世界大戦は終わらない

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コミンテルン活動

コミンテルン活動02 帝国主義の変貌

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 万国労働者よ、団結せよ
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 スターリンの欧州戦略は、ドイツの再興によって頓挫し、ドイツ方面と極東ロシアの二正面戦争に追い込まれる結果となった。スターリンは、インドや東南アジアでの独立運動支援に動き、南米でのクーデター支援を含めた、共産主義運動支援を開始したのである。

 スターリンによる共産主義運動支援は、各地にクーデターや独立戦争を誘発し、強圧的な搾取による宗主国への反発を呼び覚ましたのである。南米での独立運動は、アメリカの過剰反応を呼び、徹底した弾圧を誘発した。アメリカは、中南米の解放運動を進めることで、イギリスやスペインといった欧州諸国家と対立しても、中南米の独立と資本主義国家の設立を進めたのである。

 これは、アフリカやインドを含めたアジア諸国家でも生じた活動となり、世界各地での独立運動を激発させていったのである。国際連盟諸国家は、独立の承認を進めながら、経済的な支配体制の確立を進めていったのである。半島での独立運動激化から、1929年に独立を承認し、朝鮮共和国として独立したのである。これは、半島権益の切り売りでもあり、半島北部ではフランスとアメリカが鉄道敷設権を得て、日本の釜山から平壌まで敷設を完了した鉄道路線に接続するために鉄道工事を開始したのである。工事には、大量の半島労働者が動員され、北洋軍閥によって、人手を必要とする鉱山や炭鉱労働者が徴発されたのである。

 過酷な労働環境から、「万国労働者よ団結せよ」というスローガンは、半島に浸透して、小規模な内乱が頻発する無法地帯と化していった。

 遼東半島については、台湾道や樺太道と共に、遼陽道として日本国に組み入れられ、北海道を含めて四道となった。1931年に日本は、一庁四道三府四十三県となり、一庁は南洋庁管轄であり、南方島嶼地域のことである。

 樺太道は、豊原を道庁として、露西亜帝室館のある敷香を、「日本特区」という国内における特別地区としたのである。尾羽油田を中心として、日本政府による樺太油田開発が進み、敷香郊外には、日ロ帝室合同による石油精製プラントが建設された。

 日本の石油輸入は、1920年代までは、アメリカからの輸入がほとんどであったが、1930年あたりからは、「特区」が1位となり、2位アメリカ・オランダ、3位樺太を含めた国産石油となったのである。

 19世紀に世界中に広がった植民地は、20世紀に入ると、独立運動の激化に晒されることとなった。独立運動によって、共産化することを恐れた列強諸国家は、独立を承認する方向に政策を転換し、経済的な支配体制を組み入れる形をとったのである。

 帝国主義国家の政策変更は、そのままコミンテルンの活動を、変質させていくこととなった。つまりは、国内からブルジョアが消えて、国内から搾取の対立が消えた結果、戦う相手そのものが変質したのである。1940年代からのコミンテルン活動は、国内不満分子への支援活動となり、雇用者に対する労働者のための活動へと変質していったのである。

 共産党が非合法組織として認定され、形を変えて活動を継続する中で、コミンテルン活動そのものも変質していったのである。

 世界革命が幻想に消えていく中、コミンテルン活動は、ボリシェビキ・ソビエトの対外活動となり、ボリシェビキ・ソビエト連邦による世界戦略支援に変わったのである。特に、世界中に点在するようになった共産主義国家や組織を支援し、自由主義社会への楔として勢力の拡大を図っていったのである。

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