世界大戦は終わらない

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世界大戦は終わらない

序章07 血反吐を吐いて、現実と向き合いましょう?

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 ベルギー、日本、ドイツは、講和会議に先立って、大正7年1918年11月に停戦協定が締結され、日本はベルギーと共に青島の租借権を確保し、既に実効支配を進めていた、太平洋のニューギニア島北部を含めたDeutsch-Neuguineaを権益として得たのである。

 ドイツは継続戦闘中で在り、ライン戦線では、殺し合いが続いていた。

 ベルギーと日本は、これ以上の戦闘は、双方の被害が大きいことから、一時的にせよ停戦として、講和会議を開催するべきであると提唱したのである。1914年のクリスマス停戦を例として、少なくとも1918年12月には、一時的に戦闘を停止し、双方の代表者による講和会議の開催を提唱したのである。停戦会議の会場をベルギーとした。

 この一カ月の停戦は、日本にとっては、対ボリシェビキの戦闘を継続して、満洲での利権を確保し、欧州諸国家に了承を取り付けるためであった。戦争当事国であるフランスにしても、漁夫の利を得ようと連合国で参戦したイタリアも、ウクライナで得る権益を失うことはできない。停戦会議は、そのままロシア帝国の資産継承会議でもあったのである。

 ロシア帝国の資産については、保有権の帰属が問題であったが、ロマノフ家をボリシェビキから奪取し、ロシア帝国との紛争地域である、樺太に迎えたことで、ロマノフ家は国外に逃亡していないという体裁を整えた。ロマノフ家にとっては、ロマノフ家の個人資産を含めて、ロシア帝国の海外資産を確保し、各国と交渉を進める中で、権益の調整をおこなうことにあった。

 ウクライナでは、ロシア白軍を取り纏めるピョートル・ヴラーンゲリを中心として、キエフに根拠地を築き、ボリシェビキ政権と抗争していた。イタリアやフランスの支援を受けて、ウクライナを大公領として独立を図ったのである。皇族の一人でもある、キリル・ウラジーミロヴィチは、ロシア白軍に身を投じて、ロマノフ帝室の保護者にしてキリル大公を名乗ったのである。

 オルガ皇太女は、ロマノフ家の資産管理者として、血友病患者でもあった、弟の皇帝アレクセイを補佐し、ロシア帝国の資産確保を求める立場にあった。

 皇帝アレクセイの下で、オルガ皇太女となり、妹のタチアナを駐仏ロシア大使兼全権大使として、ベルギー停戦会議に参加させたのである。イギリスやフランスにしても、長期に渡る世界大戦に対して、厭戦状況にあり、短期間の停戦であれば、応じる用意があった。

 ベルギー停戦会議に参加したのは、フランス、イギリス、日本、ロシア、ベルギー、日本、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア、アメリカであった。ロシア代表は、全権大使として着任した、タチアナ皇女殿下であった。

 こういった状況から、1918年12月01日から1919年01月01日まで、期間限定ではあったが、停戦が提唱された。停戦協定については、各国で了承され、停戦決議は発行された。

 講和に向けた会議としては、ベルギーがドイツがベルギー国内での戦闘に、毒ガス(塩素ガスおよびマスタードガス)を使用したことは、ハーグ陸戦規定違反であるとして、糾弾を開始した。ドイツ軍は、ハーグ陸戦規定での「毒」とは継続的に影響を齎すモノであり、塩素ガスやマスタードガスは当たらないとして反論した。しかし、ドイツは続けて、戦争の早期終結を願うあまり、不必要に強力な兵器を使用したことについては謝罪するとしたのである。

 つまり塩素ガスおよびマスタードガスの利用を、「毒」の兵器利用とするとは知らなかったが、不必要に強力な兵器を使用したことについての「謝罪」としたのである。さらにドイツは、中立国侵犯については、イギリスが参戦した以上は、イギリスとの条約での中立は、交戦国に対しては無効であると言い放ったのである。

 毒ガスの使用といった、陸戦規定の改訂を伴う部分については、1919年01月01日以降に向けた協議として、事項の具体化について調整が進められたのである。

 停戦の発行で、ライン戦線については、現状での戦闘停止が規定された。これは、西部戦線での戦闘停止について、諸国家が承認したことであり、西部戦線以外については、別途継続協議とされたのである。

 停戦会議の中でタチアナ皇女は、ロシア帝国崩壊に対する対応を求め、レーニン率いるボリシェビキ政権は、不当に皇帝夫妻を殺害し、国家の簒奪を図ったとしたテロリストと糾弾した。ロシア帝国は、皇太子アレクセイが即位継承し、オルガ皇女を皇太女とし、継承権を規定したのである。

 会議に参加した諸国家は、ロシア帝国の帝位継承については認めることで一致し、ロシア帝国の資産について、一定の権利を有するとしたのである。しかしながら、サンクトペテルスブルクを始めとするロシア本国内の権益については、保留とされたのである。
 これは、レーニンのボリシェビキ政権が、ロシア帝国の借款継承を拒否し、諸国家の保有する債務を履行しないと宣言したためである。ロマノフ家としては、借款を継承することで、ロシア帝国の資産をロマノフ家の資産として認めさせることにあった。

 ロシア帝国は、無地領主Landless Lordと呼ばれるように、土地を持たない領主であるため、国際法上の国家の定義が問題となった。日本は、敷香のロマノフ館と敷地については、ロシア帝国の領有権を主張した場合には認めるとして、国家の定義を解決したのである。

 タチアナ皇女殿下は、会議場だけでなく、各国大使を訪れては、ロシア帝国の持つ資産を認めさせることに躍起になっていた。最大の利権は、ウクライナやカザフスタン、バルト三国といった地域の資産、イルクーツク東方の旧清帝国の保有資産であった。ロシア帝国が周辺国に有していた資産は、ロマノフ家の資産として認められる方向であったが、サンクトペテルブルグ等のロシア帝国本国については、実効支配しているボリシェビキ政権に対してロマノフ家が交渉するとされたのである。

 大正6年1917年に始まったロシア革命は、パンドラの箱を開き、世界に未曾有の大混乱を引き起こしたのである。

 ロシア帝国の版図は、列強諸国家の草刈り場となり、権益を巡って世界各国が、欲望を暴走させていったのである。

 ドイツ帝国の海外領土についても同じ交渉となっていた、ドイツ帝国の海外領土についても、ドイツ帝国皇帝の資産という扱いとなった。日本は、ドイツ帝国が大陸及び太平洋に有していた領土について、領有権を主張し、日本側の主張は、太平洋に有していた領土に関しては、概ね認められた。しかしながら、青島および山東省の利権については、ドイツから異論が出なかったが、アメリカやイギリスが反対し、フランスも賛同したのである。大陸のドイツ帝国の利権については、現状で実効支配している日本が管理し、別途講和会議の中で協議を進めるとした。

 アルザス・ロレーヌの返還については、ドイツ側が神聖ローマ帝国の支配下で在り、アルザス語は南部ドイツの方言であり、「ドイツ民族」の土地という認識であるとして、「民族自決」を盾とした。フランスは、「ツァーベルン事件」を例として、ドイツ帝国はアルザス・ロレーヌ地方を侮蔑していたとして、「ドイツ帝国」の領土ではないと主張したのである。

 ドイツにしてもフランスにしても、負けていないという条件下での交渉は、困難を極めた。

 会議は、1918年12月01日から1919年01月01日まで続いたが結論が出なかったが、停戦失効を防ぐため、会議場の時計を11時59分で停止させ、会議場の時計が進まない限り、停戦は継続するとの結論となった。

 「民族自決」は、住民による投票結果によって、国家の帰属が決定できるというものであり、その先端を行くのがアメリカ合衆国であると宣言された。民族を町ごとに独立させることに意味があるわけではなく、住民が、どの国に帰属することを選択するかを選べることを、最優先事項としたのである。

 西部戦線での停戦が継続したが、世界大戦そのものが終結したわけではなく、ベルギーの停戦協議は、世界大戦の終結に向けたプレリュードでしかなかった。

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