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天下泰平なれど外憂在り
天下泰平なれど外憂在り06 地域のインフラ整備は孤立整備、大陸動乱
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地域単位で計画されたインフラ整備計画は、街道建設を非常に歪める結果となった。国家主導の環状道路整備が、六車線道路を前提としてたことと比較して、地域の街道は、二車線を基本としていた。また、用地取得および街道の計画そのものに、選挙区への配慮が盛り込まれたため、大型車両に適さない、様々な政治力学で歪んだ街道が建設されていった。また、都市部では、工兵隊による軽便鉄道の敷設と運用が行われたこともあって、軽便鉄道と街道が土地を取り合う現象まで生じたのである。
街道建設が、孤立計画であったため、大型車両を通過させることが、非常に困難な地域が多く、二車線の街道も細切れのように、チグハグに接続されていったのである。
地域の街道計画は、地域の意向が強く反映され、中央の意見は地域には届かなかった。これは、野党議員の多くが、原総裁率いる政友党であり、地域への利益誘導を根幹としていたからである。特に、陸軍の予算増加を獲得するための、業務範囲拡大は、政友党による地域への利益誘導でもあった。
海軍が、対米を意識した、戦力増強を図る中で、陸軍は、急速に進む機械化部隊の増強が、支援戦力の増強となり、正面戦闘力が低下することが懸念された。山本権兵衛内閣は、支援戦力を、各地域軍属の部隊とし、帝国陸軍を上位組織として統合運用できる機動軍として、編成しなおしたのである。
再編された、帝国陸軍機動軍は、沖縄、九州、西部、中部、北陸、東北、北海道を本土方面軍として、樺太、遼東、朝鮮、台湾、南洋島嶼を外地方面軍とした。満洲鉄道都市警備局は、地域軍属として編成しなおされた。各方面軍は、二個機動師団+地域方面隊を基本定数として配備された。ただし、遼東方面は四個機動師団+地域方面隊とされた。
地域方面隊は、定数が無く、地域経済の事情によって異なっていた。ほとんどの地域は拡大傾向にあったが、半島だけが縮小傾向となっていた。これは、自治政府の要人が、暗殺されることが多く、実質的に治安維持能力を持たないことを遠因としていた。
日本の機動師団は、無限軌道車両ではなく、総輪車両が主力として整備されていた。大連工廠が開発した、六輪戦闘車両「火竜」は、仰角変更可能な105mm50口径砲を搭載しており、戦車ではなく自走砲に分類される。また、パンクを防ぐため、多層ゴムタイヤを使用している。最高時速30kmで射撃が可能であり、105mm砲は、戦車の正面装甲を、距離1500mで100mm装甲を貫く威力があった。
六輪戦闘車両「走竜」は、砲塔に30mm機銃を搭載した高速軽戦闘車両であり、時速80kmの高速移動可能な軽戦車である。
「火竜」「走竜」は共に大連だけでなく、本土でも生産され、遼東機動軍だけでなく、蒙古共和国に「走竜」120両「火竜」37両が売却され、ソビエト戦線に投入され、成果を上げていた。「走竜」による砲火でも、ソビエト軍のBT7の正面装甲が撃ち貫けたのである。「火竜」の105mm方は、対空用105mm高射砲を流用した火砲で、アンブッシュの対戦車戦闘では、帝国陸軍の戦闘車両では、最も敵戦車を撃破している。
鋼の生産は、アジア圏では、フランスの哈爾濱満洲工業が、トップであり、品質も高く、日本企業のライバルとなっていた。陸海軍の工廠で製造された鋼は、水準以上であったが、品質のバラツキが高く、鋼と言えない製品までが、商品として流通されていた。
30mm機銃の徹甲弾は、陸海軍共通仕様としていて、フランス満洲工業が生産していた。大日本帝国陸海軍は、フランス製の徹甲弾を比較基準の対象として、性能比較がなされていた。基本的に徹甲弾は、口径と同じ厚さの装甲板を打ち貫くことができれば、基本的な性能は満たしていて合格とされる。品質の高さは、口径より厚い装甲板をどこまで打ち貫くことができるか、これが品質の高さと言われている。フランス製30mm徹甲弾は、48mmの装甲板を打ち貫く結果を出し、ソビエトのBT5BT7を相手に、「火竜」「走竜」は蒙古国境を暴れまわったのである。大連工廠製30mm徹甲弾は、38mmの装甲板を打ち貫き、横浜工廠製30mm徹甲弾は40mmの装甲板を打ち貫いたのである。
結果として、30mm機銃の速射性能もあり、ソビエト製軽戦車BT-5や新型BT-7を倒すことができたのである。ソビエトも高速移動に対抗するため、BT-5、BT-7を装輪仕様車として戦線へ投入してきたのである。帝国陸軍の「走竜」は、正面装甲が35mmであり、撃ち合いではBT-7の45mm砲に撃破されたが、機銃の速射性能と高速移動から対抗は可能であった。「火竜」は、アンブッシュもしくは遠距離からの砲撃は強かったものの、車体の重さから移動速度が遅いため、近接戦闘に弱く、撃破されることも多かった。
蒙ソ国境は、日本からの支援を受けた、白軍を主体とする蒙古共和国軍が、何とか撃退していたのである。米軍や中華民国軍からの北伐もあり、非常に厳しい戦況でもあった。
戦闘は、バイカル湖畔の極東ロシア共和国にも飛び火しており、こちらも日本から支援を受けた極東ロシア共和国軍が、ソビエトとの戦闘状態に入っていたのである。日本軍は、民間航路保護を掲げて、バイカル湖畔に、水上機を中心とした海軍義勇隊2個大隊を派遣し、航空優勢を確保していた。
バイカル湖畔付近まで民間航路を運用している、日本政府は、満洲を中心とした民間航路を保護する必要性があった。日本政府は、満洲の覇権には興味を持たないが、満洲利権を保有する企業への配慮は必要だったのである。特に、琵琶湖を中心として、海外航路を運航していた安土航空は、政友会の支援団体でもあり、政府に対して圧力をかけた結果、二個大隊200機が、バイカル湖畔の空を飛んだのである。また、南洋庁の主導で進められた、技術試験大隊が航路測定や無線機器の実験、電探の試作試験などが行われていた。
燃費が悪くなるものの、馬力と高度を稼ぐことができる、圧縮式流体過給機の試験も並行して実施されたのである。
01式水上戦闘機は、ドイツ製ハンザブランデンブルクW29の後継として、開発された国産水上戦闘機である。300機ほどが生産され、128機がバイカル湖畔の義勇隊に貸し出されたのである。原内閣が復興対策の中で、復興事業の労働力として活用したことや、国内での軍事費削減を、無利子無期限の手形発行で乗り切ったことで、国民から陸海軍への対応は緩和されるようになったのも事実である。原退陣を受けて、山本権兵衛内閣は、軍事費削減を大きくアピールすることに成功し、日本陸軍工兵隊は災害復旧支援隊として活動する中で、日本型モータリゼーションを支える技術者集団となっていったのである。
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内外の状況が混迷する中、昭和三年八月、総選挙が実施されたのである。
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街道建設が、孤立計画であったため、大型車両を通過させることが、非常に困難な地域が多く、二車線の街道も細切れのように、チグハグに接続されていったのである。
地域の街道計画は、地域の意向が強く反映され、中央の意見は地域には届かなかった。これは、野党議員の多くが、原総裁率いる政友党であり、地域への利益誘導を根幹としていたからである。特に、陸軍の予算増加を獲得するための、業務範囲拡大は、政友党による地域への利益誘導でもあった。
海軍が、対米を意識した、戦力増強を図る中で、陸軍は、急速に進む機械化部隊の増強が、支援戦力の増強となり、正面戦闘力が低下することが懸念された。山本権兵衛内閣は、支援戦力を、各地域軍属の部隊とし、帝国陸軍を上位組織として統合運用できる機動軍として、編成しなおしたのである。
再編された、帝国陸軍機動軍は、沖縄、九州、西部、中部、北陸、東北、北海道を本土方面軍として、樺太、遼東、朝鮮、台湾、南洋島嶼を外地方面軍とした。満洲鉄道都市警備局は、地域軍属として編成しなおされた。各方面軍は、二個機動師団+地域方面隊を基本定数として配備された。ただし、遼東方面は四個機動師団+地域方面隊とされた。
地域方面隊は、定数が無く、地域経済の事情によって異なっていた。ほとんどの地域は拡大傾向にあったが、半島だけが縮小傾向となっていた。これは、自治政府の要人が、暗殺されることが多く、実質的に治安維持能力を持たないことを遠因としていた。
日本の機動師団は、無限軌道車両ではなく、総輪車両が主力として整備されていた。大連工廠が開発した、六輪戦闘車両「火竜」は、仰角変更可能な105mm50口径砲を搭載しており、戦車ではなく自走砲に分類される。また、パンクを防ぐため、多層ゴムタイヤを使用している。最高時速30kmで射撃が可能であり、105mm砲は、戦車の正面装甲を、距離1500mで100mm装甲を貫く威力があった。
六輪戦闘車両「走竜」は、砲塔に30mm機銃を搭載した高速軽戦闘車両であり、時速80kmの高速移動可能な軽戦車である。
「火竜」「走竜」は共に大連だけでなく、本土でも生産され、遼東機動軍だけでなく、蒙古共和国に「走竜」120両「火竜」37両が売却され、ソビエト戦線に投入され、成果を上げていた。「走竜」による砲火でも、ソビエト軍のBT7の正面装甲が撃ち貫けたのである。「火竜」の105mm方は、対空用105mm高射砲を流用した火砲で、アンブッシュの対戦車戦闘では、帝国陸軍の戦闘車両では、最も敵戦車を撃破している。
鋼の生産は、アジア圏では、フランスの哈爾濱満洲工業が、トップであり、品質も高く、日本企業のライバルとなっていた。陸海軍の工廠で製造された鋼は、水準以上であったが、品質のバラツキが高く、鋼と言えない製品までが、商品として流通されていた。
30mm機銃の徹甲弾は、陸海軍共通仕様としていて、フランス満洲工業が生産していた。大日本帝国陸海軍は、フランス製の徹甲弾を比較基準の対象として、性能比較がなされていた。基本的に徹甲弾は、口径と同じ厚さの装甲板を打ち貫くことができれば、基本的な性能は満たしていて合格とされる。品質の高さは、口径より厚い装甲板をどこまで打ち貫くことができるか、これが品質の高さと言われている。フランス製30mm徹甲弾は、48mmの装甲板を打ち貫く結果を出し、ソビエトのBT5BT7を相手に、「火竜」「走竜」は蒙古国境を暴れまわったのである。大連工廠製30mm徹甲弾は、38mmの装甲板を打ち貫き、横浜工廠製30mm徹甲弾は40mmの装甲板を打ち貫いたのである。
結果として、30mm機銃の速射性能もあり、ソビエト製軽戦車BT-5や新型BT-7を倒すことができたのである。ソビエトも高速移動に対抗するため、BT-5、BT-7を装輪仕様車として戦線へ投入してきたのである。帝国陸軍の「走竜」は、正面装甲が35mmであり、撃ち合いではBT-7の45mm砲に撃破されたが、機銃の速射性能と高速移動から対抗は可能であった。「火竜」は、アンブッシュもしくは遠距離からの砲撃は強かったものの、車体の重さから移動速度が遅いため、近接戦闘に弱く、撃破されることも多かった。
蒙ソ国境は、日本からの支援を受けた、白軍を主体とする蒙古共和国軍が、何とか撃退していたのである。米軍や中華民国軍からの北伐もあり、非常に厳しい戦況でもあった。
戦闘は、バイカル湖畔の極東ロシア共和国にも飛び火しており、こちらも日本から支援を受けた極東ロシア共和国軍が、ソビエトとの戦闘状態に入っていたのである。日本軍は、民間航路保護を掲げて、バイカル湖畔に、水上機を中心とした海軍義勇隊2個大隊を派遣し、航空優勢を確保していた。
バイカル湖畔付近まで民間航路を運用している、日本政府は、満洲を中心とした民間航路を保護する必要性があった。日本政府は、満洲の覇権には興味を持たないが、満洲利権を保有する企業への配慮は必要だったのである。特に、琵琶湖を中心として、海外航路を運航していた安土航空は、政友会の支援団体でもあり、政府に対して圧力をかけた結果、二個大隊200機が、バイカル湖畔の空を飛んだのである。また、南洋庁の主導で進められた、技術試験大隊が航路測定や無線機器の実験、電探の試作試験などが行われていた。
燃費が悪くなるものの、馬力と高度を稼ぐことができる、圧縮式流体過給機の試験も並行して実施されたのである。
01式水上戦闘機は、ドイツ製ハンザブランデンブルクW29の後継として、開発された国産水上戦闘機である。300機ほどが生産され、128機がバイカル湖畔の義勇隊に貸し出されたのである。原内閣が復興対策の中で、復興事業の労働力として活用したことや、国内での軍事費削減を、無利子無期限の手形発行で乗り切ったことで、国民から陸海軍への対応は緩和されるようになったのも事実である。原退陣を受けて、山本権兵衛内閣は、軍事費削減を大きくアピールすることに成功し、日本陸軍工兵隊は災害復旧支援隊として活動する中で、日本型モータリゼーションを支える技術者集団となっていったのである。
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