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改軌論争、終結す
5フィート鉄道開発物語 鉄道技術も自動車技術も、総合技術である
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鉄道技術も自動車技術も、総合技術である。
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鉄道、自動車、船舶、航空、これらは、単独の技術ではなく、非常に多くの技術が集成して構成された、総合技術である。
大連工兵学校では、鉄道に関わるすべての業務が、研修内容に組み入れられていた。
製造に関わる基礎技術や、切削加工、鋳型や鋳造、板金や溶接、様々な機械工作作業が、研修には含まれていた。電信や電話を使った、通信技術についても、必須項目であった。鉄道の敷設には、土木建設作業が必要であり、トンネルの掘削や橋梁工事から、駅舎の建設まで、土木建設作業全般も必要となる。
工学の中では、機械、電気、建設、三科が設置された。
事務関連では、主計の一科が設置された。
工兵隊は、一通り全科の授業を受けることを前提としていて、研修期に設置された、三カ月の短期課程を工学三科および主計を初年度に受講し、主計、機械、電気、建設に分けられ、専門職2年として育てられた。
工兵学校に主計業務が組み入れられているのは、満洲鉄道都市警備局は、鉄道院の直属組織であり、内務省の所管であったため、陸軍の人事上は異動ではなく、形式上は出向であったが、片道切符と呼ばれていた。つまり、出向後に陸軍に戻る前提になっていなかったのである。陸軍としては、工兵隊に出向させることで、予算を確保でき、正面戦力としての予算を、事実上拡充できたのである。鉄道都市警備局は、常に必要人員が不足していたこともあり、海軍にも割り当てられ、海軍からも出向の形で片道異動してきた人員が増えたのである。
片道人事は初期だけであり、明治43年(1910年)からは、尋常小学校から、工兵学校への直接入校者となったので、異動が発生したのは、日露戦争後明治39年(1906年)から、4年間であり、旅順配属の陸海軍から、陸軍31027名、海軍11082名が、鉄道都市警備局に異動となっていた。工兵隊の業務は、現実として、大連陸海軍工廠の工員であり、鉄道敷設作業員であり、駅舎の建設を含めて土木建設作業員であった。駅舎で必要とされる、上下水道の配管や排水、電気、ガスといったインフラ設備、電信や電話回線の敷設作業を含めて、動員されたのである。
会戦と呼ばれる、正面戦闘ではなく、とっても地味な砲撃の観測、障害突破、連絡線確立といった支援活動を担当する工兵は、陸海軍のエリートさんからは嫌われていた。満洲鉄道都市警備局の業務は、鉄道の敷設、橋梁建設、維持管理、上下水道の整備といった、地味だけど技術を必要とする職務であった。
しかしながら、無ければ困る職種であったので、作戦や演習時には、警備局との合同として実行された。
シナ派遣軍が、対ロシア再戦時の「満洲鉄道を利用した軌道突破戦」計画を立案し、シナ派遣軍が正面戦闘を担当し、破壊路線の再構築、兵站維持、支援、障害物爆破などの支援戦闘を警備局が担当する計画となっていた。シナ派遣軍は、満洲鉄道からシベリア鉄道の範囲を作戦域として、正面戦闘ができるように装備を整え、警備局は作戦の為の、大連への物資集積、営口への輸送蓄積、大連および営口からの輸送計画が立てられていた。
「満洲鉄道を利用した軌道と突破戦」は、物流の確保を前提として、正面戦闘を限定し、面ではなく線に沿って侵攻する計画であった。鉄道路線の維持管理のため、各駅5000名を定数として、第一段階で奉天から長春、さらに哈爾濱までを制圧するため、工兵隊50000名を初期段階で投入する。
第二段階は、哈爾濱までの突破から支援確立に半年として、内地から50000名の工兵を動員し、満洲里までの突破制圧を実行する。
シナ派遣軍の当初計画では、満洲里までを1年で突破し、維持管理を遂行し、満洲里を前線として、ザバイカル地方でロシア軍を撃破し、満洲の権益を確保して、停戦に持ち込むというモノであった。
正面戦闘を担当する、シナ派遣軍は、エリートを中心に構成されていて、警備局の工兵隊は、陸海軍で出世できないとされた反骨組と工兵学校卒業生で構成されていた。
現実のif昭和史では、はじめての世界大戦によって、当初計画の仮想敵国がロシア帝国から共産主義者に変更されたが、基本計画はそのまま踏襲された。
ドイツ帝国の支援による、ロシア帝国の崩壊、ソビエトの設立させ、「ブレスト=リトフスク条約」によって、連合国の東部戦線を崩壊させたのである。連合国としては反共産主義宣言を出して対抗する結果となった。
日本は、連合国として、イギリス、アメリカと共同による反共連合と大陸侵攻を掲げた。イタリア、フランスによる、クリミア半島からウクライナの反革命勢力支援を図った。これは、「ブレスト=リトフスク条約」の中で、ソビエト側からドイツを中心とした同盟側への譲渡であり、連合国としては、対抗する必要があったのである。
フランスによる、反共勢力への支援、ウクライナへの義勇兵派遣は、本国の最前線である、西部戦線を維持・反抗するためにも、ドイツを有利にするわけにはいかなかった。ソビエトの設立からの干渉戦争は、対ドイツの攻勢計画として策定された。
欧州の連合国からすれば、黒海から支援物資を送り、ウクライナへの第二戦線形成する計画である。
イギリスとしては、赤軍の極東方面への吸引を図り、ロシア白軍によるウクライナ戦線の支援が目的であった。さらに、できればロシアが持つ、極東方面の港湾施設である、ウラジオストク、ニコラエフスクを占拠し確保する狙いもあった。
アメリカにとっては、大陸侵攻について、日本が利益を上げすぎることを危険視していた。当初の予定では、イギリスの支援によって、海兵隊を投入して、ウラジオストク占領で極東に拠点を確保することを目的としていた。
日本は、当初予定から敵が変わっただけで、対ロシア再戦計画そのものは、計画通りに実行された。シナ派遣軍は、奉天のロシア帝国軍を撃破し降伏させ、反共白軍を編成して前進を遂行した。日本政府が、イギリスと共同で、ロマノフ家救出計画を遂行し、皇帝救出に失敗したが、皇太子皇女殿下の救出に成功、反共白軍を臨時政府とした、極東ロシア共和国を設立した。哈爾濱までの侵攻は、ロシア帝国軍の解体に手間取っただけで、当初計画を三カ月以上前倒して実行された。
アメリカは、日本の侵攻速度から、シベリア鉄道の確保を決めて、侵攻計画を策定、急遽、陸軍10万をウラジオストックに上陸させ、侵攻を開始した。
日本側は、アムール川流域から沿海州および満洲については、旧清帝国の領域であり、アイグン条約、北京条約による返還を、連合国とするという宣言を摂政公オリガ・ニコラエヴナ殿下と締結した。シベリア鉄道利権をアメリカに譲渡、アムール川航行利権をイギリスに譲渡、満洲鉄道利権を日本に譲渡とされた。
国内で工兵隊への限定動員がだされ、50000名を編成し、満洲鉄道都市警備局への増援として投入した。これは、内務省公務員としての採用として実施され、軍編成ではなく、内務省警察庁警備局の派遣扱いとされた。
まぁ、軍を派遣するために予算を使ったんじゃないよである。
新聞には、シナ派遣軍が派手に侵攻し、ソビエト軍を撃破していることが報道され、国民の熱狂を煽った。
満洲里までの進撃は、半年で完了し、当初計画の半分で終わった。しかしながら、後方支援の確保は、ある程度は上手くいっているモノの、人手不足が生じたこともあって、シナ派遣軍の再編と鉄道都市警備局の再編を待った。
再編は、ザバイカル方面への赤軍誘引、会戦での撃滅を対象としていたが、極東のソビエト軍は編成もままならない状況で、民兵に近い戦力であった。
「満洲里から先に進むな、か、、、」
「はい、岡村閣下。日本が進み過ぎれば、嫉まれると」
「摂政公皇女殿下からは、御許しを頂いたのではないのか」
「摂政公皇女殿下から許されたのは、アイグン条約、北京条約の範囲までですから、ここから先は、殿下からの許可もいただいておりません」
さらに続けて、
「それに、閣下。後方からの物資輸送も、計画通り過ぎて問題と聞いてます」
「あぁ、前線に届いていない、重砲の砲弾が先に届いて、迫撃砲や小銃が後回しされている」
当初計画は、敵がロシア帝国軍であったため、重砲の鉄量が必要とされていた。しかしながら、戦闘対象が、民兵のような赤軍でしかないため、重砲はあっても使い道がなかった。
アメリカ陸軍は、侵攻計画そのものが杜撰で、物資の搬送には、非常に苦労を伴っていた。イギリスは、雪解けを待って、ニコラエフスクの占領を実行、アムール川の遡上作戦を開始していた。
「チタの占領については、ロシア白軍に任せ、閣下には支援を願うとのことです」
「しかし、大丈夫なのか」
ロシア白軍の戦意は低く、逃亡兵が後を絶たず、現有戦力は15万から17万であった。逃亡して、赤軍側に加わったとすれば、チタ方面に20万以上の赤軍が存在することとなる。営口および大連から輸送される、食料の輸送が三倍になったことで、食料の配給が間に合わず、
「満洲里から先は、義勇兵派遣となります」
「義勇兵であろうと、行けと言われれば行くが、どうなのか」
「濱口首相からは、満洲里確保を最優先とせよ。そのための手段は、閣下に任せるが、帝国陸軍としての越境侵攻は認めないとのことでした」
「白軍の連中を減らせないか」
「どういうことでしょうか、閣下」
「満洲里の集積物資では、シナ派遣軍10万を食わせるのも大変だ。とてもではないが、白軍の面倒までみれん」
「閣下。後方に下げるのは、警備局としては、不安が残りますが」
「1000名ほどを、各駅の警備局に預けられんか尉官連中であれば、それほど文句もつけんだろ」
「警備局で雇えと」
「一駅1000名なら、工兵が揃えば5000。仕事になれば、どうにかなるのではないか」
「総裁。鉄道都市警備局の配備は、間に合っていないのだろ」
「確かに。予算としては、5000名分ですが、実質は3000名を割る処も多い」
「都市警備の方が、彼らとしては、喜ぶのではないか」
「都市警備で喜ぶのでしょうか」
「話を聞いてみたが、彼らは、皇帝陛下に忠誠を誓ったが、カネを払って貰えないとボヤいていた」
「わかりました、閣下」
ロシア白軍側の下級将校は、後方勤務で下がることに同意し、まずは、定数が確保されても、仕事が多い、遼陽、奉天、長春、哈爾濱、斉斉哈爾へ各1000名が派遣された。満洲鉄道都市警備局は、日本陸軍の硬直さが伝搬していて、定数5000以上の動員がされていなかったが、都市部の場合は、業務量が非常に多かったのである。
満洲鉄道都市警備局は、遼陽、奉天、長春、哈爾濱、斉斉哈爾を拠点として定め、警備兵居留区を増設したのである。住宅の建設と追加された居留区は、後にロシア人居留区に変更された。白軍が徐々に後方支援に移ると、そのまま、残留組への支援増加に繋がり、両方の状況が安定していったのである。最終的には、8万の白軍が減って、8万の白軍が残ったのである。残った白軍への支援は、後方が安定するにつれて、増加したため、安定していったのである。
アメリカ軍とイギリス軍が、進撃を鈍らせていて、ハバロフスク攻略が遅れていたため、連合軍救援支援の名目で、ロシア白軍とシナ派遣軍は、侵攻を開始したのである。ザバイカルからチタに到達し、東へ転進して、ハバロフスクへの侵攻を準備をおこなったのである。
チタに8万のロシア白軍を配置し、極東ロシア共和国が設立された。
鉄道技術も自動車技術も、総合技術である。
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鉄道、自動車、船舶、航空、これらは、単独の技術ではなく、非常に多くの技術が集成して構成された、総合技術である。
大連工兵学校では、鉄道に関わるすべての業務が、研修内容に組み入れられていた。
製造に関わる基礎技術や、切削加工、鋳型や鋳造、板金や溶接、様々な機械工作作業が、研修には含まれていた。電信や電話を使った、通信技術についても、必須項目であった。鉄道の敷設には、土木建設作業が必要であり、トンネルの掘削や橋梁工事から、駅舎の建設まで、土木建設作業全般も必要となる。
工学の中では、機械、電気、建設、三科が設置された。
事務関連では、主計の一科が設置された。
工兵隊は、一通り全科の授業を受けることを前提としていて、研修期に設置された、三カ月の短期課程を工学三科および主計を初年度に受講し、主計、機械、電気、建設に分けられ、専門職2年として育てられた。
工兵学校に主計業務が組み入れられているのは、満洲鉄道都市警備局は、鉄道院の直属組織であり、内務省の所管であったため、陸軍の人事上は異動ではなく、形式上は出向であったが、片道切符と呼ばれていた。つまり、出向後に陸軍に戻る前提になっていなかったのである。陸軍としては、工兵隊に出向させることで、予算を確保でき、正面戦力としての予算を、事実上拡充できたのである。鉄道都市警備局は、常に必要人員が不足していたこともあり、海軍にも割り当てられ、海軍からも出向の形で片道異動してきた人員が増えたのである。
片道人事は初期だけであり、明治43年(1910年)からは、尋常小学校から、工兵学校への直接入校者となったので、異動が発生したのは、日露戦争後明治39年(1906年)から、4年間であり、旅順配属の陸海軍から、陸軍31027名、海軍11082名が、鉄道都市警備局に異動となっていた。工兵隊の業務は、現実として、大連陸海軍工廠の工員であり、鉄道敷設作業員であり、駅舎の建設を含めて土木建設作業員であった。駅舎で必要とされる、上下水道の配管や排水、電気、ガスといったインフラ設備、電信や電話回線の敷設作業を含めて、動員されたのである。
会戦と呼ばれる、正面戦闘ではなく、とっても地味な砲撃の観測、障害突破、連絡線確立といった支援活動を担当する工兵は、陸海軍のエリートさんからは嫌われていた。満洲鉄道都市警備局の業務は、鉄道の敷設、橋梁建設、維持管理、上下水道の整備といった、地味だけど技術を必要とする職務であった。
しかしながら、無ければ困る職種であったので、作戦や演習時には、警備局との合同として実行された。
シナ派遣軍が、対ロシア再戦時の「満洲鉄道を利用した軌道突破戦」計画を立案し、シナ派遣軍が正面戦闘を担当し、破壊路線の再構築、兵站維持、支援、障害物爆破などの支援戦闘を警備局が担当する計画となっていた。シナ派遣軍は、満洲鉄道からシベリア鉄道の範囲を作戦域として、正面戦闘ができるように装備を整え、警備局は作戦の為の、大連への物資集積、営口への輸送蓄積、大連および営口からの輸送計画が立てられていた。
「満洲鉄道を利用した軌道と突破戦」は、物流の確保を前提として、正面戦闘を限定し、面ではなく線に沿って侵攻する計画であった。鉄道路線の維持管理のため、各駅5000名を定数として、第一段階で奉天から長春、さらに哈爾濱までを制圧するため、工兵隊50000名を初期段階で投入する。
第二段階は、哈爾濱までの突破から支援確立に半年として、内地から50000名の工兵を動員し、満洲里までの突破制圧を実行する。
シナ派遣軍の当初計画では、満洲里までを1年で突破し、維持管理を遂行し、満洲里を前線として、ザバイカル地方でロシア軍を撃破し、満洲の権益を確保して、停戦に持ち込むというモノであった。
正面戦闘を担当する、シナ派遣軍は、エリートを中心に構成されていて、警備局の工兵隊は、陸海軍で出世できないとされた反骨組と工兵学校卒業生で構成されていた。
現実のif昭和史では、はじめての世界大戦によって、当初計画の仮想敵国がロシア帝国から共産主義者に変更されたが、基本計画はそのまま踏襲された。
ドイツ帝国の支援による、ロシア帝国の崩壊、ソビエトの設立させ、「ブレスト=リトフスク条約」によって、連合国の東部戦線を崩壊させたのである。連合国としては反共産主義宣言を出して対抗する結果となった。
日本は、連合国として、イギリス、アメリカと共同による反共連合と大陸侵攻を掲げた。イタリア、フランスによる、クリミア半島からウクライナの反革命勢力支援を図った。これは、「ブレスト=リトフスク条約」の中で、ソビエト側からドイツを中心とした同盟側への譲渡であり、連合国としては、対抗する必要があったのである。
フランスによる、反共勢力への支援、ウクライナへの義勇兵派遣は、本国の最前線である、西部戦線を維持・反抗するためにも、ドイツを有利にするわけにはいかなかった。ソビエトの設立からの干渉戦争は、対ドイツの攻勢計画として策定された。
欧州の連合国からすれば、黒海から支援物資を送り、ウクライナへの第二戦線形成する計画である。
イギリスとしては、赤軍の極東方面への吸引を図り、ロシア白軍によるウクライナ戦線の支援が目的であった。さらに、できればロシアが持つ、極東方面の港湾施設である、ウラジオストク、ニコラエフスクを占拠し確保する狙いもあった。
アメリカにとっては、大陸侵攻について、日本が利益を上げすぎることを危険視していた。当初の予定では、イギリスの支援によって、海兵隊を投入して、ウラジオストク占領で極東に拠点を確保することを目的としていた。
日本は、当初予定から敵が変わっただけで、対ロシア再戦計画そのものは、計画通りに実行された。シナ派遣軍は、奉天のロシア帝国軍を撃破し降伏させ、反共白軍を編成して前進を遂行した。日本政府が、イギリスと共同で、ロマノフ家救出計画を遂行し、皇帝救出に失敗したが、皇太子皇女殿下の救出に成功、反共白軍を臨時政府とした、極東ロシア共和国を設立した。哈爾濱までの侵攻は、ロシア帝国軍の解体に手間取っただけで、当初計画を三カ月以上前倒して実行された。
アメリカは、日本の侵攻速度から、シベリア鉄道の確保を決めて、侵攻計画を策定、急遽、陸軍10万をウラジオストックに上陸させ、侵攻を開始した。
日本側は、アムール川流域から沿海州および満洲については、旧清帝国の領域であり、アイグン条約、北京条約による返還を、連合国とするという宣言を摂政公オリガ・ニコラエヴナ殿下と締結した。シベリア鉄道利権をアメリカに譲渡、アムール川航行利権をイギリスに譲渡、満洲鉄道利権を日本に譲渡とされた。
国内で工兵隊への限定動員がだされ、50000名を編成し、満洲鉄道都市警備局への増援として投入した。これは、内務省公務員としての採用として実施され、軍編成ではなく、内務省警察庁警備局の派遣扱いとされた。
まぁ、軍を派遣するために予算を使ったんじゃないよである。
新聞には、シナ派遣軍が派手に侵攻し、ソビエト軍を撃破していることが報道され、国民の熱狂を煽った。
満洲里までの進撃は、半年で完了し、当初計画の半分で終わった。しかしながら、後方支援の確保は、ある程度は上手くいっているモノの、人手不足が生じたこともあって、シナ派遣軍の再編と鉄道都市警備局の再編を待った。
再編は、ザバイカル方面への赤軍誘引、会戦での撃滅を対象としていたが、極東のソビエト軍は編成もままならない状況で、民兵に近い戦力であった。
「満洲里から先に進むな、か、、、」
「はい、岡村閣下。日本が進み過ぎれば、嫉まれると」
「摂政公皇女殿下からは、御許しを頂いたのではないのか」
「摂政公皇女殿下から許されたのは、アイグン条約、北京条約の範囲までですから、ここから先は、殿下からの許可もいただいておりません」
さらに続けて、
「それに、閣下。後方からの物資輸送も、計画通り過ぎて問題と聞いてます」
「あぁ、前線に届いていない、重砲の砲弾が先に届いて、迫撃砲や小銃が後回しされている」
当初計画は、敵がロシア帝国軍であったため、重砲の鉄量が必要とされていた。しかしながら、戦闘対象が、民兵のような赤軍でしかないため、重砲はあっても使い道がなかった。
アメリカ陸軍は、侵攻計画そのものが杜撰で、物資の搬送には、非常に苦労を伴っていた。イギリスは、雪解けを待って、ニコラエフスクの占領を実行、アムール川の遡上作戦を開始していた。
「チタの占領については、ロシア白軍に任せ、閣下には支援を願うとのことです」
「しかし、大丈夫なのか」
ロシア白軍の戦意は低く、逃亡兵が後を絶たず、現有戦力は15万から17万であった。逃亡して、赤軍側に加わったとすれば、チタ方面に20万以上の赤軍が存在することとなる。営口および大連から輸送される、食料の輸送が三倍になったことで、食料の配給が間に合わず、
「満洲里から先は、義勇兵派遣となります」
「義勇兵であろうと、行けと言われれば行くが、どうなのか」
「濱口首相からは、満洲里確保を最優先とせよ。そのための手段は、閣下に任せるが、帝国陸軍としての越境侵攻は認めないとのことでした」
「白軍の連中を減らせないか」
「どういうことでしょうか、閣下」
「満洲里の集積物資では、シナ派遣軍10万を食わせるのも大変だ。とてもではないが、白軍の面倒までみれん」
「閣下。後方に下げるのは、警備局としては、不安が残りますが」
「1000名ほどを、各駅の警備局に預けられんか尉官連中であれば、それほど文句もつけんだろ」
「警備局で雇えと」
「一駅1000名なら、工兵が揃えば5000。仕事になれば、どうにかなるのではないか」
「総裁。鉄道都市警備局の配備は、間に合っていないのだろ」
「確かに。予算としては、5000名分ですが、実質は3000名を割る処も多い」
「都市警備の方が、彼らとしては、喜ぶのではないか」
「都市警備で喜ぶのでしょうか」
「話を聞いてみたが、彼らは、皇帝陛下に忠誠を誓ったが、カネを払って貰えないとボヤいていた」
「わかりました、閣下」
ロシア白軍側の下級将校は、後方勤務で下がることに同意し、まずは、定数が確保されても、仕事が多い、遼陽、奉天、長春、哈爾濱、斉斉哈爾へ各1000名が派遣された。満洲鉄道都市警備局は、日本陸軍の硬直さが伝搬していて、定数5000以上の動員がされていなかったが、都市部の場合は、業務量が非常に多かったのである。
満洲鉄道都市警備局は、遼陽、奉天、長春、哈爾濱、斉斉哈爾を拠点として定め、警備兵居留区を増設したのである。住宅の建設と追加された居留区は、後にロシア人居留区に変更された。白軍が徐々に後方支援に移ると、そのまま、残留組への支援増加に繋がり、両方の状況が安定していったのである。最終的には、8万の白軍が減って、8万の白軍が残ったのである。残った白軍への支援は、後方が安定するにつれて、増加したため、安定していったのである。
アメリカ軍とイギリス軍が、進撃を鈍らせていて、ハバロフスク攻略が遅れていたため、連合軍救援支援の名目で、ロシア白軍とシナ派遣軍は、侵攻を開始したのである。ザバイカルからチタに到達し、東へ転進して、ハバロフスクへの侵攻を準備をおこなったのである。
チタに8万のロシア白軍を配置し、極東ロシア共和国が設立された。
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