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9巻
9-2
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私が脳内でパニックを起こす中、周りにいた皆が祝福の言葉を口にする。
「まぁ、リリアナちゃん、よかったわね! これで、何度もルイスに確認しなくてもよくなるじゃない。リリアナちゃんに日取りを聞かれるたびに、ルイスも廃人のようになっていたでしょう? 本当によかったわ」
「お姉様、おめでとうございます! お姉様が本物のお姫様になる日が近づいたってことですね! レティ、楽しみです!!」
「……お姉様が家から出ていかれる日が決まるのは悲しいですが、お姉様の幸せを思えば、祝福すべきですよね。お姉様、おめでとうございます……」
「うふふ。これで、未来のお義姉様が本当のお義姉様になるのね」
お母様、レティ、ラディ、メリルローズ様――
気持ちは嬉しいけれど、私の心境は複雑です。
でもせっかく祝福してくれているんだから、水を差すようなことは言えないよね。
「えっと……ありがとうございます……」
なんとかそう口にすると、王妃様が楽しそうに笑う。
「まぁ、嬉しさのあまり、声も出ないというところかしら? ふふ、その様子では、明日の議会の結果が気になって仕方ないのでしょう? あっ、そうだわ! 良い考えがあります!!」
パンッと手を叩いた王妃様に、皆の視線が注がれる。
……なんだか、嫌な予感がしてなりません。
私は、おそるおそる尋ねる。
「良い考え……王妃様、一体どのようなお考えでしょうか?」
「リリアナ嬢、明日は私と一緒に議会へ行きましょう」
王妃様は艶やかに微笑まれ、優雅に扇を開く。
一方、私はあんぐりと口を開けてしまった。
「お、王妃様、そんなことはできません! 議会は、決められた貴族と王族のみが出席できる会です。それなのに、資格を持たない私が出席するなんて……」
国の開く議会では、とても重要な議題が話し合われます。
それ故に、議会に出席できる者も限られているんです。
国王様はもちろん、王太子様、国を支えている重臣の皆様、そして選ばれし貴族家の者のみ。
もちろん、我がオリヴィリア伯爵家は議会に出席できるほどの力を持っていないのですが、娘である私の結婚が絡んでいるということで、お父様がこの議会に参加させていただいています。
そんな特別な場に、私が出席できるはずもありません。
何より……女性は政治の場に出るのはふさわしくないという、暗黙の了解のようなものがあります。
貴族が代替わりする際、男性の跡取りがいない場合は女性が家長になることもありますが――仮に名家だったとしても、議会にまで出席することはできないのだそうです。
目の前にいらっしゃる王妃様だって、普段は議会に参加できません。国王様と王太子様が不在のときなど、不測の事態にのみ出席できるのだとか。
それなのに、伯爵家の娘にすぎない私が議会にしゃしゃり出るなんて、顰蹙ものですよ。
それは王妃様が一番ご存知のはずなのに、どうして一緒に議会へ行こうなんておっしゃるのでしょう……
私が戸惑っていると、王妃様がクスクスと笑う。
「そんなに慌てるなんて、リリアナ嬢はやっぱり面白いわ。……確かに議会は決められた者しか出席できないし、私達女性は締め出されているものね。腹立たしいけれど、それを今破るのはどう考えても得策ではないわ。うふふ、さっきの言葉をもう少し正確に言うとね、議会には行くけれど、正攻法ではなく裏からコッソリと行こうと思っているのです」
「正攻法ではなく、裏からコッソリと……ですか?」
「ええ、その通りよ、リリアナ嬢」
首を傾げる私に、王妃様はにっこりと笑う。そして悪戯を思いついた子供のように、瞳を輝かせたのだった。
「ようこそ、リリアナ嬢」
――翌日、王城にある王妃様の部屋を訪ねると、優雅な微笑で私を迎えてくださいました。
さらには、控えていた女官の皆さんに室外へ出ているよう指示を出します。
「……王妃様、あの、本当に議会へ行くのですか?」
「もちろんです。さぁ、ゆっくりしている時間はありません。参りますよ」
王妃様はそう言うと、私を手で招き寄せながら奥の部屋へと進んでいく。
何がはじまるんだろう……私は、王妃様の後ろを追いつつ様子を眺める。
王妃様は化粧台の横に立つと、目の前の壁に取り付けられた大きな姿見を両手で押しました。姿見はまるで扉のように開き、そこから現れたのは――
「か、階段!? おっ、王妃様、これはもしかして……」
「ええ、これは有事の際に使う隠し通路です。王族の中でも、限られた者しか知らないのよ」
王妃様は事もなげに、にっこりと笑う。
王城の隠し通路なんて、トップシークレットじゃないですか。
そんな重要な秘密、簡単に話しちゃっていいんですか!?
……そういえば昔、なりゆきで王太子様の魔剣盗難事件に巻き込まれたときにも、王城から神殿に繋がる隠し通路の存在を知ってしまったんだよね。
私、隠し通路に縁があるんでしょうか?
あのときは何も考えずにその通路を使ったけど、王族の一部の方しか知らない通路を一市民に過ぎない私が使うのは、やっぱりまずいよね。
「……王妃様、私がこの通路を使用するわけにはいきません。私は、何も見なかったことにしますね」
思わず誤魔化すように笑い、隠し通路の入り口から一歩離れる。
すると、王妃様からお叱りの声が飛んできました。
「まぁ、リリアナ嬢。前々から思っていたのだけれど、あなたは王家のことに無関心すぎます! 自覚が足りないのかしら? 確かに、今のあなたはオリヴィリア伯爵家の娘に過ぎません。しかし、すでにシェルフィールド王国の王太子クラウディウスと婚約した身。すなわち、この一年のうちには王太子妃となり、いずれはこの国の王妃……国母とならなくてはなりません。それなのに、あなたはなぜそんなに他人事のような反応をするのかしら?」
王妃様の言葉に、心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けました。
……王妃様のおっしゃる通りです。
私は、ランスロット様――いいえ、この国の王太子クラウディウス殿下から青薔薇を受け取った身。
その青薔薇は、間違いなくプロポーズの証です。
姿形が違っていても、彼のことが好きな気持ちに変わりはないと、そればかり考えていましたが……
どうやら私、恋する感情に浮かされて、自分が『王太子妃』になるということをきちんと理解していなかったみたい。
そうだよ、私の結婚相手は、このシェルフィールド王国の王太子様。
その地位に付随する責任は計り知れなくて、同時に私もその責任を抱えなくちゃいけなかったのに。
認識が甘すぎました。
「おっ……王妃様、申し訳ありません……。私……私は……」
動揺している私はうまく話すこともできず、あたふたとしてしまう。
そんな私に、王妃様は困ったように眉尻を下げた。
「リリアナ嬢、ごめんなさいね。少し、意地悪をしてしまいました。……あなたの母であるアリスから、いろいろと聞いているわ。王族にふさわしい所作や教養をアリスから教わって、きちんと習得しているって。ですが、王妃となるべく育てられたわけでないことも聞いています」
王妃様はそこで一度言葉を切ると、私の頭をそっと撫でて話を続けた。
「……私やアリスは、物心のついた頃から、将来は王妃になるのだと周囲に言われて育ってきました。ですから、王族と結婚したことで背負うこととなる重責も、当然のものとして受け止められたの。でも、リリアナ嬢はそうではないでしょう? 心構えができていないのも、当然だわ」
「王妃様……」
「でもね、心優しいあなたなら、誰よりも国のことを思ってくれる、よき王妃になると確信しています。優しさだけじゃなく、勇気も持ち合わせていますしね。だから、今は心構えができておらずとも、徐々に王太子妃としての自覚を身につけていけばいいのです。それに、最初から完璧な者なんていません。王族の重責を覚悟して王妃となった私でも、時には辛くて逃げ出したいことがありましたし、失敗もたくさんしました」
昔を懐かしむように、どこか遠い目をしている王妃様。
その言葉が胸に染みて、目頭が熱くなった。
「王妃様、そのようにおっしゃっていただき、ありがとうござ――」
「それよ、それ! まずはそれがおかしいのです」
感謝の気持ちを述べようとしたところ、王妃様にぴしゃりと遮られる。
えっ、おかしい? どうしてだろう?
困惑したまま固まっていると、王妃様が扇をびしっとこちらに向けた。
「私とリリアナ嬢は、義理とはいえいずれ母と娘になるのです。遠慮は無用ですし、必要以上に他人行儀にならなくていいの。そうね、私はこれからリリアナ嬢のことをリリアナと呼びます。ですから、リリアナも私のことは王妃様ではなく、お義母様とお呼びなさい」
「おっ、お義母様……ですか?」
「そう、そうです! 私にもローズという可愛い娘はいますが、彼女はまだ幼いもの。一緒にドレスを選んだり、音楽を楽しんだりするには早いわ。息子のクラウは、まったく私に付き合ってくれないし……」
王妃様はそう言って、がっかりしたようにため息をつく。
「私はね、仲良くできる年頃の娘が欲しくて仕方なかったんです。それに、娘は多ければ多いほど楽しいわ。姪のフィオレンティーナはたまに付き合ってくれるけれど、いつも呼び立てるわけにもいかないでしょう。ですから、あなたが私の義娘になってくれるのが楽しみで仕方ないの」
王妃様は、最後ににっこりと笑いました。
意外です。王妃様って、もっと威厳があって近寄りがたい方だとばかり思っていましたが……すごく可愛らしい方なんですね。
それに、そんな風におっしゃっていただけて、すごく嬉しいです。
ただ、王太子妃になる自覚も覚悟もまだ足りていない私が、王妃様のことを本当にお義母様と呼んでいいものか……
少し迷った末、私は今の気持ちを正直に伝えることにしました。
「王妃様……私、王妃様のお気持ちがすごく嬉しいです。でも、こんなに中途半端な私が王妃様のことをそのように呼ぶのは、畏れ多くて……」
すると、王妃様は困ったような表情を浮かべる。
「……わかりました。リリアナは正直ね。ふふ、呼び方は強制でもなんでもないの。でもリリアナ、あなたの中で決心がついた暁には、私のことを気兼ねなくお義母様と呼んでちょうだい。待っていますよ」
王妃様は私を安心させるように、優しい声色で話す。
「王妃様……お心遣い、ありがとうございます……」
「よろしい。さて、話もついたことですし、これから私に付き合ってもらいますよ」
悪戯っぽく片目を瞑って宣言する王妃様に、私は微笑みを返す。
すると王妃様は、隠し通路に向かって扇を突きつけた。
「暗闇を照らせ!」
王妃様が詠唱した次の瞬間、階段の奥の暗闇にぽっと明かりが灯りました。
「さぁ、私についていらっしゃい」
王妃様はカツカツと靴音を鳴らして、隠し通路を進んでいく。
私は慌ててその後を追いかけた。
「おっ、王妃様、この通路の先は、もしかして……」
「うふふ、リリアナも答えはわかっているでしょう? 今は何も言わず、とにかくついていらっしゃいな」
昨日、王妃様は、議会には行くけれど正攻法ではなく裏からコッソリ行くとおっしゃっていました。つまりこの隠し通路は、議会の行われている部屋に繋がっている可能性が高いわけですが……
うぅ、なんだか緊張してきました。
私は前を歩く王妃様をじっと見つめながら、歩き続ける。
途中、通路は何度も道が分かれていたけれど、王妃様は迷うことなくスタスタ進んでいきます。
すごい……私だったら、絶対に迷子になる自信があります。
とはいえ、私も王太子妃になったら隠し通路の一つや二つ、完璧に覚える必要があるんだよね。
……うん、そのときはルーチェの力を借りることにしましょう。
ルーチェというのは光の精霊の女の子。
普通の人には視えないけれど、私みたいに精霊の祝福を受けると、姿を視ることができるんです。さらに、ルーチェと契約している私は心の中でやりとりをすることもできます。
好奇心旺盛で探検好きなルーチェは、隠し部屋や隠し通路を見つけるのも得意。道順もばっちり覚えているみたいだから、いざとなったら助けてもらおう。
ちなみに今日は、王都のオリヴィリア伯爵邸でお留守番のルーチェ。
ドレス選びの日もそうだったんだけど、最近は王都のオリヴィリア邸に人が出入りすることも多くて、ルーチェにはいつも隠れてもらっています。
なかなか構ってあげられなくて申し訳ないんだけど、中には私と同じように精霊を視ることができる人もいるからね。私が精霊と契約していることがバレると、厄介なことに巻き込まれかねないし……
ごめんね、ルーチェ。時間ができたら思いっきり遊んであげるから、待っててね。
心の中でルーチェに謝っていると、通路の先に差し込む光が目に入った。出口でしょうか?
「王妃様、あちらが目的地ですか?」
「ええ、その通り。リリアナ、ここからは決して大声を出してはなりません。気づかれてしまいますからね」
そういえば、議会の行われている部屋にどうやって入るのかな?
堂々と入っていったら気づかれちゃうだろうし……裏口みたいなところからコッソリ入って、物陰から覗き込むとか?
疑問をいっぱい抱えながら出口を抜けると、急に視界がパッと開けた。
そして目の前に広がった光景は――
「おっ、王妃様……ここは……」
そこは、とても大きな半円状のホールでした。
半円の直線部分にあたる壁際には、国王様を含めた王族の方々が座る席が並んでいます。そこから半円を描くように椅子と机が設置され、貴族の方々が座っていました。
ちなみに私たちがいるのは、弧を描いた壁側に作られた、バルコニーのような場所。
随分高さがあるから、会場を隅々まで見渡せます。
手すりに身を隠しつつ下を覗き込むと、白熱している人々の様子が見えた。
会場のあちこちで、鋭い声が飛び交っている。
目を見開く私に、王妃様はクスクス笑いながら答えた。
「そう。ここは、議会の会場です」
「……っ」
やっぱり!
思わず大きな声を上げそうになったけれど、なんとかそれを呑み込みます。
王妃様は口元に人差し指をそっと立てて、茶目っ気たっぷりに笑った。
「大声さえ出さなければ、気づかれることはありません。ほら、ご覧なさい。出席している貴族達は、皆が陛下のほうを向いているでしょう? 私達には背を向けているから、滅多なことがない限り気づかないわ。そうね、こちらに気づく可能性があるのは、王族席にいる陛下達くらい。でも、今まで一度も気づかれたことはないから、安心なさい」
うん……確かに……
この小さなバルコニーは壁の高い位置に作られているし、静かにしていればきっとバレないと思います。
思わず安堵のため息をついた瞬間、ふとあることに気がついた。
「王妃様。『今まで一度も気づかれたことはない』ということは……もしかして、何度もここに足を運んでいるのですか?」
そういえば隠し通路を通ったときも、迷いのない足取りでどんどん進んでいました。
あれは完璧に道を覚えていたわけでなく、通い慣れた道だから……ということ?
私の問いかけに、王妃様はきらりと目を光らせた。
「ええ、その通りです。だって議会は私達女性を締め出しているでしょう? ただ聞くことも許されないなんて、不公平だわ」
王妃様の言葉はもっともで、思わず頷いてしまう。
「それにね、自分達が締め出した女性が、実際にはこうして議会の様子を見下ろしているのよ。そう思うと、なんとも滑稽で面白いとは思わなくて?」
そう言って、艶やかに微笑んだ王妃様。
お淑やかで、淑女の中の淑女というイメージだった王妃様。
けれど、実は行動派というか……お転婆なところもあるんですね。
王妃様の意外な一面に驚いていると、何やら会場がざわめきはじめた。
も、もしかして、私達の存在がバレた……とか?
いやいや、でも大声は出していないし、見つかるはずないよね?
おそるおそる手すりから会場の様子をうかがうと、立ち上がって貴族達を見回しているクラウディウス様の姿が目に入った。
「あらあらっ。クラウったら、やっぱり待ちきれなかったみたいね」
王妃様の呆れたような声に、私は首を傾げる。
私達の存在がバレたわけではなさそうですが、これは一体何が起こっているんでしょうか?
引き続き会場の様子をうかがっていると、クラウディウス様の声が聞こえてきた。
「――私の婚約者となったリリアナ嬢は、まことに稀有なる存在。オリヴィリア家の隆盛に一役買っているという噂も、皆が知るところだろう。その噂は真実だ。それ故に、フィオス商業王国のレオニダス国王陛下はリリアナ嬢に求婚したのだ。フィオス商業王国では、国に益をもたらす女性を王妃に選ぶからな」
クラウディウス様はそこで言葉を切ると、改めて周囲をゆっくり見渡して言葉を続けた。
「レオニダス国王陛下との結婚は、なんとか阻止することができたが……結婚まで無為に時間をかければ、再び横やりが入るに違いない。この国の最上の妃となるであろう人物を、逃してしまう可能性が出てくる。そこで私は、悪戯に介入されないよう、できる限り結婚を早めたほうがいいと考えている。せめて半年以内には成婚させたい」
私は、クラウディウス様の言葉に息を呑んだ。
は、半年以内!?
いくらなんでも早すぎませんか!?
会場にいる方々も、ざわめいています。
何やら納得したように頷く人もいれば、難しそうに唸っている人もいて……
うぅ、それにしても恥ずかしすぎます。
確かに私はレオニダス陛下に求婚されましたが、あれは私がすごいからじゃありません。
……実は昔、私はレオニダス陛下とお会いしたことがあったんです。もちろん、そのときはフィオス商業王国の王位継承者だなんて、思いもしませんでしたが。
陛下はまだ幼い私に、『あと数年したら俺の嫁においでよ』と言いました。
もっとも、冗談っぽい口調だったし、陛下は私だけでなくたくさんの少女に求婚していたみたい。それがきっかけで、レオニダス陛下と再会したときに改めて求婚されたわけだけど……
どう考えても、買い被りだよ。
クラウディウス様、まるで私がものすごい人物のように語らないでください……!!
私は熱くなった頬を両手で押さえた。
「まぁまぁ、クラウったら必死ね。でも、それも仕方がないこと。リリアナを婚約者にしようと思った矢先にレオニダス国王陛下が登場。彼をなんとか出し抜いてようやく婚約者にできたと思ったら、今度はセイルレーン教会が『聖女として迎えたい』なんて言って茶々を入れてくる……クラウとしては、これ以上横やりを入れさせないためにも、さっさと結婚したいのよ。半年ね……まぁ、頑張ればなんとかなるでしょう」
王妃様の言葉に、ますます頬が熱くなる。
クラウディウス様は、鳶に油揚げを攫われないよう、結婚式の日取りを早めたいみたいだけど……
たまたまそんな出来事が続いただけです。横やりなんて、もう入ることはないでしょう。
だから、もうちょっとだけ、覚悟を決めるための時間が欲しいなぁ。
うん、そうだよ。
半年じゃなくて、せめて一年! どうか、誰か一年と主張してください!!
本来、私はこの場にいてはいけない人間。もちろん、意見することはできません。
だから、この議会に出席している誰かがそう言ってくれないかと念を飛ばす。
すると私の思いが通じたのか、一人の人物がすっと手を挙げました。
思わず目を凝らしてその人物を見つめ――私は息を呑みました。
「っ、お祖父様……」
そう、挙手をしたのは、私の父方のお祖父様――シェルフィールド王国の貴族達の中で最も力を持つ、アルディーナ大公爵でした。
ここシェルフィールド王国の始祖様は、美と愛と豊穣の女神様の血を引いています。その始祖様の双子の妹姫が興した家こそ、アルディーナ大公爵家。
この国で、唯一『大公爵』を名乗ることができる家です。
そんな大家を纏めるご当主様が、私のお祖父様だなんて……本当にビックリだよね。
ただ、お祖父様は私の存在をよく思っていないみたい。
私は、以前お祖父様とお会いしたときに言われた言葉を思い出す。
『――クラウディウス殿下がお前を望んでいる。しかし、それではいけないのだ。すでにお前のせいで、さまざまな影響が出てしまっている。それを食い止めるだけでも大変なのに、お前が王妃となった暁にはさらなる影響が出て、この国が暗黒に包まれるだろう』
あれは、どういう意味だったのでしょう?
お祖父様の真意はわからないけれど、私の存在を危険視していたことは確かです。
……そういえば聖女として聖域に迎えられたときにも、セイルレーン教会の皆さんに、危険思考の持ち主だと思われていました。
私の考え方のどのあたりがそう捉えられているのか、わからないのですが――
嫌な予感がして、私は目の前の手すりをぎゅっと握りしめる。
一方、王妃様も訝しげな視線をお祖父様に送っていました。
「あら、珍しい。大公爵が議会に出席されるなんて……。最近はご年齢を理由に欠席することが多かったのだけれど、さすがに孫の結婚式の日取りは気になるのかしら? ……いいえ、大公爵はそういう類の人ではないわね。一体、何を企んでいらっしゃるのかしら?」
会場はしんと静まり返り、皆が固唾を呑んでお祖父様に視線を向けている。
やがてお祖父様は、重々しく口を開いた。
「この結婚は許されるものではない! 神のご意思に背くものである。よって、結婚を白紙に戻すべきだ!!」
その瞬間、会場中がどよめいた。皆が動揺している様子が伝わってきます。
そして私も――頭を殴られたような衝撃が走り、さっと血の気が引いた。
……やっぱり、お祖父様は私とクラウディウス様の結婚に反対なんですね。
だけど、どうして?
胸を抉られたみたいな痛みを感じて、私はぎゅっと目を瞑る。
アルディーナ大公爵家の当主であるお祖父様が大々的に反対すれば、この結婚は本当に白紙に戻されてしまうかもしれない。
確かに私は、王太子妃になる覚悟がまだ持てない、なんてうじうじ考えているダメな人間ですが……クラウディウス様を思う気持ちは本物なんです。
それなのに――
「まぁ、リリアナちゃん、よかったわね! これで、何度もルイスに確認しなくてもよくなるじゃない。リリアナちゃんに日取りを聞かれるたびに、ルイスも廃人のようになっていたでしょう? 本当によかったわ」
「お姉様、おめでとうございます! お姉様が本物のお姫様になる日が近づいたってことですね! レティ、楽しみです!!」
「……お姉様が家から出ていかれる日が決まるのは悲しいですが、お姉様の幸せを思えば、祝福すべきですよね。お姉様、おめでとうございます……」
「うふふ。これで、未来のお義姉様が本当のお義姉様になるのね」
お母様、レティ、ラディ、メリルローズ様――
気持ちは嬉しいけれど、私の心境は複雑です。
でもせっかく祝福してくれているんだから、水を差すようなことは言えないよね。
「えっと……ありがとうございます……」
なんとかそう口にすると、王妃様が楽しそうに笑う。
「まぁ、嬉しさのあまり、声も出ないというところかしら? ふふ、その様子では、明日の議会の結果が気になって仕方ないのでしょう? あっ、そうだわ! 良い考えがあります!!」
パンッと手を叩いた王妃様に、皆の視線が注がれる。
……なんだか、嫌な予感がしてなりません。
私は、おそるおそる尋ねる。
「良い考え……王妃様、一体どのようなお考えでしょうか?」
「リリアナ嬢、明日は私と一緒に議会へ行きましょう」
王妃様は艶やかに微笑まれ、優雅に扇を開く。
一方、私はあんぐりと口を開けてしまった。
「お、王妃様、そんなことはできません! 議会は、決められた貴族と王族のみが出席できる会です。それなのに、資格を持たない私が出席するなんて……」
国の開く議会では、とても重要な議題が話し合われます。
それ故に、議会に出席できる者も限られているんです。
国王様はもちろん、王太子様、国を支えている重臣の皆様、そして選ばれし貴族家の者のみ。
もちろん、我がオリヴィリア伯爵家は議会に出席できるほどの力を持っていないのですが、娘である私の結婚が絡んでいるということで、お父様がこの議会に参加させていただいています。
そんな特別な場に、私が出席できるはずもありません。
何より……女性は政治の場に出るのはふさわしくないという、暗黙の了解のようなものがあります。
貴族が代替わりする際、男性の跡取りがいない場合は女性が家長になることもありますが――仮に名家だったとしても、議会にまで出席することはできないのだそうです。
目の前にいらっしゃる王妃様だって、普段は議会に参加できません。国王様と王太子様が不在のときなど、不測の事態にのみ出席できるのだとか。
それなのに、伯爵家の娘にすぎない私が議会にしゃしゃり出るなんて、顰蹙ものですよ。
それは王妃様が一番ご存知のはずなのに、どうして一緒に議会へ行こうなんておっしゃるのでしょう……
私が戸惑っていると、王妃様がクスクスと笑う。
「そんなに慌てるなんて、リリアナ嬢はやっぱり面白いわ。……確かに議会は決められた者しか出席できないし、私達女性は締め出されているものね。腹立たしいけれど、それを今破るのはどう考えても得策ではないわ。うふふ、さっきの言葉をもう少し正確に言うとね、議会には行くけれど、正攻法ではなく裏からコッソリと行こうと思っているのです」
「正攻法ではなく、裏からコッソリと……ですか?」
「ええ、その通りよ、リリアナ嬢」
首を傾げる私に、王妃様はにっこりと笑う。そして悪戯を思いついた子供のように、瞳を輝かせたのだった。
「ようこそ、リリアナ嬢」
――翌日、王城にある王妃様の部屋を訪ねると、優雅な微笑で私を迎えてくださいました。
さらには、控えていた女官の皆さんに室外へ出ているよう指示を出します。
「……王妃様、あの、本当に議会へ行くのですか?」
「もちろんです。さぁ、ゆっくりしている時間はありません。参りますよ」
王妃様はそう言うと、私を手で招き寄せながら奥の部屋へと進んでいく。
何がはじまるんだろう……私は、王妃様の後ろを追いつつ様子を眺める。
王妃様は化粧台の横に立つと、目の前の壁に取り付けられた大きな姿見を両手で押しました。姿見はまるで扉のように開き、そこから現れたのは――
「か、階段!? おっ、王妃様、これはもしかして……」
「ええ、これは有事の際に使う隠し通路です。王族の中でも、限られた者しか知らないのよ」
王妃様は事もなげに、にっこりと笑う。
王城の隠し通路なんて、トップシークレットじゃないですか。
そんな重要な秘密、簡単に話しちゃっていいんですか!?
……そういえば昔、なりゆきで王太子様の魔剣盗難事件に巻き込まれたときにも、王城から神殿に繋がる隠し通路の存在を知ってしまったんだよね。
私、隠し通路に縁があるんでしょうか?
あのときは何も考えずにその通路を使ったけど、王族の一部の方しか知らない通路を一市民に過ぎない私が使うのは、やっぱりまずいよね。
「……王妃様、私がこの通路を使用するわけにはいきません。私は、何も見なかったことにしますね」
思わず誤魔化すように笑い、隠し通路の入り口から一歩離れる。
すると、王妃様からお叱りの声が飛んできました。
「まぁ、リリアナ嬢。前々から思っていたのだけれど、あなたは王家のことに無関心すぎます! 自覚が足りないのかしら? 確かに、今のあなたはオリヴィリア伯爵家の娘に過ぎません。しかし、すでにシェルフィールド王国の王太子クラウディウスと婚約した身。すなわち、この一年のうちには王太子妃となり、いずれはこの国の王妃……国母とならなくてはなりません。それなのに、あなたはなぜそんなに他人事のような反応をするのかしら?」
王妃様の言葉に、心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けました。
……王妃様のおっしゃる通りです。
私は、ランスロット様――いいえ、この国の王太子クラウディウス殿下から青薔薇を受け取った身。
その青薔薇は、間違いなくプロポーズの証です。
姿形が違っていても、彼のことが好きな気持ちに変わりはないと、そればかり考えていましたが……
どうやら私、恋する感情に浮かされて、自分が『王太子妃』になるということをきちんと理解していなかったみたい。
そうだよ、私の結婚相手は、このシェルフィールド王国の王太子様。
その地位に付随する責任は計り知れなくて、同時に私もその責任を抱えなくちゃいけなかったのに。
認識が甘すぎました。
「おっ……王妃様、申し訳ありません……。私……私は……」
動揺している私はうまく話すこともできず、あたふたとしてしまう。
そんな私に、王妃様は困ったように眉尻を下げた。
「リリアナ嬢、ごめんなさいね。少し、意地悪をしてしまいました。……あなたの母であるアリスから、いろいろと聞いているわ。王族にふさわしい所作や教養をアリスから教わって、きちんと習得しているって。ですが、王妃となるべく育てられたわけでないことも聞いています」
王妃様はそこで一度言葉を切ると、私の頭をそっと撫でて話を続けた。
「……私やアリスは、物心のついた頃から、将来は王妃になるのだと周囲に言われて育ってきました。ですから、王族と結婚したことで背負うこととなる重責も、当然のものとして受け止められたの。でも、リリアナ嬢はそうではないでしょう? 心構えができていないのも、当然だわ」
「王妃様……」
「でもね、心優しいあなたなら、誰よりも国のことを思ってくれる、よき王妃になると確信しています。優しさだけじゃなく、勇気も持ち合わせていますしね。だから、今は心構えができておらずとも、徐々に王太子妃としての自覚を身につけていけばいいのです。それに、最初から完璧な者なんていません。王族の重責を覚悟して王妃となった私でも、時には辛くて逃げ出したいことがありましたし、失敗もたくさんしました」
昔を懐かしむように、どこか遠い目をしている王妃様。
その言葉が胸に染みて、目頭が熱くなった。
「王妃様、そのようにおっしゃっていただき、ありがとうござ――」
「それよ、それ! まずはそれがおかしいのです」
感謝の気持ちを述べようとしたところ、王妃様にぴしゃりと遮られる。
えっ、おかしい? どうしてだろう?
困惑したまま固まっていると、王妃様が扇をびしっとこちらに向けた。
「私とリリアナ嬢は、義理とはいえいずれ母と娘になるのです。遠慮は無用ですし、必要以上に他人行儀にならなくていいの。そうね、私はこれからリリアナ嬢のことをリリアナと呼びます。ですから、リリアナも私のことは王妃様ではなく、お義母様とお呼びなさい」
「おっ、お義母様……ですか?」
「そう、そうです! 私にもローズという可愛い娘はいますが、彼女はまだ幼いもの。一緒にドレスを選んだり、音楽を楽しんだりするには早いわ。息子のクラウは、まったく私に付き合ってくれないし……」
王妃様はそう言って、がっかりしたようにため息をつく。
「私はね、仲良くできる年頃の娘が欲しくて仕方なかったんです。それに、娘は多ければ多いほど楽しいわ。姪のフィオレンティーナはたまに付き合ってくれるけれど、いつも呼び立てるわけにもいかないでしょう。ですから、あなたが私の義娘になってくれるのが楽しみで仕方ないの」
王妃様は、最後ににっこりと笑いました。
意外です。王妃様って、もっと威厳があって近寄りがたい方だとばかり思っていましたが……すごく可愛らしい方なんですね。
それに、そんな風におっしゃっていただけて、すごく嬉しいです。
ただ、王太子妃になる自覚も覚悟もまだ足りていない私が、王妃様のことを本当にお義母様と呼んでいいものか……
少し迷った末、私は今の気持ちを正直に伝えることにしました。
「王妃様……私、王妃様のお気持ちがすごく嬉しいです。でも、こんなに中途半端な私が王妃様のことをそのように呼ぶのは、畏れ多くて……」
すると、王妃様は困ったような表情を浮かべる。
「……わかりました。リリアナは正直ね。ふふ、呼び方は強制でもなんでもないの。でもリリアナ、あなたの中で決心がついた暁には、私のことを気兼ねなくお義母様と呼んでちょうだい。待っていますよ」
王妃様は私を安心させるように、優しい声色で話す。
「王妃様……お心遣い、ありがとうございます……」
「よろしい。さて、話もついたことですし、これから私に付き合ってもらいますよ」
悪戯っぽく片目を瞑って宣言する王妃様に、私は微笑みを返す。
すると王妃様は、隠し通路に向かって扇を突きつけた。
「暗闇を照らせ!」
王妃様が詠唱した次の瞬間、階段の奥の暗闇にぽっと明かりが灯りました。
「さぁ、私についていらっしゃい」
王妃様はカツカツと靴音を鳴らして、隠し通路を進んでいく。
私は慌ててその後を追いかけた。
「おっ、王妃様、この通路の先は、もしかして……」
「うふふ、リリアナも答えはわかっているでしょう? 今は何も言わず、とにかくついていらっしゃいな」
昨日、王妃様は、議会には行くけれど正攻法ではなく裏からコッソリ行くとおっしゃっていました。つまりこの隠し通路は、議会の行われている部屋に繋がっている可能性が高いわけですが……
うぅ、なんだか緊張してきました。
私は前を歩く王妃様をじっと見つめながら、歩き続ける。
途中、通路は何度も道が分かれていたけれど、王妃様は迷うことなくスタスタ進んでいきます。
すごい……私だったら、絶対に迷子になる自信があります。
とはいえ、私も王太子妃になったら隠し通路の一つや二つ、完璧に覚える必要があるんだよね。
……うん、そのときはルーチェの力を借りることにしましょう。
ルーチェというのは光の精霊の女の子。
普通の人には視えないけれど、私みたいに精霊の祝福を受けると、姿を視ることができるんです。さらに、ルーチェと契約している私は心の中でやりとりをすることもできます。
好奇心旺盛で探検好きなルーチェは、隠し部屋や隠し通路を見つけるのも得意。道順もばっちり覚えているみたいだから、いざとなったら助けてもらおう。
ちなみに今日は、王都のオリヴィリア伯爵邸でお留守番のルーチェ。
ドレス選びの日もそうだったんだけど、最近は王都のオリヴィリア邸に人が出入りすることも多くて、ルーチェにはいつも隠れてもらっています。
なかなか構ってあげられなくて申し訳ないんだけど、中には私と同じように精霊を視ることができる人もいるからね。私が精霊と契約していることがバレると、厄介なことに巻き込まれかねないし……
ごめんね、ルーチェ。時間ができたら思いっきり遊んであげるから、待っててね。
心の中でルーチェに謝っていると、通路の先に差し込む光が目に入った。出口でしょうか?
「王妃様、あちらが目的地ですか?」
「ええ、その通り。リリアナ、ここからは決して大声を出してはなりません。気づかれてしまいますからね」
そういえば、議会の行われている部屋にどうやって入るのかな?
堂々と入っていったら気づかれちゃうだろうし……裏口みたいなところからコッソリ入って、物陰から覗き込むとか?
疑問をいっぱい抱えながら出口を抜けると、急に視界がパッと開けた。
そして目の前に広がった光景は――
「おっ、王妃様……ここは……」
そこは、とても大きな半円状のホールでした。
半円の直線部分にあたる壁際には、国王様を含めた王族の方々が座る席が並んでいます。そこから半円を描くように椅子と机が設置され、貴族の方々が座っていました。
ちなみに私たちがいるのは、弧を描いた壁側に作られた、バルコニーのような場所。
随分高さがあるから、会場を隅々まで見渡せます。
手すりに身を隠しつつ下を覗き込むと、白熱している人々の様子が見えた。
会場のあちこちで、鋭い声が飛び交っている。
目を見開く私に、王妃様はクスクス笑いながら答えた。
「そう。ここは、議会の会場です」
「……っ」
やっぱり!
思わず大きな声を上げそうになったけれど、なんとかそれを呑み込みます。
王妃様は口元に人差し指をそっと立てて、茶目っ気たっぷりに笑った。
「大声さえ出さなければ、気づかれることはありません。ほら、ご覧なさい。出席している貴族達は、皆が陛下のほうを向いているでしょう? 私達には背を向けているから、滅多なことがない限り気づかないわ。そうね、こちらに気づく可能性があるのは、王族席にいる陛下達くらい。でも、今まで一度も気づかれたことはないから、安心なさい」
うん……確かに……
この小さなバルコニーは壁の高い位置に作られているし、静かにしていればきっとバレないと思います。
思わず安堵のため息をついた瞬間、ふとあることに気がついた。
「王妃様。『今まで一度も気づかれたことはない』ということは……もしかして、何度もここに足を運んでいるのですか?」
そういえば隠し通路を通ったときも、迷いのない足取りでどんどん進んでいました。
あれは完璧に道を覚えていたわけでなく、通い慣れた道だから……ということ?
私の問いかけに、王妃様はきらりと目を光らせた。
「ええ、その通りです。だって議会は私達女性を締め出しているでしょう? ただ聞くことも許されないなんて、不公平だわ」
王妃様の言葉はもっともで、思わず頷いてしまう。
「それにね、自分達が締め出した女性が、実際にはこうして議会の様子を見下ろしているのよ。そう思うと、なんとも滑稽で面白いとは思わなくて?」
そう言って、艶やかに微笑んだ王妃様。
お淑やかで、淑女の中の淑女というイメージだった王妃様。
けれど、実は行動派というか……お転婆なところもあるんですね。
王妃様の意外な一面に驚いていると、何やら会場がざわめきはじめた。
も、もしかして、私達の存在がバレた……とか?
いやいや、でも大声は出していないし、見つかるはずないよね?
おそるおそる手すりから会場の様子をうかがうと、立ち上がって貴族達を見回しているクラウディウス様の姿が目に入った。
「あらあらっ。クラウったら、やっぱり待ちきれなかったみたいね」
王妃様の呆れたような声に、私は首を傾げる。
私達の存在がバレたわけではなさそうですが、これは一体何が起こっているんでしょうか?
引き続き会場の様子をうかがっていると、クラウディウス様の声が聞こえてきた。
「――私の婚約者となったリリアナ嬢は、まことに稀有なる存在。オリヴィリア家の隆盛に一役買っているという噂も、皆が知るところだろう。その噂は真実だ。それ故に、フィオス商業王国のレオニダス国王陛下はリリアナ嬢に求婚したのだ。フィオス商業王国では、国に益をもたらす女性を王妃に選ぶからな」
クラウディウス様はそこで言葉を切ると、改めて周囲をゆっくり見渡して言葉を続けた。
「レオニダス国王陛下との結婚は、なんとか阻止することができたが……結婚まで無為に時間をかければ、再び横やりが入るに違いない。この国の最上の妃となるであろう人物を、逃してしまう可能性が出てくる。そこで私は、悪戯に介入されないよう、できる限り結婚を早めたほうがいいと考えている。せめて半年以内には成婚させたい」
私は、クラウディウス様の言葉に息を呑んだ。
は、半年以内!?
いくらなんでも早すぎませんか!?
会場にいる方々も、ざわめいています。
何やら納得したように頷く人もいれば、難しそうに唸っている人もいて……
うぅ、それにしても恥ずかしすぎます。
確かに私はレオニダス陛下に求婚されましたが、あれは私がすごいからじゃありません。
……実は昔、私はレオニダス陛下とお会いしたことがあったんです。もちろん、そのときはフィオス商業王国の王位継承者だなんて、思いもしませんでしたが。
陛下はまだ幼い私に、『あと数年したら俺の嫁においでよ』と言いました。
もっとも、冗談っぽい口調だったし、陛下は私だけでなくたくさんの少女に求婚していたみたい。それがきっかけで、レオニダス陛下と再会したときに改めて求婚されたわけだけど……
どう考えても、買い被りだよ。
クラウディウス様、まるで私がものすごい人物のように語らないでください……!!
私は熱くなった頬を両手で押さえた。
「まぁまぁ、クラウったら必死ね。でも、それも仕方がないこと。リリアナを婚約者にしようと思った矢先にレオニダス国王陛下が登場。彼をなんとか出し抜いてようやく婚約者にできたと思ったら、今度はセイルレーン教会が『聖女として迎えたい』なんて言って茶々を入れてくる……クラウとしては、これ以上横やりを入れさせないためにも、さっさと結婚したいのよ。半年ね……まぁ、頑張ればなんとかなるでしょう」
王妃様の言葉に、ますます頬が熱くなる。
クラウディウス様は、鳶に油揚げを攫われないよう、結婚式の日取りを早めたいみたいだけど……
たまたまそんな出来事が続いただけです。横やりなんて、もう入ることはないでしょう。
だから、もうちょっとだけ、覚悟を決めるための時間が欲しいなぁ。
うん、そうだよ。
半年じゃなくて、せめて一年! どうか、誰か一年と主張してください!!
本来、私はこの場にいてはいけない人間。もちろん、意見することはできません。
だから、この議会に出席している誰かがそう言ってくれないかと念を飛ばす。
すると私の思いが通じたのか、一人の人物がすっと手を挙げました。
思わず目を凝らしてその人物を見つめ――私は息を呑みました。
「っ、お祖父様……」
そう、挙手をしたのは、私の父方のお祖父様――シェルフィールド王国の貴族達の中で最も力を持つ、アルディーナ大公爵でした。
ここシェルフィールド王国の始祖様は、美と愛と豊穣の女神様の血を引いています。その始祖様の双子の妹姫が興した家こそ、アルディーナ大公爵家。
この国で、唯一『大公爵』を名乗ることができる家です。
そんな大家を纏めるご当主様が、私のお祖父様だなんて……本当にビックリだよね。
ただ、お祖父様は私の存在をよく思っていないみたい。
私は、以前お祖父様とお会いしたときに言われた言葉を思い出す。
『――クラウディウス殿下がお前を望んでいる。しかし、それではいけないのだ。すでにお前のせいで、さまざまな影響が出てしまっている。それを食い止めるだけでも大変なのに、お前が王妃となった暁にはさらなる影響が出て、この国が暗黒に包まれるだろう』
あれは、どういう意味だったのでしょう?
お祖父様の真意はわからないけれど、私の存在を危険視していたことは確かです。
……そういえば聖女として聖域に迎えられたときにも、セイルレーン教会の皆さんに、危険思考の持ち主だと思われていました。
私の考え方のどのあたりがそう捉えられているのか、わからないのですが――
嫌な予感がして、私は目の前の手すりをぎゅっと握りしめる。
一方、王妃様も訝しげな視線をお祖父様に送っていました。
「あら、珍しい。大公爵が議会に出席されるなんて……。最近はご年齢を理由に欠席することが多かったのだけれど、さすがに孫の結婚式の日取りは気になるのかしら? ……いいえ、大公爵はそういう類の人ではないわね。一体、何を企んでいらっしゃるのかしら?」
会場はしんと静まり返り、皆が固唾を呑んでお祖父様に視線を向けている。
やがてお祖父様は、重々しく口を開いた。
「この結婚は許されるものではない! 神のご意思に背くものである。よって、結婚を白紙に戻すべきだ!!」
その瞬間、会場中がどよめいた。皆が動揺している様子が伝わってきます。
そして私も――頭を殴られたような衝撃が走り、さっと血の気が引いた。
……やっぱり、お祖父様は私とクラウディウス様の結婚に反対なんですね。
だけど、どうして?
胸を抉られたみたいな痛みを感じて、私はぎゅっと目を瞑る。
アルディーナ大公爵家の当主であるお祖父様が大々的に反対すれば、この結婚は本当に白紙に戻されてしまうかもしれない。
確かに私は、王太子妃になる覚悟がまだ持てない、なんてうじうじ考えているダメな人間ですが……クラウディウス様を思う気持ちは本物なんです。
それなのに――
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