世界大戦は終わらない

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世界大戦は終わらない

序章12 世界大戦が終わりません?

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 世界大戦終結せず
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 大正7年1918年12月のベルギー休戦会議から始まる、軍および外相による実務者レベルの調整で、日本からベルギー国内での戦闘について、停戦が認められた。この会議で、時の人扱いされたのが、在ベルギー日本大使館付武官であり、ベルギーに派遣された欧州派遣軍の滋野清武男爵と諸岡幸麿大佐であった。ベルギー空軍として、大戦に参加し、6機撃墜のパイロットとして有名であった。師岡幸麿は、大日本帝国陸軍が欧州派遣軍にバンクーバーの日本人会から200名が義勇兵として参加し、ベルギー戦線に参戦した。当初、軍属で参戦したが、戦争の激化から、欧州派遣軍少尉として派遣軍将校となり、イギリス・カナダ・日本の連合軍と共に、ベルギー国王を含む部隊が包囲されたナミュール会戦に参加して、救出に成功し中尉に昇進した。

 ベルギー休戦協定は、滋野と師岡が、ベルギー大使館付武官という形で、参加している。滋野と師岡は、停戦後に欧州派遣軍の特別昇進(生前二階級特進)を受けて滋野が中佐、師岡は少佐で停戦会議に参加している。これは、欧州派遣軍が大隊規模であり、各国の代表が将官以上で参加していることもあって、会議参加者として尉官では不味いとして、欧州派遣軍全員を昇進させたという経緯がある。

 大正8年1919年01月18日から始まるパリ講和会議は、ベルギー休戦協定の継続議事として開催され、ベルギーの時計を停止させた状態で、パリ講和会議の議場に持ち込んだのである。日本からは、全権大使として西園寺公望、外務大臣石井菊次郎が参加した。

 パリの講和会議は、「常設国際会議の設置」「戦争における賠償問題」「新国家の承認」「国境線変更」「植民地の取り扱い」という議題が決定された。

 講和会議は、「総論賛成、各論反対」で始まり、ウィルソン大統領の提唱した平和十四ヶ条は、反対派されなかったが、各論での議論はほとんど進まなかった。「常設国際会議」に向けた十人委員会の発足は、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、日本で始まった。日本からは、西園寺公望を全権大使、石井菊次郎外務大臣が参加した。

 「戦争における賠償問題」については、会議が難航し、特にフランスから提唱された、ザールの領有権や戦費および賠償金の負担は、イギリスが反対したことで、会議そのものが暗礁に乗り上げた。イギリスのデービット・ロイド・ジョージが、「新しい戦闘を挑発することのない講和」を目指すことを公表し、アメリカのウィルソン大統領に賛同を得たが、フランスは猛然と反対した。日本とアメリカが、戦争責任がウィルヘルム2世にあるという点に反対し、フランスを激怒させた。

 日本からは、「講和会議」そのものについては「国際会議」の審議事項として、十人委員会では、国際会議設立について解決すべきであると、アメリカと共に提唱した。「国際会議」優先の議事は、イギリスとイタリアの賛同を得たことで、フランスが孤立したことで、クレマンソーッ首相は会議の中断を求め一時帰国した。

 フランス軍は、中断後の3月28日に、ライン戦線に再度の攻勢「一月攻勢」をかけ、ロシア白軍の支援を受けて、ルーマニアからドイツ軍東部への攻勢を実施した。ルーマニア戦線は、完全に崩壊し、ハンガリーへの侵攻を成功させ、オーストリア=ハンガリー軍は、壊滅的な打撃を受けた。ライン戦線でもドイツ軍を24kmに渡り後退させたが、この攻勢でフランス軍の一部が、ドイツ軍の側面攻撃のためにベルギー領を通過したことで、ベルギーが激怒して、ドイツ側と即時単独講和を締結する結果となり、ドイツ軍の再攻勢に対して、支援する結果となった。結果としてフランス軍は、戦線が膠着し、後退を余儀なくされた。

 フランス軍の「一月攻勢」は、停戦協定への違反であるとして、イギリスとアメリカが激怒して、フランスに対して戦闘の即時停止を求めた。イギリスは、ドイツとの休戦協定延長に合意し、無期限休戦に合意した。イギリスは、ドイツとフランスの戦争として、休戦後の戦闘について関与しないと宣言した。アメリカがフランスに対して、フランスが即時停戦し、講和会議へ参加しなければ、アメリカ軍の撤退と、フランスへの支援引き上げを宣告すると、フランスは攻勢に失敗し、戦線が膠着したこともあって、即時の停戦と講和会議への参加を承認した。

 ドイツは、フランスの攻勢は撃退したが、ストライキ等で国内世情が悪化を辿ったことから、ヴィルヘルム2世は、退位しオランダへ亡命した。ヴィルヘルムの退位と亡命を受けて、ベルギーは、ドイツに対して、人道的支援として、食糧等の軍事以外の物資をドイツに搬送した。

 4月30日からは、戦争責任問題について、ロバート・ランシング国務長官を下に、調査委員会が設置され、5月18日に調査報告書が提出された。第一の責任は、オーストリア=ハンガリー帝国であり、第二がドイツ帝国であるとしトルコブルガリアが次ぐとされた。「戦争の
法と慣習に逆らい、人道に反した」としたが、戦争責任の訴追は断念した。これは、日本とアメリカが、国際慣習および戦時国際法上の根拠が脆弱であり、訴追が認められないと表明していた結果でもあった。報告書が公表されると、既に死に体であった、オーストリア=ハンガリー帝国は、崩壊の一途を辿っていた。

 ドイツ側は、海外領土の放棄については、合意が形成されていたが、賠償金の支払いについては、日本とアメリカが難色を示した。ドイツ側が500億金マルクとしたのに対して、イギリス、フランスは、同盟国側の支払いを1320億金マルク(純金47,256トン相当)としたが、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、オーストリア、チェコスロヴァキア、ハンガリーに分裂していて、

 フランスは、ライン川を国境とすることで、アルザス・ロレーヌ地方だけでなく、ザール地方を含めることを主張したが、フランス軍の進撃は、ザールの遥か手前で戦線が膠着していた。

 ケインズが、大正8年1919年6月に「平和の経済的帰結《The Economic Consequences of the Peace》」を発表し、賠償金の請求でドイツが支払い可能な賠償額を算定し、ドイツに賠償額を30年賦で12億6000万金マルクとWikiで描かれている。

 宵闇の中では、ドイツとフランスは継続戦闘について、一時的に停止し、和平交渉に入っている。フランスが交渉を放棄して、ドイツへの侵攻を開始したが、ドイツ軍に対応されて打ち砕かれて、側面突破のためにベルギーへ侵攻したことで、ベルギーが激怒して、ドイツとの単独講和を結ぶこととなった。オランダに亡命したヴィルヘルム2世に対して、戦争責任と賠償請求の裁判を求め、ヴィルヘルム2世を介してドイツの戦争責任と賠償を要求する形をとったのである。アメリカ、イギリス、日本は、ベルギーの単独行動について批判したが、フランスの行動への抗議から爆弾を投下した結果となった。

 ベルギーは、オランダに亡命したヴィルヘルム2世に対して、ドイツ帝国の戦争責任と賠償請求を行い、ドイツ政府との交渉を仲介させたことになる。賠償については、ドイツ帝国政府からドイツ共和国政府への資産継承であり、現状で支払い能力をある程度保有していたのは、ドイツ共和国政府だけという点から、フランスとイギリスの賠償請求金額が拡大していったのである。ドイツ共和国政府は、フランスの行動に対して、国防に全力を傾け、防衛に成功したことと、ベルギー政府との外交交渉結果から、オランダおよびルクセンブルク、バルト三国との交渉を成功させ、個別講和締結に持ち込んだのである。

 講和交渉の中で、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリーが、ほぼ無条件で降伏したことで、連合国側は条約を締結し、賠償委員会が設置された。賠償請求は当初、支払い能力と支援を踏まえたモノであったが、ドイツとの交渉が拗れてからは、要求が徐々に過大なモノとなっていった。オーストリア=ハンガリー帝国カール1世に対して、ロマノフ家の救出に失敗したイギリスは、カール1世のスイスへの脱出を成功させた。

 カール1世は、オーストリア、ハンガリーへの帰国活動について、交渉を繰り返したが失敗に終わり、マディラ島で最期を迎えることとなる。

 ドイツに対する賠償請求は、過大すぎるということで、6月の調印に至らず、再度の会議継続となった。並行して進められていた、国際連盟の会議として始まり、十人委員会は、理事国と理事会の形の中で、講和会議を継続することとなった。

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