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9巻
9-3
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不安な感情で胸がいっぱいになりそうになったとき、すぐそばからチッと舌打ちの音が聞こえてきた。
「あの妖怪クソ爺が……。今まで通り何もしなくていいのに、どうしていつもいつも大事なところで邪魔をしてくるのかしら……。さっさと隠居して表舞台からいなくなればいいのに……」
普段の王妃様からは考えられない粗野な言葉遣いに、私は驚いて目を見開く。
「おっ、王妃様……?」
「あらっ、失礼。はしたなかったわね。見逃してくださいな。ホッホッホッ……」
王妃様は扇を開き、口元を隠しながら優雅に笑った。
と、そのとき――
バンッ!!
鋭い衝撃音が響きわたり、私はハッと会場に目を向けた。
その音の発生源は――おそらくクラウディウス様の前に置かれた机。
天板は粉々に割れて、脚もひしゃげている。
会場中が静まり返る中、クラウディウス様はにっこり笑って言った。
「……失礼。不快な言葉が聞こえてきたような気がして、つい我を忘れてしまいました。無意識のうちに、魔法を発動させていたみたいですね。さて、アルディーナ大公爵。もう一度、おうかがいしてもよいですか? 結婚を白紙に……などというおかしな聞き間違いをしてしまったようでして」
クラウディウス様は笑みを浮かべていますが、ものすごい威圧感です。
背景に、ゴゴゴ……という効果音が付きそうなくらい。
一方のお祖父様も、負けていません。表情一つ変えず、口を開きました。
「聞き間違いでもなんでもない。この結婚を白紙に、と確かに発言したのだ。……私は、ただ結婚に反対しているわけではない。オリヴィリア伯爵家の娘リリアナ嬢は、あまりにも王家の血筋に近すぎる。それ故に反対しているのです。ただでさえ、殿下は先祖返りと言われるほど魔力が高いというのに……」
「王家の血筋に近すぎる? そんなことはないでしょう。確かにリリアナ嬢の父君は、第二の王家とも呼ばれるアルディーナ家の出――あなたのご子息でもある。その意味では血が濃いとも言えるだろうが、ここしばらくの間、アルディーナ家に嫁いだ王族はいないし、その逆もしかり。リリアナ嬢の母方にしても、同じこと。結婚を反対されるほどの近親者ではない」
クラウディウス様がハッキリ告げると、お祖父様はクスクスと笑いはじめた。
「何がおかしい、大公爵?」
「いえ、リリアナ嬢の父親と母親が真実その二人であったなら、私とてこの結婚に反対などしなかった。しかし、それが違ったとしたら?」
お祖父様の言葉に、再び会場がざわめき出す。
どういうこと? お祖父様は何を言いたいの?
皆の視線を浴びながら、お祖父様は言葉を続けました。
「リリアナ嬢の母親は、アリス・ラ・オリヴィリアと名を変えて生家との縁も切っている。だが、彼女の本当の名がアルフィリアス・ラ・リディストラだということは、皆も知っているだろう。先般、大罪を犯して取り潰されたリディストラ侯爵家の娘だ。もっとも生家と一切の関わりを絶っていたことで、罪に問われることはなかったようだが」
……確かに、お母様の生家はリディストラ侯爵家。
そしてリディストラ侯爵家は、ある事件がきっかけで取り潰しとなりました。侯爵家は自家の地盤をより盤石なものにするため、長きにわたりさまざまな不正に手を染めていたんです。
その首謀者こそ、お母様の実の父親でした。
お母様が侯爵家と縁を切ったあと、リディストラ侯爵はお母様の死亡届を教会に提出されたそうで……だからこそ、この件についてお母様が罪に問われることはなかったのですが、お母様の気持ちを考えるとすごく辛いです。
私は唇をぎゅっと噛みしめつつ、お祖父様の言葉を聞く。
「……話が逸れましたな。皆ももちろん知っているだろうが、リディストラ元侯爵家のアルフィリアス嬢といえば、かつての薔薇の乙女――すなわち、現国王の婚約者候補の一人であった。それも、有力候補だ。リリアナ嬢が陛下との子である可能性がないと、言い切れるか?」
「そっ――うぅーー!!」
お祖父様の言葉に反論しようとした私だけれど、すぐさま王妃様に口を塞がれてしまった。
王妃様に目を向けると、眉を寄せて首を振っている。
「リリアナ。悔しいけれど、今は様子を見守りましょう。ここで反論しても、意味がないわ。議会の掟を破って侵入したことで、逆に咎められるだけ」
その言葉は正論すぎて、私は頷くことしかできませんでした。
やがて王妃様は、私の口からそっと手を離す。
「申し訳ありません……王妃様……」
「いいえ、リリアナの怒りも、もっともです。女を侮辱していますわ……本当に、忌々しい限り……恥を知りなさい……」
王妃様はギリギリと奥歯を噛む。
そんな私達の歯がゆい気持ちを代弁するかのように、一人の男性が立ち上がる。
それは、お父様だった。
「……それ以上、おかしなことを言うのはやめていただきましょう。リリアナは正真正銘、私とアリスの子。決して陛下の御子ではありません!」
お父様は肩を震わせながら声を張り上げた。その声には、怒りが滲んでいます。
けれど、お祖父様は呆れを含んだ声で尋ねました。
「お前の子ならば、どうしてリリアナ嬢の瞳は淡紅色なのだ? アルディーナ大公爵家の直系は、必ず紫水晶色の瞳を受け継ぐ。お前の子であるのなら、リリアナ嬢もまた紫水晶色の瞳を持つはずだ。しかし、彼女の瞳は淡紅色――それこそがすべてを物語っているではないか。どうして真実から目を逸らす?」
その言葉に、私はひゅっと息を呑む。
確かに今の私は幻影の仮面で髪と瞳の色を変えていますが、本当は――
「っ、それは……リリアナは、生まれたときに紫水晶色の瞳をしていました。ですが成長するにつれて、瞳の色が変化していったのです。たまに、いるではありませんか。生まれたときは金髪でも、成長するにつれて褐色になる子が――それと同じことです」
悔しげな様子で答えるお父様に、お祖父様はなおも言い募ります。
「そんなこと、どうとでも言えよう。リリアナ嬢は、お前の治めるオリヴィリア領で幼少期を過ごしたのだからな。幼い頃は紫水晶色だったと言われたところで、それを証明する者はおらん。仮に領民がそう言おうが、お前の息のかかった者の言うことなど信用できん」
「そんなっ……」
「そもそもお前は、真実を隠すかのように、領主館からリリアナ嬢を出さなかったそうじゃないか。それは、紫水晶色の瞳を持たない娘の存在を隠すためではないのか?」
それは違います!
お父様もお母様も、私のことを思って領主館から出さないようにしていたんです!!
なぜなら――私の纏う色は、神様の纏う色だったから。
セイルレーン最高神様とアルディーナ様だけが持っていたという、銀の髪と紫水晶色の瞳。
そんな特別な色を持つ私が、何かトラブルに巻き込まれたり、辛い思いをしたりしないようにと……そう考えて、私を外には出さないようにしていたのに、それが裏目に出るなんて――
私は悔しさに唇を噛みしめる。
お父様も、私と同じ気持ちなのでしょう。言葉を継げず、肩を震わせています。
そんなお父様に向かって、お祖父様はため息をついた。
「――哀れだな。何はともあれ、子の父親を確かめる術がない以上、リリアナ嬢とクラウディウス殿下の結婚は認められん。異母兄妹の可能性もあるのだからな」
そこで言葉を切り、クラウディウス様に向き直るお祖父様。
「いいですか、殿下。殿下はリリアナ嬢ではなく、新たなる薔薇を迎えるべきなのです」
「新たなる薔薇……。それは、大公爵の娘アルメリア嬢のことか?」
クラウディウス様は、静かに尋ねました。ですが、怒りが殺気のように漏れ出していることは、この距離からでもわかります。
「薔薇の乙女は、四人。青薔薇の乙女であるリリアナ嬢を除くと、残るは三人となる。黄薔薇の乙女は、皆が知っているように、リディストラ元侯爵令嬢。罪を償うため牢獄行きとなった。白薔薇の乙女は、殿下がリリアナ嬢との婚約を決めた直後、有力貴族との縁談を決めてしまった。若き二人を引き裂くのも野暮なこと。そうなると、残るは赤薔薇の乙女のみ……」
お祖父様はそこで言葉を切ります。
先ほどまで悔しさでいっぱいだった心が、今度は悲しみで満たされていく。
……私だって、お祖父様の孫なのに。
お祖父様は、私がお父様の娘じゃないという因縁をつけてまで、自らの子であるアルメリア様を王太子妃にしたいのでしょうか?
目の奥が熱くなり、視界がぼやけてくる。
でも、泣いても事態が改善するわけじゃありません。しっかりと見届けなくちゃ……
私は目をごしごしとこすり、お祖父様の言葉を待つ。
やがてお祖父様は、ため息まじりに口を開いた。
「……と言いたいところだが、それでは今までの話が、アルメリアを殿下に嫁がせるための与太話とも取られかねん。だからこそ私は、薔薇の乙女を改めて選定しなおすことを提案する」
次の瞬間、一部の貴族の方々から歓喜の声が上がった。
もしかすると、年頃の娘を持つ方々なのかもしれません。
……どうしましょう。全員が全員、私とクラウディウス様の結婚を認めてくれているわけではありません。
ましてや、王族と縁を結びたい貴族はたくさんいるでしょうし……
この流れ……まずいよね……
一体、どうなってしまうんだろう。
……王太子様と結婚する覚悟ができていないから、結婚式を少しでも先延ばしにしたい。
先ほどまではそう考えていましたが、そんな悠長なことを言っている場合じゃなかったんですね。
「おっ、王妃様……どうしましょう。このままじゃ、私は……私は……」
私の弱気な声を聞いて、王妃様はギュッと私の手を握りしめてくれる。
「リリアナ、落ち着きなさい。このまま黙って言いなりになるはずがないでしょう? ほら、ご覧なさい!」
そう言って王妃様が示したのは……国王様。
クラウディウス様の隣の席に着いている国王様は、威厳たっぷりに口を開きました。
「……アルディーナ大公爵、面白い話をありがとう。だが、私はリリアナ嬢の父になった覚えなどない。いくら大公爵といえ、これは不敬罪にあたるのではないか?」
けれどお祖父様は怯んだ様子もなく、堂々と言い返します。
「私は、あくまでも可能性を示したまで。この可能性が絶対にないと言い切れない以上、リリアナ嬢を王家に迎え入れるわけにはまいりません。兄妹間の結婚は禁忌ですからな」
「私がハッキリと違うと言ってもか?」
「ええ、口ではどのようにでも言えますからな」
国王様とお祖父様の間に、見えない火花が散ります。
その様子を見ていた王妃様は、チッと舌打ちをしました。
「……本当に厄介だわ、あの妖怪クソ爺。普通なら、不敬罪で打ち首だけど……」
ギリっと奥歯を噛みしめる王妃様を見て、アルディーナ大公爵家の力の強さを改めて実感しました。
お祖父様は、国王様の殺気立った威圧感なんてどこ吹く風です。
やがて、国王様は地を這うような低い声で言いました。
「――つまり、私がいくら否定しようとも真実はわからないと言って、水かけ論になるというわけか」
「左様にございます。ですから、王太子殿下には新たなる薔薇の乙女の選定を……。折しも、来週は春告の会が王城で開催され、貴族の子女達が多く集まります。ちょうどよいではありませんか。そこで、新たなる薔薇を選んではいかがですか」
お祖父様はそう言って、会場の貴族達に目を向けた。
すると、あちこちで賛同の声が上がりました。
春告の会というのは、春の訪れを祝う大規模な催しです。王都に住む有力な貴族の皆さんが王城に大勢招待されると聞いています。
うぅ、この流れ……本当にまずいです……。私、どうすればいいんでしょうか……
私は助けを求めるように、握りしめていた王妃様の手を、さらに強く握りしめた。
一方、焦りを感じていたのは私だけじゃなかったみたい。クラウディウス様も険しい表情を浮かべて、お祖父様に向かって宣言する。
「アルディーナ大公爵、春告の会は予定通り行うが、私は決して薔薇の乙女を選び直したりしない。ここにいる皆も、承知しておいてほしい」
けれど――
「お言葉ですが、殿下! アルディーナ大公爵のおっしゃる通り、リリアナ嬢は大公爵家直系の色を受け継いでいない! 陛下の子でないにしても、そんなどこの馬の骨とも知れぬ者の血を引く娘を王家に迎え入れるのは、いかがなものかと!」
「その通りでございます! どうか、新たなる薔薇の乙女の選定を!!」
あちこちでそんな意見が飛び交い、議会が混乱に呑み込まれていく。
「王妃様……私……」
「リリアナ、しっかりなさい! そして、クラウを信じるのです。こんなことで、二人の絆は引き裂かれてしまうものなのですか? 違うでしょう? あなたが妃になった暁には、これ以上の局面に立たされることだってあります! こんなことでへこたれてはなりませんよ!!」
王妃様は私を励ますように、手を力強く握ってくれる。
……そうですよね。
私がここでくじけていては、クラウディウス様との明るい未来はない。
もっとしっかりしなくっちゃ!
そのためにもまずは……
私は、この騒動の要因を作り出した人物を見つめる。
けれどこちらに背を向けているので、表情まではわからなかった。
――お祖父様。
一体、どんな意図があってあんなことを言い出したんですか?
心の中で問いかけるも、もちろん答えは返ってこない。
そのとき、会場に国王様の声が響きわたった。
「……これ以上の話し合いは無意味とみなす! よって、本日の議会は閉会とする!!」
――こうして議会は、混乱のまま終わりを告げたのでした。
その後、私は王妃様に手を引かれて隠し通路を急ぎ、議会の行われていたホールから程近い廊下に向かいました。
そこで王妃様といったん別れ、私はドレスの裾を軽くたくし上げてホールのほうへ駆けます。
……淑女としてあるまじき行為だとわかっています。
だけど、そうでもしないと目的の人物を見失ってしまうからね!
こういった議会での退席の順番は、身分の高い人達から。
まずは国王様、王太子様達王族が退出し、しばらくして貴族の方々が退出します。
お祖父様は、貴族の中で最も身分が高いから、会場から出てくるのは最初のはず。
私は、うまくお祖父様を捕まえて話をするつもりでいました。
王妃様曰く、ここをまっすぐ進めば会場のホールに辿り着くとのこと。
しばらく走っていると、前方に見知った人物の姿を見つけました。
あれは――
「お祖父様!!」
私が声をかけると、お祖父様はピタリと足を止めました。そして私の姿を認めて、眉根を寄せる。
……そこまで私のことが嫌いなんでしょうか?
再び悲しみが押し寄せてきたけれど、それをぐっとこらえて、お祖父様に対峙した。
「お祖父様に大切なお話があるのです。どうか、私に少し時間をください!」
しばらくの間、眉間に深い皺を刻んでいたお祖父様ですが、やがて小さく息を吐き、答える。
「……私も、お前に大切な話がある。ここでは、誰が聞いているかもわからん。場所を変えよう」
その言葉に、私はホッと安堵の息を漏らした。
お祖父様に案内され、廊下をしばらく進んだ先にあった一室へと入る。
ここは、議会に出席した貴族達の控え室みたい。お祖父様は室内にいた使用人に退室を促し、他の方達が入ってこないようにしてくれとも告げた。
二人きりになった室内で、私はゆっくりと尋ねる。
「――お祖父様。どうして……どうして、議会で私を不義の末にできた子のように扱い、クラウディウス殿下との結婚を阻もうとしたのですか? 私の両親は、ルイス・ル・ディオン・オリヴィリアとアリス・ラ・オリヴィリアの二人だと、神に誓って申し上げます!!」
……といっても、今の私は幻影の仮面で本来の姿を隠しています。
ここで幻影の仮面を外し、お父様譲りの紫水晶色の瞳を見せるのが一番話が早いとは思うのだけど――本来の姿を見せるのは、とても怖い。
かつて私の纏う色を見たオリヴィリア領の民達は、私を神様の使者だと言って救いを求めてきました。
けれど、私にそんな力はありません。
人から過剰に期待をされるのは、とても怖いこと。
だから、ずっとこの色を隠して生きてきたんです。そして、できることならこの先もずっと平穏に暮らしていきたいから――
本当の姿をさらす覚悟もなく、クラウディウス様と結婚しようとしているなんて、すごく虫のいい話だよね。
意気地のなさに、自分でも嫌になってしまいます。
ただ、私がお父様とお母様の子だということだけは、なんとしても信じてほしい――
私が拳を握りしめていると、お祖父様は眉を寄せながら口を開いた。
「――議会が終わったばかりなのに、なぜ内容を知っている?」
「うっ……」
ま、まずい……
感情に任せて下手なことはできないなんて考えつつ、思いっきり下手を打っちゃったみたい。
議会に出席できない私が内容を知っていたら、不審に思われるのも当たり前。もしかすると、王妃様にまで迷惑がかかっちゃうかも……
私が答えに窮していると、お祖父様は呆れたようなため息を漏らした。
「ふぅ……まぁ、お前はいろいろと規格外だからな……。どのような術を使ったかは知らぬが、議会でのやり取りを覗いていたんだろう。今後は程々にするように」
意外なことに、お祖父様はどうやら見逃してくれるみたい。
内心ホッと息をついた私に、お祖父様は言葉を続ける。
「とにかく、お前はこれ以上手出しをせぬように。お前のせいで、状況が日々悪くなっているのだ。私の言葉に従ってさえいれば、やがて救済へと繋がる。いいか、大人しくしているのだぞ」
……お祖父様は、またも意味のわからないことを言いはじめました。
状況が悪くなっている、というのはどういう意味なんだろう?
私からすると、状況を悪くしているのは他でもないお祖父様なんだけど……
「お祖父様、それはどういう意味でしょう? お祖父様のおっしゃる『救済』とは、何を指しているのですか?」
思わずそう尋ねると、お祖父様は感情のない声で淡々と答える。
「救済……それは、この世界すべての者達にとっての救済だ……。お前はただ私の言うことを聞けばよい。……だからこそ、せっかく聖域へ行かせる手配をしたというのに、お前は失態を演じてしまった。お前の存在は、この国……いや、この世界にとって不要なもの。まったく、なぜこうなってしまったのか……。こんなことにならなければ、あの方と同じ夢を見ていられただろうに……」
お祖父様の言葉に、私は大きな衝撃を受けた。
……私の存在は、この世界にとって不要なもの?
どうして、そこまで言われなくてはならないのでしょう。
それに、お祖父様は「聖域に行かせる手配をした」と言いました。
……そういえば、聖域の使者であるローレリア大司教様がいらっしゃったとき、『シェルフィールド王家にも、ある人物が話を通す手筈になっております』とおっしゃっていた。だから、安心して聖域へ向かえばいいと。
お父様はその人物に心当たりがあったみたいで、とても険しい顔をしていたけれど――その人物とは、お祖父様のことだったんですね。
ふつふつと沸き上がってきた怒りを抑えながら、私はお祖父様に尋ねました。
「お祖父様が手を回して、私を聖域へ行かせたのですね。一体なぜですか? ……確かに、これまで交流は一切ありませんでした。ですから、お祖父様は私に対しての情が薄いのかもしれません。けれど、どうしてそこまでして私を家族から遠ざけようとしたのですか!?」
拳をぎゅっと握りしめて叫んだ瞬間、まるで地震が来たときのように、部屋の調度品がカタカタと揺れはじめた。
けれどそんなことには構っていられず、私はお祖父様をキッと睨みつける。
「お前に対しての情? 悪いが、そんなものは一切ない。それに、私はお前と家族を引き離そうとしたわけではない。お前が余計なことばかりするから、聖域へ行かせたのだ」
「そんなっ……」
私は言葉を失って、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
一方のお祖父様は、ものすごく冷たい視線をこちらに向けている。
「……わ、私への情がないというのは……私がお父様の子ではないと思っているから、ですか?」
震える声で尋ねると、お祖父様はため息をついた。
「――そういうことではない。議会ではそう言ったが、お前のその身体には確かに私の血が流れている。だが、それだけのことだ。お前の中身は、私の孫娘ではない」
どういう……こと?
今の口ぶりだと、議会でお祖父様が口にした言葉はハッタリだったってことだよね。つまり、薔薇の乙女の選定をやり直させるための、方便。
ただ、私がアルディーナ大公爵家の血を引いていることを認めながらも、中身は違うと口にした。
その意味がわからず、私は内心で首を傾げる。
そのとき、ふとある考えが浮かんだ。
もしかしてお祖父様は、私が前世の記憶を持つことを知っているのだろうか?
この世界では、人は死後、天の国か地の国に行くと信じられています。
それが、人の魂の一生だと。けれど教会の中枢を担う方々は、人が生まれ変わる――すなわち輪廻転生することを知っています。なぜなら、教会には輪廻転生を繰り返し、そのすべての生の記憶を保持している人物――精霊の姫巫女様がいるから。
輪廻転生に関わることは秘されていますが、限られたごく一部の人々は知っています。その中にはお父様の生家、アルディーナ大公爵家も含まれている。
かつて私が前世の記憶があると告白したとき、お父様とお母様は驚かず、すべてを受け入れてくれました。それはアルディーナ大公爵家の人間として、輪廻転生を知っているからだと言っていました。
アルディーナ大公爵家のご当主であるお祖父様が、それを知らないはずがありません。
――私が前世の記憶を持つと知っているのは、両親とクラウディウス様だけ。
お祖父様がなぜそれに気づいたのかはわからないけれど……
私のことを今世の人間ではなく前世の人間として見ているのなら、中身が違うと言った言葉にも納得がいきます。
「あの妖怪クソ爺が……。今まで通り何もしなくていいのに、どうしていつもいつも大事なところで邪魔をしてくるのかしら……。さっさと隠居して表舞台からいなくなればいいのに……」
普段の王妃様からは考えられない粗野な言葉遣いに、私は驚いて目を見開く。
「おっ、王妃様……?」
「あらっ、失礼。はしたなかったわね。見逃してくださいな。ホッホッホッ……」
王妃様は扇を開き、口元を隠しながら優雅に笑った。
と、そのとき――
バンッ!!
鋭い衝撃音が響きわたり、私はハッと会場に目を向けた。
その音の発生源は――おそらくクラウディウス様の前に置かれた机。
天板は粉々に割れて、脚もひしゃげている。
会場中が静まり返る中、クラウディウス様はにっこり笑って言った。
「……失礼。不快な言葉が聞こえてきたような気がして、つい我を忘れてしまいました。無意識のうちに、魔法を発動させていたみたいですね。さて、アルディーナ大公爵。もう一度、おうかがいしてもよいですか? 結婚を白紙に……などというおかしな聞き間違いをしてしまったようでして」
クラウディウス様は笑みを浮かべていますが、ものすごい威圧感です。
背景に、ゴゴゴ……という効果音が付きそうなくらい。
一方のお祖父様も、負けていません。表情一つ変えず、口を開きました。
「聞き間違いでもなんでもない。この結婚を白紙に、と確かに発言したのだ。……私は、ただ結婚に反対しているわけではない。オリヴィリア伯爵家の娘リリアナ嬢は、あまりにも王家の血筋に近すぎる。それ故に反対しているのです。ただでさえ、殿下は先祖返りと言われるほど魔力が高いというのに……」
「王家の血筋に近すぎる? そんなことはないでしょう。確かにリリアナ嬢の父君は、第二の王家とも呼ばれるアルディーナ家の出――あなたのご子息でもある。その意味では血が濃いとも言えるだろうが、ここしばらくの間、アルディーナ家に嫁いだ王族はいないし、その逆もしかり。リリアナ嬢の母方にしても、同じこと。結婚を反対されるほどの近親者ではない」
クラウディウス様がハッキリ告げると、お祖父様はクスクスと笑いはじめた。
「何がおかしい、大公爵?」
「いえ、リリアナ嬢の父親と母親が真実その二人であったなら、私とてこの結婚に反対などしなかった。しかし、それが違ったとしたら?」
お祖父様の言葉に、再び会場がざわめき出す。
どういうこと? お祖父様は何を言いたいの?
皆の視線を浴びながら、お祖父様は言葉を続けました。
「リリアナ嬢の母親は、アリス・ラ・オリヴィリアと名を変えて生家との縁も切っている。だが、彼女の本当の名がアルフィリアス・ラ・リディストラだということは、皆も知っているだろう。先般、大罪を犯して取り潰されたリディストラ侯爵家の娘だ。もっとも生家と一切の関わりを絶っていたことで、罪に問われることはなかったようだが」
……確かに、お母様の生家はリディストラ侯爵家。
そしてリディストラ侯爵家は、ある事件がきっかけで取り潰しとなりました。侯爵家は自家の地盤をより盤石なものにするため、長きにわたりさまざまな不正に手を染めていたんです。
その首謀者こそ、お母様の実の父親でした。
お母様が侯爵家と縁を切ったあと、リディストラ侯爵はお母様の死亡届を教会に提出されたそうで……だからこそ、この件についてお母様が罪に問われることはなかったのですが、お母様の気持ちを考えるとすごく辛いです。
私は唇をぎゅっと噛みしめつつ、お祖父様の言葉を聞く。
「……話が逸れましたな。皆ももちろん知っているだろうが、リディストラ元侯爵家のアルフィリアス嬢といえば、かつての薔薇の乙女――すなわち、現国王の婚約者候補の一人であった。それも、有力候補だ。リリアナ嬢が陛下との子である可能性がないと、言い切れるか?」
「そっ――うぅーー!!」
お祖父様の言葉に反論しようとした私だけれど、すぐさま王妃様に口を塞がれてしまった。
王妃様に目を向けると、眉を寄せて首を振っている。
「リリアナ。悔しいけれど、今は様子を見守りましょう。ここで反論しても、意味がないわ。議会の掟を破って侵入したことで、逆に咎められるだけ」
その言葉は正論すぎて、私は頷くことしかできませんでした。
やがて王妃様は、私の口からそっと手を離す。
「申し訳ありません……王妃様……」
「いいえ、リリアナの怒りも、もっともです。女を侮辱していますわ……本当に、忌々しい限り……恥を知りなさい……」
王妃様はギリギリと奥歯を噛む。
そんな私達の歯がゆい気持ちを代弁するかのように、一人の男性が立ち上がる。
それは、お父様だった。
「……それ以上、おかしなことを言うのはやめていただきましょう。リリアナは正真正銘、私とアリスの子。決して陛下の御子ではありません!」
お父様は肩を震わせながら声を張り上げた。その声には、怒りが滲んでいます。
けれど、お祖父様は呆れを含んだ声で尋ねました。
「お前の子ならば、どうしてリリアナ嬢の瞳は淡紅色なのだ? アルディーナ大公爵家の直系は、必ず紫水晶色の瞳を受け継ぐ。お前の子であるのなら、リリアナ嬢もまた紫水晶色の瞳を持つはずだ。しかし、彼女の瞳は淡紅色――それこそがすべてを物語っているではないか。どうして真実から目を逸らす?」
その言葉に、私はひゅっと息を呑む。
確かに今の私は幻影の仮面で髪と瞳の色を変えていますが、本当は――
「っ、それは……リリアナは、生まれたときに紫水晶色の瞳をしていました。ですが成長するにつれて、瞳の色が変化していったのです。たまに、いるではありませんか。生まれたときは金髪でも、成長するにつれて褐色になる子が――それと同じことです」
悔しげな様子で答えるお父様に、お祖父様はなおも言い募ります。
「そんなこと、どうとでも言えよう。リリアナ嬢は、お前の治めるオリヴィリア領で幼少期を過ごしたのだからな。幼い頃は紫水晶色だったと言われたところで、それを証明する者はおらん。仮に領民がそう言おうが、お前の息のかかった者の言うことなど信用できん」
「そんなっ……」
「そもそもお前は、真実を隠すかのように、領主館からリリアナ嬢を出さなかったそうじゃないか。それは、紫水晶色の瞳を持たない娘の存在を隠すためではないのか?」
それは違います!
お父様もお母様も、私のことを思って領主館から出さないようにしていたんです!!
なぜなら――私の纏う色は、神様の纏う色だったから。
セイルレーン最高神様とアルディーナ様だけが持っていたという、銀の髪と紫水晶色の瞳。
そんな特別な色を持つ私が、何かトラブルに巻き込まれたり、辛い思いをしたりしないようにと……そう考えて、私を外には出さないようにしていたのに、それが裏目に出るなんて――
私は悔しさに唇を噛みしめる。
お父様も、私と同じ気持ちなのでしょう。言葉を継げず、肩を震わせています。
そんなお父様に向かって、お祖父様はため息をついた。
「――哀れだな。何はともあれ、子の父親を確かめる術がない以上、リリアナ嬢とクラウディウス殿下の結婚は認められん。異母兄妹の可能性もあるのだからな」
そこで言葉を切り、クラウディウス様に向き直るお祖父様。
「いいですか、殿下。殿下はリリアナ嬢ではなく、新たなる薔薇を迎えるべきなのです」
「新たなる薔薇……。それは、大公爵の娘アルメリア嬢のことか?」
クラウディウス様は、静かに尋ねました。ですが、怒りが殺気のように漏れ出していることは、この距離からでもわかります。
「薔薇の乙女は、四人。青薔薇の乙女であるリリアナ嬢を除くと、残るは三人となる。黄薔薇の乙女は、皆が知っているように、リディストラ元侯爵令嬢。罪を償うため牢獄行きとなった。白薔薇の乙女は、殿下がリリアナ嬢との婚約を決めた直後、有力貴族との縁談を決めてしまった。若き二人を引き裂くのも野暮なこと。そうなると、残るは赤薔薇の乙女のみ……」
お祖父様はそこで言葉を切ります。
先ほどまで悔しさでいっぱいだった心が、今度は悲しみで満たされていく。
……私だって、お祖父様の孫なのに。
お祖父様は、私がお父様の娘じゃないという因縁をつけてまで、自らの子であるアルメリア様を王太子妃にしたいのでしょうか?
目の奥が熱くなり、視界がぼやけてくる。
でも、泣いても事態が改善するわけじゃありません。しっかりと見届けなくちゃ……
私は目をごしごしとこすり、お祖父様の言葉を待つ。
やがてお祖父様は、ため息まじりに口を開いた。
「……と言いたいところだが、それでは今までの話が、アルメリアを殿下に嫁がせるための与太話とも取られかねん。だからこそ私は、薔薇の乙女を改めて選定しなおすことを提案する」
次の瞬間、一部の貴族の方々から歓喜の声が上がった。
もしかすると、年頃の娘を持つ方々なのかもしれません。
……どうしましょう。全員が全員、私とクラウディウス様の結婚を認めてくれているわけではありません。
ましてや、王族と縁を結びたい貴族はたくさんいるでしょうし……
この流れ……まずいよね……
一体、どうなってしまうんだろう。
……王太子様と結婚する覚悟ができていないから、結婚式を少しでも先延ばしにしたい。
先ほどまではそう考えていましたが、そんな悠長なことを言っている場合じゃなかったんですね。
「おっ、王妃様……どうしましょう。このままじゃ、私は……私は……」
私の弱気な声を聞いて、王妃様はギュッと私の手を握りしめてくれる。
「リリアナ、落ち着きなさい。このまま黙って言いなりになるはずがないでしょう? ほら、ご覧なさい!」
そう言って王妃様が示したのは……国王様。
クラウディウス様の隣の席に着いている国王様は、威厳たっぷりに口を開きました。
「……アルディーナ大公爵、面白い話をありがとう。だが、私はリリアナ嬢の父になった覚えなどない。いくら大公爵といえ、これは不敬罪にあたるのではないか?」
けれどお祖父様は怯んだ様子もなく、堂々と言い返します。
「私は、あくまでも可能性を示したまで。この可能性が絶対にないと言い切れない以上、リリアナ嬢を王家に迎え入れるわけにはまいりません。兄妹間の結婚は禁忌ですからな」
「私がハッキリと違うと言ってもか?」
「ええ、口ではどのようにでも言えますからな」
国王様とお祖父様の間に、見えない火花が散ります。
その様子を見ていた王妃様は、チッと舌打ちをしました。
「……本当に厄介だわ、あの妖怪クソ爺。普通なら、不敬罪で打ち首だけど……」
ギリっと奥歯を噛みしめる王妃様を見て、アルディーナ大公爵家の力の強さを改めて実感しました。
お祖父様は、国王様の殺気立った威圧感なんてどこ吹く風です。
やがて、国王様は地を這うような低い声で言いました。
「――つまり、私がいくら否定しようとも真実はわからないと言って、水かけ論になるというわけか」
「左様にございます。ですから、王太子殿下には新たなる薔薇の乙女の選定を……。折しも、来週は春告の会が王城で開催され、貴族の子女達が多く集まります。ちょうどよいではありませんか。そこで、新たなる薔薇を選んではいかがですか」
お祖父様はそう言って、会場の貴族達に目を向けた。
すると、あちこちで賛同の声が上がりました。
春告の会というのは、春の訪れを祝う大規模な催しです。王都に住む有力な貴族の皆さんが王城に大勢招待されると聞いています。
うぅ、この流れ……本当にまずいです……。私、どうすればいいんでしょうか……
私は助けを求めるように、握りしめていた王妃様の手を、さらに強く握りしめた。
一方、焦りを感じていたのは私だけじゃなかったみたい。クラウディウス様も険しい表情を浮かべて、お祖父様に向かって宣言する。
「アルディーナ大公爵、春告の会は予定通り行うが、私は決して薔薇の乙女を選び直したりしない。ここにいる皆も、承知しておいてほしい」
けれど――
「お言葉ですが、殿下! アルディーナ大公爵のおっしゃる通り、リリアナ嬢は大公爵家直系の色を受け継いでいない! 陛下の子でないにしても、そんなどこの馬の骨とも知れぬ者の血を引く娘を王家に迎え入れるのは、いかがなものかと!」
「その通りでございます! どうか、新たなる薔薇の乙女の選定を!!」
あちこちでそんな意見が飛び交い、議会が混乱に呑み込まれていく。
「王妃様……私……」
「リリアナ、しっかりなさい! そして、クラウを信じるのです。こんなことで、二人の絆は引き裂かれてしまうものなのですか? 違うでしょう? あなたが妃になった暁には、これ以上の局面に立たされることだってあります! こんなことでへこたれてはなりませんよ!!」
王妃様は私を励ますように、手を力強く握ってくれる。
……そうですよね。
私がここでくじけていては、クラウディウス様との明るい未来はない。
もっとしっかりしなくっちゃ!
そのためにもまずは……
私は、この騒動の要因を作り出した人物を見つめる。
けれどこちらに背を向けているので、表情まではわからなかった。
――お祖父様。
一体、どんな意図があってあんなことを言い出したんですか?
心の中で問いかけるも、もちろん答えは返ってこない。
そのとき、会場に国王様の声が響きわたった。
「……これ以上の話し合いは無意味とみなす! よって、本日の議会は閉会とする!!」
――こうして議会は、混乱のまま終わりを告げたのでした。
その後、私は王妃様に手を引かれて隠し通路を急ぎ、議会の行われていたホールから程近い廊下に向かいました。
そこで王妃様といったん別れ、私はドレスの裾を軽くたくし上げてホールのほうへ駆けます。
……淑女としてあるまじき行為だとわかっています。
だけど、そうでもしないと目的の人物を見失ってしまうからね!
こういった議会での退席の順番は、身分の高い人達から。
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お祖父様は、貴族の中で最も身分が高いから、会場から出てくるのは最初のはず。
私は、うまくお祖父様を捕まえて話をするつもりでいました。
王妃様曰く、ここをまっすぐ進めば会場のホールに辿り着くとのこと。
しばらく走っていると、前方に見知った人物の姿を見つけました。
あれは――
「お祖父様!!」
私が声をかけると、お祖父様はピタリと足を止めました。そして私の姿を認めて、眉根を寄せる。
……そこまで私のことが嫌いなんでしょうか?
再び悲しみが押し寄せてきたけれど、それをぐっとこらえて、お祖父様に対峙した。
「お祖父様に大切なお話があるのです。どうか、私に少し時間をください!」
しばらくの間、眉間に深い皺を刻んでいたお祖父様ですが、やがて小さく息を吐き、答える。
「……私も、お前に大切な話がある。ここでは、誰が聞いているかもわからん。場所を変えよう」
その言葉に、私はホッと安堵の息を漏らした。
お祖父様に案内され、廊下をしばらく進んだ先にあった一室へと入る。
ここは、議会に出席した貴族達の控え室みたい。お祖父様は室内にいた使用人に退室を促し、他の方達が入ってこないようにしてくれとも告げた。
二人きりになった室内で、私はゆっくりと尋ねる。
「――お祖父様。どうして……どうして、議会で私を不義の末にできた子のように扱い、クラウディウス殿下との結婚を阻もうとしたのですか? 私の両親は、ルイス・ル・ディオン・オリヴィリアとアリス・ラ・オリヴィリアの二人だと、神に誓って申し上げます!!」
……といっても、今の私は幻影の仮面で本来の姿を隠しています。
ここで幻影の仮面を外し、お父様譲りの紫水晶色の瞳を見せるのが一番話が早いとは思うのだけど――本来の姿を見せるのは、とても怖い。
かつて私の纏う色を見たオリヴィリア領の民達は、私を神様の使者だと言って救いを求めてきました。
けれど、私にそんな力はありません。
人から過剰に期待をされるのは、とても怖いこと。
だから、ずっとこの色を隠して生きてきたんです。そして、できることならこの先もずっと平穏に暮らしていきたいから――
本当の姿をさらす覚悟もなく、クラウディウス様と結婚しようとしているなんて、すごく虫のいい話だよね。
意気地のなさに、自分でも嫌になってしまいます。
ただ、私がお父様とお母様の子だということだけは、なんとしても信じてほしい――
私が拳を握りしめていると、お祖父様は眉を寄せながら口を開いた。
「――議会が終わったばかりなのに、なぜ内容を知っている?」
「うっ……」
ま、まずい……
感情に任せて下手なことはできないなんて考えつつ、思いっきり下手を打っちゃったみたい。
議会に出席できない私が内容を知っていたら、不審に思われるのも当たり前。もしかすると、王妃様にまで迷惑がかかっちゃうかも……
私が答えに窮していると、お祖父様は呆れたようなため息を漏らした。
「ふぅ……まぁ、お前はいろいろと規格外だからな……。どのような術を使ったかは知らぬが、議会でのやり取りを覗いていたんだろう。今後は程々にするように」
意外なことに、お祖父様はどうやら見逃してくれるみたい。
内心ホッと息をついた私に、お祖父様は言葉を続ける。
「とにかく、お前はこれ以上手出しをせぬように。お前のせいで、状況が日々悪くなっているのだ。私の言葉に従ってさえいれば、やがて救済へと繋がる。いいか、大人しくしているのだぞ」
……お祖父様は、またも意味のわからないことを言いはじめました。
状況が悪くなっている、というのはどういう意味なんだろう?
私からすると、状況を悪くしているのは他でもないお祖父様なんだけど……
「お祖父様、それはどういう意味でしょう? お祖父様のおっしゃる『救済』とは、何を指しているのですか?」
思わずそう尋ねると、お祖父様は感情のない声で淡々と答える。
「救済……それは、この世界すべての者達にとっての救済だ……。お前はただ私の言うことを聞けばよい。……だからこそ、せっかく聖域へ行かせる手配をしたというのに、お前は失態を演じてしまった。お前の存在は、この国……いや、この世界にとって不要なもの。まったく、なぜこうなってしまったのか……。こんなことにならなければ、あの方と同じ夢を見ていられただろうに……」
お祖父様の言葉に、私は大きな衝撃を受けた。
……私の存在は、この世界にとって不要なもの?
どうして、そこまで言われなくてはならないのでしょう。
それに、お祖父様は「聖域に行かせる手配をした」と言いました。
……そういえば、聖域の使者であるローレリア大司教様がいらっしゃったとき、『シェルフィールド王家にも、ある人物が話を通す手筈になっております』とおっしゃっていた。だから、安心して聖域へ向かえばいいと。
お父様はその人物に心当たりがあったみたいで、とても険しい顔をしていたけれど――その人物とは、お祖父様のことだったんですね。
ふつふつと沸き上がってきた怒りを抑えながら、私はお祖父様に尋ねました。
「お祖父様が手を回して、私を聖域へ行かせたのですね。一体なぜですか? ……確かに、これまで交流は一切ありませんでした。ですから、お祖父様は私に対しての情が薄いのかもしれません。けれど、どうしてそこまでして私を家族から遠ざけようとしたのですか!?」
拳をぎゅっと握りしめて叫んだ瞬間、まるで地震が来たときのように、部屋の調度品がカタカタと揺れはじめた。
けれどそんなことには構っていられず、私はお祖父様をキッと睨みつける。
「お前に対しての情? 悪いが、そんなものは一切ない。それに、私はお前と家族を引き離そうとしたわけではない。お前が余計なことばかりするから、聖域へ行かせたのだ」
「そんなっ……」
私は言葉を失って、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
一方のお祖父様は、ものすごく冷たい視線をこちらに向けている。
「……わ、私への情がないというのは……私がお父様の子ではないと思っているから、ですか?」
震える声で尋ねると、お祖父様はため息をついた。
「――そういうことではない。議会ではそう言ったが、お前のその身体には確かに私の血が流れている。だが、それだけのことだ。お前の中身は、私の孫娘ではない」
どういう……こと?
今の口ぶりだと、議会でお祖父様が口にした言葉はハッタリだったってことだよね。つまり、薔薇の乙女の選定をやり直させるための、方便。
ただ、私がアルディーナ大公爵家の血を引いていることを認めながらも、中身は違うと口にした。
その意味がわからず、私は内心で首を傾げる。
そのとき、ふとある考えが浮かんだ。
もしかしてお祖父様は、私が前世の記憶を持つことを知っているのだろうか?
この世界では、人は死後、天の国か地の国に行くと信じられています。
それが、人の魂の一生だと。けれど教会の中枢を担う方々は、人が生まれ変わる――すなわち輪廻転生することを知っています。なぜなら、教会には輪廻転生を繰り返し、そのすべての生の記憶を保持している人物――精霊の姫巫女様がいるから。
輪廻転生に関わることは秘されていますが、限られたごく一部の人々は知っています。その中にはお父様の生家、アルディーナ大公爵家も含まれている。
かつて私が前世の記憶があると告白したとき、お父様とお母様は驚かず、すべてを受け入れてくれました。それはアルディーナ大公爵家の人間として、輪廻転生を知っているからだと言っていました。
アルディーナ大公爵家のご当主であるお祖父様が、それを知らないはずがありません。
――私が前世の記憶を持つと知っているのは、両親とクラウディウス様だけ。
お祖父様がなぜそれに気づいたのかはわからないけれど……
私のことを今世の人間ではなく前世の人間として見ているのなら、中身が違うと言った言葉にも納得がいきます。
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