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年表から見る日ノ本
年表から見る日ノ本04 史実日本、昭和不況の本質は、デフレ不況である?
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<<<<<史実年表>>>>>
明治23年(1890年)銀行条例改正
明治30年(1897年)台湾銀行設置
大正 7年(1918年)第一次世界大戦終結、米騒動
大正 9年(1920年)第一次世界大戦後、反動不況の発生
大正12年(1923年)関東大震災、震災手形の発行
昭和 2年(1927年)東京渡辺銀行破綻、鈴木商店の事業停止
<<<<<史実年表>>>>>
史実で昭和恐慌が発生したのは、大蔵大臣の失言もあって、銀行に取り付け騒ぎが起こったのである。金融の引き締めをおこなったのは、外国為替の引き受けで外貨獲得を狙った、大蔵省の指導により、第一次世界大戦で物資が不足した欧州へ物資を送ることで、海外から正貨を獲得するのが目的であった。
第一次世界大戦の長期化によって、日本は、莫大な外貨の獲得に成功したが、獲得した外貨は、さらなる外貨獲得に注ぎ込まれていた。リスクが増大する中で、外貨獲得に奔走する横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行は、徐々に資金繰りに苦しむようになる。
そんな中で、経済の悪化によって欧米列強諸国は、自国の資源輸出を停止することで、日本は原材料の供給が止まり、製品の輸出にブレーキがかかってしまった。
外貨獲得に奔走する、横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行は、日本銀行からの資金を頼りに、外貨獲得に暴走します。
さらに経済が悪化した、欧米列強諸国は、金本位制の一時停止と、金輸出禁止を決定し、日本の外貨獲得は、完全に空中分解してしまった。
ここにきて、海外からの外貨獲得の結果として、日本国内でも、インフレーションが進行し、物価が上がっていく様子から、「米騒動」が発生し、国内情勢の悪化に対応せざるを得なくなった。
金融緩和で、外貨獲得を目指した日本銀行は、金融引き締めで、外貨獲得に抑制をかける方向で動いた。動いたこと自体は、ソフトランディングを目指したものであったが、暴走していた海外取引市場は、非常に大きくバランスを崩す結果となった。
これが、昭和恐慌の背景であり、大蔵大臣の片岡直温失言は、引き金になった結果である。いずれ、発生したことは間違いない。
デフレへの転換から、紙幣が不足した結果、発生した取り付け騒ぎであったが、引退していた高橋是清を呼び戻して、急遽大蔵大臣に抜擢した。高橋是清は、大量の紙幣を発行することで、取り付け騒ぎを抑えて、昭和恐慌を強引に終結させた。
資料:第一次大戦期の正貨獲得政策「日本正貨政策史研究(一)」
金本位制への移行についても、第一次大戦もあって、正貨準備を目的として獲得を図っていた。かつて、日露戦争を遂行するために、正貨を準備するために、外貨獲得を目的として、外債募集で充当された。
目的は、欧州を舞台とした世界大戦は、欧米列強がアジアから後退する、千載一遇の好機であったからである。日本は、国際支払い手段の充実と、対外投資を行って、第一次世界大戦後に進出してくる列強に対して対処しようと図った。
明治21年(1888年)、日本銀行は、横浜正金銀行に対して、貸付を行って、正金銀行は運用して正貨を回収する。正貨の基本方針が成立した。
大正初期に、外国為替を扱ったのは、横浜正金銀行である。外国の金利が3.0%~3.5%であった状況で、正金銀行は、6%の利回りとしていた。これを可能としたのが、日本銀行からの低利融資であった。
定額手形発行にあたって、日本銀行における、商業手形の割引を年利換算すると、大正3年が7.3%で大正7年に6.57%とある。第一次世界大戦の中で、金融商品取引で手形を扱う、銀行が増加したのである。住友銀行が、大正5年にサンフランシスコ、ポンペイ、上海に支店を出し、三菱銀行が大正6年に上海、三井銀行も同時期の上海に支店を設置している。都市銀行は、地方銀行から預金されて資金を集める様な、資金運用をおこなっていった。
こういった流れは、第一次世界大戦による、金融緩和をもたらした結果であるが、地方の金融圧迫と言う日本の金融状況を改善したモノではない。日本の金融は、生糸を含めた農業に依存している部分があり、春繭、秋繭の資金需要といった季節の影響を受けていた。
大正6年ごろから、鉄鋼や機械等の資材自給は微弱で在り、列強が戦争継続の為、資材輸出を禁じた。結果として、設備資金への投資ができなくなり、金融の流れが変わったのである。さらに、戦争の長期化で、欧米列強は、大正7年に金輸出禁止措置をとったのである。
結果として、日本は、長期化し過ぎた第一次世界大戦によって、経済的なダメージを負ったのである。日本は、さらに獲得した外貨を、シベリア出兵によって、ほとんど失うと言う結果に終わったのである。
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歴史if。元老井上馨は、第一次世界大戦を天祐という表現をしたが、これは、両刃の剣であった。
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日ノ本では、第一次世界大戦という未曽有の大事件にあたって、外貨獲得を目指して、横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行は、日本銀行からの貸し付けを活用して、大きく動いたのである。高橋是清大蔵大臣は、定額手形で得た、正貨を元手として、横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行への融資を行ったのである。
戦争の長期化は、そのまま輸出産業の拡大となる。しかしながら、戦争という非常時経済の中で、拡大する輸出産業はかなり歪な産業構造となっていた。
史実の中で、日本は、この時期に、日露関係の改善に成功する。ドイツ帝国にオーストリア・ハンガリー帝国を敵としたロシア帝国は、極東の安定を求めて、日本との融和を図っていた。
欧米列強からの資源輸出が停止したことで、日本は、ロシアとの軍事同盟と言える協約を締結、満洲からの資源調達によって、輸出産業へのダメージを抑えることに成功した。
欧米への製品輸出は、ロシアが優先されるようになり、日露関係の改善は進み、大連から満洲鉄道を経由し、満洲里からザバイカル路線を介して、シベリア鉄道に連絡し、ロシアへと輸送する輸出ルートを築いた。ロシアは、日本から送られる製品を、海上ルートでイギリス、フランスへ転売することで稼ぐことができた。
第一次世界大戦の長期化は、大国の中で弱小経済国家である、ロシア、イタリア、オーストリア・ハンガリーの経済を破綻させ、フランス、イギリスは正貨流出による経済破綻を防ぐため、金本位制度の一時的な凍結、金の輸出禁止措置をとった。1918年8月には、アメリカも正貨流出を防ぐため、金本位制度の一時的凍結と金輸出禁止を実行した。
日本は、外国為替による正貨獲得ができなくなり、高橋是清大蔵大臣は、金融引き締めを開始した。外国為替で集めた正貨から、日本は2億の正貨を用意し、、イタリア、ロシア帝国、への貸し付けを実施した。
明治23年(1890年)銀行条例改正
明治30年(1897年)台湾銀行設置
大正 7年(1918年)第一次世界大戦終結、米騒動
大正 9年(1920年)第一次世界大戦後、反動不況の発生
大正12年(1923年)関東大震災、震災手形の発行
昭和 2年(1927年)東京渡辺銀行破綻、鈴木商店の事業停止
<<<<<史実年表>>>>>
史実で昭和恐慌が発生したのは、大蔵大臣の失言もあって、銀行に取り付け騒ぎが起こったのである。金融の引き締めをおこなったのは、外国為替の引き受けで外貨獲得を狙った、大蔵省の指導により、第一次世界大戦で物資が不足した欧州へ物資を送ることで、海外から正貨を獲得するのが目的であった。
第一次世界大戦の長期化によって、日本は、莫大な外貨の獲得に成功したが、獲得した外貨は、さらなる外貨獲得に注ぎ込まれていた。リスクが増大する中で、外貨獲得に奔走する横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行は、徐々に資金繰りに苦しむようになる。
そんな中で、経済の悪化によって欧米列強諸国は、自国の資源輸出を停止することで、日本は原材料の供給が止まり、製品の輸出にブレーキがかかってしまった。
外貨獲得に奔走する、横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行は、日本銀行からの資金を頼りに、外貨獲得に暴走します。
さらに経済が悪化した、欧米列強諸国は、金本位制の一時停止と、金輸出禁止を決定し、日本の外貨獲得は、完全に空中分解してしまった。
ここにきて、海外からの外貨獲得の結果として、日本国内でも、インフレーションが進行し、物価が上がっていく様子から、「米騒動」が発生し、国内情勢の悪化に対応せざるを得なくなった。
金融緩和で、外貨獲得を目指した日本銀行は、金融引き締めで、外貨獲得に抑制をかける方向で動いた。動いたこと自体は、ソフトランディングを目指したものであったが、暴走していた海外取引市場は、非常に大きくバランスを崩す結果となった。
これが、昭和恐慌の背景であり、大蔵大臣の片岡直温失言は、引き金になった結果である。いずれ、発生したことは間違いない。
デフレへの転換から、紙幣が不足した結果、発生した取り付け騒ぎであったが、引退していた高橋是清を呼び戻して、急遽大蔵大臣に抜擢した。高橋是清は、大量の紙幣を発行することで、取り付け騒ぎを抑えて、昭和恐慌を強引に終結させた。
資料:第一次大戦期の正貨獲得政策「日本正貨政策史研究(一)」
金本位制への移行についても、第一次大戦もあって、正貨準備を目的として獲得を図っていた。かつて、日露戦争を遂行するために、正貨を準備するために、外貨獲得を目的として、外債募集で充当された。
目的は、欧州を舞台とした世界大戦は、欧米列強がアジアから後退する、千載一遇の好機であったからである。日本は、国際支払い手段の充実と、対外投資を行って、第一次世界大戦後に進出してくる列強に対して対処しようと図った。
明治21年(1888年)、日本銀行は、横浜正金銀行に対して、貸付を行って、正金銀行は運用して正貨を回収する。正貨の基本方針が成立した。
大正初期に、外国為替を扱ったのは、横浜正金銀行である。外国の金利が3.0%~3.5%であった状況で、正金銀行は、6%の利回りとしていた。これを可能としたのが、日本銀行からの低利融資であった。
定額手形発行にあたって、日本銀行における、商業手形の割引を年利換算すると、大正3年が7.3%で大正7年に6.57%とある。第一次世界大戦の中で、金融商品取引で手形を扱う、銀行が増加したのである。住友銀行が、大正5年にサンフランシスコ、ポンペイ、上海に支店を出し、三菱銀行が大正6年に上海、三井銀行も同時期の上海に支店を設置している。都市銀行は、地方銀行から預金されて資金を集める様な、資金運用をおこなっていった。
こういった流れは、第一次世界大戦による、金融緩和をもたらした結果であるが、地方の金融圧迫と言う日本の金融状況を改善したモノではない。日本の金融は、生糸を含めた農業に依存している部分があり、春繭、秋繭の資金需要といった季節の影響を受けていた。
大正6年ごろから、鉄鋼や機械等の資材自給は微弱で在り、列強が戦争継続の為、資材輸出を禁じた。結果として、設備資金への投資ができなくなり、金融の流れが変わったのである。さらに、戦争の長期化で、欧米列強は、大正7年に金輸出禁止措置をとったのである。
結果として、日本は、長期化し過ぎた第一次世界大戦によって、経済的なダメージを負ったのである。日本は、さらに獲得した外貨を、シベリア出兵によって、ほとんど失うと言う結果に終わったのである。
<<<<<>>>>>
歴史if。元老井上馨は、第一次世界大戦を天祐という表現をしたが、これは、両刃の剣であった。
<<<<<>>>>>
日ノ本では、第一次世界大戦という未曽有の大事件にあたって、外貨獲得を目指して、横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行は、日本銀行からの貸し付けを活用して、大きく動いたのである。高橋是清大蔵大臣は、定額手形で得た、正貨を元手として、横浜正金銀行、台湾銀行、朝鮮銀行への融資を行ったのである。
戦争の長期化は、そのまま輸出産業の拡大となる。しかしながら、戦争という非常時経済の中で、拡大する輸出産業はかなり歪な産業構造となっていた。
史実の中で、日本は、この時期に、日露関係の改善に成功する。ドイツ帝国にオーストリア・ハンガリー帝国を敵としたロシア帝国は、極東の安定を求めて、日本との融和を図っていた。
欧米列強からの資源輸出が停止したことで、日本は、ロシアとの軍事同盟と言える協約を締結、満洲からの資源調達によって、輸出産業へのダメージを抑えることに成功した。
欧米への製品輸出は、ロシアが優先されるようになり、日露関係の改善は進み、大連から満洲鉄道を経由し、満洲里からザバイカル路線を介して、シベリア鉄道に連絡し、ロシアへと輸送する輸出ルートを築いた。ロシアは、日本から送られる製品を、海上ルートでイギリス、フランスへ転売することで稼ぐことができた。
第一次世界大戦の長期化は、大国の中で弱小経済国家である、ロシア、イタリア、オーストリア・ハンガリーの経済を破綻させ、フランス、イギリスは正貨流出による経済破綻を防ぐため、金本位制度の一時的な凍結、金の輸出禁止措置をとった。1918年8月には、アメリカも正貨流出を防ぐため、金本位制度の一時的凍結と金輸出禁止を実行した。
日本は、外国為替による正貨獲得ができなくなり、高橋是清大蔵大臣は、金融引き締めを開始した。外国為替で集めた正貨から、日本は2億の正貨を用意し、、イタリア、ロシア帝国、への貸し付けを実施した。
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