世界大戦は終わらない

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オスマン帝国の黄昏

オスマン帝国の黄昏03 「特区」じゃない特区?

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 シリアからシナイ半島までの地域は、イギリスの三枚舌外交による結果もあって、国際連盟による干渉地域となっていた。ハイファからエルサレムの鉄道路線は、イギリスに敷設権があり、イギリスとの共同という形で、日本が敷設し運用する地域となっていた。

 イギリスは、ハイファからイラクに向けて、鉄道路線の敷設を進めていて、バクダットを経由してペルシャ湾までを予定工区としていた。フランスは、シリアの石油資源を確保を進めて、エネルギー供給地として軍を送り込んでいた。イギリスやフランスにとっては、石油の利権が優先で在り、現地での統治は、出来る限り現地の人間で対応を図ろうとしていた。

 日本は、満洲に油田が発見されたことで、中東への優先順位が下がり、中東派遣軍は、補充という形での増派となったのである。人事異動の形によって、年に陸軍に10名、工兵隊100名が送られてきていた。日本の官僚は、平時体制なので、戦況が良いか悪いかでは動かないのである。極東ロシアでの派遣軍に、被害が拡大しているのは、被害状況に関係なく異動が発生するというのもあったのである。被害が無かった部隊が異動して、奉天の後方勤務となり、被害が大きかった部隊が、残留となってさらに被害が拡大する、お役所の対応というのは、後手後手になるのである。

 エルサレム方面についても同じで、後方がハイファの海軍基地であり、連絡線がエルサレムまでの鉄道となっている。政府側の判断としては、ハイファのイギリス軍が撤退といった情報がない限り、平時の判断となっていた。

 軍というモノは、歳月が経過すれば、平時でも損耗する部隊で在り、補充というのは、常に必要となる。補充兵もまた、片道切符で訪れる。毎年、数名の補充兵が送られる、平時の論理に従い、新兵を中心として、人事異動は春の到来を告げていく。

 3月の時期は、日本から異動の船がやってきて、異動の船に乗って運が良ければ、日本に帰ることができる。年老いて戦えないと判断された者、病に倒れ戦列を離れた者は、退職後に予備役となり、日本への帰還が認められる。新たに配属する者達が、新兵を中心として、同じ船で到着する。

「ことしも、平時の異動だな、特に変わった者は、君は」

 女性が下りてきた、年齢は20歳は超えているか?

「は、はい。南洋庁庶務課から参りました、葛西亮子です」

「工兵隊勤務か」

「はい。エルサレム駅長付と言われました。これが辞令です」

 エルサレム駅は、軍事駅なので、整備等を除けば、帝国陸軍管理であり、駅長は、春日大佐であった。

「?駅長付」

「はい。後、先輩から手紙を預かりました」

「手紙?」

 手紙を受け取ると、差出人は、井筒正彦となっていた。拓殖大の助教授であった。

「井筒先生は、教授になれたのかな」

「はい。昨年、教授になられました」

「そうか、では君は、後輩ということかな」

「はい。公私共、よろしくお願いします」

「あぁ、こちらこそ、よろしく頼む」

 当時の海外事情として、移民は男性が中心であったため、現地で結婚することも多かったが、国際結婚を許容する風潮は日本には無かった。結果として、お節介な人たちが、結婚相手を送ることになる。そんな一例が、エルサレムでも見られたのである。

 滋野男爵の爵位継承問題や、1890年に書かれた森鴎外の「舞姫」、1898 年アメリカの作家ジョン・ルーサー・ロング「蝶々夫人」は、そんな時代に描かれた作品である。戦前の日本という国は、異国との付き合いはあっても、異国人との婚姻を認める程には、寛容な民族では無かった。だからこそ、写真一枚で見合いのようなことも、数多く発生したのである。

 日本の持つ、閉鎖性と開放性は、非常に良く似た性質を持っていた。それは、悪気は無く、親切で在り、お節介であるということであった。当時の海外旅行は、生きて帰って来るか判らない、それほそ冒険の世界であった。血の継承が問題となれば、海外に派遣前に婚姻も多く、継承に差し障りのある人間の異動には、様々な圧力がかかるモノであった。
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