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日ノ本史伝
史伝07 日本国の確立は、天平時代 「殺人は罪である」
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建国の年代を、神代の日向の時代に遡れば、上野原遺跡あたりを基準とすれば、9500年前まで遡ることができます。神代に日向から7300年前の鬼界カルデラ噴火によって、筑紫へと出でて、吉野ヶ里遺跡を含めた形で王国が形成されていった。筑紫から畿内へ出でたのが何時頃からは不明であり、年代として紀元前660年であったとしても、そんなにおおきな間違いとはならない。
かつての日本には、二つの倭国があったことは間違いなく、最終的に畿内に統一されていったという歴史にも間違いはなさそうである。
神代の時期に、「筑紫」を中心に「丹」「備」「越」と血縁関係を結び、出雲や因幡を中心とする「出雲」から国譲りを受ける流れの中で、山陰道を建設していった。東山道を東に勢力圏を拡げた。親王の補任国として「神津家」を設置し、上毛下毛まで勢力圏としていった。
この時期は、「筑紫」の勢力圏拡大と、「畿内」の勢力圏拡大は、両者の協力と血縁関係の拡大によって進められたと想定される。
二つの倭国が並立していた時代が、神代の時代であり、血縁関係を拡げて緩やかな連合王国が形成された時代であった。
日本国の統一を巡る争いは、畿内の勢力拡大抗争に始まるとすれば、崇神陛下の御代からとなります。疫病が拡がり、半数の人々が死んだ状況から、神々習合による神社の体系化を進め、手水といった手洗いといった衛生面の浸透が、王権拡大による強制として進められた。この時期が倭国大乱の時期とすれば、皇族で構成された、四道将軍による倭国征覇が始まったのも、崇神陛下の御代からとなります。
旧宗主国である「出雲」や「信州」は、日向の神々と習合を図って、神話体系の伝承を確立した。
四道が目指したのは、
山陰道、丹波、丹後、但馬を中心とする強国、「丹」の国。
山陽道、備前、備中、備後を中心とする強国、「備」の国。
北陸道、越前、越中、越後を中心とする強国、「越」の国。
東海道、鈴鹿の東が関東であり、「まつろわぬ民」が多く、親王の親任国「常陸」に辿り着く、関東の諸勢力を征伐していった。
四道の征圧は、そのまま大規模土木治水事業による街道整備も含まれていたと推定され、考古学的な時期としては、古墳期であろうと推定される。古墳の拡大設置は、そのまま倭国による勢力圏拡大事業であり、国府の設置整備事業でもあった。
四道将軍の国府の設置整備事業は、ヤマトタケルによる制覇事業に受け継がれ、旧勢力「出雲」の再征圧、西海道や南海道、東海道の再征圧を含めて遂行された。日ノ本制覇事業は、最終的に神功陛下の御代に三韓征伐をもって完遂したとされる。そういった意味では、神功陛下が「卑弥呼」に同定することができる。
「卑弥呼」以降に、国内に乱が生じて、手白香陛下による再統一の流れとなった。手白香陛下は、「台与」に同定することができる。「台与」の夫に選ばれたのが、継体陛下であり、近江生まれの「越」の皇子である。神功陛下の御代までには、「丹」「備」は鬼として征伐され、「越」は倭国の親族に組み入れられたと推定される。四道将軍吉備津彦命による温羅の鬼退治、彦坐王による玖賀耳之御笠の鬼退治として、地域伝承に残されている。
「常陸風土記」に「まつろわぬ民」を、鬼や土蜘蛛といったあやかしとして征伐されることが記述されている。地域伝承を纏め上げた「風土記」は、勅撰で編纂されているが、日本国確立に向けた、教育統一事業の一環である。
外来の「漢字」を用いることで、国内で使用される記録記述法を統一し、「古事記」「日本書紀」を通じて、神々の習合を促進し、「まつろわぬモノ」の征伐と「まつろう民=大御宝」とする流れを築き、日ノ本の天地を「公地公民」の流れに組み入れる。以降、千年を超えて継続される、日本国の在り方における根幹として確立された。
教育統一事業の最大の成果は、識字率が常に向上していくことで、伝承記録は繰り返し活用され、為政者に関係なく民衆に広く浸透していくことにある。つまりは、一度始めてしまえば、権力に関係なく浸透し、様々な人たちによって、自発的な活動となっていくのである。「まつろう民=大御宝」とした結果として、権力に対する制約となり、浸透していくことで自縄自縛に陥り、権力と権威の分離へと促進される結果ともなった。
ここらへんは、戦後のWIGP:War Guilt Information Programと同じであり、WIGPは元々の教育で浸透していた「人殺し=悪」という形を「戦争に正義なし」という現実を組み入れるだけで成立したことにある。サンデル教授の講義内容に関係なく、日本の教育では古来より、「正義の殺人」というモノは存在しない。人殺しは「罪」である、しかしながら、「殺人罪」の状況と理由によって、公的に罪に問われないとい結果が得られるが、「殺人の罪を犯した事実」は消えることが無いことにある。日本で、犯罪後の厚生が最初にぶち当たる壁が、「一度犯した罪は、消えることがない」という日本古来よりの慣習にある。さらに、仏教の輪廻転生という理念が加わることで、「一度犯した罪は、死んでも消えることが無い」という上書きをされた結果となる。
日本で戦争反対の声が一定数以上減らないのは、「本質的な戦争の否定」を古来より教育されて、将棋の「持ち駒」のように、敵を活かすことを根本としてしまっていることにある。殺し合いで終わる戦争は、日本はでは否定されて、戦わず敵を屈服させて活かすことを前提とする「戦争準備」だけが許容されることになる。
現代日本の自衛隊は、そういった意味では、最も日本らしい軍隊ということになる。
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教育統一事業は、国分寺および尼寺の建立によって進められた、日ノ本建国における教育統一事業である。
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かつての日本には、二つの倭国があったことは間違いなく、最終的に畿内に統一されていったという歴史にも間違いはなさそうである。
神代の時期に、「筑紫」を中心に「丹」「備」「越」と血縁関係を結び、出雲や因幡を中心とする「出雲」から国譲りを受ける流れの中で、山陰道を建設していった。東山道を東に勢力圏を拡げた。親王の補任国として「神津家」を設置し、上毛下毛まで勢力圏としていった。
この時期は、「筑紫」の勢力圏拡大と、「畿内」の勢力圏拡大は、両者の協力と血縁関係の拡大によって進められたと想定される。
二つの倭国が並立していた時代が、神代の時代であり、血縁関係を拡げて緩やかな連合王国が形成された時代であった。
日本国の統一を巡る争いは、畿内の勢力拡大抗争に始まるとすれば、崇神陛下の御代からとなります。疫病が拡がり、半数の人々が死んだ状況から、神々習合による神社の体系化を進め、手水といった手洗いといった衛生面の浸透が、王権拡大による強制として進められた。この時期が倭国大乱の時期とすれば、皇族で構成された、四道将軍による倭国征覇が始まったのも、崇神陛下の御代からとなります。
旧宗主国である「出雲」や「信州」は、日向の神々と習合を図って、神話体系の伝承を確立した。
四道が目指したのは、
山陰道、丹波、丹後、但馬を中心とする強国、「丹」の国。
山陽道、備前、備中、備後を中心とする強国、「備」の国。
北陸道、越前、越中、越後を中心とする強国、「越」の国。
東海道、鈴鹿の東が関東であり、「まつろわぬ民」が多く、親王の親任国「常陸」に辿り着く、関東の諸勢力を征伐していった。
四道の征圧は、そのまま大規模土木治水事業による街道整備も含まれていたと推定され、考古学的な時期としては、古墳期であろうと推定される。古墳の拡大設置は、そのまま倭国による勢力圏拡大事業であり、国府の設置整備事業でもあった。
四道将軍の国府の設置整備事業は、ヤマトタケルによる制覇事業に受け継がれ、旧勢力「出雲」の再征圧、西海道や南海道、東海道の再征圧を含めて遂行された。日ノ本制覇事業は、最終的に神功陛下の御代に三韓征伐をもって完遂したとされる。そういった意味では、神功陛下が「卑弥呼」に同定することができる。
「卑弥呼」以降に、国内に乱が生じて、手白香陛下による再統一の流れとなった。手白香陛下は、「台与」に同定することができる。「台与」の夫に選ばれたのが、継体陛下であり、近江生まれの「越」の皇子である。神功陛下の御代までには、「丹」「備」は鬼として征伐され、「越」は倭国の親族に組み入れられたと推定される。四道将軍吉備津彦命による温羅の鬼退治、彦坐王による玖賀耳之御笠の鬼退治として、地域伝承に残されている。
「常陸風土記」に「まつろわぬ民」を、鬼や土蜘蛛といったあやかしとして征伐されることが記述されている。地域伝承を纏め上げた「風土記」は、勅撰で編纂されているが、日本国確立に向けた、教育統一事業の一環である。
外来の「漢字」を用いることで、国内で使用される記録記述法を統一し、「古事記」「日本書紀」を通じて、神々の習合を促進し、「まつろわぬモノ」の征伐と「まつろう民=大御宝」とする流れを築き、日ノ本の天地を「公地公民」の流れに組み入れる。以降、千年を超えて継続される、日本国の在り方における根幹として確立された。
教育統一事業の最大の成果は、識字率が常に向上していくことで、伝承記録は繰り返し活用され、為政者に関係なく民衆に広く浸透していくことにある。つまりは、一度始めてしまえば、権力に関係なく浸透し、様々な人たちによって、自発的な活動となっていくのである。「まつろう民=大御宝」とした結果として、権力に対する制約となり、浸透していくことで自縄自縛に陥り、権力と権威の分離へと促進される結果ともなった。
ここらへんは、戦後のWIGP:War Guilt Information Programと同じであり、WIGPは元々の教育で浸透していた「人殺し=悪」という形を「戦争に正義なし」という現実を組み入れるだけで成立したことにある。サンデル教授の講義内容に関係なく、日本の教育では古来より、「正義の殺人」というモノは存在しない。人殺しは「罪」である、しかしながら、「殺人罪」の状況と理由によって、公的に罪に問われないとい結果が得られるが、「殺人の罪を犯した事実」は消えることが無いことにある。日本で、犯罪後の厚生が最初にぶち当たる壁が、「一度犯した罪は、消えることがない」という日本古来よりの慣習にある。さらに、仏教の輪廻転生という理念が加わることで、「一度犯した罪は、死んでも消えることが無い」という上書きをされた結果となる。
日本で戦争反対の声が一定数以上減らないのは、「本質的な戦争の否定」を古来より教育されて、将棋の「持ち駒」のように、敵を活かすことを根本としてしまっていることにある。殺し合いで終わる戦争は、日本はでは否定されて、戦わず敵を屈服させて活かすことを前提とする「戦争準備」だけが許容されることになる。
現代日本の自衛隊は、そういった意味では、最も日本らしい軍隊ということになる。
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