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第三章 歌えヒバリ
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ある日曜日の朝、リンネはイーヴとともに教会の礼拝に参加した。
この教会の礼拝に来るのは毎週のことで、余程の急患でも出ない限りは、ふたりとも街の人々とともに平和と安寧を祈り、求めている。静かな教会に鐘の音が響く。礼拝が始まる時間だ。赤い布がかけられた祭壇の右手側には、この教会所属の合唱団が立っている。礼拝のはじめに、彼らの合唱があるのだ。
朗々とよく響く低い声で、神を讃える歌が空間を満たす。体に染み渡るような心地よい声だ。
ロザリオを握って聴き入っていたリンネはふと思う。今ここで聴いている聖歌の合唱と、オペラの歌はやはり違う物なのだろうか。
そしてすぐに気づく。教会で歌われる聖歌と、俗世の物であるオペラの歌を比べるなんて、なんて畏れ多いことをしてしまったのだろうと。神様に捧げられる聖歌は神聖なもので、他の歌とは比べようもないのだ。
ぎゅっと目を瞑って心の中で神様に謝り、ロザリオを握り直す。それから改めて合唱に耳を傾けると、心が洗われるようだった。
合唱が終わり、神父様の説法が始まる。まずは聖書の一節を読み上げ、それに関する最近の出来事、気をつけなくてはいけないこと、そして心がけることなどを、それぞれわかりやすく構成して話している。
リンネは、この神父様の説法が好きだった。ただただ聖書を読んで実行できるかわからない綺麗事を並べるのではなく、地に足の付いた、提案する意見として話しているように感じられるのだ。
内心で相づちを打ちながら説法を聴き、ふと、隣に座るイーヴのことを横目で見る。すると、いかにも難しい顔で話を聞いているようだった。イーヴは興味が無い話の時はすぐに寝てしまうので、今日も寝てしまっていないか、それをリンネは気にしたのだ。
説法が終わり、ロザリオの祈りをする。皆一体何を祈っているのだろうか。それはきっと本人にしかわからないことだし、本人以外に知られてはいけないことなのだろう。リンネも、祈っていることの内心を知られたくはなかった。
教会での礼拝が終わり、今日は天気が良いからとイーヴが散歩でもしようと提案してきた。普段薄暗い調剤室での仕事が多いリンネも、たまには買い物や洗濯以外で外を散策するのは好ましいことだった。
公園に行くと、同じことを考えたのか教会帰りの人と時々すれ違う。ふたりはそんな人達と挨拶を交わしながらゆったりと公園を歩いた。
鳥の声が聞こえる中、ほのぼのと歩いていると、一斉に鳥が羽ばたく音が聞こえた。それと同時に、とても大きな、澄んだ歌声が聞こえてきた。
「えっ? この歌、なんなんでしょう」
リンネが疑問を口にすると、イーヴは驚いた顔から納得した様な表情になってこう答えた。
「気になるかな。きっとどこかの誰かが散歩の暇つぶしに歌っているんだろう。
見に行くかい?」
「い、行きます!」
聴いたことのない歌声にリンネの気持ちが昂ぶる。そんなリンネの前をイーヴが歩いて行く。彼はどの方向から音が聞こえているかを察することに長けているのだ。
少し歩いて見えてきたのは、大きな木の下で子供達に囲まれ、朗々と歌っているひとりの男。彼の顔つきは少々幼いものの大人のものだけれども、低い身長と、柔らかく揺れる若草色の髪の彼は少年のようだった。彼を少年のように見せているのはその風貌だけではない。彼がその唇から紡ぐ歌声はあまりにも高く、ボーイソプラノと言っても差し支えがなかった。
リンネもイーヴも、しばし呆然とその歌を聴く。そしてふと気づいた。彼の顔は普段教会で見ないものなのだ。
どこの誰だろう。そう思いはしたけれども、この圧倒的な歌の前では、それは些細な疑問でしかなかった。
夢心地で歌を聴いているうちにも、歌っている彼の周りに人が集まってくる。はじめは子供にせがまれて歌っていたのだろうなと言う彼は、集まってきた大人達にも手を振って笑顔を振りまいている。
彼が何曲か歌を歌って、最後に優雅なお辞儀をしてその場を去ったあと、周りの人々は彼は一体何者なのか。そんな話をしていた。
「イーヴさん、あの人何者だったんでしょうね」
「うーん、あそこまで歌える人ってなると、もうオペラ歌手しか思いつかないなぁ。私は」
オペラ歌手というのはあんな風に歌えるものなのかという思いと、やはり教会の合唱団とは全く違う物なのだなという思いがリンネの中に湧いてくる。違う物ではあるけれども、どちらが優れていてどちらが劣っているというのはリンネにはわからないし、比べてもしょうのないことなのだろう。
もうそろそろ昼食の時間だ。イーヴもお腹を空かせているだろうし、帰ったら支度をしないと。そんな話をしながら街中を歩いていると、ふと小さな塊がリンネの目に入った。
「ん? どうした」
不思議そうな顔をするイーヴから少し離れて、リンネはじっと目を凝らしてその塊を見る。
「鼠が死んでるようですね」
それを聞いたイーヴは眉をしかめて訊ねる。
「リンネ君、また焼くのかい」
「そうですね。放っておくと良くありません」
リンネはこの街に来てから、野良犬や野良猫、それに鼠が街中で死んでいるのを見掛け次第炎で焼き尽くして処理をするということをしている。焼く目的はいまだ理解されてはいないけれども、これは以前師事していた先生から教えられた、病から身を守るための方法なのだ。
家に帰るなり、薪と松毬を背負い、燐寸をポケットに入れ、革手袋を填めてすぐに先程の鼠の元へと戻る。
その鼠はまるで、瘴気を放っているようだった。
この教会の礼拝に来るのは毎週のことで、余程の急患でも出ない限りは、ふたりとも街の人々とともに平和と安寧を祈り、求めている。静かな教会に鐘の音が響く。礼拝が始まる時間だ。赤い布がかけられた祭壇の右手側には、この教会所属の合唱団が立っている。礼拝のはじめに、彼らの合唱があるのだ。
朗々とよく響く低い声で、神を讃える歌が空間を満たす。体に染み渡るような心地よい声だ。
ロザリオを握って聴き入っていたリンネはふと思う。今ここで聴いている聖歌の合唱と、オペラの歌はやはり違う物なのだろうか。
そしてすぐに気づく。教会で歌われる聖歌と、俗世の物であるオペラの歌を比べるなんて、なんて畏れ多いことをしてしまったのだろうと。神様に捧げられる聖歌は神聖なもので、他の歌とは比べようもないのだ。
ぎゅっと目を瞑って心の中で神様に謝り、ロザリオを握り直す。それから改めて合唱に耳を傾けると、心が洗われるようだった。
合唱が終わり、神父様の説法が始まる。まずは聖書の一節を読み上げ、それに関する最近の出来事、気をつけなくてはいけないこと、そして心がけることなどを、それぞれわかりやすく構成して話している。
リンネは、この神父様の説法が好きだった。ただただ聖書を読んで実行できるかわからない綺麗事を並べるのではなく、地に足の付いた、提案する意見として話しているように感じられるのだ。
内心で相づちを打ちながら説法を聴き、ふと、隣に座るイーヴのことを横目で見る。すると、いかにも難しい顔で話を聞いているようだった。イーヴは興味が無い話の時はすぐに寝てしまうので、今日も寝てしまっていないか、それをリンネは気にしたのだ。
説法が終わり、ロザリオの祈りをする。皆一体何を祈っているのだろうか。それはきっと本人にしかわからないことだし、本人以外に知られてはいけないことなのだろう。リンネも、祈っていることの内心を知られたくはなかった。
教会での礼拝が終わり、今日は天気が良いからとイーヴが散歩でもしようと提案してきた。普段薄暗い調剤室での仕事が多いリンネも、たまには買い物や洗濯以外で外を散策するのは好ましいことだった。
公園に行くと、同じことを考えたのか教会帰りの人と時々すれ違う。ふたりはそんな人達と挨拶を交わしながらゆったりと公園を歩いた。
鳥の声が聞こえる中、ほのぼのと歩いていると、一斉に鳥が羽ばたく音が聞こえた。それと同時に、とても大きな、澄んだ歌声が聞こえてきた。
「えっ? この歌、なんなんでしょう」
リンネが疑問を口にすると、イーヴは驚いた顔から納得した様な表情になってこう答えた。
「気になるかな。きっとどこかの誰かが散歩の暇つぶしに歌っているんだろう。
見に行くかい?」
「い、行きます!」
聴いたことのない歌声にリンネの気持ちが昂ぶる。そんなリンネの前をイーヴが歩いて行く。彼はどの方向から音が聞こえているかを察することに長けているのだ。
少し歩いて見えてきたのは、大きな木の下で子供達に囲まれ、朗々と歌っているひとりの男。彼の顔つきは少々幼いものの大人のものだけれども、低い身長と、柔らかく揺れる若草色の髪の彼は少年のようだった。彼を少年のように見せているのはその風貌だけではない。彼がその唇から紡ぐ歌声はあまりにも高く、ボーイソプラノと言っても差し支えがなかった。
リンネもイーヴも、しばし呆然とその歌を聴く。そしてふと気づいた。彼の顔は普段教会で見ないものなのだ。
どこの誰だろう。そう思いはしたけれども、この圧倒的な歌の前では、それは些細な疑問でしかなかった。
夢心地で歌を聴いているうちにも、歌っている彼の周りに人が集まってくる。はじめは子供にせがまれて歌っていたのだろうなと言う彼は、集まってきた大人達にも手を振って笑顔を振りまいている。
彼が何曲か歌を歌って、最後に優雅なお辞儀をしてその場を去ったあと、周りの人々は彼は一体何者なのか。そんな話をしていた。
「イーヴさん、あの人何者だったんでしょうね」
「うーん、あそこまで歌える人ってなると、もうオペラ歌手しか思いつかないなぁ。私は」
オペラ歌手というのはあんな風に歌えるものなのかという思いと、やはり教会の合唱団とは全く違う物なのだなという思いがリンネの中に湧いてくる。違う物ではあるけれども、どちらが優れていてどちらが劣っているというのはリンネにはわからないし、比べてもしょうのないことなのだろう。
もうそろそろ昼食の時間だ。イーヴもお腹を空かせているだろうし、帰ったら支度をしないと。そんな話をしながら街中を歩いていると、ふと小さな塊がリンネの目に入った。
「ん? どうした」
不思議そうな顔をするイーヴから少し離れて、リンネはじっと目を凝らしてその塊を見る。
「鼠が死んでるようですね」
それを聞いたイーヴは眉をしかめて訊ねる。
「リンネ君、また焼くのかい」
「そうですね。放っておくと良くありません」
リンネはこの街に来てから、野良犬や野良猫、それに鼠が街中で死んでいるのを見掛け次第炎で焼き尽くして処理をするということをしている。焼く目的はいまだ理解されてはいないけれども、これは以前師事していた先生から教えられた、病から身を守るための方法なのだ。
家に帰るなり、薪と松毬を背負い、燐寸をポケットに入れ、革手袋を填めてすぐに先程の鼠の元へと戻る。
その鼠はまるで、瘴気を放っているようだった。
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