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我田引鉄だけじゃない?
我田引鉄だけじゃない?01 国際連盟は、反共を掲げる
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大正7年(1918年)、第一次大戦の中で、対ソ干渉戦争が始まった。
日露戦争で陸軍は、ロシア帝国軍と痛み分けに終わり、遼東半島を確保するに留まった。
日露戦争以降、立憲主義へと移行する中で、ドイツに対抗するために祖国防衛のために戦ったロシア国民であったが、長引く戦争に国力は疲弊し、皇帝の支持が失われていった。ロマノフ王朝が倒れ、皇帝一家が幽閉された後、臨時政府が立った。臨時政府に追われて、国外逃亡したレーニンなどの社会主義者「ボリシェビキ」勢力率いる赤軍が、1917年2月に臨時政府を打倒した。臨時政府は、クリミア半島を中心とした白軍と対峙するようになったのである。
共産主義勢力の拡大を阻止しようとする連合国は、ソビエトへの干渉戦争を開始した。
帝国陸軍は満を持して、ロシア帝国が租借権を有する、満洲への侵攻を開始し、ハバロフスクまでの進撃を開始した。
日本国内の政治情勢は、元老院が指名する内閣が、次々と失脚し、与党第一党となった、立憲政友会総裁、原敬が平民宰相として初めての政党内閣を組織したのであった。
「ほぉ、追加で5万か、、、風間君。オーストラリアも気張ったものだな」
「はい、原首相。イギリスからの要請があったようです」
「運ぶのは、イギリス艦隊だから、金はかからんな」
「はい。まぁ」
相変わらず金に吝い原の言葉に、苦笑しながら、風間は連合軍による満洲征圧を確信していた。
ロシア帝国は、第一次世界大戦という総力戦の中で、独ソ戦の疲弊によって、壊滅的な打撃を受けていた。ロシア帝国は、ドイツから郷土の防衛できたものの、財政的には立ち直れるような状況ではなくなっていたのである。革命の嵐によって、ロシア皇帝一家は、幽閉され、ロシア帝国は滅びたのであった。
風間慎吾は、第一次大戦の時イギリス駐英大使として赴任していて、一般にヴェルサイユ条約と呼ばれる、パリ講和条約に末席で参加していた。第一次大戦中に風間は、ロシアに吹き荒れた共産主義革命の嵐から、反共産主義を掲げて、1918年に日本、イギリス、フランス、アメリカなどの連合国は、シベリア出兵を実行した。イタリアはフランスの支援を受けて、白軍を支援し、クリミア半島へ3万の義勇兵を送った。
ボリシェビキ政権への連合国にゆる干渉戦争は、厳しさを増したため、ドイツ帝国とボリシェビキ政権が結びつく結果となった。ボリシェビキ政権から、ドイツを引き離すため、フランスは賠償金の減額を提示し、ドイツ支援を決定した。
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口実としては、ボリシェビキに反抗するチェコスロバキア軍団の救出であったが、連合国側が狙ったのは、ロシア帝国皇帝一家の救出を含めた、後に白軍と呼ばれる、反レーニンのロシア自由主義者の救済にあった。世界連盟への担保としては、ロシア帝国が持っていた、満洲利権と沿海州利権であった。
帝国陸軍の目的は、日露戦争で「画竜点睛を欠く」とされた、奉天攻防戦の復仇にあった。
明治37年1月奉天のロシア帝国軍は、旅順攻略に手を取られている、乃木大将率いる第三軍が到着する前に、攻勢を開始、第二軍はロシア帝国軍の攻勢を10日間に渡って支えたが、弾薬の欠乏から第二軍は壊滅し、戦線は崩壊した。ロシア軍の追撃は、第二軍残存兵力と増援として派遣された鴨緑江軍を圧倒しつつ、鴨緑江方面へと押し出していった。
明治38年3月旅順攻略戦に勝利した乃木大将率いる第三軍が、営口に上陸された招集兵と武器弾薬を受け取れたことで、錬度に不安があるものの攻勢に出て、遼陽を突破してロシア帝国軍の後方へ展開、ロシア帝国軍の包囲に成功した。
ロシア帝国軍は、本渓湖炭鉱に野戦築城を実行し、防衛戦および持久戦へと移行した。
既に、大日本帝国軍の武器弾薬は底を突いていて、大日本帝国陸軍20万とロシア帝国軍18万は、睨み合った状態で戦線は膠着状態に陥った。
明治38年5月日本海海戦で、大日本帝国海軍が、ロシア帝国バルチック艦隊を撃破殲滅したことで、大日本帝国は、アメリカの仲介を受けて、ポーツマス講和条約を締結した。
1.ロシアは、韓国における日本の政治・軍事・経済上の利権を認め、韓国に対する指導・保護・監督に対して干渉しないこと。
2.ロシア軍が満洲から全面撤退、満洲利権の放棄。清国へ還付すること。
3.遼東半島の租借を日本に認めること。
4.日露両国は、清国が満洲の商工業発展のため、列国に共通する一般的な利益を阻害しないこと。
5.ロシアは、占領され実効支配された、樺太および対岸のニコラエフスクについて、一切の公共営造物・財産を日本に譲渡すること。
6.ロシアは、日本が戦争遂行に要した実費を払い戻すこと。払い戻しの時期、金額は別途協議のこと。
7.戦争中に鹵獲、抑留したロシア軍艦は、日本に引き渡すこと。
8.ロシアは、極東において、海軍力を増強しないこと。
9.ロシアは、日本海、オホーツク海、ベーリング海における、沿岸、港湾、入江、河川の漁業権を認め、許与すること。
ロシア帝国ニコライ二世は、1,3,4,7については遺憾ながら同意、2は、ロシア軍の占領地について拒否、5についてはニコラエフスクを返還と樺太の帰属について別途協議することで同意、6は全面拒否、8は拒否するものの、ロシア帝国が極東に海軍を置くことは無いと宣言することは可能とした。9は、海洋の漁業権は同意するものの、入江や河川については拒否という返事となった。
様々な紆余曲折があったものの、本渓湖-奉天から北側がロシア帝国の利権となり、大日本帝国は、遼東半島を得たに留まった。遼陽一帯を清国還付することで、緩衝地帯とした。北樺太-ニコラエフスク交換によって、樺太全島が、大日本帝国の支配下となった。
6の賠償金の放棄は、御前会議おける「是非も無し」と結論された。
日本国内での反発を呼び過激な集会が開かれたが、奉天で敗北した責任から、条約締結の翌日、9月6日陸軍元帥大山巌が皇居前で「陛下にお詫び申し上げる」割腹して果てたことが号外と流れ、「これ以上、赤子に戦で苦しめ、赤子の血を流すを能わず」という御言葉が新聞に掲載されたことで、事態は収束していった。
帝国陸軍にとって日露戦争は、喉に刺さった棘のようなものであった。
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国際連盟による決議を担保として、シベリア侵攻軍は、旅順に展開していた、帝国陸軍10万に加え、オーストラリア軍3万、イギリス軍3000、フランス軍500が参加した。国際連盟に加盟していないが、義勇兵として、海兵を含むアメリカ陸軍10万が参加、総兵力23万余で、侵攻を開始した。
帝国海軍は、ニコラエフスク、ウラジオストクに対する海上ルートを経済封鎖し、帝国陸軍とアメリカ軍が共同で実施したニコラエフスク上陸作戦を実行し、占領に成功した。
出撃してきたロシア極東艦隊を湾口にて撃破し、ウラジオストクに対して、艦砲射撃を開始した。後続するイギリス輸送船団を護送し、ウラジオストックにオーストラリア軍5万イギリス軍3千を上陸させ、占領することに成功した。
革命後のロシア帝国は、派閥による内紛も起きていて、モスクワを中心とした勢力による支配体制が確立していなかった。現地のボリシェビキによる、郷土防衛闘争による抵抗は、会戦としてではなく、占領後のゲリラ戦やテロ活動へ移行していて、帝国陸軍は対応に追われていた。非常に困ったことに、住民とテロの区別は困難を極め、連合軍による虐殺に近い対テロ戦が遂行されていた。
ボリシェビキによるテロ活動への対応は、凄惨を極めたものの、連合軍は、満洲全域からシベリア鉄道の拠点ハバロフスクの占領に成功した。
風間は、イギリスとの交渉と調整から、「ウィルソンの平和原則(厨1)」という宣言下で、満洲および沿海州を多国籍特別委託地区という枠組みを設定し、後に設置される国際連盟による特別委任統治地域を原首相へ提案したのである。
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つまり、「諸族協和」と反共産主義を目的とした、満洲が誕生したのであった。
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原首相は、風間から対英米協調路線をとって、満洲および沿海州の利権調整について、国際組織からの委託を受ける方が良いという話を受けていた。国際連盟の設立は、日英同盟の拡大版という合意がなされた。人種差別の撤廃法案は、提唱をしたものの、内政干渉として、アメリカやオーストラリア等の反発が強い国家の了承が得られなかった。人種差別撤廃法案の難しさから、次案として欧米から見て辺境である、極東地域に人種差別を撤廃した多国籍多民族によって築かれる理想特別地区満洲の提唱をおこなった。
対象としたのは、シベリア出兵で占領した満洲および沿海州を特別委託地区として、国際連盟に権益を委譲することであった。奉天、長春、哈爾濱、ハバロフスク、ニコラエフスク、ウラジオストックといった都市を中心とし、数十のブロックに分けたのである。
満洲および沿海州の主権は、国際連盟にあって、各地域の租借権の所有を国際連盟としたことで、アメリカが国際連盟に加盟しないとなると、満洲や沿海州の利権を失うことになることもあって、アメリカは理想特別地区満洲を認め、「新たなアメリカのために」という理由をつける形で、国際連盟に加盟せざるをえなくなった。
「風間君」
「はい」
「皇女様は元気かね」
揶揄う様な原の口調に、真っ赤になった風間は、
「え、は、はぃ」
うろたえるように答えていた。
シベリア出兵の中で、日英共同による、ロシア帝国皇帝一家救出作戦も敢行されていた。
ロシア帝国のロマノフ家(皇帝ニコライ2世や妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ、二人の5人の子供オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイ)
1918年に風間は、英国首相ロイド伯へ、退位したロシア皇帝アレクサンドルを、アレクサンドラ・フョードロヴナと共に、イギリスへ脱出させることを要請した。
皇帝アレクサンドルと皇妃フョードロヴァナは、エカテリンブルクから脱出させて、モスクワへ移動する時に、ポリショビキの襲撃を受けて殺害された。
風間は、皇帝の子供達オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイは、馬車で東に抜けて、マチェーフスカヤから哈爾濱へと脱出させた。ロシア皇帝嫡男アレクセイは、ロシア皇帝へと即位すると共に、ロシア帝国の満洲および沿海州について、国際連盟への利権譲渡を宣言した。ロシア皇帝一家は、そのまま日本へ亡命したのであった。領地無きロシア帝国の誕生である。ロシア帝国は、領地は国際連盟へと委譲したが、ロシア帝国は、大日本帝国に外交を委託し、国際連盟に加盟した。無地皇帝の誕生である。(厨2)
ロマノフ一家末妹アナスタシア皇女と惹かれ合った風間は、アナスタシア皇女の臣籍降下を受けた後、婚姻の契りを交わしていたのである。
(厨1)ウィルソン大統領が1918年1月、「無賠償」・「無併合」・「民族自決」を提唱した、「平和への布告」から、「十四か条の平和原則」をうちたててしまったこと。
(厨2)無地皇帝、日本に亡命し、樺太の豊原郊外に宮殿が建設された。土地は、日本国国土であるが、宮殿内はロシア帝国の領地とされた。樺太には、ソビエトから亡命したロシア人が多く住んでいたこともあり、豊原郊外のロシア人居留区を中心とした、ロシア亡命帝国が成立された。
亡命政権は、満洲利権寡占に反対する、フランスとイタリアが、満洲や沿海州の炭田や鉱山利権を、ロシア帝室の財産として、ロシア帝室の委託を受けて開発することで確保していった。
日露戦争で陸軍は、ロシア帝国軍と痛み分けに終わり、遼東半島を確保するに留まった。
日露戦争以降、立憲主義へと移行する中で、ドイツに対抗するために祖国防衛のために戦ったロシア国民であったが、長引く戦争に国力は疲弊し、皇帝の支持が失われていった。ロマノフ王朝が倒れ、皇帝一家が幽閉された後、臨時政府が立った。臨時政府に追われて、国外逃亡したレーニンなどの社会主義者「ボリシェビキ」勢力率いる赤軍が、1917年2月に臨時政府を打倒した。臨時政府は、クリミア半島を中心とした白軍と対峙するようになったのである。
共産主義勢力の拡大を阻止しようとする連合国は、ソビエトへの干渉戦争を開始した。
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「ほぉ、追加で5万か、、、風間君。オーストラリアも気張ったものだな」
「はい、原首相。イギリスからの要請があったようです」
「運ぶのは、イギリス艦隊だから、金はかからんな」
「はい。まぁ」
相変わらず金に吝い原の言葉に、苦笑しながら、風間は連合軍による満洲征圧を確信していた。
ロシア帝国は、第一次世界大戦という総力戦の中で、独ソ戦の疲弊によって、壊滅的な打撃を受けていた。ロシア帝国は、ドイツから郷土の防衛できたものの、財政的には立ち直れるような状況ではなくなっていたのである。革命の嵐によって、ロシア皇帝一家は、幽閉され、ロシア帝国は滅びたのであった。
風間慎吾は、第一次大戦の時イギリス駐英大使として赴任していて、一般にヴェルサイユ条約と呼ばれる、パリ講和条約に末席で参加していた。第一次大戦中に風間は、ロシアに吹き荒れた共産主義革命の嵐から、反共産主義を掲げて、1918年に日本、イギリス、フランス、アメリカなどの連合国は、シベリア出兵を実行した。イタリアはフランスの支援を受けて、白軍を支援し、クリミア半島へ3万の義勇兵を送った。
ボリシェビキ政権への連合国にゆる干渉戦争は、厳しさを増したため、ドイツ帝国とボリシェビキ政権が結びつく結果となった。ボリシェビキ政権から、ドイツを引き離すため、フランスは賠償金の減額を提示し、ドイツ支援を決定した。
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口実としては、ボリシェビキに反抗するチェコスロバキア軍団の救出であったが、連合国側が狙ったのは、ロシア帝国皇帝一家の救出を含めた、後に白軍と呼ばれる、反レーニンのロシア自由主義者の救済にあった。世界連盟への担保としては、ロシア帝国が持っていた、満洲利権と沿海州利権であった。
帝国陸軍の目的は、日露戦争で「画竜点睛を欠く」とされた、奉天攻防戦の復仇にあった。
明治37年1月奉天のロシア帝国軍は、旅順攻略に手を取られている、乃木大将率いる第三軍が到着する前に、攻勢を開始、第二軍はロシア帝国軍の攻勢を10日間に渡って支えたが、弾薬の欠乏から第二軍は壊滅し、戦線は崩壊した。ロシア軍の追撃は、第二軍残存兵力と増援として派遣された鴨緑江軍を圧倒しつつ、鴨緑江方面へと押し出していった。
明治38年3月旅順攻略戦に勝利した乃木大将率いる第三軍が、営口に上陸された招集兵と武器弾薬を受け取れたことで、錬度に不安があるものの攻勢に出て、遼陽を突破してロシア帝国軍の後方へ展開、ロシア帝国軍の包囲に成功した。
ロシア帝国軍は、本渓湖炭鉱に野戦築城を実行し、防衛戦および持久戦へと移行した。
既に、大日本帝国軍の武器弾薬は底を突いていて、大日本帝国陸軍20万とロシア帝国軍18万は、睨み合った状態で戦線は膠着状態に陥った。
明治38年5月日本海海戦で、大日本帝国海軍が、ロシア帝国バルチック艦隊を撃破殲滅したことで、大日本帝国は、アメリカの仲介を受けて、ポーツマス講和条約を締結した。
1.ロシアは、韓国における日本の政治・軍事・経済上の利権を認め、韓国に対する指導・保護・監督に対して干渉しないこと。
2.ロシア軍が満洲から全面撤退、満洲利権の放棄。清国へ還付すること。
3.遼東半島の租借を日本に認めること。
4.日露両国は、清国が満洲の商工業発展のため、列国に共通する一般的な利益を阻害しないこと。
5.ロシアは、占領され実効支配された、樺太および対岸のニコラエフスクについて、一切の公共営造物・財産を日本に譲渡すること。
6.ロシアは、日本が戦争遂行に要した実費を払い戻すこと。払い戻しの時期、金額は別途協議のこと。
7.戦争中に鹵獲、抑留したロシア軍艦は、日本に引き渡すこと。
8.ロシアは、極東において、海軍力を増強しないこと。
9.ロシアは、日本海、オホーツク海、ベーリング海における、沿岸、港湾、入江、河川の漁業権を認め、許与すること。
ロシア帝国ニコライ二世は、1,3,4,7については遺憾ながら同意、2は、ロシア軍の占領地について拒否、5についてはニコラエフスクを返還と樺太の帰属について別途協議することで同意、6は全面拒否、8は拒否するものの、ロシア帝国が極東に海軍を置くことは無いと宣言することは可能とした。9は、海洋の漁業権は同意するものの、入江や河川については拒否という返事となった。
様々な紆余曲折があったものの、本渓湖-奉天から北側がロシア帝国の利権となり、大日本帝国は、遼東半島を得たに留まった。遼陽一帯を清国還付することで、緩衝地帯とした。北樺太-ニコラエフスク交換によって、樺太全島が、大日本帝国の支配下となった。
6の賠償金の放棄は、御前会議おける「是非も無し」と結論された。
日本国内での反発を呼び過激な集会が開かれたが、奉天で敗北した責任から、条約締結の翌日、9月6日陸軍元帥大山巌が皇居前で「陛下にお詫び申し上げる」割腹して果てたことが号外と流れ、「これ以上、赤子に戦で苦しめ、赤子の血を流すを能わず」という御言葉が新聞に掲載されたことで、事態は収束していった。
帝国陸軍にとって日露戦争は、喉に刺さった棘のようなものであった。
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国際連盟による決議を担保として、シベリア侵攻軍は、旅順に展開していた、帝国陸軍10万に加え、オーストラリア軍3万、イギリス軍3000、フランス軍500が参加した。国際連盟に加盟していないが、義勇兵として、海兵を含むアメリカ陸軍10万が参加、総兵力23万余で、侵攻を開始した。
帝国海軍は、ニコラエフスク、ウラジオストクに対する海上ルートを経済封鎖し、帝国陸軍とアメリカ軍が共同で実施したニコラエフスク上陸作戦を実行し、占領に成功した。
出撃してきたロシア極東艦隊を湾口にて撃破し、ウラジオストクに対して、艦砲射撃を開始した。後続するイギリス輸送船団を護送し、ウラジオストックにオーストラリア軍5万イギリス軍3千を上陸させ、占領することに成功した。
革命後のロシア帝国は、派閥による内紛も起きていて、モスクワを中心とした勢力による支配体制が確立していなかった。現地のボリシェビキによる、郷土防衛闘争による抵抗は、会戦としてではなく、占領後のゲリラ戦やテロ活動へ移行していて、帝国陸軍は対応に追われていた。非常に困ったことに、住民とテロの区別は困難を極め、連合軍による虐殺に近い対テロ戦が遂行されていた。
ボリシェビキによるテロ活動への対応は、凄惨を極めたものの、連合軍は、満洲全域からシベリア鉄道の拠点ハバロフスクの占領に成功した。
風間は、イギリスとの交渉と調整から、「ウィルソンの平和原則(厨1)」という宣言下で、満洲および沿海州を多国籍特別委託地区という枠組みを設定し、後に設置される国際連盟による特別委任統治地域を原首相へ提案したのである。
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つまり、「諸族協和」と反共産主義を目的とした、満洲が誕生したのであった。
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原首相は、風間から対英米協調路線をとって、満洲および沿海州の利権調整について、国際組織からの委託を受ける方が良いという話を受けていた。国際連盟の設立は、日英同盟の拡大版という合意がなされた。人種差別の撤廃法案は、提唱をしたものの、内政干渉として、アメリカやオーストラリア等の反発が強い国家の了承が得られなかった。人種差別撤廃法案の難しさから、次案として欧米から見て辺境である、極東地域に人種差別を撤廃した多国籍多民族によって築かれる理想特別地区満洲の提唱をおこなった。
対象としたのは、シベリア出兵で占領した満洲および沿海州を特別委託地区として、国際連盟に権益を委譲することであった。奉天、長春、哈爾濱、ハバロフスク、ニコラエフスク、ウラジオストックといった都市を中心とし、数十のブロックに分けたのである。
満洲および沿海州の主権は、国際連盟にあって、各地域の租借権の所有を国際連盟としたことで、アメリカが国際連盟に加盟しないとなると、満洲や沿海州の利権を失うことになることもあって、アメリカは理想特別地区満洲を認め、「新たなアメリカのために」という理由をつける形で、国際連盟に加盟せざるをえなくなった。
「風間君」
「はい」
「皇女様は元気かね」
揶揄う様な原の口調に、真っ赤になった風間は、
「え、は、はぃ」
うろたえるように答えていた。
シベリア出兵の中で、日英共同による、ロシア帝国皇帝一家救出作戦も敢行されていた。
ロシア帝国のロマノフ家(皇帝ニコライ2世や妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ、二人の5人の子供オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイ)
1918年に風間は、英国首相ロイド伯へ、退位したロシア皇帝アレクサンドルを、アレクサンドラ・フョードロヴナと共に、イギリスへ脱出させることを要請した。
皇帝アレクサンドルと皇妃フョードロヴァナは、エカテリンブルクから脱出させて、モスクワへ移動する時に、ポリショビキの襲撃を受けて殺害された。
風間は、皇帝の子供達オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイは、馬車で東に抜けて、マチェーフスカヤから哈爾濱へと脱出させた。ロシア皇帝嫡男アレクセイは、ロシア皇帝へと即位すると共に、ロシア帝国の満洲および沿海州について、国際連盟への利権譲渡を宣言した。ロシア皇帝一家は、そのまま日本へ亡命したのであった。領地無きロシア帝国の誕生である。ロシア帝国は、領地は国際連盟へと委譲したが、ロシア帝国は、大日本帝国に外交を委託し、国際連盟に加盟した。無地皇帝の誕生である。(厨2)
ロマノフ一家末妹アナスタシア皇女と惹かれ合った風間は、アナスタシア皇女の臣籍降下を受けた後、婚姻の契りを交わしていたのである。
(厨1)ウィルソン大統領が1918年1月、「無賠償」・「無併合」・「民族自決」を提唱した、「平和への布告」から、「十四か条の平和原則」をうちたててしまったこと。
(厨2)無地皇帝、日本に亡命し、樺太の豊原郊外に宮殿が建設された。土地は、日本国国土であるが、宮殿内はロシア帝国の領地とされた。樺太には、ソビエトから亡命したロシア人が多く住んでいたこともあり、豊原郊外のロシア人居留区を中心とした、ロシア亡命帝国が成立された。
亡命政権は、満洲利権寡占に反対する、フランスとイタリアが、満洲や沿海州の炭田や鉱山利権を、ロシア帝室の財産として、ロシア帝室の委託を受けて開発することで確保していった。
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