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我田引鉄だけじゃない?
我田引鉄だけじゃない?15 |漢《おとこ》の夢追い人、それが馬族?
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国際連盟の理事会は、荒れに荒れていた。
米軍が万里の長城を越えて、蒙古共和国が迎撃した。結果として、米軍10万が蒙古の山岳地帯で包囲殲滅された。国際連盟の理事会での争点は、万里の長城が、中蒙の国境であるかどうかであった。
米軍からすれば、蛮人の蒙古に卑怯な騙し討ちを受けたということになる。日本側は、蒙古共和国は、歴史的な慣例にのっとって、万里の長城までを勢力圏として、領有権の主張をしていると報告した。しかしながら、アメリカは、清国の後継である中華民国は、万里の長城の北側も中華民国の領土と主張した。
国際連盟からすれば、日米の紛争は、歓迎できるものではなかったが、論理的な流れでは、日本側が優勢であった。しかしながら、アメリカは、国の世論が沸騰している事情もあって、後にひけるような状況ではなかった。
日本は当事者とされたことで仲介に入れず、フランスの仲介で、日米の調停をおこなっていたが、交渉は難航していた。アメリカ側は、蒙古共和国が越境し、軍事行動を起こしたという主張だが、蒙古側は、長城の北方は実効支配下にあるという主張であった。根拠として、中華民国軍が、長城手前で停止して、戦力の再構築を図ったことを上げた。
「困ったものだね、ウチダ」
内田外相は、フランスのリシュリュー外相との会談に臨んでいた。
「アメリカは、妥協できそうにないですか」
「あぁ。大学から学生が居なくなったそうだ、全員、米軍への入隊志願者だそうだ」
Remember Great Wallという新聞報道が流れ、アメリカの世論は開戦で沸騰した。アメリカ政府も開戦に同意したとの報道も流れていた。
「アメリカ陸軍30万、中華民国5万ですか」
「中華民国側は、かなり渋っているからな。5万でも多いつもりだろう」
南京を含めて、長江を中心とする中華民国からすれば、北洋軍閥を北京から追っ払えただけで十分ということだ。
「アメリカ側は、蒙古と開戦するということですね」
「そういうことだ。日本はどうするのかね」
「日本としては、蒙古側での中立です」
「アメリカは、日本側にも文句が出てるぞ、敵の将軍に日本人が居たそうだが」
「将軍ですか、彼らは馬族であって、日本の正規兵じゃありません。蒙古人やロシア人が多いですから、義勇兵というところですよ、閣下」
蒙古共和国側には、伊達順之助や小日向白朗らが1万の馬族を率いて参戦し、夜間米軍の前線を浸透突破し、後方から木製の迫撃砲で、攻撃するという手段で、米軍の戦線を瓦解させた。蒙古共和国の攻撃で壊滅した米軍の中で、逃亡中に馬族に降伏した米軍の捕虜1万の武装解除して、長城を越えれば、蒙古の土地だ、長城から出るなと言って解放したと、小日向から報告を受けていた。
「アメリカは、満洲鉄道を使いたいそうだが」
「それは、お断りします。満洲鉄道は日本の会社です。満洲の西側、興安四州は、蒙古人の自治区ですよ。安全の保証すらできません」
アメリカの鉄道は、路線が完成していないため、蒙古までの兵站状況を確保するのが厳しい状況にあった。アメリカは、沿海州から極東ロシア共和国まで、シベリア鉄道を通過するのも、極東ロシア共和国に断られていた。当たり前のことだが、武装した他国籍の軍隊が、国内を移動するのを容認できる国は少ないものである。
「ムッシュ内田。日本の立場は理解できるが、スターリンが、アメリカに接近している」
「敵の敵は、味方ですか、閣下」
スターリンは、ソビエトの拡大を目指して、トロッキーの極東ロシア共和国、蒙古共和国とも戦闘状態に入っていた。カザフスタンでも小競り合いが発生していて、長大なソビエト国境は、中央アジアを中心とした、鬩ぎ合いの場となっていた。
ソビエト連邦は、100万の極東ロシア軍がバイカル湖畔で対峙していて、蒙古共和国軍30万と、カザフスタンで対峙していた。ウィグルでは、北洋軍閥がソビエト連邦と対峙していたが、北洋軍閥が敗れた今、中華民国側は、防衛できる状況ではなかった。
「困りましたね。スターリンは、アメリカと共同なら、西涼を突破して、蒙古側の側面を突くというところでしょう、閣下」
「西涼は、中華民国領だが、アメリカは気にしないか。困ったものだな、ムッシュ」
「フランスは、どうされますか、閣下」
「ムッシュ内田。世界大戦でも起こしたいのかね、フランスはどちらの味方はできんよ」
「日本としては、蒙古側の中立となりますが、よろしいですか、閣下」
「他国の中までは、私は知らんよ、ムッシュ内田」
互いに苦笑いするしかなかった。米蒙紛争は、こうして始まったのである。
ようやく平和が訪れた欧州では、戦争をしたがる国家はいない。ドイツは、恐ろしいまでのインフレが落ち着いて、復興がようやく形になりそうな状況であった。ドイツは、山東省の港湾施設の使用料を日本に払って、港湾施設を使って、アメリカからの物資を荷揚げしていた。
アメリカは、徐々に拡大する満洲のモータリゼーションを賄うため、ウラジオストクへ月千台のトラックや乗用車を運び込んでいたのである。ウラジオストクからシベリア鉄道に載せられ、哈爾濱に建てられたフォードの組み立て工場から、満洲各地に販売されたのである。
大正12年に数百台であった車両は、昭和10年(1934年)には、数万台へと拡大していた。車両整備についても、奉天、長春、哈爾濱に整備工場を設置して対応していたのである。車両の製造、整備にも、満洲鉄道都市警備局が携わっていた。昭和10年からは、大連から日本へ輸出されたのである。
哈爾濱の組み立て工場では、エンジンと車体はアメリカ製、外装はフランス製、内装はイギリスという、万国旗のようなT型フォードが、生産されていたのである。これは、満洲における鉄鋼の生産がフランス資本の工場で、革製品がニコラエフスクで生産されていたことに起因している。哈爾濱の工場では、インチ単位のアメリカ製エンジンをミリに調整した日本製のフレームに固定し、フランス製のボンネットを被せ、イギリス製のシートを固定し、製品として完成させたのである。
満洲鉄道都市警備局の業務は、インフラの整備まで拡大され、簡易浄化槽を使った上下水道の設置や維持管理まで担うようになっていた。衛生管理業務の拡大から、都市部には赤十字野戦病院が設置されていったのである。アメリカ陸軍の敗北で生じた、大量の傷病者が、天津から遼陽へ汽車で運ばれ、遼陽赤十字野戦病院に搬送され、手当てを受けていたのである。重傷者は、奉天と大連の赤十字野戦病院へと搬送され、退役者および死者はウラジオストクからアメリカへと運ばれていったのである。
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満洲鉄道都市警備局は、大日本帝国国営企業として満洲に君臨したのである。
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日露戦争終結の明治38年(1905年)から、10年の準備期間をかけて育てられた、帝国陸軍工兵隊は、総延長1000キロを超える満洲鉄道を支配したのである。鉱山への支線で設置された軽便鉄道やチタやハバロフスクまでのシベリア鉄道を含めれば、総延長距離は2000キロを超えていたのである。
軍用車両の搬送はできても、兵員の搬送を拒絶した満洲鉄道は、貨車と比較して、客車が少ないという事情もあった。第一次大戦後、山東省の路線を放棄したのは、満洲の運用で汽車(987両、貨車(7900両)、客車(440両)で、満洲の営業運航で限界であり、山東省を維持する要員も列車も確保できなかったためである。「スターリンの余裕」と俗称された特別急行「満洲」は、ソビエト連邦のスターリンとの調整がついた場合のみ運航される、10000キロを超えて旅するアジア急行であり、大連-パリ間を18日で結ぶ最遠距離高速鉄道であった。
昭和元年(1924年)、客車は5月1日に東京を出発し、横浜から港線に接続され、横浜で船に載せられて、大連に到着、大連から特別急行「満洲」に載せられて、3週間の日程で、パリへと到着したのである。
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世界で戦争が起きている中、大日本帝国は大災害が起きたが、平和であった。
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米軍が万里の長城を越えて、蒙古共和国が迎撃した。結果として、米軍10万が蒙古の山岳地帯で包囲殲滅された。国際連盟の理事会での争点は、万里の長城が、中蒙の国境であるかどうかであった。
米軍からすれば、蛮人の蒙古に卑怯な騙し討ちを受けたということになる。日本側は、蒙古共和国は、歴史的な慣例にのっとって、万里の長城までを勢力圏として、領有権の主張をしていると報告した。しかしながら、アメリカは、清国の後継である中華民国は、万里の長城の北側も中華民国の領土と主張した。
国際連盟からすれば、日米の紛争は、歓迎できるものではなかったが、論理的な流れでは、日本側が優勢であった。しかしながら、アメリカは、国の世論が沸騰している事情もあって、後にひけるような状況ではなかった。
日本は当事者とされたことで仲介に入れず、フランスの仲介で、日米の調停をおこなっていたが、交渉は難航していた。アメリカ側は、蒙古共和国が越境し、軍事行動を起こしたという主張だが、蒙古側は、長城の北方は実効支配下にあるという主張であった。根拠として、中華民国軍が、長城手前で停止して、戦力の再構築を図ったことを上げた。
「困ったものだね、ウチダ」
内田外相は、フランスのリシュリュー外相との会談に臨んでいた。
「アメリカは、妥協できそうにないですか」
「あぁ。大学から学生が居なくなったそうだ、全員、米軍への入隊志願者だそうだ」
Remember Great Wallという新聞報道が流れ、アメリカの世論は開戦で沸騰した。アメリカ政府も開戦に同意したとの報道も流れていた。
「アメリカ陸軍30万、中華民国5万ですか」
「中華民国側は、かなり渋っているからな。5万でも多いつもりだろう」
南京を含めて、長江を中心とする中華民国からすれば、北洋軍閥を北京から追っ払えただけで十分ということだ。
「アメリカ側は、蒙古と開戦するということですね」
「そういうことだ。日本はどうするのかね」
「日本としては、蒙古側での中立です」
「アメリカは、日本側にも文句が出てるぞ、敵の将軍に日本人が居たそうだが」
「将軍ですか、彼らは馬族であって、日本の正規兵じゃありません。蒙古人やロシア人が多いですから、義勇兵というところですよ、閣下」
蒙古共和国側には、伊達順之助や小日向白朗らが1万の馬族を率いて参戦し、夜間米軍の前線を浸透突破し、後方から木製の迫撃砲で、攻撃するという手段で、米軍の戦線を瓦解させた。蒙古共和国の攻撃で壊滅した米軍の中で、逃亡中に馬族に降伏した米軍の捕虜1万の武装解除して、長城を越えれば、蒙古の土地だ、長城から出るなと言って解放したと、小日向から報告を受けていた。
「アメリカは、満洲鉄道を使いたいそうだが」
「それは、お断りします。満洲鉄道は日本の会社です。満洲の西側、興安四州は、蒙古人の自治区ですよ。安全の保証すらできません」
アメリカの鉄道は、路線が完成していないため、蒙古までの兵站状況を確保するのが厳しい状況にあった。アメリカは、沿海州から極東ロシア共和国まで、シベリア鉄道を通過するのも、極東ロシア共和国に断られていた。当たり前のことだが、武装した他国籍の軍隊が、国内を移動するのを容認できる国は少ないものである。
「ムッシュ内田。日本の立場は理解できるが、スターリンが、アメリカに接近している」
「敵の敵は、味方ですか、閣下」
スターリンは、ソビエトの拡大を目指して、トロッキーの極東ロシア共和国、蒙古共和国とも戦闘状態に入っていた。カザフスタンでも小競り合いが発生していて、長大なソビエト国境は、中央アジアを中心とした、鬩ぎ合いの場となっていた。
ソビエト連邦は、100万の極東ロシア軍がバイカル湖畔で対峙していて、蒙古共和国軍30万と、カザフスタンで対峙していた。ウィグルでは、北洋軍閥がソビエト連邦と対峙していたが、北洋軍閥が敗れた今、中華民国側は、防衛できる状況ではなかった。
「困りましたね。スターリンは、アメリカと共同なら、西涼を突破して、蒙古側の側面を突くというところでしょう、閣下」
「西涼は、中華民国領だが、アメリカは気にしないか。困ったものだな、ムッシュ」
「フランスは、どうされますか、閣下」
「ムッシュ内田。世界大戦でも起こしたいのかね、フランスはどちらの味方はできんよ」
「日本としては、蒙古側の中立となりますが、よろしいですか、閣下」
「他国の中までは、私は知らんよ、ムッシュ内田」
互いに苦笑いするしかなかった。米蒙紛争は、こうして始まったのである。
ようやく平和が訪れた欧州では、戦争をしたがる国家はいない。ドイツは、恐ろしいまでのインフレが落ち着いて、復興がようやく形になりそうな状況であった。ドイツは、山東省の港湾施設の使用料を日本に払って、港湾施設を使って、アメリカからの物資を荷揚げしていた。
アメリカは、徐々に拡大する満洲のモータリゼーションを賄うため、ウラジオストクへ月千台のトラックや乗用車を運び込んでいたのである。ウラジオストクからシベリア鉄道に載せられ、哈爾濱に建てられたフォードの組み立て工場から、満洲各地に販売されたのである。
大正12年に数百台であった車両は、昭和10年(1934年)には、数万台へと拡大していた。車両整備についても、奉天、長春、哈爾濱に整備工場を設置して対応していたのである。車両の製造、整備にも、満洲鉄道都市警備局が携わっていた。昭和10年からは、大連から日本へ輸出されたのである。
哈爾濱の組み立て工場では、エンジンと車体はアメリカ製、外装はフランス製、内装はイギリスという、万国旗のようなT型フォードが、生産されていたのである。これは、満洲における鉄鋼の生産がフランス資本の工場で、革製品がニコラエフスクで生産されていたことに起因している。哈爾濱の工場では、インチ単位のアメリカ製エンジンをミリに調整した日本製のフレームに固定し、フランス製のボンネットを被せ、イギリス製のシートを固定し、製品として完成させたのである。
満洲鉄道都市警備局の業務は、インフラの整備まで拡大され、簡易浄化槽を使った上下水道の設置や維持管理まで担うようになっていた。衛生管理業務の拡大から、都市部には赤十字野戦病院が設置されていったのである。アメリカ陸軍の敗北で生じた、大量の傷病者が、天津から遼陽へ汽車で運ばれ、遼陽赤十字野戦病院に搬送され、手当てを受けていたのである。重傷者は、奉天と大連の赤十字野戦病院へと搬送され、退役者および死者はウラジオストクからアメリカへと運ばれていったのである。
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満洲鉄道都市警備局は、大日本帝国国営企業として満洲に君臨したのである。
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日露戦争終結の明治38年(1905年)から、10年の準備期間をかけて育てられた、帝国陸軍工兵隊は、総延長1000キロを超える満洲鉄道を支配したのである。鉱山への支線で設置された軽便鉄道やチタやハバロフスクまでのシベリア鉄道を含めれば、総延長距離は2000キロを超えていたのである。
軍用車両の搬送はできても、兵員の搬送を拒絶した満洲鉄道は、貨車と比較して、客車が少ないという事情もあった。第一次大戦後、山東省の路線を放棄したのは、満洲の運用で汽車(987両、貨車(7900両)、客車(440両)で、満洲の営業運航で限界であり、山東省を維持する要員も列車も確保できなかったためである。「スターリンの余裕」と俗称された特別急行「満洲」は、ソビエト連邦のスターリンとの調整がついた場合のみ運航される、10000キロを超えて旅するアジア急行であり、大連-パリ間を18日で結ぶ最遠距離高速鉄道であった。
昭和元年(1924年)、客車は5月1日に東京を出発し、横浜から港線に接続され、横浜で船に載せられて、大連に到着、大連から特別急行「満洲」に載せられて、3週間の日程で、パリへと到着したのである。
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世界で戦争が起きている中、大日本帝国は大災害が起きたが、平和であった。
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