琉球お爺いの綺談

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戦国歴史if

宵闇戦国草創異聞 貴族の没落。始まりは日元戦争から

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 鎌倉も1200年代末期に入ると、京洛に住まう貴族の衰微は、目に見えてくるようになりました。全国の支配権が、国司から守護地頭へと移っていった。それでも、抜け目なく商才に優れた貴族は、様々な権益に自分を売り込むことで、我が世の春を謳歌している者達もいたが、大半の貴族は、没落の一途を辿っていた。
 五畿内(山城、大和、摂津、和泉、河内)の権益は、六波羅探題に集中するようになっていった。京洛は、1000年代より20万の人口を抱えた日本最大の消費都市であった。疫病や飢饉によって、万単位の増減はあるものの、1200年代に入っても、20万人が住まう都市であった。
 これは、貴族衆が没落していくにつれて、六波羅を中心とした鎌倉から上洛する御家人衆が増加することと、富裕な町家や農家も増えていったため、京洛町衆自身が消費側になっていったということもあった。
  それでも、1250年代あたりまでは、全体の儲けが大きく、没落していく貴族も、ある程度は金の流れがあったが、1970年くらいから激減していくこととなる。



 日宋交易は、西の博多から東の鎌倉までを鎮西探題、六波羅探題、鎌倉府と巨大な交易ルートとして確立しており、1250年頃に最盛期を迎えていた。大量の銅銭や銅地金が輸入され、河内で鋳銭司が置かれ、宋銭の撰銭と銅地金を鋳銭がおこなわれていた。一匁金三万枚、一匁銀五万三千枚が山城鋳銭司で鋳造され、洛中に流れていた。この山城鋳銭が、六波羅探題の管轄であった。山城で鋳銭で鋳造された、金や銀は、主上や貴族衆に一度流れ、市中に流れる形態をとっていた。1250年ごろの貴族日記からすると、六波羅より配当される金で生活している者が半数以上いたと言われる。
 この時期、撰銭という記載がされているが、ほとんどは、銅銭の改鋳がほとんどであった。最大発行額となったのが、1257年に、河内鋳銭で銅銭二十九万八千貫が撰銭されていた。京洛町衆からも大量の鐚銭を回収し改鋳していた。宋銭の大量輸入を河内鋳銭と長門鋳銭で集約し、古貨幣と共に撰銭と改鋳をおこなっていた。
 それぞれの鋳銭司は、古くなったなった貨幣(いわゆる鐚銭)2枚を改鋳貨幣1枚に交換する業務をおこなっていた。これが、1274年からは、鐚銭3枚で改鋳貨幣1枚となり、1279年からは、鐚銭4枚で改鋳貨幣1枚となった。
 この作業は、撰銭改鋳と呼ばれるもので、新たな貨幣として発行したわけではなかった。鐚銭との交換比率は、六波羅探題に裁量権があった。



元からの侵略を受けて、南宋の水軍がモンゴル水軍に敗れてからは、戦況が悪化し、襄陽が陥落した1273年からは、交易というよりも、亡命者の増加が顕著に現れた。
 博多、福原や難波には、亡命者が増加しており、全体では二万人くらいの亡命者が流入していった。
 一時的に流入した、亡命者から元帝国の隆盛を知った日本は、鎮西探題に銘じて彦島水軍の強化や博多の湾岸砲台の整備を進めていた。
 1274年の元による兵3万人1000艘による襲撃を受けた。大型の宋船300艘を中心とした船団は、対馬に襲来し、宗資国以下の対馬勢が討死した。対馬へ襲来した元軍の報を受けて、彦島の鎌倉水軍300艘と肥前松浦党150艘が出撃した。この時、元軍700艘も肥前松浦党の拠点である、平戸、鷹島といった松浦水軍の拠点へ出撃していた。鎌倉水軍、松浦党の連合軍は、対馬や壱岐に残留していた、200艘と交戦し全滅させ、上陸していた元軍を壊滅させると共に、虜囚となった和人救出をおこなった。しかしながら、対馬と壱岐から出撃した元軍も、平戸や鷹島などを襲撃し、和人の虐殺と凄惨な悲劇に襲われた。
 松浦党が壱岐からの帰り道に、平戸沖で元の船団と遭遇し、平戸湊からの報告と合わせ、殲滅戦が展開され、知らせを受けて駆け付けた鎌倉水軍と挟撃に成功し、松浦水軍の150艘の大半を失う殲滅戦となったが、元船のほとんどを海へ沈めて勝利を飾った。これが平戸沖の殲滅戦である。平戸沖の戦闘後、肥後松浦水軍は、五十七家の内、生き残ったのは十八家で、生き残った家も一門の大半を失うという非常事態となっていた。
 1274年の襲撃で、元軍を叩き返した和国水軍であったが、和国の主力水軍であった、松浦党の根拠地が壊滅したことで、大きく戦力が低下していた。
 元々、和国水軍は、防御戦闘はできても、渡航しての戦闘ができる能力を持っておらず、沿岸防衛を主軸としていた。このため、どうしても、戦場となる島々では、壊滅的な打撃を受ける可能性があった。
 第一次日元戦争は、互いに戦力の大半を失う結果となった。

 第一次日元戦争に敗れた元は、南宋への侵攻を早め、1276年に南宋の帝都臨安が陥落すると、事実上の日宋交易が終了した。この頃から、彼の国の沿岸部を襲撃する倭寇の姿が散見されるようになる。これは、亡命者による抵抗や松浦水軍の復讐だけでなく、交易規模縮小を受けた商人たちによる、掠奪も含めた活動であった。
 元との関係は幾度か勅使が行き交うが、宋が滅亡するにつれて悪化し、南宋の帝都臨安が陥落すると、和国側の態度が硬化し、再度の緊張が高まることとなった。

 元という巨大国家に抵抗するため、鎌倉幕府は、松浦水軍を始めとして、外洋航行能力を持つ海賊衆に対し、「勝手次第」という私掠船免状を発行した。
「勝手次第」は、那覇泊、運天港、坊津、肥後、博多、瀬戸内全域、大輪田、難波、岸和田という関西交易圏以外に対する海賊行為を黙認、推奨するというものであった。一番の対象は、戦争状態が継続されている元であった。
 この状況は、京洛や難波における、河原者達の活動によって、肥前、対馬、壱岐の凄惨な状況が伝えられたことに起因していた。特に元軍が、珍しい土産として、塩飽兎衆や湯女狐達を虐殺していったことは、玉藻御前、葛葉御前の連名による檄文が各地に送られ、伏見や坐摩、信太といった神社が中心になって、あやかしひとならざるものによる支援が始まった。
 第一次日元戦争で半数以上を喪失した鎌倉水軍は、ほぼ一年で500艘の大船と1000艘の早船を揃えた。これは、日宋交易で宋国と和国を結ぶ輸送にあたっていた、難波大船と大輪田大船が中心に編成された徴用船であった。これに、瀬戸内を中心とした関西一円の海賊衆が集合したためであった。
 鎌倉は、御家人衆への恩賞に窮したこともあり、第一次日元戦争の恩賞には、山城鋳銭司で鋳造された、金銀が送られることとなった。
 このことについては、貴族衆からの不満が生じたが、主上より「国家の大事なれば、是非も無く」という御言葉から、貴族衆の不満を抑えることには成功した。

 日本からの譲歩を得ることができなかった元は、南宋の富を収奪して強大な遠征軍を組織し、1280年12月から準備を始めて、30万の兵を組織し、1281年10月に江南軍20万4500艘が出港し、一月遅れで東路軍10万1800艘が出航した。
 江南軍20万4500艘の動向は、かなり早くから日本に情報がもたらされていた。これは、亡命した南宋の者達の協力で、南宋で元からの収奪を受けていた南宋人による情報収集が行われ、かなり多くの情報が纏められて、亡命者を通じて和国に送られていました。
 琉球水軍は江南軍の状況から、「雲霞の如き大船団」による出撃が近いことを知り、運天港に水軍を終結させていた。大筒を乗せた船団を10艘を魚釣島へ送り、先遣隊としていた。
 江南軍は、和国の俘虜からの情報で、平戸への直接侵攻を策定していた。琉球水軍は、出撃した江南軍を大筒による一撃離脱を加えながら、運天港から十艘単位で出撃し、江南軍を海上での襲撃を繰り返した。十艘単位での出撃は、全力出撃で本拠地の攻撃を受けた先史から、江南軍による琉球襲撃を恐れてのことである。
 江南軍の出撃は、結果的に和国側に難しい状況を生じさせていた。彦島および博多に集結していた鎌倉水軍は、寄せ集めという特性上、統一した運営に支障をきたしていた。執権にあった北条時宗は、執権を北条時輔に譲り、自らが鎮西探題となって、彦島へ赴任し鎌倉水軍の編成、防衛体制の構築にあたった。北条時宗は、鎌倉水軍を二手に分けた。伊豆七党の大船を中心とした坂東の主力大船百七十艘関船七百艘を近海防衛とし、集結してきた義勇兵に近い船団については、一門一党に合わせて「勝手次第」を印可することで、自由裁量とした。
 肥前松浦党は、一族郎党を和泉へ退避させると、和泉松浦党の助勢を受けた、百八艘の大船を全力出撃させ、東路軍が集結している、合浦へ夜間襲撃をかけ、停泊していた大船を焼き払った。これが、合浦夜戦である。このため、東路軍は船団集結が一か月以上遅れることとなる。
 鎌倉海賊衆と称すべき村上、河野等の私掠船団は、沿岸部一帯へ襲撃をかけて、各地で掠奪をおこなっていった。これは、合浦夜戦後の松浦党も同じであり、後方支援拠点を鎌倉水軍が護り、私掠船団によるゲリラ戦を展開するという状況となった。
 江南軍は、6月下旬に当初の予定を変更し、五島列島の福江に上陸し、五千の軍を展開し、拠点確保を進めた。五島水軍は、島々から出撃し、ゲリラ戦を展開したが、大軍の前に徐々に劣勢を強いられて、三十八艘に一門を乗せて、平戸へと撤退した。
 8月に五島から、平戸、鷹島へと進撃を開始した。平戸から博多への海岸線には、鎮西奉行少弐資能、北条時定を中心とした御家人衆による元寇防塁を含めた防衛線が敷かれていた。両軍の激突は、8月から11月までの間、平戸から鷹島、博多にかけて激戦が繰り返された。
 10月からは、東路軍も湾岸防衛に三万配置したものの七万の軍が江南軍と合流した。合流した船団は、鷹島に三万の兵で襲撃した、松浦党千七百と百八艘の船団は、激烈な戦闘をおこない、軍船八百艘を沈め兵二万以上の兵を斃したが壊滅した。一昼夜におよぶ戦闘で、船団三十九艘、兵三百八名が生き残った。
 元軍は10月に平戸へ十万の兵を送り込み、上陸戦を開始した。博多には六波羅より六万の兵が到着したことで、北条時宗は博多の北条時定の軍五万を平戸へと援軍としていた。平戸での戦闘は、五日間におよんで上陸戦をおこなったが、元軍三万余和軍一万余の損害をだして、元軍が一時的に撤退した。
 犠牲を出しながらも、鷹島を抑えた元軍は、11月に伊万里湾岸へ10万をもって上陸戦を開始した。当時の防衛線構築の中で、防塁建設が遅れていた伊万里湾岸は、島津久経等御家人衆による激しい抵抗を受けたものの、元軍は上陸に成功した。
 この報を受けた北条時宗は、鎌倉水軍主力を出撃させ、鷹島への再上陸を開始し、元駐留軍一万を殲滅し鷹島の奪還に成功した。この勝利によって元軍は、上陸軍10万の補給路が断たれたこととなる。鷹島の奪還と元軍の包囲から、戦況が日本側有利にすすめられるようになった。唐津から三万の増援を受け街道封鎖を実施し、冬へ向かう元軍を伊万里へと閉じ込めた。
  北条時宗は、伊万里の海上を、関船などの小型船で海上封鎖をおこない、鷹島に「勝手次第」の者達を含めた軍議をおこなった。
 肥前松浦党友誼団体である五島水軍衆宇久競は、嫡女ねね、次女あやを一緒に連れて時宗の前に
「松浦党も一門衆の大半を失って、五島を取り返す力はない。自分自身を含め、五島を北狄 元より奪還の功あった者をつまとして、一家を興すことを許されたい」
と諸衆を前に競が平伏し、嫡女りつ、次女あやも習って平伏した。競でようやく裳着をおこなった十五歳で此度の戦陣が初陣であった、次女りつ十一歳、三女あや九歳であった。
 これを受けて、時宗が宣言をおこなった。
「この鷹島を含め、「勝手次第」は、外ツ国へのものであった、和の国に適応するものではない。それぞれの累代の所領なれば、勝手するを能わず」
この時より、家紋受け継ぎの儀が規定されることとなった。宇久家一門は、壊滅しており、子女三名を大将とした五島列島奪還軍が興された。
 対馬宋一門、壱岐少弐一門についても同じで、家紋受け継ぎの儀として、御恩に非ずとされ、奪還軍が編成された。
 時宗は、各奪還軍を主力として、鎌倉水軍衆を支援として、12月に壱岐島奪還、1月対馬奪還を実施し、伊万里で攻囲される中で、飢餓で侵攻軍10万が降伏し、2月に五島列島奪還を持って、第二次日元戦争は一応の終結を見た。
 最後の五島列島奪還で、功のあった宇久競は、共に戦った渡辺綱幸をつまとし、同じく奪還軍の主力であった島津一門から島津忠宗の子貞久が、次女りつのつまとなった。

 この二回に渡る日元戦争は、日元双方に多大な損害をもたらした。元側は、膨大な国力をかけた遠征軍が壊滅し、戦費に追われることとなり、第三次日元戦争を企図するも、実現には至らなかった。和国側は、荒廃した西海航路を含めて復興に国力を消費することとなった。
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