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第四章 罪と罰
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強い日差しが降り注ぎ、それでも吹く風の中には冷たさが混じってきた日のこと。
今日は安息日で、いつもミサで熱心にお祈りをしているお針子、カミーユ君にミサが終わった後に声を掛けた。
「このところはどうですか? 暑さで体調を崩していたりしませんか?」
ふた月程前まではカミーユ君に悪い虫が付かない様におまじないをして居たのだけれど、最近は一番下の弟、アルフォンス君にひどく不満そうな顔をされるのでやっていない。
確かに、おまじないを掛けてもカミーユ君はどうしても虫に食われてしまうと言っているので、アルフォンス君としては不信感があるのだろう。
けれども、私としてはおまじないを掛けておかないことに不安があった。
先日、カミーユ君の家の周りを堕天使が彷徨いている所を見てしまったので、せめて魔除けだけでもと思ったのだ。
そうは思っても、素直に堕天使が彷徨いていたから等と言ったら怖がらせてしまうだろう。なので私は、それとなく体調についての事から話を始めたのだ。
「おかげさまで特に調子が悪いと言うことも無いです。
あ、でも、ちょっと今、不安なことがあって……」
「不安なこと? 私で良ければ相談に乗りますよ」
もしかして、堕天使の存在に気付いたのだろうか。
思わず手に持っていた聖書を握りしめていると、カミーユ君は少し困った様な、そんな笑顔を浮かべてこう説明した。
なんでも、お得意様の貴族の家に、刺繍の先生をやりに行くことになったのだそう。
仕事柄貴族の方と接することが少ない訳では無いのだけれど、屋敷にお邪魔することは滅多に無いので、失礼な事をしてしまわないかどうかが不安らしい。
確かに、カミーユ君は、少なくとも教会に居る姿を見る限りでは行儀が良いけれども、それで貴族に通用するかと言われると、疑問が有る。
かと言って、この後昼食を食べたら早速貴族の家にお邪魔しなくてはいけないというカミーユ君に、私から礼儀作法を教えている時間は無いし、正直言って私自身もそこまで作法に詳しい訳では無い。
なので、多少の不作法も大目に見てくれるつもりで依頼したのだろう。もし今日お邪魔して何かお叱りを受けたらまた私の所においでなさい。とそう言ってカミーユ君を送り出した。
それから暫くの間、カミーユ君は教え子の婦人が頑張ってくれていて、思ったよりも上達が早いという事と、礼儀に関しては何とかきつく言われずに済んでいるという話を、ミサの時に私が話しかけると聞かせてくれた。
今日もミサの後に話しかけると、教え子がそろそろお花の刺繍も刺せる様になっただろうから、今回の授業はお花の刺し方を教えようと思うと言っていたカミーユ君。
嬉しそうに語る顔を見て、私も何となく幸せな気持ちになり、教会から町の人達が居なくなった後、神様に感謝しながらシスターと共に教会の掃除をしたのだった。
その日の晩、夕食も食べ終わり、私は自室で日記を付けていた。
ミサの後、私と話しながら微笑んでいたカミーユ君の顔を思い出しながら軽い手つきで文字を連ねていると、突然背後に何者かの気配を感じた。
冷たい空気と背中が粟立つのを感じながら咄嗟に日記帳を閉じると、その何者かが私に声を掛けてきた。
「お前の目は節穴か?」
言葉と当時に、何者かは椅子に座っている私の襟首を掴んで引っ張り、床へと放り出す。
服の襟で首を圧迫されて咳き込みながら何者かの方を向くと、そこに居たのは、黒ずくめで男とも女とも着かない人影、だいぶ前にカミーユ君の部屋を覗き込んでいる所を締め上げた堕天使が立っていた。
「何の用ですか。何か悪さをすると言うのなら、全力で抵抗しますよ」
なんとか膝立ちになり、机の上に置いておいたロザリオを握る私に、堕天使は忌々しげにこう言った。
「お前は自分の教会の信徒も守れないのか」
一体何のことだろう。
勿論、信徒に限らず困っている人はなるべく助けたいと思っているが、それにはこの街は大きすぎる。なので、結論を言うと、全ての信徒を守るのは無理だ。
けれども、その事実を堕天使の前で口にするのは憚られた。
私が何も言わないでいると、堕天使が苛ついた顔つきで私の頭を殴ろうとした。
咄嗟に腕で拳を受けたけれども、反動でまた床に伏してしまう。
堕天使が言う。
「私が手を出さないで居たら、あのカミーユとか言うお針子は、貴族に手込めにされる所だったのだぞ!」
「えっ?」
堕天使が言っている貴族というのは、最近カミーユ君からよく聞く、刺繍の教え子だろうか。
しかし、いくら何でも、女性がその様な強引な事をするとは思えない。
「一体どういう事なんですか?」
私の問いに、堕天使はこう説明した。
安息日の午後に刺繍を教えている婦人の夫が、自室へとカミーユ君を呼び出し、強引に迫ったというのだ。
それに気付いた堕天使が、婦人の前に姿を顕し、不安を煽ってカミーユ君の元へと誘導して、何とか事なきを得たらしい。
それを聞いて、私は思わず顔を青くした。
堕天使に助けられること自体にも抵抗はあるが、そこで助けてくれなかったら、カミーユ君がどうなっていたのか。それを考えるだけで恐ろしい。
私は、カミーユ君から聞いた話だけで、その貴族を信用していた事を恥じる。
今回ばかりは堕天使に殴られるのも、神様の罰だと思って受け入れよう。そう思い固く指を組むと、堕天使が私の胸ぐらを掴み、視線を合わせてこう言った。
「あの貴族にはそれ相応の事をさせて貰う。邪魔はさせないからな」
何をする気なのかはわからないが、きっと報復するつもりだろう。
本来ならば私は堕天使の行為を止めなければいけないのだろうが、カミーユ君の身に降りかかったことを考えると、止める気が起きなかった。
それから少し経って、秋薔薇が花開く様になった頃。私の耳にある噂が入る様になった。
或る貴族の庭園で栽培している薔薇が、一様に黒い花を付けたというのだ。
あの様な黒い薔薇は見たことが無い、あの貴族はきっと、悪魔を崇拝する魔女なのだろう。そう囁かれている。
その話を聞いて、思わずぞっとした。
黒い薔薇が咲いたというのは、きっとあの堕天使の仕業だろう。
黒い薔薇の園の噂を聞いたらしく、ある日の昼間、カミーユ君が懸命に車椅子を漕いで、私の教会へとやって来てこう訊ねてきた。
「神父様、最近黒い薔薇の噂が流れていますけど、実は、僕の所にも黒い薔薇が有ったことがあって……」
不安そうにそう語るカミーユ君の肩を軽く叩き、屈んで視線を合わせる。
「知っていますよ。だいぶ前に、君たち兄弟にお守りのメダイを渡したでしょう。
それを持っていれば、悪魔は寄ってきませんよ」
私がなるべく優しい口調を心がけてそう言うと、カミーユ君は頭を振ってこう言う。
「そうでは無くて、あの、今、黒い薔薇の噂が流れている方も、本当は魔女では無くて、悪魔に呪われているだけなんじゃ無いかと思って、それが気になってるんです」
もしかして、カミーユ君はあの貴族が魔女裁判に掛けられるのを恐れているのだろうか。
優しい彼のことだ、どんな相手であれ、惨たらしい目には遭って欲しくないのだろう。
私はこう答える。
「私は、その貴族は魔女では無いと思います。
けれど、町の人達がどう思うか、どうするかまでは、私の与り知らぬ所です」
嘘は言っていない。堕天使があの貴族に手を加えていると言う事を黙っているだけだ。
この事を隠すことは、偽りを言うことと同じになるかもしれない。
「心配ですか?」
私が問う。
「わからないです」
彼は答える。
憂いを瞳に宿らせるカミーユ君の顔を見て、私は立ち上がり、車椅子を祭壇の前へと押していく。
「祈りましょう。そうすることが、私達にとって一番良い方法でしょう」
「……はい」
瞼を閉じて指を組み、祈るカミーユ君の横で、堕天使の行いを見過ごしている自分にも、いつか神様の罰が下るのだろうかと、ふと思った。
今日は安息日で、いつもミサで熱心にお祈りをしているお針子、カミーユ君にミサが終わった後に声を掛けた。
「このところはどうですか? 暑さで体調を崩していたりしませんか?」
ふた月程前まではカミーユ君に悪い虫が付かない様におまじないをして居たのだけれど、最近は一番下の弟、アルフォンス君にひどく不満そうな顔をされるのでやっていない。
確かに、おまじないを掛けてもカミーユ君はどうしても虫に食われてしまうと言っているので、アルフォンス君としては不信感があるのだろう。
けれども、私としてはおまじないを掛けておかないことに不安があった。
先日、カミーユ君の家の周りを堕天使が彷徨いている所を見てしまったので、せめて魔除けだけでもと思ったのだ。
そうは思っても、素直に堕天使が彷徨いていたから等と言ったら怖がらせてしまうだろう。なので私は、それとなく体調についての事から話を始めたのだ。
「おかげさまで特に調子が悪いと言うことも無いです。
あ、でも、ちょっと今、不安なことがあって……」
「不安なこと? 私で良ければ相談に乗りますよ」
もしかして、堕天使の存在に気付いたのだろうか。
思わず手に持っていた聖書を握りしめていると、カミーユ君は少し困った様な、そんな笑顔を浮かべてこう説明した。
なんでも、お得意様の貴族の家に、刺繍の先生をやりに行くことになったのだそう。
仕事柄貴族の方と接することが少ない訳では無いのだけれど、屋敷にお邪魔することは滅多に無いので、失礼な事をしてしまわないかどうかが不安らしい。
確かに、カミーユ君は、少なくとも教会に居る姿を見る限りでは行儀が良いけれども、それで貴族に通用するかと言われると、疑問が有る。
かと言って、この後昼食を食べたら早速貴族の家にお邪魔しなくてはいけないというカミーユ君に、私から礼儀作法を教えている時間は無いし、正直言って私自身もそこまで作法に詳しい訳では無い。
なので、多少の不作法も大目に見てくれるつもりで依頼したのだろう。もし今日お邪魔して何かお叱りを受けたらまた私の所においでなさい。とそう言ってカミーユ君を送り出した。
それから暫くの間、カミーユ君は教え子の婦人が頑張ってくれていて、思ったよりも上達が早いという事と、礼儀に関しては何とかきつく言われずに済んでいるという話を、ミサの時に私が話しかけると聞かせてくれた。
今日もミサの後に話しかけると、教え子がそろそろお花の刺繍も刺せる様になっただろうから、今回の授業はお花の刺し方を教えようと思うと言っていたカミーユ君。
嬉しそうに語る顔を見て、私も何となく幸せな気持ちになり、教会から町の人達が居なくなった後、神様に感謝しながらシスターと共に教会の掃除をしたのだった。
その日の晩、夕食も食べ終わり、私は自室で日記を付けていた。
ミサの後、私と話しながら微笑んでいたカミーユ君の顔を思い出しながら軽い手つきで文字を連ねていると、突然背後に何者かの気配を感じた。
冷たい空気と背中が粟立つのを感じながら咄嗟に日記帳を閉じると、その何者かが私に声を掛けてきた。
「お前の目は節穴か?」
言葉と当時に、何者かは椅子に座っている私の襟首を掴んで引っ張り、床へと放り出す。
服の襟で首を圧迫されて咳き込みながら何者かの方を向くと、そこに居たのは、黒ずくめで男とも女とも着かない人影、だいぶ前にカミーユ君の部屋を覗き込んでいる所を締め上げた堕天使が立っていた。
「何の用ですか。何か悪さをすると言うのなら、全力で抵抗しますよ」
なんとか膝立ちになり、机の上に置いておいたロザリオを握る私に、堕天使は忌々しげにこう言った。
「お前は自分の教会の信徒も守れないのか」
一体何のことだろう。
勿論、信徒に限らず困っている人はなるべく助けたいと思っているが、それにはこの街は大きすぎる。なので、結論を言うと、全ての信徒を守るのは無理だ。
けれども、その事実を堕天使の前で口にするのは憚られた。
私が何も言わないでいると、堕天使が苛ついた顔つきで私の頭を殴ろうとした。
咄嗟に腕で拳を受けたけれども、反動でまた床に伏してしまう。
堕天使が言う。
「私が手を出さないで居たら、あのカミーユとか言うお針子は、貴族に手込めにされる所だったのだぞ!」
「えっ?」
堕天使が言っている貴族というのは、最近カミーユ君からよく聞く、刺繍の教え子だろうか。
しかし、いくら何でも、女性がその様な強引な事をするとは思えない。
「一体どういう事なんですか?」
私の問いに、堕天使はこう説明した。
安息日の午後に刺繍を教えている婦人の夫が、自室へとカミーユ君を呼び出し、強引に迫ったというのだ。
それに気付いた堕天使が、婦人の前に姿を顕し、不安を煽ってカミーユ君の元へと誘導して、何とか事なきを得たらしい。
それを聞いて、私は思わず顔を青くした。
堕天使に助けられること自体にも抵抗はあるが、そこで助けてくれなかったら、カミーユ君がどうなっていたのか。それを考えるだけで恐ろしい。
私は、カミーユ君から聞いた話だけで、その貴族を信用していた事を恥じる。
今回ばかりは堕天使に殴られるのも、神様の罰だと思って受け入れよう。そう思い固く指を組むと、堕天使が私の胸ぐらを掴み、視線を合わせてこう言った。
「あの貴族にはそれ相応の事をさせて貰う。邪魔はさせないからな」
何をする気なのかはわからないが、きっと報復するつもりだろう。
本来ならば私は堕天使の行為を止めなければいけないのだろうが、カミーユ君の身に降りかかったことを考えると、止める気が起きなかった。
それから少し経って、秋薔薇が花開く様になった頃。私の耳にある噂が入る様になった。
或る貴族の庭園で栽培している薔薇が、一様に黒い花を付けたというのだ。
あの様な黒い薔薇は見たことが無い、あの貴族はきっと、悪魔を崇拝する魔女なのだろう。そう囁かれている。
その話を聞いて、思わずぞっとした。
黒い薔薇が咲いたというのは、きっとあの堕天使の仕業だろう。
黒い薔薇の園の噂を聞いたらしく、ある日の昼間、カミーユ君が懸命に車椅子を漕いで、私の教会へとやって来てこう訊ねてきた。
「神父様、最近黒い薔薇の噂が流れていますけど、実は、僕の所にも黒い薔薇が有ったことがあって……」
不安そうにそう語るカミーユ君の肩を軽く叩き、屈んで視線を合わせる。
「知っていますよ。だいぶ前に、君たち兄弟にお守りのメダイを渡したでしょう。
それを持っていれば、悪魔は寄ってきませんよ」
私がなるべく優しい口調を心がけてそう言うと、カミーユ君は頭を振ってこう言う。
「そうでは無くて、あの、今、黒い薔薇の噂が流れている方も、本当は魔女では無くて、悪魔に呪われているだけなんじゃ無いかと思って、それが気になってるんです」
もしかして、カミーユ君はあの貴族が魔女裁判に掛けられるのを恐れているのだろうか。
優しい彼のことだ、どんな相手であれ、惨たらしい目には遭って欲しくないのだろう。
私はこう答える。
「私は、その貴族は魔女では無いと思います。
けれど、町の人達がどう思うか、どうするかまでは、私の与り知らぬ所です」
嘘は言っていない。堕天使があの貴族に手を加えていると言う事を黙っているだけだ。
この事を隠すことは、偽りを言うことと同じになるかもしれない。
「心配ですか?」
私が問う。
「わからないです」
彼は答える。
憂いを瞳に宿らせるカミーユ君の顔を見て、私は立ち上がり、車椅子を祭壇の前へと押していく。
「祈りましょう。そうすることが、私達にとって一番良い方法でしょう」
「……はい」
瞼を閉じて指を組み、祈るカミーユ君の横で、堕天使の行いを見過ごしている自分にも、いつか神様の罰が下るのだろうかと、ふと思った。
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