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陛下への恩義 外伝
あったかもしれない世界3 冷戦と核兵器開発
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被曝国となった、大日本帝国
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核戦争そのものが、非常に危険であることは、本土決戦の中、世界中で認識されるようになった。民間への被害だけでなく、残留した放射性物質による健康被害は、占領軍側にも大きな被害をもたらしたのである。
実際に核攻撃を受けて、住民を含めて数十万の犠牲を出し、生き残った人々に対しても放射線症が発症していた。大日本帝国は、放射線症への対応や、核兵器の開発を開始したのである。
被曝国となったこともあって、放射線症の記録が取られた。休戦条約が締結されたこともあって、米軍の占領下にある南関東は、治安が最悪な状況を脱することができるようになった。被曝による健康被害は、連合国側にも拡大しており、長崎、広島、日立、八王子、相模湖といった爆心地を中心として、放射線症の患者は、拡大していったのである。
アメリカ軍は、相模原に野戦病院を建設し、被曝者への対応をおこなった。残留放射線による障害を含めて、連合軍側も3万人以上の犠牲者をだしていた。相模原野戦病院には、アメリカ軍7825名、オランダ軍1124名、イギリス軍835名と記録されている。民間人への被害については、いくつかの病院に記録されているだけで、昭和24年時点では、人数の把握もされていなかった。
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占領地での鬼畜行為
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昭和20年から昭和24年までの米兵による、強盗、傷害、強姦といった様々な事件が発生していた。大日本帝国はアメリカへの直接抗議をおこなうと共に、イギリスBBCのジャーナリストWynfordに取材を委託して、欧州を中心として、国際報道がおこなわれていった。
ソビエト連邦以外の連合国は、対日講和条約を帝都東京で締結した。講和内容の中で、アメリカは、占領下にある、横須賀、厚木、立川、福生、朝霞、百里、那覇、普天間、嘉手納、といった各基地について返還を拒否した。大日本帝国は、横須賀、厚木、那覇、普天間、嘉手納を米軍基地として占有すること条件として、占領地の返還を含めた講和条約を締結した。
北海道で対ソ継続戦闘を支援するためにも、休戦後、連合国による対日支援が開始され、講和後は武器や食料等の支援も開始された。
アメリカによる対日支援の中心となったのは、満洲国への支援であった。
アメリカは、満洲国をアメリカと同じく移民国家と位置づけ、移民の募集と支援や投資が開始されたのである。つまりアメリカは、満洲国という新たな移民国家を護るため、大日本帝国と講和したという形をとった。
特に、非常に多くのユダヤ人が、ドイツだけでなくソビエト連邦からも逃亡していて、シベリア鉄道を経由して満洲国へ亡命し、大連で満洲国民として暮らしていたことが、イギリスBBCのジャーナリストWynfordによって大々的に報道された。
本土決戦で原子爆弾を使用し、日本人だけでなく連合軍にも多くの被害が出たことは、イギリスやオランダの従軍記者によって報道されたことで、アメリカに対する非難も増えていたのである。特に撃墜され、相模湖で爆発した原子爆弾は、アメリカの将兵1万、オランダ軍五千を壊滅させ、放射線障害の被害者に対する賠償請求が退役軍人会から、アメリカ政府が提訴された。
米軍被曝犠牲者の家族から出された、非人道兵器使用への非難と賠償請求によって、アメリカの対日情勢が変化したのは事実である。
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昭和25年、大日本帝国はソビエト連邦に続き、各国の報道関係者を集めた中で、島根県で地下核実験に成功させた上で、核兵器開発凍結を宣言し、世界中の国に対して、非人道兵器である核兵器を含めて、大量殺戮兵器そのもののの廃絶を訴えた。
ロスアラモスで核兵器開発に関わっていた、アメリカの科学者も加わり、連合国による原子力の「国際統制」がアメリカ、イギリス、カナダ、大日本帝国によって提唱された。
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こういった反対活動が進められる中であったが、米ソの核兵器開発は、激化の一途を辿り、アメリカが昭和27年に水爆の実験に成功し、ソビエト連邦も昭和28年には水爆実験に成功し、相互確定破壊に向けた開発競争が始まったのである。
満洲では、米ソの直接戦闘が発生していたことは事実である。ソビエト連邦を除く連合国が、満洲国の建国を認めたことで、満洲国は連合国とソビエト連邦、中国共産党による争奪地域となっていた。
モンゴルから長春を制圧してたソビエト連邦軍とモンゴルと奉天で対峙した中国共産党は、一時的にソビエトと同盟を締結し、連合軍と対決し始めた。連合軍は、長春まで進撃し、ソビエト連邦軍は哈爾濱に、中国共産党は遼川西岸まで撤退した。
昭和31年に、日米ソに中国共産党を含めた休戦条約が締結された。
大日本帝国が、連合国に復帰すると、満洲国は連合国による委任統治国家となった。満洲国は内政については権益を有するが、外交と国防は連合に委託し、委託費を支払う義務を負うという決定がなされた。
大日本帝国は、休戦条約を受けて、平和の象徴として、遼陽郊外に、原子力発電所建設を連合国へ提唱し、原子力の平和利用に向けた国際開発が開始された。
遼陽国際原子力発電所、満洲原子力研究所の建設が開始された。
被曝国となった、大日本帝国
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核戦争そのものが、非常に危険であることは、本土決戦の中、世界中で認識されるようになった。民間への被害だけでなく、残留した放射性物質による健康被害は、占領軍側にも大きな被害をもたらしたのである。
実際に核攻撃を受けて、住民を含めて数十万の犠牲を出し、生き残った人々に対しても放射線症が発症していた。大日本帝国は、放射線症への対応や、核兵器の開発を開始したのである。
被曝国となったこともあって、放射線症の記録が取られた。休戦条約が締結されたこともあって、米軍の占領下にある南関東は、治安が最悪な状況を脱することができるようになった。被曝による健康被害は、連合国側にも拡大しており、長崎、広島、日立、八王子、相模湖といった爆心地を中心として、放射線症の患者は、拡大していったのである。
アメリカ軍は、相模原に野戦病院を建設し、被曝者への対応をおこなった。残留放射線による障害を含めて、連合軍側も3万人以上の犠牲者をだしていた。相模原野戦病院には、アメリカ軍7825名、オランダ軍1124名、イギリス軍835名と記録されている。民間人への被害については、いくつかの病院に記録されているだけで、昭和24年時点では、人数の把握もされていなかった。
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占領地での鬼畜行為
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昭和20年から昭和24年までの米兵による、強盗、傷害、強姦といった様々な事件が発生していた。大日本帝国はアメリカへの直接抗議をおこなうと共に、イギリスBBCのジャーナリストWynfordに取材を委託して、欧州を中心として、国際報道がおこなわれていった。
ソビエト連邦以外の連合国は、対日講和条約を帝都東京で締結した。講和内容の中で、アメリカは、占領下にある、横須賀、厚木、立川、福生、朝霞、百里、那覇、普天間、嘉手納、といった各基地について返還を拒否した。大日本帝国は、横須賀、厚木、那覇、普天間、嘉手納を米軍基地として占有すること条件として、占領地の返還を含めた講和条約を締結した。
北海道で対ソ継続戦闘を支援するためにも、休戦後、連合国による対日支援が開始され、講和後は武器や食料等の支援も開始された。
アメリカによる対日支援の中心となったのは、満洲国への支援であった。
アメリカは、満洲国をアメリカと同じく移民国家と位置づけ、移民の募集と支援や投資が開始されたのである。つまりアメリカは、満洲国という新たな移民国家を護るため、大日本帝国と講和したという形をとった。
特に、非常に多くのユダヤ人が、ドイツだけでなくソビエト連邦からも逃亡していて、シベリア鉄道を経由して満洲国へ亡命し、大連で満洲国民として暮らしていたことが、イギリスBBCのジャーナリストWynfordによって大々的に報道された。
本土決戦で原子爆弾を使用し、日本人だけでなく連合軍にも多くの被害が出たことは、イギリスやオランダの従軍記者によって報道されたことで、アメリカに対する非難も増えていたのである。特に撃墜され、相模湖で爆発した原子爆弾は、アメリカの将兵1万、オランダ軍五千を壊滅させ、放射線障害の被害者に対する賠償請求が退役軍人会から、アメリカ政府が提訴された。
米軍被曝犠牲者の家族から出された、非人道兵器使用への非難と賠償請求によって、アメリカの対日情勢が変化したのは事実である。
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昭和25年、大日本帝国はソビエト連邦に続き、各国の報道関係者を集めた中で、島根県で地下核実験に成功させた上で、核兵器開発凍結を宣言し、世界中の国に対して、非人道兵器である核兵器を含めて、大量殺戮兵器そのもののの廃絶を訴えた。
ロスアラモスで核兵器開発に関わっていた、アメリカの科学者も加わり、連合国による原子力の「国際統制」がアメリカ、イギリス、カナダ、大日本帝国によって提唱された。
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こういった反対活動が進められる中であったが、米ソの核兵器開発は、激化の一途を辿り、アメリカが昭和27年に水爆の実験に成功し、ソビエト連邦も昭和28年には水爆実験に成功し、相互確定破壊に向けた開発競争が始まったのである。
満洲では、米ソの直接戦闘が発生していたことは事実である。ソビエト連邦を除く連合国が、満洲国の建国を認めたことで、満洲国は連合国とソビエト連邦、中国共産党による争奪地域となっていた。
モンゴルから長春を制圧してたソビエト連邦軍とモンゴルと奉天で対峙した中国共産党は、一時的にソビエトと同盟を締結し、連合軍と対決し始めた。連合軍は、長春まで進撃し、ソビエト連邦軍は哈爾濱に、中国共産党は遼川西岸まで撤退した。
昭和31年に、日米ソに中国共産党を含めた休戦条約が締結された。
大日本帝国が、連合国に復帰すると、満洲国は連合国による委任統治国家となった。満洲国は内政については権益を有するが、外交と国防は連合に委託し、委託費を支払う義務を負うという決定がなされた。
大日本帝国は、休戦条約を受けて、平和の象徴として、遼陽郊外に、原子力発電所建設を連合国へ提唱し、原子力の平和利用に向けた国際開発が開始された。
遼陽国際原子力発電所、満洲原子力研究所の建設が開始された。
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