44 / 49
日ノ本の歴史 中世編
中世の日ノ本 中世に武家が生まれる
しおりを挟む
墾田永年私財法は、国司の認可によって、墾田開拓を認められた者たちが、新田開発をおこなっていった話である。国家による大規模土木工事や墾田開発が下火になるにつれて、地方独自による新田開発が始まっていった。
「行基」のグループを支援したのは、中央官僚と結びついた、国司もしくは地方豪族である。かれらの支援によって、新田開発が推進され、地域の治水工事が実行され、生産性の向上が図られたのであった。こういった新田開発は、「行基」のグループだけでなく、「空海」もまた、讃岐で満濃池を築き、井戸を掘り、新田開拓の手助けをしていったのです。こういった活動は、地方の有力者が支援することで、開拓が進んでいったのです。
地方の有力者による、墾田開発は、そのまま私有財産となっていきます。
この流れによって、初期荘園を形成されることとなります。
墾田開発が、国家事業から私的な事業へと移行していったのです。
<<<<<>>>>>
「国体・国号」が確立されるまでを、古代と定義した。
<<<<<>>>>>
中世は、京洛が都になった時代、長岡京や平安京の時代からが、中世ということになる。
長岡京と平安京は、古代の難波宮と同じく、淀川水系を物流ルートとした交易都市としての性格を持つ。
近海海上交通を基本として、日本中に物流ネットワークを構築するには、平城京ではなく、長岡京や平安京の方が便利である。
欠点として、長岡京では、淀川水系の水を利用した、下水工事を行い衛生設備が構築されているのが確認されているが、平安京は、下水工事がされていないため、非常に疫病等が発生しやすい環境条件となっていることである。歴史ifとしては、長岡京で活用された、厠としての機能を、平安京に持ち込むというのがある。
武家の時代は、京洛から始まるのは、京洛への遷都そのものが、豪族への配慮や権威・権力を有した、寺社勢力からの逃避という側面があった。まぁ、ウラを返すと、藤原による、中央政権占有というのが、京洛遷都の時代ということになる。
京洛への遷都によって、大量輸送が可能な物流ルートを確保することで、都市に大きな人口を抱えることができるようになった。つまり、一大消費地として、都市が形成されることとなる。
藤原を中心とする新興貴族勢力として中央官僚は、自身の権威・権力を活用して、利権の獲得と独占を推進し、中央での政権抗争を戦うこととなる。中央の政権抗争は、同族や血族での争いが多く、血を嫌う公家の権力闘争の歴史が始まっていく。
血を嫌う、公家の権力闘争は、敗れた者が死なないので、地方への左遷という結果になり、左遷された者達は、地方利権と結びつくことで財をなし、中央官僚への支援団体へと変化していく。中央官僚が、政権抗争で財を消費し、支援する地方官僚が財を集める。平安貴族の華麗な生活は、財の循環が生み出した絢爛豪華な世界となる。
地方の支援団体は、支援先の中央官僚が没落すると、自身も没落することから、政権抗争相手を支援する団体との武力抗争に発展していく。こちらは、殺伐とした抗争となり、地方の武装勢力は、強大で過激な武装団体として成長していく。これが、武家の始まりであり、武士の誕生である。
「行基」のグループを支援したのは、中央官僚と結びついた、国司もしくは地方豪族である。かれらの支援によって、新田開発が推進され、地域の治水工事が実行され、生産性の向上が図られたのであった。こういった新田開発は、「行基」のグループだけでなく、「空海」もまた、讃岐で満濃池を築き、井戸を掘り、新田開拓の手助けをしていったのです。こういった活動は、地方の有力者が支援することで、開拓が進んでいったのです。
地方の有力者による、墾田開発は、そのまま私有財産となっていきます。
この流れによって、初期荘園を形成されることとなります。
墾田開発が、国家事業から私的な事業へと移行していったのです。
<<<<<>>>>>
「国体・国号」が確立されるまでを、古代と定義した。
<<<<<>>>>>
中世は、京洛が都になった時代、長岡京や平安京の時代からが、中世ということになる。
長岡京と平安京は、古代の難波宮と同じく、淀川水系を物流ルートとした交易都市としての性格を持つ。
近海海上交通を基本として、日本中に物流ネットワークを構築するには、平城京ではなく、長岡京や平安京の方が便利である。
欠点として、長岡京では、淀川水系の水を利用した、下水工事を行い衛生設備が構築されているのが確認されているが、平安京は、下水工事がされていないため、非常に疫病等が発生しやすい環境条件となっていることである。歴史ifとしては、長岡京で活用された、厠としての機能を、平安京に持ち込むというのがある。
武家の時代は、京洛から始まるのは、京洛への遷都そのものが、豪族への配慮や権威・権力を有した、寺社勢力からの逃避という側面があった。まぁ、ウラを返すと、藤原による、中央政権占有というのが、京洛遷都の時代ということになる。
京洛への遷都によって、大量輸送が可能な物流ルートを確保することで、都市に大きな人口を抱えることができるようになった。つまり、一大消費地として、都市が形成されることとなる。
藤原を中心とする新興貴族勢力として中央官僚は、自身の権威・権力を活用して、利権の獲得と独占を推進し、中央での政権抗争を戦うこととなる。中央の政権抗争は、同族や血族での争いが多く、血を嫌う公家の権力闘争の歴史が始まっていく。
血を嫌う、公家の権力闘争は、敗れた者が死なないので、地方への左遷という結果になり、左遷された者達は、地方利権と結びつくことで財をなし、中央官僚への支援団体へと変化していく。中央官僚が、政権抗争で財を消費し、支援する地方官僚が財を集める。平安貴族の華麗な生活は、財の循環が生み出した絢爛豪華な世界となる。
地方の支援団体は、支援先の中央官僚が没落すると、自身も没落することから、政権抗争相手を支援する団体との武力抗争に発展していく。こちらは、殺伐とした抗争となり、地方の武装勢力は、強大で過激な武装団体として成長していく。これが、武家の始まりであり、武士の誕生である。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
歴史小説 歴史以前の縄文文明
Ittoh
歴史・時代
日ノ本の歴史は、1万2千年前の縄文土器文明に始まり、黒曜石を基軸通貨として、翡翠を貴重品とした文明圏を形成していた。
経済活動というのは、余分な商品があって、初めて始まる活動だと考えられる。自分で採取したものを、そのまま自分で使うだけであれば、そこに経済活動は発生しない。石器時代と呼ばれる時代から、縄文期に入っていった時、最初に商品となったのは、石であった。
石は、石器として最上級の品質であった、黒曜石である。
黒曜石は、石のままでは価値を持たない。
加工する知識・技術・技能があって始めて、鏃となり、釣り針となって、狩や漁の道具として使うことができる。
参考資料
CGS動画 「目からウロコの日本の歴史」 小名木善行&神谷宗幣
西田正規 著「人類のなかの定住革命」
安田喜憲 著「森と文明の物語」
鬼頭宏 著「人口から読む日本の歴史」
高木久史著「撰銭とビタ一文の戦国史」
松島義章著「貝が語る縄文海進」
水野正好著「縄文を語る」
日ノ本における、経済の始まりは、縄文期に遡ることができる。
信長最後の五日間
石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。
その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。
信長の最後の五日間が今始まる。
戦国異聞序章 鎌倉幕府の支配体制確立と崩壊
Ittoh
歴史・時代
戦国異聞
鎌倉時代は、非常に面白い時代です。複数の権威権力が、既存勢力として複数存在し、錯綜した政治体制を築いていました。
その鎌倉時代が源平合戦異聞によって、源氏三代、頼朝、頼家、実朝で終焉を迎えるのではなく、源氏を武家の統領とする、支配体制が全国へと浸透展開する時代であったとしたらというif歴史物語です。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる