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2007年
45:紅葉の色
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残暑は厳しいけれども、いくらか吹く風が涼しくなった頃。その日は快晴で、雲ひとつなかった。
近頃は冷房をかけると少し冷え気味になってしまうので、真利はいつもの倚子に腰掛けて、温かいお茶を飲んでいた。今日のお茶は、桂花と雪茶のブレンドだ。蜂蜜色のお茶からは、きらきらした金木犀の甘い香りがした。
カップを傾け、口に含む。冷房で冷えている体に温かさが染み渡るようだ。
「そろそろ、大屋さんに言ってエアコンを取り替えて貰うべきですかねぇ」
シムヌテイ骨董店に備え付けてあるエアコンは、真利や林檎が店を開く前から有る物で、一体何年ものなのかがわからない古い物だ。夏場は冷房が効きすぎて冷えてしまうことがあるし、冬場は雪が室外機に積もったりすると、動かなくなってしまうこともある。
「大屋さんに申し立てるなら、林檎さんと一緒に行った方が良いかな」
お茶を飲みながらそんな事を呟いていると、入り口の扉が静かに開いた。
「いらっしゃいませ」
真利がそう挨拶すると、入ってきたのは煉瓦色の髪の毛を顎のラインで切りそろえ、紬の着物に袴を着た男性。手には和紙で包まれている、青々としたモミジの枝を持っていた。
「やぁ、お久しぶり」
「思金さん、お久しぶりです。
そのモミジは花屋さんで買われたのですか?」
手に持ったモミジを珍しいと感じた真利がそう訊ねると、思金はにこりと笑ってこう言った。
「そうそう。花屋さんで見掛けたから、真利さんの所に持ってこようと思ったんです」
「そうなのですね、ありがとうございます」
植物の差し入れは初めてだなと思いながら見ていると、思金がきょろきょろと店内を見回して真利に訊ねる。
「ところで、金木犀の匂いがしますけど、近所に金木犀の木があるんですか?
それとも、香油を焚いているとか」
不思議そうにしている思金に、真利がティーポットを手に持って答える。
「ああ、今日は金木犀を混ぜたお茶を淹れたんです。それでですよ」
「金木犀のお茶ですか?
なるほど、僕も一杯いただきたいですね」
思金が興味深そうな顔をするので、真利は一旦ティーポットをレジカウンターに置き、木製の折りたたみ椅子を広げる。
「では、ご用意いたしますのでこちらにお掛けください」
「はい、ありがとうございます」
椅子に掛けたのを確認してから、真利はレジカウンターの裏にある棚から蓮の花の描かれたカップを出し、ポットからお茶を注ぐ。蜂蜜色のお茶から、甘い香りがまた立った。
「お待たせいたしました。こちらが桂花と雪茶のブレンドでございます」
「へぇ、雪茶ですか。珍しいですね」
思金にカップを渡し、真利も椅子に座って自分のカップを手に持つ。ふたりで温かいお茶を飲んで、話を始めた。
「雪茶なんてなかなか売っていないでしょう」
「そうですね、僕も、売っているお店はひとつしか知りません」
お茶の話をして、カップが空になった頃、思金がこんな話をした。
「そうそう、前に来た時にここで買ったホーリーカード。知り合いに渡したら喜んでいましたよ」
「そうなのですか、ありがとうございます。
ホーリーカードも、きれいな物を取りそろえた甲斐が有ります」
控えめな返事をする真利に、思金は満足そうに言う。
「あのカードは、人間の信仰が感じられてとても良いと言っていました」
「信仰、ですか?」
随分と変わった言い回しをするなと、真利は不思議に思う。思わずきょとんとしていると、思金が持って来たモミジの枝を手に取り、真利に見せる。
「真利さんは、モミジが赤くなる原理を知っていますか?」
「赤くなる原理ですか? えっと確か、気温が下がってくると葉まで養分が行かなくなって、アントシアニンの量が増えるからだと聞いたことは有りますが、ちょっと確実なことはわからないです」
真利の回答を聞いて、思金は満足そうに微笑む。
「そうですね、色々と細かい原因はありますが、赤く見える主な要因はアントシアニンです」
「それが、なにか?」
不思議そうにする真利の目の前で、思金がモミジの枝に手をかざした。
「僕の智慧を持って、面白い物を見せましょう」
そう言ってすっと思金の手が、モミジの枝を根元から先端に向けて撫でていくと、緑色の葉が瞬く間に朱くなった。
「えっ……? あの、これは、手品ですか?」
突然の事に驚いて真利が訊ねると、思金はにこりと笑って返す。
「僕からすれば手品みたいな物だね。
前に来た時に良い買い物をさせて貰ったし、今日もお茶を貰ったし、お礼に驚かせようと思って」
そう差し出されたモミジの枝は、本物の木の枝に見えた。一体何故、どうやって葉を紅葉させたのか。もしかして、ここに持ってくる前に特殊な液体に漬けでもしたのだろうか。
ぐるぐると考えても種がわからず、戸惑うしか無い。
「え? これは、え?」
戸惑った様子でモミジの葉を一枚ずつ見ている真利に、思金がくすくすと笑って言う。
「君は随分と謙虚なようだから見せても良いかなと思ってね。
まるで奇跡みたいだろう?」
近頃は冷房をかけると少し冷え気味になってしまうので、真利はいつもの倚子に腰掛けて、温かいお茶を飲んでいた。今日のお茶は、桂花と雪茶のブレンドだ。蜂蜜色のお茶からは、きらきらした金木犀の甘い香りがした。
カップを傾け、口に含む。冷房で冷えている体に温かさが染み渡るようだ。
「そろそろ、大屋さんに言ってエアコンを取り替えて貰うべきですかねぇ」
シムヌテイ骨董店に備え付けてあるエアコンは、真利や林檎が店を開く前から有る物で、一体何年ものなのかがわからない古い物だ。夏場は冷房が効きすぎて冷えてしまうことがあるし、冬場は雪が室外機に積もったりすると、動かなくなってしまうこともある。
「大屋さんに申し立てるなら、林檎さんと一緒に行った方が良いかな」
お茶を飲みながらそんな事を呟いていると、入り口の扉が静かに開いた。
「いらっしゃいませ」
真利がそう挨拶すると、入ってきたのは煉瓦色の髪の毛を顎のラインで切りそろえ、紬の着物に袴を着た男性。手には和紙で包まれている、青々としたモミジの枝を持っていた。
「やぁ、お久しぶり」
「思金さん、お久しぶりです。
そのモミジは花屋さんで買われたのですか?」
手に持ったモミジを珍しいと感じた真利がそう訊ねると、思金はにこりと笑ってこう言った。
「そうそう。花屋さんで見掛けたから、真利さんの所に持ってこようと思ったんです」
「そうなのですね、ありがとうございます」
植物の差し入れは初めてだなと思いながら見ていると、思金がきょろきょろと店内を見回して真利に訊ねる。
「ところで、金木犀の匂いがしますけど、近所に金木犀の木があるんですか?
それとも、香油を焚いているとか」
不思議そうにしている思金に、真利がティーポットを手に持って答える。
「ああ、今日は金木犀を混ぜたお茶を淹れたんです。それでですよ」
「金木犀のお茶ですか?
なるほど、僕も一杯いただきたいですね」
思金が興味深そうな顔をするので、真利は一旦ティーポットをレジカウンターに置き、木製の折りたたみ椅子を広げる。
「では、ご用意いたしますのでこちらにお掛けください」
「はい、ありがとうございます」
椅子に掛けたのを確認してから、真利はレジカウンターの裏にある棚から蓮の花の描かれたカップを出し、ポットからお茶を注ぐ。蜂蜜色のお茶から、甘い香りがまた立った。
「お待たせいたしました。こちらが桂花と雪茶のブレンドでございます」
「へぇ、雪茶ですか。珍しいですね」
思金にカップを渡し、真利も椅子に座って自分のカップを手に持つ。ふたりで温かいお茶を飲んで、話を始めた。
「雪茶なんてなかなか売っていないでしょう」
「そうですね、僕も、売っているお店はひとつしか知りません」
お茶の話をして、カップが空になった頃、思金がこんな話をした。
「そうそう、前に来た時にここで買ったホーリーカード。知り合いに渡したら喜んでいましたよ」
「そうなのですか、ありがとうございます。
ホーリーカードも、きれいな物を取りそろえた甲斐が有ります」
控えめな返事をする真利に、思金は満足そうに言う。
「あのカードは、人間の信仰が感じられてとても良いと言っていました」
「信仰、ですか?」
随分と変わった言い回しをするなと、真利は不思議に思う。思わずきょとんとしていると、思金が持って来たモミジの枝を手に取り、真利に見せる。
「真利さんは、モミジが赤くなる原理を知っていますか?」
「赤くなる原理ですか? えっと確か、気温が下がってくると葉まで養分が行かなくなって、アントシアニンの量が増えるからだと聞いたことは有りますが、ちょっと確実なことはわからないです」
真利の回答を聞いて、思金は満足そうに微笑む。
「そうですね、色々と細かい原因はありますが、赤く見える主な要因はアントシアニンです」
「それが、なにか?」
不思議そうにする真利の目の前で、思金がモミジの枝に手をかざした。
「僕の智慧を持って、面白い物を見せましょう」
そう言ってすっと思金の手が、モミジの枝を根元から先端に向けて撫でていくと、緑色の葉が瞬く間に朱くなった。
「えっ……? あの、これは、手品ですか?」
突然の事に驚いて真利が訊ねると、思金はにこりと笑って返す。
「僕からすれば手品みたいな物だね。
前に来た時に良い買い物をさせて貰ったし、今日もお茶を貰ったし、お礼に驚かせようと思って」
そう差し出されたモミジの枝は、本物の木の枝に見えた。一体何故、どうやって葉を紅葉させたのか。もしかして、ここに持ってくる前に特殊な液体に漬けでもしたのだろうか。
ぐるぐると考えても種がわからず、戸惑うしか無い。
「え? これは、え?」
戸惑った様子でモミジの葉を一枚ずつ見ている真利に、思金がくすくすと笑って言う。
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まるで奇跡みたいだろう?」
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