日ノ本の歴史 始まりの話

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「国号・国体」成立

日本成立 縄文習慣法は、日本流の国際法である

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 条文が描かれているから、法律なのではないそうだ。国際的な習慣法というのは、様々な出来事の中で、すりあわせを行って、徐々に確立していったCntract契約である。縄文期から人口が増加し、弥生期から古墳期にかけて急激に増加した、日本では国家体制が、確立していく時期となります。倭国大乱という記述があるように、多くの部族が大乱の中で、潰され、滅びていったことになります。

 記紀の記述は、統一してからの記述となりますので、征伐ということになりますが、「丹ノ国」や「備ノ国」は強大国であり、征伐というよりも戦争であったと考えられます。青葉山の鬼退治や吉備の温羅退治は、鬼退治という形で、「まつろわぬ国」を相手にしていますから、「戦争」であったといえます。逆に部族連合の政治体制である「出雲」強大な勢力を持っていましたが、文字通りの決闘による解決として「国譲り」が実行されています。

  縄文一万年以上かけて確立させていったのが、敵を「鬼退治」として倒す“戦争”と、文字通りに決闘で解決とする「国譲り」が、日本列島での国際法として確立されていったと考えられます。敵であれば、鬼や土蜘蛛といったあやかしひとならざるものであり、征伐ですらなく、退治する対象となっています。

 常陸の国では、黒坂命による“土蜘蛛”退治として、風土記に記載されています。国府を設置したことで、それぞれの地域を国家として認定し、畿内ヤマトと戦争で倒された相手は、鬼や土蜘蛛といったあやかしひとならざるものという記述がなされて、血の契りを交わし、相手もまた王族という場合は、征伐や「国譲り」という記述がなされています。

 縄文一万年以上かけて、倭国の統一を成し遂げるまでは、男女の契りや破棄、主従の絆に、約定と約定破り、といった事柄が、伝承神話に記述されています。イザナギとイザナミの契りや破棄は、山幸彦と豊玉姫に繋がり、山幸彦と海幸彦が主従の絆を示し、因幡の白兎と和邇が約定を表す。

 風土記に記載される、各地でのあやかしひとならざるもの退治は、戦争で滅ぼした相手と、相手の“その後”を記載したものである。伝承として、各地でのあやかしひとならざるもの退治は、すべて対等な人ではないモノを倒した記述となります。「備ノ国」や「丹ノ国」は、対等ではない形で、滅ぼされた国ということになります。

 対等とされるのは「出雲」であり、「国譲り」として記述されています。「越ノ国」「筑紫ヤマト」は、退治でもなく「国譲り」でもなく、記載そのものが抹消されていることから、対等であるために、うやむやのうちに畿内ヤマトに組み入れたことになります。

 天平期、「国号・国体」の確立以降は、すべて叛乱であり、公式には征伐となります。海を渡った半島についても、征伐という形で扱うというのが、「日本」という立場になります。





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 西洋史にでてくる、ウェストファリア条約を国際法の始まりとすると、国家の定義として
  (1)領域を持っていること
  (2)国民が住んでいること
  (3)政府が存在してること
 ということになります。
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 日本六十余州に、中央政府の出先機関である、国府と国分寺を設置することで、「国号・国体」を陸奥から薩摩まで確立したのが、741年聖武天皇の頃となります。

 領土は、動かないものとなります。江戸時代に塩飽諸島では、大名ではなく人名と呼ばれ、領地を持たない海洋に権益を持つ、海人うみんちゅうたちがいました。人名という海人うみんちゅうも屋敷等は、塩飽諸島に建てられているので、塩飽諸島に住んで、瀬戸内海を領域とする者達ということになります。
 山人やまんちゅうも同じです。霊峰を神域として、住まいますが、神域という領土を持つことになります。熊襲や日向ひむかは山岳部族となりますし、熊野三山のように、畿内ヤマトの南に、強大な山岳部族でありますが、諸部族連合であり、英雄が出れば纏まるという形態であった。これは、蝦夷の諸部族についても同じである。

 領土がなくても、政府が存在していることがあります。塩飽諸島の者達は、船主の寄り合い所帯のようなのものでありましが、商人の寄り合い所帯である堺の会合衆と同じく、権限を持って対外交渉をおこなっていたことになります。堺や塩飽は、権限を持つ政体があり、特定の都市や島が領土であったという扱いになります。

 日本は、縄文期から徐々に人口が増加し、弥生から古墳期の急激な増加は、「畿内ヤマト」だけでなく、「筑紫ヤマト」「出雲」「備ノ国」「越ノ国」「丹ノ国」といった国々は、強大な国家として勢力を広げていった。強大な国家であり敵であった、「備ノ国」「丹ノ国」は滅ぼし、「出雲」は「国譲り」となり、「筑紫ヤマト」「越ノ国」はうやむやのうちに、畿内ヤマトへと組み込まれていったこととなります。



 日本では、主権の権限を集め、強力な中央政府を成立させた、畿内ヤマトが、最終的に日本制覇を達成したのです。
 建国と統一時期が異なるのは、天平時代より千年以上昔から畿内ヤマトは存在していて、大王おおきみとして国家体制を構築していたからです。畿内ヤマトが、何時から存在していたか、縄文後期まで遡りますから、4300年前から2800年前までには、畿内ヤマトが存在していたと推定されます。

 畿内ヤマトの設立期からすれば、3000年くらいは経過していることになります。高天原の山岳部族である日向ひむかの設立からすると9000年以上前からになります。畿内ヤマトは、筑紫ヤマトと同族ですが、「旧唐書」の記述から、海外に行っても争っていることから、「国号・国体」を「倭・大王」ではなく「日本・天皇」としたのは、正当性の主張からということになります。


 天平以降は、日本という「国号・国体」となり、国内での戦争は、すべて叛乱であり内乱という定義になります。
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