顔を近づけてくるルクスに気圧されて、カミーユはつい香油を使う事に承諾してしまった。
 それからすぐに、メイドが持って来た香油をルクスが受け取り、そっと人差し指に付け、カミーユの唇をなぞる。
 その間、カミーユは貴族にこんな事をされるなどと言うのは畏れ多いと、身を固めていた。

 それから数週間。ダリアの努力とカミーユの指導のおかげで、 少し不格好ながらもダリアも簡単な花の刺繍を刺せる様になった。
思いの外上達が早いダリアを見て、カミーユも嬉しくなる。
「お花の刺繍がさせる様になったのを、ルクス様にお話ししたいですか?」
 その日の授業の終わりにカミーユがそう訊ねると、ダリアは頬を染めてこう答えた。
「それよりも、友人にお手紙を書いて、それに刺繍を添えて送りたいです」
「そうですか」
 ダリアが刺繍を習いたいと言ったきっかけは、友人から送られた刺繍のハンケチだったことを思い出したカミーユは、笑顔を返し、きっとご友人も喜んでくれますよと、そう言う。
 それから、そろそろ恒例となってきたお茶の時間に誘われたカミーユは、また有り難く思いながらお茶とお茶請けを食べる。
 いつもならその後少しだけ三人で話をしてから帰るのだが、この日は何故か、カミーユがルクスの部屋へと招かれた。
 二人だけでしたい話が有るとの事なのだが、一体何だろうか。
 疑問に思いながらメイドに車椅子を押され、ルクスの部屋へと入る。広い部屋に、机と、椅子と、それから人が数人横になれる程大きなソファが置いてある。
「いつもその車椅子だと、身体が痛くなるだろう。ソファにお座り」
「宜しいのですか? ありがとうございます」
 確かに座面の固いこの車椅子に座っていると、夜にはいつも身体が痛くなってしまっている。
 なので、カミーユは、もしかしたら話が長くなるのかもしれないと思いながら、車椅子をソファの側まで漕いでいく。
 それから、肘掛けに手を掛け床に立った後、ソファに手を掛けながら何とか体を移す。
 すると、隣にルクスが座り、カミーユの手を撫でながらこう切り出した。
「二人きりで話がしたいと、言ったよね」
「はい。一体どの様なお話なのでしょうか?」
 きょとんとした顔で訊ねるカミーユの肩を抱き寄せ、ルクスが耳元で囁いた。
「私の、愛人にならないかい」
「すいません、ちょっと何をおっしゃってるのかわかりません」
 予想外の言葉に反射的にカミーユが返すと、ルクスが強引にカミーユの体をソファの上に押し倒し、 体をまさぐり始めた。
「そんなつれない事を言わないでおくれ」
「つれない事も何も、あの、僕は男です!」
 背筋に悪寒が走るのを感じながら抵抗するが、両腕を押さえ込まれてしまい、足を動かせないカミーユは何も出来なくなる。
 恐怖で泣きそうになっているカミーユにルクスが言う。
「そんな顔をしないで。折角の綺麗な顔が台無しじゃ無いか。
大丈夫。男だとかそんな事は、すぐに気にならなくなるよ」
 くちづけをしてこようとするルクスの顔を避け、カミーユが悲痛な叫び声を上げる。
「いやっ……嫌です! やめてください!」
「嫌だなんて言わず、甘い声で私の名を呼んで受け入れてくれないかい?」
「嫌です! 助けて、誰か!」
「君の弟たちが、どうなっても良いのかな?」
 突然、弟たちの事を盾に取られ、カミーユは困惑する。
 ルクスの愛人になるのは嫌だけれども、弟たちに危害が及ぶのはもっと嫌だ。けれど……
 顔を背けながら、このまま言いなりになるしか無いのかと、カミーユは涙を零す。
 その時だった。
「ルクス様、何を為さっているのですか?」
 部屋の扉を開け、中に入ってくるダリアと、執事と、メイド達。
怒りを露(あら)わにしたダリアが、音が立つのでは無いかと言う様な足取りで二人が乗っているソファに近づき、金属の柄が付いている扇子でルクスの頭を殴った。
「先生に何をしているのですか! 離れてください!」
 それから、ダリアは狼狽えるルクスをソファから引きずり下ろし、床の上で何度も暴打する。
 その間に執事やメイドの手を借り、カミーユはいつもの車椅子へと移り、執事に押されてその場を去って行った。

 カミーユが何とか家に帰り着き、後日。ダリアがカミーユの店へとやって来て、カミーユにこう言った。
「先生、先日は本当に申し訳ございませんでした。まさかルクス様があんなことを考えていただなんて……
残念ですが、先生の為にも、今後の授業は無しと言う事にさせて戴いて宜しいでしょうか?」
 その言葉に、カミーユは複雑な思いを抱いて答える。
「そうですね、あの様な事があった後だと、流石にダリア様のお宅にお邪魔できません。
こちらこそ申し訳ありませんが、授業はここまでと言う事で」
 ルクスの件が無ければ、カミーユはまだダリアに刺繍の技術を教えたかった。
 けれども、もうあの様な目には遭いたくない。
 ダリアの話では、ルクスにはもうカミーユの近くに近寄らないと言う宣誓書を書かせたらしく、尚且つ常に見張りを付けると言う事にしたそうだ。
 これならカミーユとその弟たちに危害を加える事は無いだろうとダリアが言うので、カミーユは何とか胸をなで下ろしたのだった。
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