この街に笛吹き男はいない

藤和

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第十章 遠方からの手紙

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 毎日黒死病患者の往診をする日々。その日々の中で、リンネを含む医者達は毎日街の教会を訪れていた。訪れている理由は、この教会の聖職者と有志の街の人達が集まって、黒死病の発症者数と死亡者数を記録しているのだ。その記録のために、医者達は前日までの新患の数と死者の数を伝えに教会を訪れる。
「わかっていたけれど、これはひどいね」
 リンネが前日の記録を渡す傍らで、今までの記録を見た他の医者が苦々しく呟いた。
「どれくらいになっているんですか?」
 そいういってリンネが記録を見せてもらうと、死者の数が増えているのは当然として、新しく黒死病を発症する患者の数が、日ごとに増えている。それも、ただ増えているのではなく飛躍的に。と言って良いほどの数字だった。思わず暗い顔をする。暗い顔をしたとしても、往診用に着けたマスクを被ったままなので、誰にもそれはわからないのだけれど。
 前日までの記録を担当の人に渡し、聖堂の中を見渡す。記録をまとめる仕事をしている人だけでなく、ぽつりぽつりと長椅子に座って祈っている人もいる。こんなに不安で溢れる毎日だ、平常時でさえ祈りを心に支えにしている人もいるのだから、礼拝の無い日でも祈りを上げる人がいるのは何ら不思議ではない。
 熱心に祈る人を見て、しばしぼんやりとする。そうしていたら、この教会の神父様がその場にいる医者達を集めはじめた。
「どうなさいました?」
「何かご用で?」
 不思議そうに神父様の回りに集まる医者達。その彼らに、年老いているけれども背筋がよく伸びた神父様が一通の手紙を見せた。
「他の街の修道院から手紙が来ていてね、これはあなた方に見せなくてはいけないのではないかと思ったんですよ」
「私たちに?」
 不思議そうにしている医者のうちひとりが、神父様から手紙を受け取った。早速手紙を開いて読んで、ちいさく、けれども驚いた声を上げた。
「黒死病の感染経路についての報告だ」
 それを聞いて医者達の間に衝撃が走る。今まで黒死病がどこから来て、どの様に広がるかが全くわかっていなかった。それ故に、どうやって防げば良いかもわからなかったのだ。だから、感染経路がわかると言うことは今後の事態改善のための大きな一歩になり得るのだ。
「一体、どうやって感染するのかね?」
 興奮を抑えるような声でひとりの医者が訊ねる。手紙を手に持った医者がそれを読み上げた。
「肝心の部分だけ読みますね。
黒死病の感染経路には、ふたつの重要な要素があります。ひとつは鼠、そしてもうひとつは蚤です」
 そこまで聞いて、医者達が顔を見合わせる。読んでいる医者も納得できているかはわからないけれども、続きを読み進める。
「黒死病は遙か昔に異国より大きな鼠によってもたらされたと考えられます。
その鼠が運んできた蚤、その蚤は黒死病を鼠から受け取り、他の動物へと黒死病を橋渡しし、息絶えます。
黒死病を持った蚤を、現在最も保有しているのは街中の片隅で暮らす小さな鼠。穀物を付け狙うあの鼠です。その鼠から蚤をうつされた運の悪い人間が、黒死病にかかる確率が高いと推測されます。
ですからして、街中で息絶えている鼠を見たら、鼠を駆除するのが、感染防止のひとつめの手段。そして、黒死病で亡くなった患者の掛布や服などの布類を、石灰や熱で消毒するのです。蚤を殺し尽くすように」
 それを聞いた医者達は、しばし黙り込んだあと、それは本当のことなのかと疑問を口にする。それもそうだろう、この医者達の中だけでも、病気にかかる原因の考え方が違う。狭い空間に溜まった瘴気が原因だと考える医者もいるし、病人と直接触れることで感染すると考える医者もいるのだ。
 そんな中、リンネが冷静に口を開いた。
「この手紙を書いた方の推測は、信憑性があります。
皆さんはジュルムという言葉を聞いたことがあるでしょうか。この街が閉鎖される前のことではありますが、近頃新しく発表された病の原理です。
病の原因は、ごくごく小さな悪い生き物が原因で、それを体内に取り込むことで発症するという考えです。
この理論とその手紙の主張は大部分が重なります。蚤が鼠から鼠へとジュルムを運び、その鼠がまた蚤にジュルムを与え、蚤が人間にうつす。そういうことです」
 医者達が納得したかはわからない。けれども、旧来の考え方では現状が突破できないのもわかっているようだった。
「リンネ君が獣を焼いていたのは、正しいことだったのか」
 誰ともなしにそう言った。
 医者達の相談が始まる。これからは石灰も用意して消毒をした後、熱での消毒も推奨するべきだとか、まだ感染していない人も、なるべく衣類に熱を当てるように指示するだとか、そんな事だ。
 ひとしきり今後の方針を決めたところで、医者達は解散した。リンネもこのまま往診に向かおうかと思ったけれども、その前にここで神様に祈っていこうと長椅子に腰掛けた。
 指を組んで目を閉じる。そして、しずかに、しずかに心の中で言葉を紡ぐ。どうか早く黒死病が治まりますように。早く解決しますように。亡くなった人々が安らかであるように。それから、どうしても考えてしまう。今ここに先生がいたらどうしていただろう。考えてもせんのないことなのに。
 短い祈りのあと、椅子から立ち上がる。教会の外からは街の人々のざわめきが聞こえる。賑やかな筈なのに、なぜか妙に静かで、陰鬱なように聞こえた。
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