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2010年
75:花をその指に
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花の蕾も綻び始めた頃。その日は快晴で、春らしい暖かな日差しが降り注いでいた。
シムヌテイ骨董店では、既にだるまストーブも片付け、お茶を淹れるのはティーポットだ。今日のお茶は、薔薇の蕾。ピンク色の、綻ぶ前の蕾を乾燥させた物だ。それには、まだお湯は注いでいなかった。店主の真利は、落ち着かない様子でいつもの赤い椅子に座って居る。手には、小さな白い箱を持っていた。
先日、理恵から思いを告げられて、今日で一ヶ月になる。あの時すぐに答えを出せず、猶予を貰った一ヶ月がようやく過ぎたのだ。
今日本当に、理恵は来てくれるだろうか。こんなに誰かを待ちわびるというのは、ここ数年無かった気がする。自分以外に誰も居ない店内で、時折深呼吸をして、気持ちを落ち着かせていた。早く理恵に来て欲しいような、もう少し時間が欲しいような、複雑な気持ちだ。
動悸を感じながら待っていることしばらく、店の扉がそっと開いた。
「いらっしゃいませ」
勤めていつも通りになるようそう声を掛けると、入ってきたのは、首にマフラーを巻き、黒いタイツを履いた制服姿の理恵だった。
その姿を見て、真利は自分の手が震えるのを感じた。
「……お待ちしておりました」
倚子から立ち上がり、理恵を店の奥へと招く。それから、いつも座って居る別珍張りの赤い倚子を理恵に勧める。
「どうぞ、こちらにお掛け下さい」
それに、理恵は驚いたような顔をする。
「えっ? これ、真利さんの倚子ですけど、良いんですか?」
「ふふっ、今日は特別です」
恐る恐る理恵がその倚子に腰掛けると、真利は理恵から一歩離れたところに立ち、一礼をして口を開いた。
「一ヶ月考えました」
少し固い口調で言われた言葉を、理恵はじっと聞いている。
「僕と理恵さんは、年が離れています。もしお付き合いをする事になって、それからの人生をずっと一緒に歩むことになったら、僕はきっと、あなたを置いて行ってしまうと思います」
理恵が少し悲しそうな顔をするが、真利は言葉を続ける。
「それと、僕は今の仕事を捨てることは出来ません。時々、あなたのことを置いて何処かに行ってしまうこともあります」
ここまでの言葉で、理恵は断られると思ったのだろう。片手で、目を擦っている。そんな理恵の前で、真利が持っていた小さな箱を開け、跪いてこう言った。
「そんな僕でもよろしければ、お付き合いしていただけませんか?」
その言葉は少し震えていて、真利の頬は紅潮していた。理恵も頬を染めていて、言葉が出ないようだ。理恵の左手をそっと取り、真利がはっきりとした口調で言葉を続ける。
「もし受けてくださるのでしたら、この指輪をあなたの指に填めることをお許しください、レディ」
真利が持っている箱には、白い金属の花と輝くラインストーンがあしらわれた、小さな指輪が入っている。それを見た理恵が、ふわりと笑って答えた。
「はい。お願いします」
理恵の言葉を聞いて、真利は箱の中から指輪を取りだし、そっと理恵の薬指に填めた。
「……今日この時から、あなたは僕のマイ・レディです。
これから末永く、よろしくお願いします」
真利が理恵を見上げて微笑むと、理恵は笑ったまま、ぽろぽろと涙を零し始めた。真利は理恵の手から手を離し、長い指で理恵の頬を濡らす涙を拭う。理恵の涙をすっかり拭うと、真利は立ち上がって言う。
「それでは、お茶でも飲んで落ち着きましょうか。薔薇のお茶を淹れる準備をしてあるんですよ」
真利がくすりと笑ってそう言うと、理恵は嬉しそうに返事をする。
「それじゃあ、いただきます」
「かしこまりました。ではただいまご用意いたします」
真利はレジカウンターの裏に回り、棚からワイルドストロベリーの柄のカップを取りだし、レジカウンターの上に置く。それから、ポットの中にお湯を注いでそれもレジカウンターの上に置いた。
「そう言えば、理恵さんに召し上がっていただこうと思って用意していた物が有るんです」
「え? なんですか?」
不思議そうな顔をする理恵に、真利は棚から出した透明な袋を見せて笑う。その中には、木の棒に粗目が固まっているものが入っていた。
「キャンディースティックです。こういう日には、ぴったりでしょう?」
悪戯っぽく笑う真利を見て、理恵は照れ笑いを返す。この様子を見る限り、どう言う意味なのかはわかって居るようだった。蜂蜜色のお茶をカップに注ぎ、それぞれ一本ずつキャンディースティックをお茶に入れてかき混ぜる。少しずつ、砂糖が溶けるのが見えた。それを見て真利は思う。
ああ、自分の心も、知らぬ間にとかされていたのだな。と。
シムヌテイ骨董店では、既にだるまストーブも片付け、お茶を淹れるのはティーポットだ。今日のお茶は、薔薇の蕾。ピンク色の、綻ぶ前の蕾を乾燥させた物だ。それには、まだお湯は注いでいなかった。店主の真利は、落ち着かない様子でいつもの赤い椅子に座って居る。手には、小さな白い箱を持っていた。
先日、理恵から思いを告げられて、今日で一ヶ月になる。あの時すぐに答えを出せず、猶予を貰った一ヶ月がようやく過ぎたのだ。
今日本当に、理恵は来てくれるだろうか。こんなに誰かを待ちわびるというのは、ここ数年無かった気がする。自分以外に誰も居ない店内で、時折深呼吸をして、気持ちを落ち着かせていた。早く理恵に来て欲しいような、もう少し時間が欲しいような、複雑な気持ちだ。
動悸を感じながら待っていることしばらく、店の扉がそっと開いた。
「いらっしゃいませ」
勤めていつも通りになるようそう声を掛けると、入ってきたのは、首にマフラーを巻き、黒いタイツを履いた制服姿の理恵だった。
その姿を見て、真利は自分の手が震えるのを感じた。
「……お待ちしておりました」
倚子から立ち上がり、理恵を店の奥へと招く。それから、いつも座って居る別珍張りの赤い倚子を理恵に勧める。
「どうぞ、こちらにお掛け下さい」
それに、理恵は驚いたような顔をする。
「えっ? これ、真利さんの倚子ですけど、良いんですか?」
「ふふっ、今日は特別です」
恐る恐る理恵がその倚子に腰掛けると、真利は理恵から一歩離れたところに立ち、一礼をして口を開いた。
「一ヶ月考えました」
少し固い口調で言われた言葉を、理恵はじっと聞いている。
「僕と理恵さんは、年が離れています。もしお付き合いをする事になって、それからの人生をずっと一緒に歩むことになったら、僕はきっと、あなたを置いて行ってしまうと思います」
理恵が少し悲しそうな顔をするが、真利は言葉を続ける。
「それと、僕は今の仕事を捨てることは出来ません。時々、あなたのことを置いて何処かに行ってしまうこともあります」
ここまでの言葉で、理恵は断られると思ったのだろう。片手で、目を擦っている。そんな理恵の前で、真利が持っていた小さな箱を開け、跪いてこう言った。
「そんな僕でもよろしければ、お付き合いしていただけませんか?」
その言葉は少し震えていて、真利の頬は紅潮していた。理恵も頬を染めていて、言葉が出ないようだ。理恵の左手をそっと取り、真利がはっきりとした口調で言葉を続ける。
「もし受けてくださるのでしたら、この指輪をあなたの指に填めることをお許しください、レディ」
真利が持っている箱には、白い金属の花と輝くラインストーンがあしらわれた、小さな指輪が入っている。それを見た理恵が、ふわりと笑って答えた。
「はい。お願いします」
理恵の言葉を聞いて、真利は箱の中から指輪を取りだし、そっと理恵の薬指に填めた。
「……今日この時から、あなたは僕のマイ・レディです。
これから末永く、よろしくお願いします」
真利が理恵を見上げて微笑むと、理恵は笑ったまま、ぽろぽろと涙を零し始めた。真利は理恵の手から手を離し、長い指で理恵の頬を濡らす涙を拭う。理恵の涙をすっかり拭うと、真利は立ち上がって言う。
「それでは、お茶でも飲んで落ち着きましょうか。薔薇のお茶を淹れる準備をしてあるんですよ」
真利がくすりと笑ってそう言うと、理恵は嬉しそうに返事をする。
「それじゃあ、いただきます」
「かしこまりました。ではただいまご用意いたします」
真利はレジカウンターの裏に回り、棚からワイルドストロベリーの柄のカップを取りだし、レジカウンターの上に置く。それから、ポットの中にお湯を注いでそれもレジカウンターの上に置いた。
「そう言えば、理恵さんに召し上がっていただこうと思って用意していた物が有るんです」
「え? なんですか?」
不思議そうな顔をする理恵に、真利は棚から出した透明な袋を見せて笑う。その中には、木の棒に粗目が固まっているものが入っていた。
「キャンディースティックです。こういう日には、ぴったりでしょう?」
悪戯っぽく笑う真利を見て、理恵は照れ笑いを返す。この様子を見る限り、どう言う意味なのかはわかって居るようだった。蜂蜜色のお茶をカップに注ぎ、それぞれ一本ずつキャンディースティックをお茶に入れてかき混ぜる。少しずつ、砂糖が溶けるのが見えた。それを見て真利は思う。
ああ、自分の心も、知らぬ間にとかされていたのだな。と。
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