シムヌテイ骨董店

藤和

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2004年

5:饕餮紋

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 新緑が眩しくなった頃、ゴールデンウィーク中に仕入れに出かけていた林檎が、久方ぶりにとわ骨董店にやって来た。
 良く晴れて爽やかな日なのにもかかわらず、シムヌテイ骨董店ととわ骨董店、どちらにもお客さんが来ていなかった。真利はひとり、お茶を飲みながら椅子に座って居る。
 今日のお茶は、緑茶だ。それも、林檎が前回仕入れに出かけたときにお土産として貰った上等な物。淹れるお湯の温度は実にシビアで、六十度ほどという低温で淹れなくてはならない。沸騰したお湯を、ポットから他の容器に注いで移す。その容器から、ティーポットにお湯を注ぐ。こうすると良い具合にお湯の温度が下がるのだと聞いたのは、誰からだっただろうか。

「安吉緑茶なんて、畏れ多いけれど」

 そう呟いて、真利が緑茶に口を付ける。
 カップの中の緑茶を飲みきって一息ついて。それでもお客さんが来る気配は無い。
 それならばと思い立った真利が倚子から立ち上がる。ドアを開けて外に出て、下げている『OPEN』の札の上に外出中の札をかけた。

 そして向かったのはとわ骨董店。仕入れをしてきたばかりの品物を、見せて貰おうと思ったようだ。

「林檎さん、今回は何か珍しい物有った?」
「珍しい物? まあ基本的に珍しい物を仕入れては居るんだけど、そうだなぁ」

 暖色電球が照らす店内を回って、林檎が棚の上から幾つか小物を手に取って持ってくる。それは、層になった色硝子を削って模様を描いた鼻煙壺であったり、三本足の蛙を模った小さな木製の像であったり、白菜の形に削られた翡翠であったりした。
 それを見て真利は、確かに日本では珍しいかも知れないけれど、中国では一般的な物だなと思った。けれども、林檎が最後に見せた物は、見覚えが有るけれど見覚えの無い物だった。

「真利さん、この、饕餮紋の青銅器、どう思う?」
「え? なんだろう?
饕餮紋は一般的な物だけど、これ、饕餮紋のマスク……?」

 林檎が差し出したその青銅器は、丁度顔の上半分を覆い隠せるような大きさのマスクになっていた。その表面には、饕餮という伝説上の生き物の顔が文様として刻まれている。

「もしかしてこれ、博物館に持っていった方が良いのでは?」
「なのかなぁ。向こうの蚤の市で結構安値で売ってたから、割と近代に作られた物かなって思ったんだけど」

 とは言った物の、林檎自身も自分の目で見ただけで年代が特定出来るほど、考古学に詳しいわけでは無い。このマスクは一体何なのか、どう言った目的で作られたのか、ふたりで暫く悩んだけれども、ただ頭が疲れるだけで結論は出なかった。

「ちょっと私達には難しすぎる問題だったみたいね。
お香焚いて気分転換しよっか」
「そうですね。今日のお香は何ですか?」
 そう言えば、いつもは焚いているお香をまだ焚いていないなと、真利も気づく。
「そうね、少し気分を上げたいから……」

 林檎は手際よく香炉に火を入れ、雲母の板を灰の上に乗せる。更にその上に乗せたのは、柔らかい黄色をした小さな欠片だった。
 ゆっくり細いと煙が立ち上り、甘く気怠げな香りが漂う。

「コパルですか」
「そう。冬の間に買いだめておいたの」

 コパルというのは、所謂琥珀だ。琥珀の中でも年の若いものをコパルという。
 コパルは樹脂が化石化した物なので、火にくべるとこうやって甘い香りを放ちながら燃えていく。
 この太古の香りを感じている内に、ふたりとも饕餮紋のマスクの謎は、置いておいても良いかと言う気分になってきたようで、取り敢えずホームページに珍しい逸品が入ったというのを載せておこうと、そう言う話で纏まった。

 それから数日後。良く晴れて雲が見当たらない日のこと、林檎が慌てた様子でシムヌテイ骨董店の扉を叩いた。

「あれ? どうしたんですか、林檎さん」

 薔薇の花びらが入った白茶を飲んでいた真利がきょとんとして訊ねると、林檎が震える声でこう言った。

「さっき、国立博物館の人から電話が来て、あの、饕餮紋のマスクを見せて欲しいって……」

 その言葉に、真利は驚きと同時に、やはりな。と言う思いも浮かぶ。
 突然の事で動揺しているのだろう、忙しなく髪を纏めている髪飾りに触る林檎に、真利はもう一つカップを出してきてお茶を注いで差し出す。

「取り敢えず、落ち着いて下さい。
こちらから行かずに済んだのは手間が省けた位に思った方が良いですよ」
「でも、国立博物館……国立博物館だよ?」

 これは相当混乱している。そう察した真利は、お茶の入ったカップを指さして言う。

「このカップはあなたの好きな萩焼です。
しかも、萩まで買い付けに行った物ですよ。如何です?」

 それを聞いて、林檎は咄嗟にカップを手に取った。

「では、お茶も飲んで下さいね」
「……あ。
あ、ありがとうございます」

 好きな物を出されて脊髄反射で手に取ってしまった林檎だけれども、カップに入った華やかなお茶を飲んで、ようやく落ち着いたようだ。
 お茶をちびちびと飲みながら、林檎が話を続ける。

「それで、来週辺り博物館の人が来るってことになったんだよね」
「なるほど、それは大変ですが、上手くやって下さいね」
「まぁ、やましいことは何も無いしね」

 お茶を飲んで、お茶請けの茶梅をふたりで一粒ずつ食べて。ちょっとした事件はあったけれども、またいつも通りの日常に戻ったのだった。
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