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オスマン帝国の黄昏
オスマン帝国の黄昏05 「アラビアのロレンス」という存在
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世界大戦で、トルコ分割に対してイギリスは、イギリス・ロシア・フランスと締結したサイクス・ピコ協定があった。アラブに対しては、フサイン=マクマホン協定が締結されていた。ユダヤ人に対してはバルフォア宣言が出されていた。
秘密外交音結果であり、それぞれの整合性をとることなく、個別に締結され、世界大戦の中でイギリスに都合よく用いられたのである。イギリス側は、トーマス・エドワード・ロレンスが、アラブ側を支援して、オスマントルコとの戦いに臨んだのである。
ユダヤの入植問題については、エルサレムについては、聖地につき居住不可として、ハイファからテルアビブについて、アラブ人を含めて入植を認めるという形で、一応の決着がついた。イラクのバクダットからシリア北部を通過して、トルコに入る鉄道の権益は、イギリスとフランスで共同出資することとなった。シリア国内を南北に走る鉄道については、フランス側の権益となった。イギリスは、ハイファからダラに抜ける鉄道と、ハイファからエルサレムの鉄道について、イギリスの資本によって、日本が敷設と運用を担当する形で決着した。
オスマントルコが、ダマスカスからメッカに向けて敷設していたヒジャーズ鉄道は、世界大戦の中で、アラビアの反乱軍によって徹底的に破壊され、寸断されていた。さらに線路に使用している枕木を燃料として盗む者も居て、復旧が厳しい状況にあった。ダマスカスからアンマンについては、フランスが復旧作業を進め、鉄道の運行が開始されたが、アンマンから南方については、復旧は進んでいなかった。
ハイファからテルアビブについては、イギリス統治下での「特区」のような扱いを受け、市民権を得て居住権とし、市長を選ぶという流れを作り出した。ヨルダン国内となるダマスカスからアンマンは、ヨルダン国王アブドゥッラー1世の領内であり、居住の許認可は、アブドゥッラー1世となっている。
オスマントルコも同じであったがアラブ地方は、基本として部族社会であり、部族の族長に権限が集中している。シリアには、ファイサル1世が部族を率いて入ったが、統治主権国家のフランスと内乱になり、先に軍事行動を起こしたファイサル1世の叛乱と判断され、国際連盟がフランスの味方となったことで孤立した。兄であるアブドゥッラー1世も、国際的な孤立を受けて、兵を引いたのである。ファイサル1世は、イギリス統治下のイラクへ入り、イラクの主権者となった。イラクの沿岸部はシーア派が多く、北部地域はクルド人自治区でもあった。イギリスは、北部をクルド人自治国として切り離し、南部沿岸部をシーア派の自治国として、バクダットを中心とした中央をスンニ派ファイサル1世の王国を築く流れであった。ペルシャの勢力拡大を望まないイギリスにとっては、北部はともかく南部スンニ派の取り纏めを、ファイサル1世が承知したことで、イラク連合王国が建国された。
アラブの独立を求めて、戦争に協力してくれたハーシム家を保護するため、ロレンスは奔走していた。特にフランスとシリアの戦争では、ハーシム家の援護を求めたが、イギリス政府がフランス側についたため、撤退を余儀なくされた。結果として、ロレンスはファイサル1世をイラク国王として、バクダットを含めたイラク中心部をスンニ派自治区という形として、北部をクルド人自治区に、南部をシーア派自治区として、イラク連合王国という形を創り上げた。
イギリスへ戻っていたベル女史は、クルド人の処遇から、イラク連合王国には反対していた。ロレンスは、民族自決からそれぞれを、自治区として首長を置いて、連合王国化した方が良いと判断した。二人の意見が違えたが、会議の調整をおこなっていたウィストン・チャーチルは、ロレンスの意見を取り上げて、イラク連合王国の設置となった。これは、イラク北部の国境線について、トルコとの合意が得られていないので、問題を先送りにしたという面もあった。クルド人が、トルコ側で独立問題をおこした場合、イギリスが介入しなければならなくなるのを避けるためであった。
1920年代は、スンニ派のサウード家とシーア派のハーシム家は、アラビア半島で熾烈な勢力争いを進めていた。ハーシム家がメッカからヨルダンとイラクに部族を移動させたことで、スンニ派のサウード家は、メディナやメッカといったを紅海沿岸のハーシム家の領域を占領したのである。フランスとの紛争もあって、ハーシム家はアカバを確保するのが精いっぱいであった。アブドゥーラ1世は、
ハーシム家アブドゥッラー1世は、エルサレムを国際連盟管理地区とするのであれば、地中海沿岸にユダヤ人が移住することを認めると宣言した。これは、スンニ派サウード家の抗争を主眼とするための行動であった。ハーシム家アブドゥッラー1世は、アンマンからアカバの鉄道を日本に委託することを求めたが、ヨルダンの経済状況から敷設費用を払える状況にはなかった。ハイファからテルアビブまでの海岸線には、多くのユダヤ人が入植してきたが、生活できる状況になく、ヨルダン国王からの支援を受けている状況であった。
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トーマス・エドワード・ロレンスは46歳の時、1935年5月13日にオートバイ事故で亡くなったこともあって、ロマン溢れる伝承となってしまい、人物評については様々に語られている。
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映画「アラビアのロレンス」は、第一次世界大戦の話であり、ライン戦線だけでなく、中東方面にも戦線が広がっていたことが認識できる。
イギリスの政治事情としては、中近東の石油資源を確保することであり、シリアをフランスに、イラクをイギリスにという大国間の取引があった。広大な領域を確保できなくなっていた、オスマントルコ帝国が、世界大戦によって完全に国力を疲弊させて、帝国そのものが崩壊したのが世界大戦となったのである。
ロレンスは、イギリスの国益を優先しなければならない立場であり、その上でアラブ人の自由や独立を実現するために、アラブ人の行動を支援していた。
最盛期には、北アフリカから中近東、東欧までを領域としていたオスマントルコであったが、世界大戦によって、アナトリア半島一帯に縮小していったのである。
史実の中近東では、終わりなき民族紛争が激化しているが、大半は欧州列強の利権争いによるとばっちりである。スンニ派のサウード家とシーア派のハーシム家による抗争、クエートのサバーハ家やイエメン王国ハーシム家といった、中近東における部族間抗争が、大きく影響している。
ロレンスの行動で、どうなるものでも無い当時の政治的な状況であったのは事実である。if史で組み入れた、国際連盟による、エルサレム統治と居住禁止は、せいぜい恨み言の方向を一つ減らす程度の価値でしかない。
ヨルダン・ハシミテ王国とサウジアラビアとの抗争を主軸として、アラビアでの戦闘は断続的に継続される。大シリアを建国しようとした、ファイサル1世の野望は、英仏の中近東による主権争いに翻弄されるように、抗争の火種を撒き散らすことになる。
クルド人自治区の設立は、そのまま独立運動への動きとなり、トルコとの抗争として暴走を始める。ソビエト連邦の動きは、中近東に共産国家を築くべく、各地に独立運動支援へと動き出していく。
秘密外交音結果であり、それぞれの整合性をとることなく、個別に締結され、世界大戦の中でイギリスに都合よく用いられたのである。イギリス側は、トーマス・エドワード・ロレンスが、アラブ側を支援して、オスマントルコとの戦いに臨んだのである。
ユダヤの入植問題については、エルサレムについては、聖地につき居住不可として、ハイファからテルアビブについて、アラブ人を含めて入植を認めるという形で、一応の決着がついた。イラクのバクダットからシリア北部を通過して、トルコに入る鉄道の権益は、イギリスとフランスで共同出資することとなった。シリア国内を南北に走る鉄道については、フランス側の権益となった。イギリスは、ハイファからダラに抜ける鉄道と、ハイファからエルサレムの鉄道について、イギリスの資本によって、日本が敷設と運用を担当する形で決着した。
オスマントルコが、ダマスカスからメッカに向けて敷設していたヒジャーズ鉄道は、世界大戦の中で、アラビアの反乱軍によって徹底的に破壊され、寸断されていた。さらに線路に使用している枕木を燃料として盗む者も居て、復旧が厳しい状況にあった。ダマスカスからアンマンについては、フランスが復旧作業を進め、鉄道の運行が開始されたが、アンマンから南方については、復旧は進んでいなかった。
ハイファからテルアビブについては、イギリス統治下での「特区」のような扱いを受け、市民権を得て居住権とし、市長を選ぶという流れを作り出した。ヨルダン国内となるダマスカスからアンマンは、ヨルダン国王アブドゥッラー1世の領内であり、居住の許認可は、アブドゥッラー1世となっている。
オスマントルコも同じであったがアラブ地方は、基本として部族社会であり、部族の族長に権限が集中している。シリアには、ファイサル1世が部族を率いて入ったが、統治主権国家のフランスと内乱になり、先に軍事行動を起こしたファイサル1世の叛乱と判断され、国際連盟がフランスの味方となったことで孤立した。兄であるアブドゥッラー1世も、国際的な孤立を受けて、兵を引いたのである。ファイサル1世は、イギリス統治下のイラクへ入り、イラクの主権者となった。イラクの沿岸部はシーア派が多く、北部地域はクルド人自治区でもあった。イギリスは、北部をクルド人自治国として切り離し、南部沿岸部をシーア派の自治国として、バクダットを中心とした中央をスンニ派ファイサル1世の王国を築く流れであった。ペルシャの勢力拡大を望まないイギリスにとっては、北部はともかく南部スンニ派の取り纏めを、ファイサル1世が承知したことで、イラク連合王国が建国された。
アラブの独立を求めて、戦争に協力してくれたハーシム家を保護するため、ロレンスは奔走していた。特にフランスとシリアの戦争では、ハーシム家の援護を求めたが、イギリス政府がフランス側についたため、撤退を余儀なくされた。結果として、ロレンスはファイサル1世をイラク国王として、バクダットを含めたイラク中心部をスンニ派自治区という形として、北部をクルド人自治区に、南部をシーア派自治区として、イラク連合王国という形を創り上げた。
イギリスへ戻っていたベル女史は、クルド人の処遇から、イラク連合王国には反対していた。ロレンスは、民族自決からそれぞれを、自治区として首長を置いて、連合王国化した方が良いと判断した。二人の意見が違えたが、会議の調整をおこなっていたウィストン・チャーチルは、ロレンスの意見を取り上げて、イラク連合王国の設置となった。これは、イラク北部の国境線について、トルコとの合意が得られていないので、問題を先送りにしたという面もあった。クルド人が、トルコ側で独立問題をおこした場合、イギリスが介入しなければならなくなるのを避けるためであった。
1920年代は、スンニ派のサウード家とシーア派のハーシム家は、アラビア半島で熾烈な勢力争いを進めていた。ハーシム家がメッカからヨルダンとイラクに部族を移動させたことで、スンニ派のサウード家は、メディナやメッカといったを紅海沿岸のハーシム家の領域を占領したのである。フランスとの紛争もあって、ハーシム家はアカバを確保するのが精いっぱいであった。アブドゥーラ1世は、
ハーシム家アブドゥッラー1世は、エルサレムを国際連盟管理地区とするのであれば、地中海沿岸にユダヤ人が移住することを認めると宣言した。これは、スンニ派サウード家の抗争を主眼とするための行動であった。ハーシム家アブドゥッラー1世は、アンマンからアカバの鉄道を日本に委託することを求めたが、ヨルダンの経済状況から敷設費用を払える状況にはなかった。ハイファからテルアビブまでの海岸線には、多くのユダヤ人が入植してきたが、生活できる状況になく、ヨルダン国王からの支援を受けている状況であった。
<<<<<>>>>>
トーマス・エドワード・ロレンスは46歳の時、1935年5月13日にオートバイ事故で亡くなったこともあって、ロマン溢れる伝承となってしまい、人物評については様々に語られている。
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映画「アラビアのロレンス」は、第一次世界大戦の話であり、ライン戦線だけでなく、中東方面にも戦線が広がっていたことが認識できる。
イギリスの政治事情としては、中近東の石油資源を確保することであり、シリアをフランスに、イラクをイギリスにという大国間の取引があった。広大な領域を確保できなくなっていた、オスマントルコ帝国が、世界大戦によって完全に国力を疲弊させて、帝国そのものが崩壊したのが世界大戦となったのである。
ロレンスは、イギリスの国益を優先しなければならない立場であり、その上でアラブ人の自由や独立を実現するために、アラブ人の行動を支援していた。
最盛期には、北アフリカから中近東、東欧までを領域としていたオスマントルコであったが、世界大戦によって、アナトリア半島一帯に縮小していったのである。
史実の中近東では、終わりなき民族紛争が激化しているが、大半は欧州列強の利権争いによるとばっちりである。スンニ派のサウード家とシーア派のハーシム家による抗争、クエートのサバーハ家やイエメン王国ハーシム家といった、中近東における部族間抗争が、大きく影響している。
ロレンスの行動で、どうなるものでも無い当時の政治的な状況であったのは事実である。if史で組み入れた、国際連盟による、エルサレム統治と居住禁止は、せいぜい恨み言の方向を一つ減らす程度の価値でしかない。
ヨルダン・ハシミテ王国とサウジアラビアとの抗争を主軸として、アラビアでの戦闘は断続的に継続される。大シリアを建国しようとした、ファイサル1世の野望は、英仏の中近東による主権争いに翻弄されるように、抗争の火種を撒き散らすことになる。
クルド人自治区の設立は、そのまま独立運動への動きとなり、トルコとの抗争として暴走を始める。ソビエト連邦の動きは、中近東に共産国家を築くべく、各地に独立運動支援へと動き出していく。
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