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古代から中世へ
古代から中世へ 母系社会と父系社会
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「母系社会と父系社会は、単純に区別できない」
男女の関係性を語るには、とてつもなく厄介な問題がある。夫は、妻を信じられるかである。猜疑心が強く、普段いない夫は、妻の貞淑を疑わずにいられるだろうか。NTRという言葉が流行ったように、ネトラレない保証があるだろうか。
「King」という言葉がある。Kinというのは血、血族を意味するそうだ。「King of Britain」といえば、ブリテン島の住民にとって、血族王ということになる。血族の長が女性であれば、子供は血族の子である。しかしながら、血族の長が男性で、妻が異国の姫である場合、血族の子である証を必要とする。これが、「King」が「King」であるための問題となる。
日本で女帝となった例は、いくかありますが、女帝が夫をとった例がありません。これは、女帝の夫を処遇することが、極めてむずかしいことになります。女帝を迎える事はできても、女帝に夫を迎えることができないのです。
これは、かつての女王、卑弥呼が、巫女として君臨した日ノ本でも同じです巫女として君臨し、子を為すことはできたとしても、母となれば巫女に戻れません。つまりは、君臨し統治することができなくなります。
また、日ノ本が法律として参考とした、大陸の諸国家は、母親が、政治に介入し、一族が力を持つことを恐れていました。女性関係から、幾度となく騒乱が生じた大陸にとって、女性を政治に関わらせないが、不文律になっていたという経緯があるのです。纏足が美しいといったことで、女性がモノ扱いされるようになった背景には、女性の政治や軍事介入を避ける意味合いがあります。
女性からすると、誰のタネであれ、自分の子供はすべて、自分の血族です。自分からの地位の継承は問題ありません。ただし、地位が高い女性にとって、タネが子供を利用して、自分の権益を侵そうとすることが、問題となります。時には、子供自身が、自分の権益を欲しがることも、問題となります。
権益の継承にあたって、揉め事を避けるためには、女帝のタネに関して規約が必要となります。
嫉妬は、男女に関係なく生じますが、男の嫉妬は戦が絡んだりするのです。かつて、額田王に想いを寄せた、男達が戦乱を招いたという噂もあります。嫉妬や執心というものが、厄介な争い事を招くのは、男女に関係なく困ったモノです。
日ノ本の場合、家刀自女という名称があります。明文化された記録が少ないため、役儀が明確に伝わっていませんが、一家一門の内務を司る者という意味合いがあったと考えます。
外務と戦争は、陽務であり男の仕事。
内務と育成は、陰務であり女の仕事。
女系社会であった、日ノ本では、記録されるのは、外務と戦争であり、内務や育成について記録されることは少なくなります。巴御前や板額御前のように戦争に関わる女性がいたとしても、基本的には尼将軍北条政子のように内務と育成に関わることが、女性には多かったのです。
鎌倉あたりまでは、女性の相続が認められていましたから、記録に残る女性も多かったのです。
女性であれ男性であれ、棲み分けが上手くいくのは、業務の棲み分けができた時です。外務・戦争を夫が司り、内務・育成を女性が司る。神功皇后陛下のように、時に逆となる女性が出たとしても、内務・育成を夫が担当するのであれば、特に問題とはなりません。
日ノ本では、女性が当主となり、夫を迎えるというのは、普通に行われていた行為である。嫁に行くか、婿に行くかの違いでしか無い。立場という意味では、嫁も婿も当主の下という序列は確定となる。当主の家は、ともかくとして、家来にとっては、嫁や婿は自分よりも序列が上となる。権門で権益が、大きく高くなる程、従う者にとって、納得がいかなくなる事が増える。
家来全てが従う程の相手であれば、男女に関係なく、問題は小さくなるが、従えない相手ともなれば、家中がギクシャクしていくことになる。
一天万乗の大君が、婿取りできないのは、一天万乗と民の狭間を抱く事が、困難であるからである。
男女の関係性を語るには、とてつもなく厄介な問題がある。夫は、妻を信じられるかである。猜疑心が強く、普段いない夫は、妻の貞淑を疑わずにいられるだろうか。NTRという言葉が流行ったように、ネトラレない保証があるだろうか。
「King」という言葉がある。Kinというのは血、血族を意味するそうだ。「King of Britain」といえば、ブリテン島の住民にとって、血族王ということになる。血族の長が女性であれば、子供は血族の子である。しかしながら、血族の長が男性で、妻が異国の姫である場合、血族の子である証を必要とする。これが、「King」が「King」であるための問題となる。
日本で女帝となった例は、いくかありますが、女帝が夫をとった例がありません。これは、女帝の夫を処遇することが、極めてむずかしいことになります。女帝を迎える事はできても、女帝に夫を迎えることができないのです。
これは、かつての女王、卑弥呼が、巫女として君臨した日ノ本でも同じです巫女として君臨し、子を為すことはできたとしても、母となれば巫女に戻れません。つまりは、君臨し統治することができなくなります。
また、日ノ本が法律として参考とした、大陸の諸国家は、母親が、政治に介入し、一族が力を持つことを恐れていました。女性関係から、幾度となく騒乱が生じた大陸にとって、女性を政治に関わらせないが、不文律になっていたという経緯があるのです。纏足が美しいといったことで、女性がモノ扱いされるようになった背景には、女性の政治や軍事介入を避ける意味合いがあります。
女性からすると、誰のタネであれ、自分の子供はすべて、自分の血族です。自分からの地位の継承は問題ありません。ただし、地位が高い女性にとって、タネが子供を利用して、自分の権益を侵そうとすることが、問題となります。時には、子供自身が、自分の権益を欲しがることも、問題となります。
権益の継承にあたって、揉め事を避けるためには、女帝のタネに関して規約が必要となります。
嫉妬は、男女に関係なく生じますが、男の嫉妬は戦が絡んだりするのです。かつて、額田王に想いを寄せた、男達が戦乱を招いたという噂もあります。嫉妬や執心というものが、厄介な争い事を招くのは、男女に関係なく困ったモノです。
日ノ本の場合、家刀自女という名称があります。明文化された記録が少ないため、役儀が明確に伝わっていませんが、一家一門の内務を司る者という意味合いがあったと考えます。
外務と戦争は、陽務であり男の仕事。
内務と育成は、陰務であり女の仕事。
女系社会であった、日ノ本では、記録されるのは、外務と戦争であり、内務や育成について記録されることは少なくなります。巴御前や板額御前のように戦争に関わる女性がいたとしても、基本的には尼将軍北条政子のように内務と育成に関わることが、女性には多かったのです。
鎌倉あたりまでは、女性の相続が認められていましたから、記録に残る女性も多かったのです。
女性であれ男性であれ、棲み分けが上手くいくのは、業務の棲み分けができた時です。外務・戦争を夫が司り、内務・育成を女性が司る。神功皇后陛下のように、時に逆となる女性が出たとしても、内務・育成を夫が担当するのであれば、特に問題とはなりません。
日ノ本では、女性が当主となり、夫を迎えるというのは、普通に行われていた行為である。嫁に行くか、婿に行くかの違いでしか無い。立場という意味では、嫁も婿も当主の下という序列は確定となる。当主の家は、ともかくとして、家来にとっては、嫁や婿は自分よりも序列が上となる。権門で権益が、大きく高くなる程、従う者にとって、納得がいかなくなる事が増える。
家来全てが従う程の相手であれば、男女に関係なく、問題は小さくなるが、従えない相手ともなれば、家中がギクシャクしていくことになる。
一天万乗の大君が、婿取りできないのは、一天万乗と民の狭間を抱く事が、困難であるからである。
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