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人は、神か獣か
人は、神か獣か 「神と獣の間で彷徨う生き物である」
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KAKERU先生の描く、「科学的に存在しうるクリーチャー娘」では、生命体を神か獣かで分類して、獣という種別を優先していて、神に近いとか神に選ばれたと考える人を「人間病」「性嫌悪症」といって、非常に厄介な病気を持っているモノという表現をしている。「根底自己認識実態乖離症候群」が、人間病という言い方になり、「思想麻薬」という「宗教を含めて、事実や実態とは違うけれど、そう思うだけで、気持ちよくなる思想全般」表現もなされている。
まぁ、間違ってはいないが、極端な表現である。人は、「神と獣の間で彷徨う生き物」と言うものであろう。自分自身の実態について、どこまで自己認識できるかどうかであろう。
日露戦争では、政治家や軍指令官あたりは、ロシアと戦うことが無謀であることを知っていて、短期的にしか戦闘を継続できないことも理解していた。「幼〇戦記」あたりでは、「論理と知性の牙城」という表現をしている。戦争を開始する時点では、狂騒のお祭りであったとしても、国民自身も軍を応援し、予算が認められるのは、負けることで日本と言う国土が亡びることを、本能的に察知していたというのもあるだろう。
問題は、戦争が継続され、終わるまでに生じた死者の数は、非常に大きな犠牲を、国民に強いる結果となってしまった。
強いてしまった犠牲は、怨みという強い感情の圧力となり、理性では無く感情で判断する「獣」となってしまう。日比谷焼き討ち事件を始めとして、暴動が発生したのは、感情で突き動かされた結果である。
ここで、政府が変わらなければならないのは、国民に犠牲を強いることの危険性である。
これは、ベトナム戦争でのアメリカ軍に生じた状況も同じである。大日本帝国が、太平洋戦争後半から、戦略目標としてアメリカ軍人を対象としたのは、国民に犠牲を強いることで、アメリカ政府自身が耐えられなくなるまで戦うことで、停戦に到達することが可能であるという結論になったからである。
日露戦争終結(1905年)から、第一次世界大戦終了(1918年11月11日)までの政治状況は、「神と獣の間で彷徨う」政治状況であったともいえます。
国家が「獣」となってしまえば、戦争は際限なく拡大し、発生する犠牲が、戦争そのものを止める力を阻害してしまう。つまり、国家そのものは「獣」になってはならないのである。戦争という行為の中で兵士は、「獣」でなければならないが、指揮する側の者達は、「神」の如き存在でなければならない。戦争と言う行為に「手加減」などという甘い考えが、入る余地は無く、「獣」とならなければ、無残な死を迎えることにしかならない。
お爺ぃは、個人的に現在の日本で未来を描いた時、日本がアメリカの軛を離れる姿を、許容することができるアメリカを創造できない。
まぁ、間違ってはいないが、極端な表現である。人は、「神と獣の間で彷徨う生き物」と言うものであろう。自分自身の実態について、どこまで自己認識できるかどうかであろう。
日露戦争では、政治家や軍指令官あたりは、ロシアと戦うことが無謀であることを知っていて、短期的にしか戦闘を継続できないことも理解していた。「幼〇戦記」あたりでは、「論理と知性の牙城」という表現をしている。戦争を開始する時点では、狂騒のお祭りであったとしても、国民自身も軍を応援し、予算が認められるのは、負けることで日本と言う国土が亡びることを、本能的に察知していたというのもあるだろう。
問題は、戦争が継続され、終わるまでに生じた死者の数は、非常に大きな犠牲を、国民に強いる結果となってしまった。
強いてしまった犠牲は、怨みという強い感情の圧力となり、理性では無く感情で判断する「獣」となってしまう。日比谷焼き討ち事件を始めとして、暴動が発生したのは、感情で突き動かされた結果である。
ここで、政府が変わらなければならないのは、国民に犠牲を強いることの危険性である。
これは、ベトナム戦争でのアメリカ軍に生じた状況も同じである。大日本帝国が、太平洋戦争後半から、戦略目標としてアメリカ軍人を対象としたのは、国民に犠牲を強いることで、アメリカ政府自身が耐えられなくなるまで戦うことで、停戦に到達することが可能であるという結論になったからである。
日露戦争終結(1905年)から、第一次世界大戦終了(1918年11月11日)までの政治状況は、「神と獣の間で彷徨う」政治状況であったともいえます。
国家が「獣」となってしまえば、戦争は際限なく拡大し、発生する犠牲が、戦争そのものを止める力を阻害してしまう。つまり、国家そのものは「獣」になってはならないのである。戦争という行為の中で兵士は、「獣」でなければならないが、指揮する側の者達は、「神」の如き存在でなければならない。戦争と言う行為に「手加減」などという甘い考えが、入る余地は無く、「獣」とならなければ、無残な死を迎えることにしかならない。
お爺ぃは、個人的に現在の日本で未来を描いた時、日本がアメリカの軛を離れる姿を、許容することができるアメリカを創造できない。
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