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戦国歴史if
宵闇戦国草創異聞 男と女そして倫理
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倫理観というのは、後世に加わったものである。ここらへんは、人権という考え方や同族という意識が生まれた頃との兼ね合いであろう。日本で相手が同じ人間であるという意識が、生まれ始めたのが11世紀頃と推定するのは、将棋というボードゲームに持ち駒というルールが加わった時期が11世紀あたりだろうとされているからである。
これは、当時の戦事情にあったと判断している。雑兵の首はいくらとっても意味はないが、兜首と呼ばれる首をあげることは、恩賞を得る上で重要であった。問題は、首の持つ価値は、死んでいる場合と生きている場合で異なったことである。
殺した相手の兜首を上げた場合、恩賞は、相手が保有する権益を奪ってから、功績によって恩賞の分配をおこなうという手順になる。兜首を生きて捕えた場合、兜首が個人で所有する権益はそのまま捉えた人間によって差配することができた。西洋でいえば、身代金の支払いが可能かどうかということになる。しかしながら、兜首が死んでしまった場合、兜首の持っていた権益は別の人間が奪ってしまう可能性があった。ただし、兜首が生きていれば、権益を動かす権限は本人が持つため、兜首を生かして捉えることで、兜首が持っていた権益に対して主張し、権利奪うための大義名分を得ることができる。
兜首が生きている必要があるのは、保有する権益が土地の所領ではない場合、兜首個人に依存していることが増えたというのもある。市を開催する権限、商売をする権限、漁業をする権限、街道の荷役に関する権限、湊で荷役をおこなう権限、こういった権限は、家ではなく個人が持っている権限であることが多かった。つまり、兜首個人が持つ利権も存在したため、生かしてとらえることで、権益に対する利権を継承し、公的に主張することができるようになったのである。
倫理という感覚は、曖昧模糊としたものであるが、殺さずに生かして捕える方が利益が大きくなれば、殺すのではなく生かすという方向になっていくものである。これが、男女間ということになれば、契を交わすことで、相手の権益を継承することも可能であった。
これは、徐々に戦場という極限状況での倫理観にも影響を与える。相手を殺すというより捕えて売り払うという考え方にも繋がっていく。日本では、古来より奴婢や奴隷という考え方はなくなっていたが、年季奉公のような形で期間契約という奴隷に近い形態は存在していた。
人身売買は、鎌倉期に禁令が出ますが、禁令が出るという程に、人身売買がそんざいしたということでもありました。
戦場という極限状態の中では、勝った側が、負けた側に対して行う要求は、本人自身の売却にまで及んだと言えます。戦さ場で、女が敗れれば、男に蹂躙され、男が敗れれば、女に蹂躙されるということもありました。戦場には、良く女衒と呼ばれる人身売買を商売とする者が紛れ込んでいた。
女衒は、老若男女問わず、戦さ場で人を買い取って市で売り飛ばす者達で、性技、淫気の扱いにたけた者であった。
「男は、死して、名を残し、女は、生きて、血を残す」
こう言われるように、女は、戦場で生き残って、女衒に捕まり売り飛ばされることが多かった。まぁ、戦場における陰惨な悲劇というものには男女の区別無く、様々に語られることが多かったのも事実である。平安期では、男女間の恋愛については、かなりおおらかな時代であり、貞淑さを求められることはあまり無かった。ただ、恋に対する誠実さは求められた時代であった。
カワラモノ達の中で絵草子などに描かれて、伝承されて言った。戦国期に伝わる巴板額物語などは、木曽義仲や和田義盛の妻として有名な巴御前、将軍頼家の妾となった板額御前などは、良く知られた物語である。
貞操観念というのは、史実ですら戦後くらいの話であり、宵闇日本では、鎌倉期から戦国期を通じて、多夫多妻から一夫一妻で恋人有という時代への移行期としている。このあたりから、貞淑さという倫理が生まれるようになってくるのである。
史実で、貞淑さを必要としたのは、男のエゴである。男性にとって、妻とした女性が産んだ子が、自分の子である保証がないこれは、相続と自分の血を残したいという想いに対し、応えるためには、妻は夫以外の相手と契るわけにはいかなくなったのである。
女系の家であれば、長が女性なので、何人恋人がいても、子供はすべて自分の子なので、大きな問題は生じなかった。しかしながら、当主が男性である場合、当主の妻が産んだ子が、当主の子でない場合、血族での継承に問題が生じるのである。平安期から鎌倉期にかけて、権力を持った男性当主が増えた時代であり、権力や財力を得た男性は、妻を自分で建てた家に住まわせることで、一定の貞淑さの確保を図ったとも言える。
貧乏な男は、妻の家に通い、妻の家に養われる。妻の実家が持つ力を背景として、財や権力を為して、自分自身の家を立てて、妻を住まわせるこの流れが、出世する男達のステイタスとなっていった。
平安期であれば、あやかしを妻とした場合、子があやかしとなるため、人の妻を必要とした。人の女であれば、あやかしを夫としても、子は自分の子であるため、人ということができ、相続そのものについて、論理的な問題が生じなかった。
平安末期頃から、人とあやかしの混血が進み、血筋の確認が怪しくなっていった。結果的に、人の姿をしていればあやかしの力があっても人、あやかしの姿をしていればあやかしの力が無くてもあやかしという考え方が生まれた。
これが、一夫一妻として、子供を相互猶子として一家継承者を養子とする考え方が生まれたのである。多夫多妻が元であるから、夫にも妻にも恋人がいる、妻は妾の子供であっても、猶子として扱い、自分の子供であっても猶子として扱うとした。子が七歳となった時に、夫と妻は猶子から養子を選ぶとした。
商家や職人といった家の場合は、多夫多妻ができるほどの財や権もないので、一夫一妻が基本であったが、恋人や愛人がゼロではなかったので、妻の子を夫の子とすることが基本となっていた。また、夫が外でできた子であっても、妻は自分の子とすることを基本としていた。これが、正室が一家の刀自女であり、女長としての権利を持つ理由であった。
日ノ本では、兵粮や資金の管理といった内務全般を女性が支えることが多かったので、内務系の権益は女性が保有していることが多く、田圃や畑といった物理的に確認しやすい権益は男性が保有し、現金や生産物、契約、加工品および職人等の管理、座や市の管理といった実務は、女性が行っていたことが多かったのである。
特に、読み書き算の知識・技術の修得といった内容では、戦場に出ないと決めた場合の女性が高くなり、結果として能力が高くなったことにある。つまりは、プロジェクトではなく、オペレーションの範囲における実務能力の高さについては、女性の方が優れていると言えたのである。
史実における日野富子、豊臣秀吉の妻ねねといった、実務能力の高い女性が存在し、表の歴史に現れないだけで、家計管理を含めて、女性が実務に関わったことが多かったと判断している。
まぁ、男性が貞淑さを女に求める様になるのは、男が権力を持ち、自分の権力を自分の子に継がせようとすることにあった。逆に女性の場合は論理的に判断すると、男に貞淑さを求める必要は無く、自分自身が貞淑である必要も無いのは、性差と言うことになる。夫への求め方を論理的に考えると、自分の子供にとって必要な相手、ということになるのだろう。子供のためと考えれば、夫に子供の父親として誠実さや愛情を求めるのであれば、自分自身が夫に対する誠実さや愛情を必要とすることから、自分自身の貞淑さを必要とするようになったと判断できると思われる。
女性の場合は、子供を育てると考えると、継続性や安定性の要求が高くなり、継続性や安定性を確保するための能力が高くなりやすいと考えられるのではないかとも考えられる。
宵闇日本では、女性を描く場合、勝敗に対する拘りはそれほど高くはなく、戦で負けることはともかく、利を失うことに執着する。同時に、強欲となり過ぎて、利を失うことも怖れる。ただ、情が絡めば、恨みは骨髄に達し、目的のためにすべての手段が正当化されてしまう。
また、和泉式部のように、情が強く、愛する人達からビッチと呼ばれるように愛人が増えても、それぞれの相手に対しては誠実であろうと行動する。これもまた女性の行動原理なのだろう。
これは、当時の戦事情にあったと判断している。雑兵の首はいくらとっても意味はないが、兜首と呼ばれる首をあげることは、恩賞を得る上で重要であった。問題は、首の持つ価値は、死んでいる場合と生きている場合で異なったことである。
殺した相手の兜首を上げた場合、恩賞は、相手が保有する権益を奪ってから、功績によって恩賞の分配をおこなうという手順になる。兜首を生きて捕えた場合、兜首が個人で所有する権益はそのまま捉えた人間によって差配することができた。西洋でいえば、身代金の支払いが可能かどうかということになる。しかしながら、兜首が死んでしまった場合、兜首の持っていた権益は別の人間が奪ってしまう可能性があった。ただし、兜首が生きていれば、権益を動かす権限は本人が持つため、兜首を生かして捉えることで、兜首が持っていた権益に対して主張し、権利奪うための大義名分を得ることができる。
兜首が生きている必要があるのは、保有する権益が土地の所領ではない場合、兜首個人に依存していることが増えたというのもある。市を開催する権限、商売をする権限、漁業をする権限、街道の荷役に関する権限、湊で荷役をおこなう権限、こういった権限は、家ではなく個人が持っている権限であることが多かった。つまり、兜首個人が持つ利権も存在したため、生かしてとらえることで、権益に対する利権を継承し、公的に主張することができるようになったのである。
倫理という感覚は、曖昧模糊としたものであるが、殺さずに生かして捕える方が利益が大きくなれば、殺すのではなく生かすという方向になっていくものである。これが、男女間ということになれば、契を交わすことで、相手の権益を継承することも可能であった。
これは、徐々に戦場という極限状況での倫理観にも影響を与える。相手を殺すというより捕えて売り払うという考え方にも繋がっていく。日本では、古来より奴婢や奴隷という考え方はなくなっていたが、年季奉公のような形で期間契約という奴隷に近い形態は存在していた。
人身売買は、鎌倉期に禁令が出ますが、禁令が出るという程に、人身売買がそんざいしたということでもありました。
戦場という極限状態の中では、勝った側が、負けた側に対して行う要求は、本人自身の売却にまで及んだと言えます。戦さ場で、女が敗れれば、男に蹂躙され、男が敗れれば、女に蹂躙されるということもありました。戦場には、良く女衒と呼ばれる人身売買を商売とする者が紛れ込んでいた。
女衒は、老若男女問わず、戦さ場で人を買い取って市で売り飛ばす者達で、性技、淫気の扱いにたけた者であった。
「男は、死して、名を残し、女は、生きて、血を残す」
こう言われるように、女は、戦場で生き残って、女衒に捕まり売り飛ばされることが多かった。まぁ、戦場における陰惨な悲劇というものには男女の区別無く、様々に語られることが多かったのも事実である。平安期では、男女間の恋愛については、かなりおおらかな時代であり、貞淑さを求められることはあまり無かった。ただ、恋に対する誠実さは求められた時代であった。
カワラモノ達の中で絵草子などに描かれて、伝承されて言った。戦国期に伝わる巴板額物語などは、木曽義仲や和田義盛の妻として有名な巴御前、将軍頼家の妾となった板額御前などは、良く知られた物語である。
貞操観念というのは、史実ですら戦後くらいの話であり、宵闇日本では、鎌倉期から戦国期を通じて、多夫多妻から一夫一妻で恋人有という時代への移行期としている。このあたりから、貞淑さという倫理が生まれるようになってくるのである。
史実で、貞淑さを必要としたのは、男のエゴである。男性にとって、妻とした女性が産んだ子が、自分の子である保証がないこれは、相続と自分の血を残したいという想いに対し、応えるためには、妻は夫以外の相手と契るわけにはいかなくなったのである。
女系の家であれば、長が女性なので、何人恋人がいても、子供はすべて自分の子なので、大きな問題は生じなかった。しかしながら、当主が男性である場合、当主の妻が産んだ子が、当主の子でない場合、血族での継承に問題が生じるのである。平安期から鎌倉期にかけて、権力を持った男性当主が増えた時代であり、権力や財力を得た男性は、妻を自分で建てた家に住まわせることで、一定の貞淑さの確保を図ったとも言える。
貧乏な男は、妻の家に通い、妻の家に養われる。妻の実家が持つ力を背景として、財や権力を為して、自分自身の家を立てて、妻を住まわせるこの流れが、出世する男達のステイタスとなっていった。
平安期であれば、あやかしを妻とした場合、子があやかしとなるため、人の妻を必要とした。人の女であれば、あやかしを夫としても、子は自分の子であるため、人ということができ、相続そのものについて、論理的な問題が生じなかった。
平安末期頃から、人とあやかしの混血が進み、血筋の確認が怪しくなっていった。結果的に、人の姿をしていればあやかしの力があっても人、あやかしの姿をしていればあやかしの力が無くてもあやかしという考え方が生まれた。
これが、一夫一妻として、子供を相互猶子として一家継承者を養子とする考え方が生まれたのである。多夫多妻が元であるから、夫にも妻にも恋人がいる、妻は妾の子供であっても、猶子として扱い、自分の子供であっても猶子として扱うとした。子が七歳となった時に、夫と妻は猶子から養子を選ぶとした。
商家や職人といった家の場合は、多夫多妻ができるほどの財や権もないので、一夫一妻が基本であったが、恋人や愛人がゼロではなかったので、妻の子を夫の子とすることが基本となっていた。また、夫が外でできた子であっても、妻は自分の子とすることを基本としていた。これが、正室が一家の刀自女であり、女長としての権利を持つ理由であった。
日ノ本では、兵粮や資金の管理といった内務全般を女性が支えることが多かったので、内務系の権益は女性が保有していることが多く、田圃や畑といった物理的に確認しやすい権益は男性が保有し、現金や生産物、契約、加工品および職人等の管理、座や市の管理といった実務は、女性が行っていたことが多かったのである。
特に、読み書き算の知識・技術の修得といった内容では、戦場に出ないと決めた場合の女性が高くなり、結果として能力が高くなったことにある。つまりは、プロジェクトではなく、オペレーションの範囲における実務能力の高さについては、女性の方が優れていると言えたのである。
史実における日野富子、豊臣秀吉の妻ねねといった、実務能力の高い女性が存在し、表の歴史に現れないだけで、家計管理を含めて、女性が実務に関わったことが多かったと判断している。
まぁ、男性が貞淑さを女に求める様になるのは、男が権力を持ち、自分の権力を自分の子に継がせようとすることにあった。逆に女性の場合は論理的に判断すると、男に貞淑さを求める必要は無く、自分自身が貞淑である必要も無いのは、性差と言うことになる。夫への求め方を論理的に考えると、自分の子供にとって必要な相手、ということになるのだろう。子供のためと考えれば、夫に子供の父親として誠実さや愛情を求めるのであれば、自分自身が夫に対する誠実さや愛情を必要とすることから、自分自身の貞淑さを必要とするようになったと判断できると思われる。
女性の場合は、子供を育てると考えると、継続性や安定性の要求が高くなり、継続性や安定性を確保するための能力が高くなりやすいと考えられるのではないかとも考えられる。
宵闇日本では、女性を描く場合、勝敗に対する拘りはそれほど高くはなく、戦で負けることはともかく、利を失うことに執着する。同時に、強欲となり過ぎて、利を失うことも怖れる。ただ、情が絡めば、恨みは骨髄に達し、目的のためにすべての手段が正当化されてしまう。
また、和泉式部のように、情が強く、愛する人達からビッチと呼ばれるように愛人が増えても、それぞれの相手に対しては誠実であろうと行動する。これもまた女性の行動原理なのだろう。
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