嫌犬3rd

藤和

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第二十一章 夜景の綺麗なところで

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 悠希と千代子が付き合い始めてから数年経った。端から見ているとそれ以上の進展がないように見えるのか、紙の守出版の編集部へ行った際に、仕事の話しのあとに美言にこう聞かれた。
「ところで新橋先生、その後藤代さんとの仲に進展はないんですか?」
 その問いに、悠希ははにかみながらこう答える。
「えっと、一応結婚の話は出ています。
これから……」
「ほんとうですか!
それは今からお子さんが楽しみですね!」
 悠希の言葉を遮ってそういう美言に、悠希はたじたじとしてしまう。いくら結婚の話が出ているとは言え、子供の話はさすがにまだまだ早い気がするのだ。
 手振りでなんとか美言のことを落ち着かせ、悠希は言いかけた言葉の続きを口にする。
「それで、これから婚約するのに、今、婚約指輪をお店で作って貰ってるんです」
 それを聞いて美言はきょとんとする。
「千代子さんにはまだ内緒にしていて……」
 照れながらそういう悠希に、美言は意外といった顔をして言う。
「えっ、結婚の話が出てるのに、婚約はまだなんですか?」
 少し大きな声のその言葉に、悠希は嬉しそうに返す。
「今度は僕からプロポーズしたいんです。
付き合い始めの告白は、千代子さんから言わせる形になっちゃったから」
「あら、まあまあそれは!」
 悠希の言葉に、美言も嬉しそうに声を上げる。すると、応接間の外からどやどやと声が聞こえてきて、扉が開いた。何事かと思ったら、編集部で仕事をしていた人達がこぞってやって来て、悠希にがんばれがんばれおめでとう! と声を掛けていく。
 さすがにこれには、悠希も真っ赤になるほかないのだった。

 それから数日後、悠希は父親が経営する宝石店へと足を運んでいた。
「ああ、良く来たね。出来上がってるよ」
 店頭でぼんやりしていた父親が、悠希を見るなりそう声を掛けて、店舗の奥から小さな箱を持ってくる。手のひらに乗るほどの大きさで、毛足の有る布が張られたその箱は、見るからに大切な物がはいっているように見えた。
 父親がカウンターの中にある椅子に座り、悠希はその向かい側に座る。
「こんな感じだけど、イメージ通りかな?」
 そう言って手袋を着けた父親がそっと小箱を開けると、中には小さいけれども透明度の高いダイヤモンドが据えられた、小振りな指輪が入っていた。
「うん。デザイン画通りにできてるよ。ありがとう」
「お代は前払いでもらってるからね」
「うん」
 悠希は父親から小箱を受け取り、普段使っている物よりもだいぶ小さな鞄に入れる。
 ふと、父親が心配そうな顔でこう言った。
「でも、随分と小さいサイズだけど本当に大丈夫かい? 小さかったりしない?」
「大丈夫。ちゃんとリングゲージ使って測ったから」
「そうか、それなら良いんだ」
 どうやら、作った指輪のサイズが小さすぎて不安になったようだった。悠希がちゃんとサイズを測ったと伝えると、安心したようだった。
「それじゃあそろそろ行くね」
「ああ、頑張っておいで」
 にこにことしている父親に見送られて、悠希は店を出て駅へと向かった。

 次に悠希が向かった先は新宿だ。今日はこの街で千代子とデートをする約束をしている。待ち合わせ場所は、千代子と初めてデートをする事になったあの日に訪れた喫茶店だ。今日はもしかしたら悠希の方が遅れてしまうかも知れなかったので、座って待てるような場所を指定したのだ。
 駅の改札を出て、スマートフォンの時計を見る。待ち合わせ時間まであと二十分ほどだ。急ぎ足で喫茶店へ向かう。そして喫茶店に着くと、まだ千代子は来ていないようだった。
 店員に待ち合わせである事を伝え、奥の方の席を取る。それから、千代子にどの辺りの席に座っているかをメッセージで送った。
 少し待っていると、千代子はすぐにやって来た。可愛らしい服を着てはいるけれども、メイクは初めて会った時よりも随分と大人っぽくなっていた。
「悠希さん、おまたせ」
「ううん、今来たところだよ。
でも、ここまで来るの大変だったでしょ。とりあえず、なにか頼もうか」
「うん、そうだね」
 ふたりはメニューを見て注文をし、今日はどこを見るかという話しに花を咲かせた。

 喫茶店を出たあと、デパートや書店を見て街中を楽しんでいたふたり。だんだんと日も暮れて来て夕食の話になった。
「千代子さん、今日の夕飯はレストランに予約を取ってるんだけど」
「うん、知ってる。だからドレスコード気にしてきたんだよ」
「ふふふ、ありがとう」
 悠希が先導して街中を歩く。向かう先は、新宿の西側にあるホテルだ。
 ホテルに着き、フロアガイドを見ながらレストランへと入る。カウンターで予約をしている旨と名前を告げ、席へと通される。その席は、窓から夜景がよく見える場所だった。
「ああ、良い席が取れててよかった」
 席に着いた悠希が安心したようにそう言うと、千代子がくすくすと笑って口を開く。
「どんな席にするかのリクエストはしてなかったんだ」
「うん。リクエストをすれば良かったことに予約を送信してから気づいたんだよね」
 ふたりで少し夜景を見ながら雑談をして、ふと、悠希が手に持っていた鞄から小箱を取りだして千代子に差し出す。
「あのっ、千代子さん」
「なぁに?」
 にこにこしている千代子に、悠希は小箱の蓋を開けてこう告げる。
「到らないことも多い僕だけど、あのっ、僕と結婚してくれませんか」
 つっかえながらもなんとかそう言えた悠希に、千代子は小箱を受け取ってまたくすくすと笑う。
「こんな事だろうと思ってた」
「えっ?」
 千代子は、今日悠希がプロポーズするつもりだったということにいつ気がついたのだろう。悠希が顔を真っ赤にしていると、千代子が言うにはこういうことだった。
「だって、急にリングゲージなんて出してくるから、そうしたらなんとなくそろそろ来るなってわかっちゃうじゃん」
「たしかに」
「しかも、いつもと違って急にレストランに予約取るんだもん。この時点で確信じゃない?」
「そのとおりです……」
 いまいち格好が付かなかったと悠希は少し苦笑いをする。けれど、すぐに真面目な顔に戻して改めて訊ねた。
「それで、僕のプロポーズを受けてくれますか?」
 すると千代子は、小箱から指輪を取りだし、左手の薬指に填めて答えた。
「もちろん。これからよろしくお願いします」
「あっ、こちらこそよろしくお願いします」
 思ったように格好良くは行かなかったけれども、これでまたふたりの新しい生活の約束ができたのだと、悠希は嬉しそうな顔をした。

 しばらくすると、料理が運ばれてきた。悠希も千代子も、こう言ったレストランでの食事は本の中で読むだけということが多いので、マナーは何とかなったけれども、どこかそわそわした気持ちは隠せなかった。
 コース料理もおおかた終わり、残すはデザートとなった頃、千代子が悠希に訊ねた。
「そういえば、今日はこのままどこかに泊まるの?」
 それに対して悠希は、きょとんとして答える。
「え? 特に泊まる予定はないよ」
 すると、千代子が少し頬を膨らませて、不満そうな顔をしている。どうしてだろうと悠希が少し考えを巡らせると、すぐに千代子が言わんとしていることがわかった。
 悠希は顔を真っ赤にしてこう続ける。
「あ、あのね千代子さん、そういうのは、結婚してからの方がいいと……思うんだ」
 すると千代子は、ふうっ、と一息ついてからはにかむ。
「ちょっとじれったいけど、大事にしてくれるのは嬉しいかも」
 ほんとうは、悠希としてもそこまで我慢する必要は有るのかと思うことはあるけれど、やはりこういった事は慎重になるに超したことはないとやはり思うのだ。
 そんな話をして、デザートを食べ終わったふたりは、少しだけ追加でお酒を注文して飲んでレストランを出た。
「それじゃあ、家まで送るね」
「うん、ありがと」
 ふたりでお酒を飲んだあとは、いつも悠希が千代子を家まで送り届けている。それはもちろん心配だからと言うのはあるけれども、なるべく長い時間一緒にいたいという気持ちの表れでもあった。
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